第2話
教壇の前二列目、窓際から二列目の席、そこに彼女はいつも寝ていた。
仰向けに上体を机に預けて、足先を半端に床と向かいの席との間をふらふらさ迷わせていた。擦りきれた上履きの爪先の赤、黒く薄汚れたあの色を、ゴムのささくれを、いまだに覚えている。
ふらふらと揺れる残影、窓の外へ抜けた彼女の口ずさむ歌。ほそく、わらべ歌のようなしらべがゆっくりと流れ込んでくる。
そうだ、確かにここにいた。
確信のように思う。
確信は確認で、確認はまた確信であった。
(確かに、そこにいたのだ)
ふと 音も風速もない風が頭上をくるりと弧を描いて扉の外へと抜けていった その風にさらわれるように思考は浮上し、旋回し、くるくる回っていく 白い残影が走り行く、それを追うように思考は回り回り
栗色の髪がフレームインする回ってまた見えなくなるジャングルジムの中にいるように、景色は断片的だった 白のシャツ、紺のつけ襟、えんじ色のタイ、紺のプリーツが同じように回りながら輪に入り、また抜けていく
逃げる金魚のひれのようなそれをつかまえてつらまえて、それがすべてひとつのピースになる――――ひとりの少女。
「彼女を見つけたのは、ある日、本当にある日の偶然のことだった。彼女はエフ組の教室、奥から二列、前から二番目の席に仰向けに寝転んでいた。逆さまの目とわたしの目が合う。むっくり起き上がったかと思うと『二年?』と聞いてきた。思いの外、話しやすい子だった」
「彼女は見ればいつでも手首や腕に傷があり、私の前でも平気で切った。『血がなくなってしまうよ』というと、『それでもいい』と言った。投げやりなのに拗ねたような口ぶりだった」
「私の手を握った。『つめたい』とだけいった。そうしてはにかむように笑った。大きな犬歯は、彼女の唇を少し捲らせる。その上唇の赤い色を見ていると、私は今までとてもさみしくて歪だったことを思い出した。」
「あなたが私の腕を切った。怖かったけれど、解放された気がした」
「放課後、彼女と会う。彼女はいつも机の上に仰向けに寝ている。私が来ると起き上がる。彼女が私の腕を切る。私はあなたの腕を切る。流れる血を二人で眺める。同じ一枚のティッシュに落ち染み込んでいく赤色を見ていると、なんだかこの行為が儀式のように感じた。それ以外は私たちはずっと互いの肩にもたれあっている」
少女はくるくると回り、白い霞のなかまた消えていった。溶け込んだのか速く消えたのか、定点に立つ自分にはわからない……
けれども、
彼女だ
確認でも承認でもなく、泣きたいような発見の叫びであった。
あふれでたのは紛れもない、感傷であった。
「一人ぼっちの家のなかは憂鬱だ。彼女、何をしているだろう」
「もたれあうとき、手を繋ぎあうのはくせになっていた。彼女は私の手を強く握ると、死ぬときは一緒だよと言ってくれた。嬉しかった」
「彼女が私の知らない間につけた傷が憎い」
「彼女が遠くに感じる。変わらず手を繋いでいるのに」
「ルクセンブルクの空を見たいと彼女が言った。どこを見ているかわからない目で、彼女はその日ずっと仰向けに寝て、足先を隣の机と床の間で、ふらふらさせていた。それ、どこだっけと言うと知らないと言った。知らないところだからこそ見たいのだという。
『知らないところの空は知らない色なのかな』
なぜか答えられなかった。私は何か気まずく落ち着かなくて苦しかった。『一緒にいこう』それがどうしても言えなかった。
他にもたくさんの気持ちがあったがら言葉にならなくてのどがつかえ、胸の内の気持ちが、膨張した。」
「さみしい」
「彼女が死んだのはこんな冬の日のことだった。
唐突に、これといった前触れも特別さもない訪れだった。
私たちのつながりを知る人はいなかった。聞いたのは全てがすんだあと、冬休み明けの日のことだった。」
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