第4話
いきるかしぬかだと、何となく生きると選びづらい。正解だとわかっているから、選びづらい、そんな気分ばかりの時だった。
きっと、わたしの中の鏡が反射したに過ぎない。
わけもなくひかれた。
彼女は、わたしの中の鏡が、わたしの内の希死念慮を映し出した姿に過ぎないのかもれない
とさえ。
わけもなくひかれた。今でもわからない。けれど彼女は間違いなくここにいたのだ。
彼女はたしかにそこにいたのだ。はたして幻想のようにそう信じた。
冬がカチカチと鳴った。空は凍てついた氷のように青く青く冴え、地面に近づくほど白く染まる。
あなたはぼんやりとカッターナイフを眺めていた。時折手の甲を切っ先で引っ掻いた。ひまだったから、というような余りに手慰みの手つきだった。時がすぎるほど不規則な赤い筋はたっぷり浮かび交差していった。
わたしはリップクリームを塗っていた。指先に取り出して塗るそれは、わたしに指先の始末を手間取らせた。
見ると彼女の唇はカサカサに乾いていた。
「塗って」
彼女は言うと体をこちらへ向けた。唇に触れた。薄皮の浮いた唇は痛そうで、塗るわたしの指先の方が怖じ気づいた。彼女は目を閉じてわたしの指に応えていた。
彼女の気持ちを知りたくて、わたしは腕を切った。でこぼこ浅い凹凸が、腕に刻まれていく。触れるとギロのように、響く気がした。
手首の傷をなぞった。ばれたらどうしよう、でも気分がよかった。怖い分、よりずっと気持ちがふわふわとしていた。
脱衣場で母と居合わせて、ギクリとした。脱衣場は洗面所と合同だった。髪を拭いているふりをして、腕を隠しやり過ごした。
「ちゃんと浸かったの」
「うん」
早く出ていってくれないかな、そう思いながら洗面所の水の流れる音を集中して聞いていた。
「早く拭かないと湯冷めするよ」
すれ違う寸前、自分の腕を隠すタオルをじっと見た気がして、心臓が跳ねる。しかし母は何もいうことなく去っていった。ホッと息をつくと、急ぎ体をふく。下着を身につけ、パジャマを着る。部屋に戻るのが怖かった。
部屋に入ったとき、母はちらりとわたしを見たが何も言わなかった。
その日はずっと緊張して過ごし、できる限り早くに布団に入った。
もう切るのはやめよう。そう思った。ばれそうになるたびに思った。彼女はこれをどうやり過ごしているのかも気になった。結局やめられず、彼女にならって手首にカッターを滑らせる日々だった。真似ごとの浅い傷は、時間がたつと虫刺されのように縁がぷっくりと膨らんだ。
今日は空の写真が送られてきた。その日食べたもの、その日心に残ったこと、何でもいいから知りたいと言った。すると、彼女は時々こうして写真を送ってくれるようになった。
それはわたしに直接送られてくるわけではなかった。彼女のTwitterにのせられるのだった。
彼女のTwitterは、「苦しい」と「死にたい」とリストカットの画像で埋まっている。けれど、こうして空の写真が貼られる。それはわたしのものだった。中指と親指を合わせた、歪な手の形がうつりこんでいるのが、その証だ。これは、わたしと彼女の内で共有しているポーズだった。こうしてわたしたちは離れている間でも繋がっていた。わたしはそれが嬉しかった。彼女の写真の綺麗さだとか、合図だとか、そういった表面的なものがではなく、こうして送られる写真が、自分が彼女の生活のうちに染み込んでいる気がして、彼女を変えたことの証な気がして嬉しかったのだ。
Twitterのタイムラインに流れた、伝って流れる血の画像。わたしはすぐにLINEを開き、彼女へのメッセージを打ち込んだ。
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