薔薇のドレス(3)
硝子玉を
「雨粒のシャワーみたい」
細いテグスで繋がった硝子玉は、宙に浮いているように見えた。まさに、薔薇に滴る雨粒だ。揃えて作った、イヤリングや髪飾りも、日差しを浴びた雨粒のように輝くだろう。
「ライラ、何してるの! 早く準備しないと、迎えが来るわよ」
ぼんやりしているライラを急き立てるように、エレノアが言った。
「そうだった。手伝って、エレノア!」
それもこれも、硝子玉のネックレスを仕上げるのに、舞踏会当日までかかってしまったせいだ。ライラは、慌てて着ていた服を脱ぎ捨てる。
「じっとして、コルセットを付けるから」
「息が……っ」
コルセットでぎゅうぎゅうに締め付けられ、ライラはふらふらした。
「次は腰当てよ」
「は、はいっ」
手際よく、エレノアはライラにドレスを着せていく。さらには、髪を結い上げ、化粧を施し、宝飾品を身に着けさせた。
香水を吹き付けられたライラは、思わず目をつぶる。
「ふう。これで、淑女のできあがりね」
エレノアが一息ついたところで、階下から扉がノックされる音が響いてきた。
「ネイザンかしら?」
ライラはドレスの裾を持ち上げる。
「私が先に行って対応するから、ゆっくり降りてきて」
エレノアはそう言うと、階段を駆け降りていった。
「ゆっくり……」
ドレスを着たときの所作はしっかり学んだ。
背筋を伸ばして、顎を引く。視線は少し先に。重心は後ろに残す。
ライラは学んだことを、振り返りながら一歩踏み出す。
高いヒールの靴を履いて歩く練習もした。
それなのに、緊張して足が上がらない。
「うわっ!」
あともう少しというところで、ライラは階段を踏み外してしまった。
「おっと!」
腰に腕が回され、体を抱きとめられる。
ライラが顔をあげると、ネイザンが微笑んでいた。
「ライラを助けるのは、これで何度目かな」
「ご、ごめんなさい」
「大歓迎だよ。お姫様を守る騎士の気分だ」
「……!!!」
照れもせずにさらりと言われ、ライラは赤面する。
「素敵だわ……」
ネイザンの気障な台詞にも、エレノアはうっとりと聞き入っていた。
信じられない。
人前でこんなこと。
ライラは平静を装って、しずしずと体勢を整える。
改めて見てみれば、ネイザンの姿は、古典的な騎士というより洒落た紳士だった。
シングルブレストのコートの下には絹のウエストコート。仕立ての良いものだとすぐに分かる。端正な顔立ちと長身が、よりいっそう夜会服を際立たせていた。
ライラは、ネイザンの堂々とした姿に気後れして、俯いてしまう。
なのに、ネイザンは無遠慮にライラを見つめてくるのだ。
「ライラ、今日の君は一段と可愛らしいね」
「や、やめて」
どうして次々と、そんな台詞が出てくるのだろう。
いつも以上に積極的なネイザンに、ライラはたじろいだ。
「可愛いから可愛いと言っているだけなのに」
「そういう言葉は、私以外の女性に言って。慣れていないの」
「ライラにしか言わないよ」
「ど、どうして……」
「僕が可愛いと思っているのは、ライラだけだから」
「ええっ?」
さすがのライラも、勘ぐらずにいられなくなる。
私だけが可愛い?
それって……まさか……。
ライラの心臓はどんどん高鳴っていく。
「あの、雰囲気の良いところ申し訳ありませんが、そろそろ出発したほうが……」
エレノアは遠慮がちに言うと、ライラへとコートを渡す。
「そうだった。ライラ、馬車を待たせているから急ごう」
「は、はいっ」
ライラは、差し出されたネイザンの腕にそっと手を添えて、今度こそはと、慎重に足を進めるのだった。
◇
馬車に揺られていると、ライラの膝に美しい仮面が置かれた。レースとシークインで飾られた目元だけを覆う仮面だ。
「ライラ、舞踏会ではそれを着けて」
怪しくも美しい、黒い仮面を着けたネイザンが、月明かりに浮かぶ。
「緊張してきた……」
ライラは胸を押さえた。
「不良貴族の夜遊びと言っても、舞踏会が開かれる劇場はちゃんとした場所だし、僕と一緒にいれば大丈夫だから」
ネイザンがそっとライラの手に触れてくる。
ライラは戸惑いながら、ネイザンを見返した。
ネイザンのことだ。
緊張を解そうとして、手を繋いでくれているのだろう。
「不良貴族? 宮廷の舞踏会とは何か違うの?」
「不良貴族は言いすぎか。それほど格式張ったものじゃないんだ。だけど、ライラが会いたい貴婦人たちもたくさんいる」
ネイザンは何の見返りも求めずにライラの願いを叶えてくれる。
どうして?
聞きたいけど聞けない。
『あんたに情けをかけて、気分良くなりたいだけだろ。偽善者じゃないか』
ジェイデンの言葉が頭に浮かんだ。
ただの気まぐれだったら、悲しい。
そんな人ではないと信じたいけれど、真実を知るのが怖い。
「ライラ? どうかした?」
ライラの様子に気づいたネイザンが、さらに強く手を握ってきた。
「何でもない」
ライラの左手は、ネイザンから逃れ、自らの左耳を塞いだ。
やっぱり、聞きたくない。
きっと傷つかずにいられない。
「緊張することない。僕がいる。信じて」
思いがけず耳元で囁かれ、ライラはびくりとした。
「静寂を荒らしてごめん」
「えっ……」
その言葉に驚いたライラは、じっとネイザンを見返すが、仮面のせいで表情は読み取れない。
「到着したようだ」
ほどなくして、御者によって扉が開かれる。
先に馬車を降りたネイザンが、ライラをエスコートすべく手を差し出した。
ライラは、ネイザンの手を取り、ゆっくりと踏み台に足を乗せる。
「転んでも、受け止めるよ」
ネイザンの口元は、優しく笑っていた。
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