死ぬまでにやりたいこと(2)

 体を丸めた状態で、ライラは身震いして目覚めた。床にはベッドから落ちた毛布と、しわくちゃの紙。昨夜は、図案を考えながら眠ってしまったようだ。そんな日が、ここ数日続いている。


「死ぬところだった……って、そっか、ここはノクトンだ」


 故郷ソルシスの村だったならば、凍死していたかもしれない。同じ冬でもソルシスに比べれば、王都ノクトンの冬はずいぶんと穏やかである。とはいえ、冬は冬である。しかも、夜明け前だ。

 ぶる、と再び震え、くしゅん、とくしゃみが出た。


「さ、寒い」


 ライラは拾い上げた毛布にくるまる。かさ、と紙が鳴ったような気がした。毛布から手を伸ばし、図案が描かれた紙に触れる。

 悔しいようなもどかしいような気持ちが蘇り、ライラは奥歯を噛み締めた。


「……ぜんっぜん良いアイデアが思い浮かばない」


 ローガンのような独創的な発想も、ジェイデンならではの洗練された感覚も、ライラは持ち合わせてはいない。

 しわくちゃの紙には、どこかの店先に並んでいそうな、無難で平凡な装身具の図案がいくつも描かれていた。しかし、ティアラの図案はひとつもない。


「ティアラなんてほとんど見たことないし、想像できないよ……」


 ライラはやや乱暴に、ぐしゃりと紙を掴んだ。


「仕切り直し、仕切り直し。さあ、準備しよう」


 窓際に吊るした布を捲くりあげると、すでに外は明るくなりはじめている。

 ライラは着替えを済ませ軽く食事を取り、やっと起き出してきたエレノアに「行ってきます」と言って家を出た。


「滑らないよう、気をつけて」


 言いながら、いつものように凍った道を慎重に踏みしめる。しかし、履き込んだブーツの底はつるつるで頼りなく、足取りは危なげだった。

 ちょうど坂道にさしかかったとき、ずるり、と思いもよらぬ方向へ足が滑る。


「うわっ」


 体勢を崩してしまったライラは、何かに捕まろうとして両手をばたばたさせた。


「危ない!」


 いきなり背後から、何者かによって羽交い締めにされる。驚いたライラは、すぐさま首を後ろへと向けた。


「あっ、あっ、あっ……あなたは」

「大丈夫ですか?」


 琥珀色の瞳と目が遭い、ライラは瞬きを繰り返す。またしても、七芒星の制帽をかぶった、軍警察の青年だった。


「どうして、あなたがここに?」

「一人で立てますか? 手を離しても?」

「は、はい」


 青年の腕が、ゆっくりと脇の下を抜けていく。転びそうになったところを彼に助けてもらったのだと、やっとライラは理解した。


「ありがとうございます。助けていただいたみたいで」


 ライラの頬がふわりと染まる。気まずくて顔があげられなかった。


「待ち伏せしていたんです。同じくらいの時間にこの辺にいれば、また会えるかと思って」


 ライラの正面へと回り込むと、臆面もなく青年は言った。


「えっ、また……会える……?」


 彼の言葉をすべて聞き取れずに、ライラは慌てて顔をあげる。

 そうだ、白カブの代金を払わなくては。

 ライラは大事なことを思い出した。


「これを返さなくてはと思って」


 すると青年のほうが先に、制服のポケットから何かを取り出し、ライラへと差し出した。黄ばんだ表紙の、使い込まれたノートだった。


「私のノート。もしかして、あの時……」


 野菜泥棒の少年に勢いよくぶつかられた時、道に落としてしまったのだろう。それを青年が拾って、わざわざ届けてくれたようだ。しかし、彼は申し訳無さそうに言った。


「少し濡れてしまったみたいで」

「元からぼろぼろだったんです」


 捨てられなかったのが不思議なほど、ノートは波打って皺だらけだ。


「嬉しい……本当に……良かった」


 ほっとしたライラは、ノートを胸に抱きしめる。


「その日に届けられれば良かったのですが、仕事があって今日になりました」

「戻ってきただけでじゅうぶんです。ありがとうございます」

「これで、一人前の宝石職人になれますね」


 青年が優しく微笑んだ。


「えっ……まさか……」

「あっ……お返しするのに何か手がかりがあるかと思って、中を見てしまいました。すみませんでしたっ」


 青年は制帽を取ると、深々と頭を下げる。


「いや、いやいや。頭を上げてください。届けてもらったのに謝られては困ります」

「とても……素敵だと思いました」


 青年はまだ腰を低くしたまま、上目遣いでちらちらとライラの様子を窺っている。


「な、何が? とにかく、頭を上げて」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「気にしないでください。じゃなくて、私の方がお礼しなくちゃ。ええとそれから、白カブの代金もお支払いしたいんです。とりあえず、お名前を教えてください!」


 ノートを見られたことで余裕を失くしたライラは、一気にまくしたてた。


「軍警察第一機動旅団第一連隊の中尉をしています、ネイザン・ニールです。ノートを見てしまったお詫びに、僕に協力させてもらえませんか?」


 所属や役職はほとんど聞き流してしまったが、ネイザン・ニールという名前だけははっきり耳に残った。そして、彼が、協力を申し出ていることも。


「協力って、どういう意味ですか?」

「ノートに書いてあった、〝死ぬまでにやりたいこと〟を手伝わせてください」

「ええっ!」


 足元の氷を溶かしてしまいそうなほど、ライラの体は熱くなる。実際、顔も耳も真っ赤だった。

 今さら、誤魔化すこともできない。


 ・一人前の宝石職人になる


 ノートにそう記したのは誰でもないライラだ。他にも、〝死ぬまでにやりたいこと〟リストと記したページには、何十個もの夢や希望を羅列している。

 全部、見られてしまったのだ。

 ひとつひとつ、覚えている限りの〝死ぬまでにやりたいこと〟を頭に浮かべていく。


 ・自転車に乗れるようになりたい

 ・舞踏会に行きたい

 ・女王陛下の宝飾を作りたい

 ・流星群が見たい

 ・時計塔に登りたい

 ・もう少し痩せたい


 それから、それから。


 ・恋をしてみたい


 燃えるように熱くなったはずのライラの体が、今度は急激に冷えていく。

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