死ぬまでにやりたいこと(3)
「夢を叶えるためのお手伝いが、したいんです」
「手伝いって、どうやって……?」
「例えば、自転車の乗り方なら教えられると思います」
ネイザンは少年のように表情を輝かせる。
「だけど、ネイザンさん……に、手伝ってもらう理由はありませんから。お気持ちだけで」
そもそも、個人的なことに興味を持たれる意味が分からない。ライラは丁重にお断りしたつもりだったが。
「気軽に、ネイザン、と。きっと、年もそう変わりませんよね。僕は直に十九歳になります。ぜひ、あなたの名前も教えてください」
ネイザンは引き下がるどころか、ますますライラに関わろうとしてくる。
「ライラ・アルモンドです。ええと、十八歳です。キルケイ宝石工房で働いています」
さすがに名乗らないのは失礼に当たると思い、ライラは素直に自己紹介をした。
「ライラ……あの……ライラ、と呼んでも?」
ネイザンは、ひどく丁寧に、ライラと発音した。その眼差しが色を濃くしたように感じられ、ますますライラは戸惑う。
「べ、別に、いいですけど。とにかく、お金、どうぞ。これで足りますか?」
「ええ。じゅうぶんです」
ライラから受け取った中銅貨一枚を眺め、ネイザンは嬉しそうに微笑んだ。
「ノート、ありがとうございました。それから、手伝いは必要ありませんので。じゃあ、これで……」
「素敵だと思ったんだ」
立ち去ろうとするライラの左側に回り、ネイザンが顔を寄せてきた。
「どの夢も、素敵なものばかりだ」
落ち着いた低い声が耳に流れ込んできて、ライラの体は固まる。
心地よい。優しい。そして温かだった。
郷愁に似た、不思議な感情に包まれていく。
ライラは、ゆっくりとネイザンを振り向いた。すぐそばに、綺麗な黄金色をした瞳があり、びくりと体を震わす。
「ごめん。近づきすぎた」
ネイザンは、軽く手を上げ、気まずそうな表情で後ろへ下がった。
ライラの心臓は、途端に激しく鳴りだす。
わざわざ左耳に語りかけてきたような気がしたが、片方の耳が聞こえないことに気づかれているのだろうか。しかし、気づかれていたとしてもかまわない。
「だ、誰かに見られるなんて思わなかったんです。夢は夢なんです。全部真実にする必要はありません。さようなら」
変な人、変な人、変な人。
そう心の中でつぶやきながら、もう何を言われても振り返らないと決めて、ライラは歩き出した。ところが。
「ライラ! 気をつけて!」
あまりにも大声でネイザンが叫ぶので、ライラは立ち止まってしまう。
じわり、と後ろを振り返り、しかめっ面のままネイザンを見返した。
「そこ、滑るから、気をつけて」
古くからの友人のような口調で、ネイザンは言うのだった。
◇
ライラは、その日何度目か分からない、深い溜息を吐いた。
差し込んだ西日が、売り場と工房を隔つガラス戸を抜け、足元まで伸びている。気持ちは焦るのに、頭は恐ろしく鈍っていた。
手の中には蝋の塊。机にはレースのように細かな模様が描かれた展開図。
模様のモチーフは、故郷で見た、霜の花だ。
頭の中にあるティアラを、いち早く形にしたい。
銀線をねじって加工する銀線細工をイメージしながら、あえてライラは、キルケイの職人らしく、複雑な模様を蝋から削り出そうとしていた。
しかし、なかなか手は動かず、はあ、と再び息が漏れる。
「その程度の模様を彫るくらい、あんたならたいしたことないだろう」
繰り返される溜息を見兼ねたのか、ジェイデンがぼそりと言った。
「えっ、あっ、はい?」
「だから、溜息がうっとうしいんだよ。毎日毎日、何なんだよ」
ジェイデンは道具を机に置き、ぐしゃぐしゃと頭を掻く。
「悩んでるなら言ってみろよ。聞くくらいはしてやるよ」
「悩んで? いや、その……」
「お前だけの問題じゃないだろ。令嬢のティアラだって、キルケイ宝石工房の仕事なんだよ。つまり、俺たち全員の問題だ」
胸の前で腕を組み、ジェイデンはライラに向き合った。
「先輩ぶりやがって」
ローガンは、笑いを堪えて肩を揺らす。
「とにかく、隣で溜息ばっか吐くな」
ローガンの態度が癇に障ったのだろう。さらに不機嫌になるジェイデンに、ライラは慌てた。
「すみません。悩んでる、っていうか、困っているんです」
「困ってるだって? また、金がないのか?」
呆れたようにローガンが言った。
「いいえ、違います。実は、毎朝会う男の人がいて、どうすればいいのかと」
「はあっ?」
ローガンとジェイデンは目を見開き、レイモンドまでも作業の手を止めた。
ライラはあれからほぼ毎日のように、ネイザンと通勤中に出くわすようになった。今朝はとうとう自転車とともにあらわれ、一緒に練習しないかと誘われた。もちろんライラは、「仕事があるので」と、逃げ出したが。
一体、この状況は何なのだ。
それが分からずに、ライラは困っていた。
「男って、どんな?」
ローガンが身を乗り出し、他の二人も聞き耳を立てる。
「どんな?」
「年上か? 年下か? 背格好は? 性格は?」
「年はひとつ上で、背は高く、一見、優しそう……?」
ライラは、ネイザンを思い浮かべながら、正しく答えたつもりだ。
「へえ。相手はどこのどいつか知らねえが、お前さんも、色恋沙汰に悩む年頃の娘になったってことか」
ローガンは感慨深そうである。
「半人前のくせに色気づいてんじゃねえよ……くだらん」
しかしジェイデンは、相変わらず辛辣だった。
「ち、違いますって」
妙な誤解をされ、ライラは焦ってしまう。
「いいや、違わんね。ここ最近の、ライラの表情や態度を見ていれば分かる。恋はいいことだ。作品に深みが出るからな」
追い打ちをかけるように、レイモンドが訳知り顔で言った。
「職人の腕と恋愛には何の因果関係もないですよ。こいつみたいにぼーっとするくらいなら、むしろ不必要だ」
ジェイデンは見下すような目つきになる。
「だから、違いますって!」
ライラが勢いよく否定したタイミングで、ドアノッカーが鳴らされる。
一斉に、皆の視線が売り場へ向かった。
扉が開き、黒い制服を着た男が、店内へと足を踏み入れる。
「警官が何の用だ」
ぶつくさ言いながら、ローガンが席を立った。
逆光で顔は見えないが、ライラは口の中で、ネイザン、と思わずつぶやく。
「ここに、タイラーという職人はいるか?」
しかし、店の中に立っていたのは、警棒を携えた、見たこともない顔の警察官だった。
「タイラーはうちの職人ですが、何か?」
ローガンは険しい顔つきで答える。
タイラーは、炉のある作業場にこもりっぱなしの、鋳物職人だ。ライラが背後を振り返ると、ガラス戸の向こうに、いつもと変わらず真面目に仕事をするタイラーの姿がある。警察官には気づいていないようだ。
「借金の返済が滞っているそうだ。ジョーンズ商会から訴えが出ている。金がないのなら、働いて返せとのことだ」
宝飾や服飾を扱うジョーンズ商会は、タイラーの前職場である。主に中流階級を相手にした商いをしているが、最近急激に売上を伸ばしているらしい。人手不足をものともしないのは、訳ありな職人に金を貸して囲い、安い工賃で休みなく働かせているからだと聞く。
「馬鹿にしてるのか。何だ、その言い分は。借金はいくらだ。俺が払ってやるよ。どうせあんたも、汚い金を握らされてここへ来たんだろう?」
乱暴に、小銭がカウンターの上へ投げ出される。
「釈明なら、ジョーンズ商会の顧問弁護士にしてくれ。あとは、俺には関係ないんでね」
警察官は、ばらまかれた小銅貨を見て、鼻で笑った。
ローガンは舌打ちをしたあと、「
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