「へええ、綺麗な指輪ですね。おねーさんのですか?」 

 いつの間にか若い男がテーブルの横に立っていた。明らかに店員ではない彼は、人懐っこい笑顔をお酒で赤く染めている。

 友人が答える前に、男はテーブルに置かれた指輪をひょいと拾い上げた。

 誰だ、こいつは。酔っているとはいえ、あまりに失礼じゃないか。私は抗議の意味を込めて男を睨む。

 ふと、男も私を見た。目が合って、あ、と私は口元を押さえる。こいつとはさっきも目が合った。隣のうるさい大学生らしき団体客の一人だ。

「ねえ、おねーさん。僕、こーゆうの好きそうな子知ってるんだけど、もしよかったらコレ、僕に譲ってくれません?」

 友人は何を考えているのかわからない能面のような顔で、じっと男を見る。

 私はその友人の尋常ではない様子にぞっとした。思った以上に、この友人は消耗しているのかもしれない。

 男は肝が据わっているのか酔い過ぎているのか、友人の視線を正面から受けてなお、ニコニコとして動じない。

 しばし見つめ合う二人。妙な緊張が走る。

 いいよ、あげる。

 先に目を反らしたのは友人の方だった。

 男は嬉しそうに笑みを深め、頭を下げる。

「ありがとうございます。じゃあお礼に、僕の方は……」

 いそいそと隣の団体の中へ戻って行き、カバンを掴むとすぐにこちらへ取って返してきた。そしてテーブルの横でカバンをごそごそとさぐり、赤いボールペンと黒い四角い紙を取り出す。

 黒い紙の裏面は真っ白になっており、男は赤ペンでなにやら書きつけてから、おもむろに紙を折り始めた。

 程なくして折り上がったそれは、黒い折り鶴だった。

「どうぞ」

 にこやかに差し出してくる男に、友人は少したじろぎながらも素直に受け取る。

「これを一晩、ベランダに置いてみてください。で、その後は川に流すか土に埋めるか、もしくは燃やしちゃってください」

 はあ……。

 友人は男の奇行に圧倒され、困ったように相槌を打つ。

「まあ、騙されたと思って、ね?」

 折り鶴を持て余すように見つめる友人にそう一声かけた男は、隣の団体へ戻るのかと思いきや、一人居酒屋を出て行ってしまった。

 友人は鶴を見つめながら、期待と懐疑のない交ぜになった複雑な表情をしていた。




「あれ、さっきのおねーさん?」

 肩で息をする私を、男は立ち止まり不思議そうに見つめてくる。

「どうしたんですか? もう一人のおねーさんは?」

 置いてきた、という言葉を絞り出そうとしたが、久々に全力疾走したせいか声が出ない。

 男が居酒屋を出てすぐに、私は適当な言い訳をして割り勘のお代より少し多めの金額を友人に押し付け、急いで店を出てきた。

 そんなに時間は経っていなかったはずなのに、すでに店の外に男の姿はなく、焦ってあちこち駆けずり回ってしまったのだ。

「なにを書いたの?」

 ようやく呼吸が整ってきて、まずは気になっていたことを尋ねてみる。

 突然の質問に男がきょとんとしたので、私はさらに言葉を重ねた。

「鶴に、赤いボールペンでなにか書いたでしょ?」

「ああ。あれは『アカイコトリ』って書いたんですよ」

 アカイコトリ?

 指輪がベランダに置かれるようになる前までやって来ていたという、赤い小鳥のことだろうか。

 もし、そうなのだとしたら……。

「……あなた、まさか話を聞いてたの?」

 他人の話を盗み聞きするだなんて、なんてやつだ。

 思いっきり睨みつけてやったのに、男は一切悪びれることもなくニコニコとしている。

「聞いてたというか聞こえてきたというか」

「聞いていたなら知ってると思うけど、その指輪、明日の朝には無くなってるかもしれないよ」

「そうかもしれませんが、問題ないですよ。うまくいけば今日中に解決しますので」

 問題ない? 解決?

 疑問を解消するために男を追ってきたのに、よけいに疑問が増えてしまった。

 どこから質問すべきか一瞬悩んだが、男の問題についてよりもまずは。

「あの黒い鶴。あれはなに?」

「あれはおまじないですよ。縁切りのおまじない」

 意味が分からず、縁切りの、と男の言葉を繰り返す。

「たぶん、あのおねーさんは赤い小鳥に愚痴でも言っていたのでしょう。仕事がいやだ、とか。人間なんて辞めてしまいたい、とか。もしくはもっと具体的に、私も鳥になって自由になりたい、とかね。赤い小鳥はそれを真に受けた。だから指輪を贈り続けた」

 確かに、そんなよくある愚痴くらいなら言っていたとしてもおかしくはないだろう。

 だが、友人が赤い小鳥に愚痴を言っていたであろうことと赤い小鳥が友人に指輪を贈ることが繋がらず、首をひねってしまう。

「小鳥はなぜ指輪を贈ったの?」

「指輪は装飾品ですので、きっとあのおねーさんに身につけてほしかったんじゃないでしょうか。そしてずっと一緒にいたかったのかもしれませんね」

 なんだそれは。

 小鳥が人間にプロポーズでもしていたというのか?

「指輪があのおねーさんの困りごとだったんですよね。だったら、指輪を贈り続ける赤い小鳥との縁を切ってしまうのが一番手っ取り早いです。だから縁切りのおまじないを、と思いまして」

「……あなた、なんか慣れてるよね。何者なの?」

 普通の人は、隣の席から聞こえてきたオカルト話に首を突っ込んだりなんてしない。ましてやその対処法だって知るわけがない。

 でもこの男は何でもないことのように首を突っ込んできて、さらりと対処法を示し、さらに追いかけてきた私の質問にも淀みなく答えている。

 慣れている。たくさんのオカルト話を聞いてきたわたしよりもずっと、オカルトに。

「何者、というほどのものではありませんが、確かに慣れてはいますね。昔からよく、こういった事柄に遭遇していますので」


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