仮面舞踏会の夜(3)

「ネイザンにも何か事情があったんだね。だけど、今、ネイザンの話を聞ける気分じゃないの。続きは、またの機会にして」


 仮面を着けていて良かったと、ライラは思った。

 頭が混乱している。気持ちもぐちゃぐちゃだ。きっとひどい顔をしている。


「悪かった。自分の話ばかり聞かせてしまって」

「大丈夫。ちょっと疲れただけだから」

「送っていくよ」


 ネイザンから手を差し伸べられたが、素直に応じることができない。

 

「ごめんなさい……これ以上、ネイザンに助けてもらうわけにはいかない」

「もしかして怒らせた? 僕が本当のことをなかなか言わなかったせいだ」

「そうじゃない。私、自分が嫌になる。すごく頑固で、ぜんぜん可愛くない」


 最初から分かっていたはずだ。

 ネイザンがくれる優しさは、ライラが期待するようなものではない。

 相手は名門貴族の子息なのだ。

 だからこそ、子供時代の思い出を、美しいことのように語れるのだろう。

 ライラの、貧しくて、ひもじくて、凍えていた冬を知らないからだ。

 仮面の奥で、ライラの瞳が潤んだ。


「そんなことない。ライラは僕にとって、いつまでも可愛い特別な女の子だ」


 ライラは無言で首を横に振る。


「僕の言葉を信じて」


 ネイザンの顔が見られずに、ライラは視線を下げた。

 すると、はらはらと、ネイザンの手のひらに白い花びらが舞い落ちてきた。

 ライラはすぐさま夜空を見上げる。

 音もなく降りしきる、仄かな光。


「雪……」


 淡雪を受け止めようと、ライラは顔の前で手のひらを広げた。


「綺麗……」


 白い吐息とともに、切ない気持ちが溢れた。

 どんなに美しくとも、雪は手のひらの上で儚く消えゆく。

 それが、運命さだめかのように。

 

「魔法だよ。魔女の祝福だ」


 ふいに、ネイザンの両手が、冷え切ったライラの手を包んだ。


「夜の静寂は、僕たちに与えられたやり直しの時間だ」

「やり直しの時間?」


 ネイザンはゆっくりと頷いた。


「あの約束をもう一度……」


 ハッとしたように、ネイザンが顔をあげる。ライラはネイザンの視線を追って、後ろを振り返った。


「お嬢さん、私とも一曲踊っていただけませんか?」


 青い仮面を着けた紳士が立っている。


「なぜ、ここに?」


 ネイザンが唸るような低い声で言った。

 紳士が青い仮面を剥がすと、銀色の髪がなびき、端正な顔があらわれる。


「悪い大人の遊び場で、偶然、弟の姿を見かけたのでね。懲らしめにきたのさ」


 ネイザンは押し黙ったまま、紳士を見据えていた。

 二人の不穏な空気にライラは息を呑む。


「ご挨拶が遅れました。ネイザンの兄の、イーサン・ニールです。お嬢さんのお名前は? どちらのご令嬢でしょうか」

「答える必要はない。仮面も取らなくていい」


 ネイザンがライラを隠すように前に出た。

 イーサンは、押さえきれないといった風に、くっくっ、と笑い声を漏らす。


「相変わらず、余裕がないな。グランベリー侯爵家の人間ならば、付き合う相手は選ぶべきだろう? お前のことを心配しているんだよ。このような場所には、ドブネズミが紛れ込んでいるとも限らないからな」

「兄さんがグランベリーの名のもとに付き合いをしたいならそうすればいい。僕には関係のないことだ」

「ネイザン、知っているか? ドブネズミは臭うらしい」


 イーサンは、ネイザンの背後から顔を出したライラに微笑みかける。


「どんなに着飾っていても、ドブネズミはドブネズミだ」


 私が、ドブネズミだと言いたいの?

 ライラはイーサンを睨みつける。

 同じなのは髪色だけで、兄弟と言えども、顔立ちも性格もネイザンとは似ていない。嫌な人だ、とライラは思う。


「いい加減にしろ。これ以上、僕の友人を侮辱するような態度を取るのなら、こちらにも考えがある」

「ドブネズミが友人か。さすが、ナナン家の血を引くだけはあるな。恥知らずめ」

「やめろと言っているんだ。今ここで、母の実家を持ち出す必要もないだろう?」


 表情は見えなくとも、声色からネイザンがどんな気持ちでいるか、ライラには痛いほどよくわかった。

 もう、何も言わないで。

 ライラの思いは届かず、イーサンはとどめを刺すような言葉を放つ。


「なんだ、その口の聞き方は。異母兄弟とはいえ、馬鹿な弟を持つと苦労が耐えないよ。お前と半分血が繋がっているだけでも、恥ずかしい」


 ネイザンの拳がわずかに震える。

 とうとう我慢しきれずに、ライラはイーサンの前へと飛び出した。


「かわいそうな人、ですね」

「なんだと?」


 凄まれたところで、心は落ち着いていた。

 ライラはすっと背筋を伸ばす。 


「だって、あなたが手にしているものはすべて、自分で手に入れたものじゃないでしょう。与えられたものしか知らないなんて、かわいそう。自分で努力して手に入れたものは、眩しいくらい輝くの。だけどあなたには、それがない」


 普段の姿からは想像できないほど、そのときのライラは堂々としていた。

 そんなライラに、イーサンもすぐには言い返すことができない。もしくは、感情的になって、みっともない姿を晒したくなかったのだろう。


「くだらないな。さすが、ドブネズミの理論だ」


 吐き捨てるように、イーサンは言った。


「帰ろう、ライラ。相手にする必要はない」


 ネイザンはライラの手を引いて歩き出す。


「後悔するぞ、ネイザン。あの時、兄の言葉に従っておけば良かったとな」


 どんな言葉を投げかけられようと、ネイザンがイーサンを振り返ることはなかった。

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