8.誤解を解くには蛸の刺身の酢味噌和え
水神様の花嫁としてマリが最初にしたことは、バンリの誤解を解くことだった。
海を荒らし、大雨を降らせて港町のひとに生贄を捧げさせる邪神ではなく、バンリは心優しき水の神様なのだ。
「バンリ様のお力を貸していただけませんか?」
『何をすればいいのかな?』
「わたしが縫ったお守り袋に水神様の守護の術をかけて欲しいのです」
そのお守りを水神様が祀られている神社に引き取られたあの少女に売らせることによって、マリはバンリが恐ろしい邪神ではないことを示そうとしていた。
『マリがやってみたいならいいよ』
快く了承してくれて、バンリはマリに協力してくれた。
小さなお守り袋を刺繍を入れながら何個も縫っていくのは大変だったけれど、バンリの名誉回復のためならばマリは頑張ることができた。
出来上がったお守り袋には、バンリが墨と筆で紙に書いた術が畳まれて入れられた。
『この袋、とても可愛いね。私も一つ欲しいな』
「気に入ったのならばバンリ様も貰ってください。新しくいくらでも作ることができますから」
商人からお香を仕入れて匂い袋を作ったり、小さな貝を布で包んで鈴を付けたりして、マリは様々なお守りを作った。お守りには全部マリの守護の術とバンリの水神様の守護の術がかけられていた。
マリが一人で神社に行くのに、バンリはいい顔をしなかった。
『私の花嫁なのだから、危険なことはさせたくない。水神の花嫁ということで利用しようとして攫う輩が出て来るかもしれない』
「守護の術がかかった着物を着ていくから平気です。バンリ様の守護の術のかかったお守りもたくさん持っています」
『それでも心配だなぁ……』
心配してくれるだけバンリはマリのことを大切に思ってくれているのが伝わってくる。それを嬉しく思いながらも、マリはバンリを陸の上に上がらせることはあまりしたくなかった。
顔見知りの商人のところならまだしも、あの少女はバンリに助けられておきながら、バンリのことを気味悪がって嫌がっていた。傷付いた素振りは見せなかったが、マリはバンリがあんな風に言われるのは我慢できなかった。
「港町まで送ってください。そこからはわたし一人で行きます」
『それなら、これを持ってお行き』
心配するバンリから渡されたのは蛸の巾着だった。中を覗けば小さな蛸が一匹入っている。
『私の眷属だよ。何かあればすぐに私に伝えてくれるし、その子自体も力を持っていてマリを助けてくれると思う』
「ありがとうございます」
お礼を言ってマリはバンリに港町まで送ってもらった。
浜辺から丘の上の神社まで歩いていく間、港町のひとたちはマリの存在に気付いているようだった。
あれだけ派手にお披露目をしたのだからマリの顔は覚えられているのだろう。
何より、港町のひとたちとマリの着ている着物は全く違っていた。
港町のひとたちの着物は薄汚れて貧相だったが、マリの着ている着物は美しく鮮やかだ。水神様であるバンリに捧げられた反物から縫った着物だった。
「水神様の花嫁がどこに行くんだろう……」
「水神様の元を逃げ出したのだったら大変だぞ」
「水神様にお返ししないと」
妙な勘繰りでマリの行く手を阻もうとする男たちに、家族のことを思い出してマリは足が少し震えたが、バンリを思って顔を上げた。
「わたしは水神様の使いでこの町に来ています。道を開けなさい!」
凛と響くマリの声に男たちが恐れ入ったように道を開けてくれる。
丘の上の神社に着くと少女が境内の落ち葉を掃いていた。マリを見付けると、少女が口を大きく開ける。
「お前、あの邪神の花嫁になったんじゃなかったの? どうしてここにいるの!? やはり、わたくしの方がいいと取り換えに来たの!?」
妙なことを言う少女にマリははっきりと否定する。
「それは絶対にない。水神様はわたしを愛してくださっているから」
「あんな化け物と愛し合っているの!? 汚らわしい!」
バンリに助けてもらったというのに少女は感謝の気持ちも何もないようだった。それでもマリは少女を利用するつもりでいた。
お守りの入った風呂敷を解いて開けて、中のお守りを見せる。
「これは水神様のお守り。これを持っていれば水神様に守られる。港町のひとにこれを売って、あなたは自分の自由にできるお金を稼いだらいい」
「呪いがかかってるんじゃないでしょうね?」
「呪いではなく、かかっているのは祝いよ」
失礼なことを言う少女にきっぱりと言えば、気味悪そうにしながらもお守りを受け取ってくれる。
「これを売ってわたくしが儲けてお前に何の得があるの?」
「お守りで守られれば、誰もあの方を邪神と言わなくなる。あの方は邪神なんかじゃない。尊い水の神様なのよ」
「尊い水の神様があんなおどろおどろしい姿でいないと思うけれどね。もっと美しい姿なんじゃないの?」
美しい姿と言われても、マリにとってバンリは最初からあの姿だったし、あの姿でありながらマリを助けて守り、名前と居場所をくれたことにマリは感謝し、バンリを愛した。
バンリの姿などマリにとってはどうでもいいのだ。
「神主様とお話をして、売らせていただけるか交渉してみるわ」
「わたしも同席する」
少女がお守りを持って神主様のところに行くのに、マリも少女を追い駆けて境内を小走りに駆けて行った。
社の中に入ると、澄んだ冷たい空気に満たされている。
マリは神主様が魔力を持っていることに気付いていた。社には何か術がかけてある。
「水神様の花嫁様ですね。ようこそいらっしゃいました」
「あなたは、あの方が邪神などではないと分かっているのですね?」
出て来た老齢の神主様に問いかけると、神主様は苦く笑う。
「港町の者にどれだけ説明しても、姿でしか判断しないものばかりで、水神様を邪神と思い込んでいるものが多いのです。ごく少数ですが、私の話を聞いてくれる者は、水神様が邪神ではなく港町の守り神だと分かってくれています」
全ての港町のひとが水神様を邪神とは思っていなかった。
それでも大多数の声に勝てずに、生贄を捧げるような儀式が行われてきたのだろう。
「あの忌まわしい姿で、邪神ではないの!?」
「彼の神は、尊き水神様で港町の守り神です。先祖代々この神社では水神様を祀って来ました」
神社の神主様がバンリを邪神と思っていないからこそ、バンリもマリの計画に乗ってくれたのかもしれない。
「あの方の誤解を解くために、水神様の守護の術のかかったお守りをこの神社で売らせてほしいのです。水神様のご加護を得れば、港町のひとたちの心も変わって来るかもしれません」
そこにマリの守護の術もかけられていることを、マリは敢えて口にしなかった。
少女が持つ風呂敷包みに入ったお守りを一つ一つ丁寧に手に取って見て、神主様は深く頷いた。
「このお守りは私が責任をもって港町のひとたちに届けましょう」
「お守りの儲けはわたくしがもらうのよ?」
「そうしたければそうすればいい。神社は信仰に厚いひとたちのおかげで金に困ってはいないのでね」
神主様は少女の好きにさせておくつもりのようだ。
儲けが入ると分かれば少女も真面目にお守りを売るだろう。
神主様が味方だと分かってマリは安心して海の底のお屋敷に帰ることができた。
砂浜まで歩いていくと、巾着から小さな蛸が這い出てバンリを呼ぶ。
すぐにバンリが現れて、マリを迎えに来てくれた。
空気の膜に包まれて、マリは海の底のお屋敷に帰る。
「神社の神主様はバンリ様が邪神ではないと知っていました」
『そうなんだね。人間の中にも、私を邪神ではないと認めてくれるものがいるのだね』
マリの報告にバンリはどことなく嬉しそうだった。
晩ご飯にはマリはバンリのくれた触手を塩もみにして洗って茹でて、再びお刺身にした。
最初に来たときはお醤油を付けて食べたが、今回はワカメと胡瓜を添えて、酢味噌でいただく。
白いご飯と温かなお味噌汁を一緒に用意して、バンリと二人で食卓を囲む。
バンリにはご飯はおにぎりにして、お味噌汁とおにぎりだけを用意しておいた。
『このお味噌汁は具沢山で美味しいね。出汁の味がよく効いている』
「お野菜をたくさんもらったし、豚肉もあったので、豚汁にしてみました」
『豚肉の味が出ているのか』
褒めてくれながら豚汁とおにぎりを触手の絡んだ顔の辺りに吸い込ませていくバンリに、マリは笑顔で美味しく触手の刺身の酢味噌和えをいただいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます