薔薇のドレス(2)
「こうして髪をアップにしたら、どうかしら」
さっそくドレスを試着したライラの髪を、エレノアが持ち上げた。
白い首筋があらわになり、ぐっと大人っぽくなる。全身が映った姿見の前で、ライラはもじもじしながら頬を染めた。
「ドレスが素晴らしすぎて、言葉がなくて……」
自分じゃないみたいだ。
ライラはうっとりして溜息を漏らす。
王宮の薔薇園のようなドレスは、眩いばかりだった。
気恥ずかしいのに、目が離せない。
繊細で美しい薔薇の刺繍は、すっかりライラの心を虜にしてしまったようだ。見つめているだけで、葉に溜まってきらめく雨粒や、甘い蜜の香りに誘われた蝶までも、想像できてしまう。
「雨粒を虹玉で表現できたらいいのに……」
虹玉ならば、華々しい場所に相応しい輝きを放つはずだ。
しかし、高価な虹玉を身につけるなど、ライラには夢のまた夢。
毎日パンと水だけで暮らしたとしても、手に入れることは叶わない。
虹玉の代わりになる石はないだろうか。
工房の保管庫に眠る、様々な石を思い浮かべていく。
「そうだ……硝子玉を使えば……」
「硝子玉?」
エレノアが不思議そうな顔をする。
「硝子玉で、華やかなネックレスや髪飾りができないかなって」
大量生産ができる硝子玉は、言わば庶民の宝石である。
「ライラなら、きっとできるわ」
「こんなに素敵なドレスを作ってもらったんだもの、頑張るよ」
「そうだわ。この布すごく高かったんだから」
「えっ?」
「出世払いでいいって言ったの」
「は、はいっ。助かります」
ライラは慌てて背筋を正した。エレノアはくすくすと笑う。
「冗談よ。実は、染めムラのせいで廃棄されるところを、破格の値段で手に入れたのよ」
「染めムラ?」
「ムラになっているところに、薔薇の刺繍をしたから、まったく分からないでしょう?」
「そうだったんだ!」
「つまり、工夫次第で何でもできるってこと」
エレノアの発想力にライラは感心し、良い刺激を受けるのだった。
◇
ライラはかじかんだ手をさすりながら、息を吐きかける。
「じんじんしてきた……」
筆が握られた右手の先は、寒さですでに感覚が鈍っている。
日が陰ってきた工房の裏手は、早朝と同じくらい冷えていた。屋外に置いた木箱に座り、硝子玉に顔料を塗る作業を、ライラはもう半日近く続けている。顔料を換気の悪い場所で使用すると、具合が悪くなったり、悪夢にうなされたりすると聞いているからだ。
「まだやってんのか」
唐突に、ローガンが工房から顔を出す。
ローガンの言葉が聞き取れずに、ライラはじっと見返した。
「まだかかるのかいって、聞いてるんだ」
「あともう少しです」
「へえ。硝子玉がこんな風にねえ」
「だ、駄目。まだ乾いていないのでっ」
木箱の上の硝子玉に手を伸ばそうとしたローガンを、ライラは慌てて止めた。
「なかなかじゃないか。虹玉に見えなくもない」
虹玉に少しでも近づけようと、石を加工したときに出る削り粉を混ぜた白い顔料を硝子玉に塗ったのだ。様々な色の石の粉を混ぜたおかげで、きらきらと複雑な輝きを放っている。さすがに宝石職人の目はごまかせないようだが、遠目には虹玉と見紛うほどの出来だった。
「私にはこれでじゅうぶんです」
虹玉よりも儚くて淡い……これは夢玉。
薔薇の葉をすべり落ちていく雨粒。
ひと時の幻。
「硝子玉を売ってくれなんて言うから何事かと思ったが、やるじゃないか。発想も器用なところも、お前さんらしいな」
「ありがとうございます」
「ところで、自分のためにわざわざ宝石をこさえるなんて、一体どんな事情があるんだ?」
「しっ!」
ライラは工房の中に目をやって、ジェイデンに聞かれていないかを確認する。
「誰にも言わないって約束じゃないですか」
「誰も聞いてやしねえだろ」
じっと、ローガンはライラを見据え頑として動かない。
「……舞踏会に行くんです。ドレスはあるんですが、宝飾品も必要で」
渋々ライラは答えた。
「はあっ?」
「貴婦人たちの宝石をこの目で見るために、舞踏会に行くんです。ちょうど、連れて行ってくれる知り合いがいて」
ローガンは目を丸くした。
「舞踏会に硝子玉じゃ笑われるだろ!」
それから、うーっと唸り、ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしる。
「とはいえ、お前さんにタダでやれる宝石もないしなあ。
「大丈夫です。硝子玉でも笑われないような、ネックレスを作ります」
「……ったく、とんでもない奴だな。舞踏会かよ。俺にゃ、さっぱり分からない世界だ」
「そんなことじゃ困ります。これからキルケイの宝石が社交界を席巻していくんですから」
「冗談はよせよせ。どうせすぐに飽きられて、おしまいさ。あいつらは気まぐれなんだから。それより、冷えるだろ。そろそろ片付けて中に入んな」
ひらひらと手を振って、ローガンは工房へと戻っていった。
「でも……あとひと踏ん張り」
ライラは硝子玉に筆を当てる。
冷たくなった指先も気にしていられない。
「綺麗……」
色も大きさも不揃いの硝子玉ではあるが、それなりの数が並ぶと見栄えがする。
「夢が詰まってるから、綺麗」
ライラが硝子玉を見つめていると、再び、工房の扉が開いた。
「なにやってんだよ。もう暗くて見えないだろ」
ジェイデンはぶっきらぼうに言うと、ライラの肩に自分の上着を掛ける。
「えっ、何?」
「あんたに風邪ひかれると困るんだよ、皆が」
「だって、これ、ジェイデンの」
「だから、俺が帰るまでに返せよ」
ライラと目も合わせずに、ジェイデンはすぐさま扉を閉めた。
「変なの……」
ジェイデンに親切にされ、ライラは奇妙な気持ちになる。
「あっ、早く片付けないと、ジェイデンにまた文句言われちゃうよ」
ライラは急いで残りの硝子玉に色を塗るのだった。
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