宝石工房の面々(2)

 宝飾店や宝石の卸商が並ぶスノート通りに、キルケイ宝石工房が店を構えて三年目になる。元鉄工職人のローガンが、半ばやけっぱちではじめた小さな店は、最初、路地裏の目立たない場所にあった。意外にも彼の才能は開花し、やがて頭角を見せはじめ、とうとう大通りへ移転するまでの有名店となったのだ。


 ローガンが手掛ける宝飾品は、それまでの派手で豪華なものとは一線を画し、繊細でロマンティックだと言われている。デザインに花や鳥など可愛らしいモチーフを取り入れ、金より銀と相性が良く、比較的安価な石を使っていて手に取りやすいとも。


 医師や弁護士の妻といった裕福な中流階級の婦人が、普段遣いに手頃で目新しいキルケイの宝石に目を留めたのが、人気に火が着いたきっかけだ。


 ところが、店に訪れる婦人たちは、宝飾品からは想像もできない、無骨で粗野なローガンが中から出てくるとたいてい驚く。そこでローガンは、売り子に若い娘のライラを雇うことにした。


 売り子だけでなく工房の手伝いまでするようになると、ライラは見様見真似で彫金をはじめる。そして気付けば、他の職人たちと机を並べるほどの技を身に着けた。


 特別、貴金属や宝石に興味があったわけではない。生きるために働くことは、ライラには当たり前のことだった。はじまりは、単なる巡り合わせにすぎない。


「まだまだだが、なかなか筋がいい」


 しかしローガンは、職人としてのライラの腕をすでに信頼しはじめていた。


「ライラ、お客さん」


 隣に座る、先輩職人のジェイデン・マッシュから右肩を叩かれ、ライラは手を止める。ちょうど鋳造から返ってきた指輪に、ヤスリをかけはじめたところだった。


「え? 何ですか?」

「だから、お客さんだって」

「あ、ああ」


 ただでさえ工房は雑音が多く、何か言われても聞き取れずに、ライラは頻繁に聞き返さなければならない。


 店の中は、売り場の奥が作業場になっており、作業場も彫金と鋳造に分かれている。仕切りはすべてガラス戸で、端から端まで見通せるようになっていた。職人はライラを含め全部で五人。しかし、ライラが職人となったせいで、売り子がいない。


「でも、接客は手が空いた職人がすることになってますよね」

「俺、忙しいから」


 ライラより四つ年上のジェイデンは、すでに独立できるだけの腕を持つ、ローガンの一番弟子だ。専門学校で彫金を学び、国家資格を持つ、宝石職人のエリートらしい。そのような経歴を持つ彼が、どうして下街の工房にいるのかは分からない。


「さっきから、何もしてない」


 ライラは不満げにつぶやいた。

 机の上に散らばった指輪や首飾りの素描を、ジェイデンは腕組みをして眺めているだけだ。


「うるさい。さっさと行け」

「なっ……!」


 ジェイデンの高圧的な態度にライラは憤然とするが、親方のローガンはもちろん、石留め職人で最年長のレイモンドさえも、この時ばかりは知らぬふりだった。


 いよいよキルケイの宝石は、流行に敏感な貴族令嬢たちの心をも掴んでしまったようだ。このように客層が変わってきたことで、ローガンは頭を抱えている。言葉遣いに困る。何より、客の趣味が分からない。華美なドレスに身を包んだ令嬢が店先にあらわれると、男の職人たちはそろって渋面になり、ライラに接客を任せようとした。


「もう。仕方ないなあ」


 ライラはスカートに溜まった削りカスを払い、引き出しを探る。


「ノート、ノート……」


 ペンとノートは、ライラの必需品だ。接客でも当然、役に立つ。うまく聞き取れなかった時、お客様に何度も言い直させるのは申し訳ないので、ノートに書き込んでもらうのだ。なのに、その大事なノートが見つからない。


「私のノート知りませんか?」


 ライラが訊ねると、ジェイデンはしかめっ面で紙を一枚押し付けてきた。


「これを持っていけ」

「いや、でも、ノートがないと私、困るんです」

「あとで探せばいいだろ。客をいつまで待たせる気だ」


 丸眼鏡の奥から、切れ長の目がじろりとライラを睨んだ。

 他の職人たちとは違い、ジェイデンだけは、自分より接客に向いているはずだとライラは思う。緩くうねった栗色の髪は洒落ていて、すっと通った鼻筋は凛々しく、実際、貴婦人たちにもジェイデンの容姿は好評だった。


 言葉遣いも、ライラに対する時とは違って、売り場では良家の子息のように上品になるのだ。それなのに。


「早くしろ」


 ライラにはいつもこの調子だ。

 渋々と売り場に向かい、金髪に碧眼の美しい令嬢とその執事へと、ライラは恐る恐る声を掛ける。


「お、お待たせしました。何かお求めですか?」


 決して広くはない売り場には、ガラスのショーケースがひとつ。展示している宝飾品も、チェーンネックレスやイヤリングなど、ほんの数点だけ。店先にあるものはすぐに売れてしまい、あとは奥にしまっている注文品ばかりである。


「当たり前でしょ。何をするために、ここに突っ立ってると思って?」


 令嬢は、ふん、と鼻を鳴らす。

 待たせたせいか、かなり機嫌が悪そうだ。しかし、令嬢のはっきりとした通る声はライラにはとても聞き取りやすかった。

 店の外には、扉に家紋が入った高級馬車が停車している。ライラより年下かもしれない幼さの残る見た目であるが、かなり高貴な令嬢のようだ。


「どのようなものをお求めでしょうか? ええと実は、とても混み合ってまして、注文から納期までだいたい半年から一年を要しています」


 ライラは若干慌てながらも、丁寧に対応しようとした。


「何ですって! そんなの困るわ。遅くても三ヶ月で仕上げてもらわないと」


 しかし令嬢は、不服とばかりに、ますます眉間に皺を寄せる。


「三ヶ月……」


 ライラはそっと工房を振り返る。するとローガンが、腕でバツを作って首を左右に振っていた。

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