第5話

「ねえ、腕を貸して」


 彼女がある日そう言った。手にはカッターナイフが握られている。彼女の様子は、手に持つものに反して迫真さもなく、無邪気なものだった。怖かった。けれど、わたしはどこかぼんやりとして、言う通り彼女に腕を貸した。


 その日初めて、彼女はわたしの腕を切った。そしてかわりに、わたしは彼女の腕を切った。


 彼女の腕は全体傷だらけで、むしろ健常な肌がぼこぼこと盛り上がっているようだった。傷と傷のすきまをぬうようにわたしはカッターナイフを押し付けた。彼女がわたしにしたような強さではなかった。けれどわたしの全力だった。


 いつもより血が止まらなくて、初めて血が肌を伝い流れた。じっと流れていく赤色二筋を見ていると、心があらわれていく、そんな気がした。


 右ななめ、左ななめ、右横、左横、時々重ね、銀色の刃をうでにすべらせると、じんわりと赤い線を作り始め、次第にぷっくりと赤い玉に集まる、重ねたところは大玉になった。


 暫くすると耐えていたものを失ったかのように たた、たた、と玉は筋となり滑り落ちて行く。仰向けにした内腕の裏側までたどり着くと、またひとかたまりの滴となって、落ちる準備を始める。


 それを、恍惚とした気持ちで眺めていた。

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