7.花嫁と認められて蛸の入った卵焼き
朝食のときに少女はぶつぶつと文句を言いながらもマリの作ったものを食べていた。
「本当にあの気味悪い触手は入っていないでしょうね?」
「入れていません」
栄養失調だったマリのためにバンリがくれる触手はマリにとっては大事なものだ。バンリを酷く言う少女には一欠けらも上げたくなかった。
きっぱりと告げるとそれでも疑いながら味噌汁の具を確かめて、ご飯にも何も混ざっていないことを確かめ、卵焼きも割ってよく見てから少女が食べる。
マリも一緒に食べていたが、少女に卵焼きはほとんど取られてしまった。
この生活も今日までだと思うとマリは我慢していた。
朝食を食べ終わるとバンリが声をかけて来る。
バンリの姿を見ると少女は「ひっ!?」と怯えてマリの後ろに隠れていた。
『君を地上に返してあげる。水神の加護を受けたものとして二度と売られないように地上の者たちに言うよ』
「そんなことをして、何の利益があるの!? わたくしを脅そうとしているのね!」
『利益はないけど、君はここにいない方がいいからね』
これだけ怖がられて気味悪がられていてもバンリは少女を助けようとしていた。
マリが少女の手を握って、バンリがマリの手を握る。
空気の膜を纏って水面に出たバンリは、触手を伸ばしていつもよりも巨大になっていた。水面に現れた巨大な水神の姿に港町のひとたちが集まってきている。
『この娘は水神の加護を得た。これからは水神の巫女として祀るように』
最初に押し出されて少女が船の上に置かれる。
船の上に置かれて少女はへなへなと腰を抜かしていた。
続いて大量の触手がマリを高く掲げ上げる。
触手に抱かれるようになって、マリはその一本に頬を寄せた。
『今後、私に二度と生贄は必要ない。私は彼女を花嫁として受け入れた。彼女以外の人間は必要ない』
「水神様が人間を嫁に迎えられた!?」
「今後は何を捧げればいいのでしょうか?」
港町のひとたちに問いかけられてバンリがマリを掲げたまま答える。
『米や野菜や肉や卵など、私の花嫁が長く健康でいられる食物を捧げよ。さすれば、この街に豊かな恵みを与えよう』
宣言しながらもバンリは触手でマリを包み込んで見えなくしてしまう。
周囲の様子は見えなくなったが、マリは少しも怖くなかった。柔らかく少しひんやりとした触手がマリを包み込んでくれている。触手の一本にマリはそっと口付けをした。
巨大な姿のまま海水の中に消えて、お屋敷に戻るころにはバンリはいつもの触手が絡まった体に着物を纏った姿に戻っていた。
マリはバンリの腕に当たる触手に飛び込んで、バンリに抱き付いた。
黒いマリの目からぽろぽろと涙が零れて来る。
「これでバンリ様の花嫁と認められました。嬉しいです」
『あの子の反応が今まで普通だったんだけどな。マリは変わってる。そういうところが、放っておけないのかもしれない』
「バンリ様はわたしのことどう思っていますか?」
『マリは可愛いよ。私を慕ってくれる。マリのことが好きだよ』
真摯に優しく告げられた言葉にマリは涙が止まらなくなってしまう。触手が伸びて来てマリの涙を拭うがその触手に手を添えて、マリはそっと口付けた。
『マリ……子どもだと思っていたら……』
「わたしはもう十六です」
『もうマリのことを手放してあげられないよ?』
「嬉しいです。バンリ様、一生おそばにいさせてください」
涙を拭いてバンリに抱き付くマリをバンリの触手がそっと抱き締めた。
バンリが宣言したことで陸の上は大騒ぎになっているようだった。
水神様の結婚ということで、米や肉や野菜や卵を乗せた小舟が水神様に捧げられた。
その小舟を海の中に引き込んでバンリは厨房に食材を運んでくれた。
大量の食材で何を作るかマリが迷っていると、バンリが水を集めて氷を作り、氷室を作ってくれる。四角い溶けない氷でできた箱のような氷室は、食材を詰めておけるようだ。
『すぐに食べなくても冷やしていれば数日は鮮度が保てるよ』
「ありがとうございます。今日は食べないものを入れておきます」
氷室の蓋を開いて、マリは肉類や野菜を中に入れた。
『そういえば、マリは私の触手も怖がらずに最初から食べていたね』
「お腹が空いていたし、美味しそうだったんですもの」
お腹を押さえるときゅるきゅると空腹を訴えて来る。
マリがバンリを見れば、バンリは触手を一本千切ってマリにくれた。
塩もみして汚れを取り、茹でてからぶつ切りにしてマリは触手をふわふわの卵焼きの中に入れて焼いた。
卵焼きを味を付けた温かい出汁に付けて食べるとふわふわのとろとろの卵と、触手のぷりぷりとした食感がよく合ってとても美味しい。
ご飯と味噌汁と卵焼きを食べていると、バンリがそれを見守ってくれていた。
「バンリ様も食べますか? とても美味しいですよ」
『共食いになってしまわないかな? まぁ、いいか』
マリが作った卵焼きを一切れ箸で取って、味を付けた温かい出汁に付けて、触手が絡まっている中にバンリが運び込む。どういう作りになっているか分からないが、そこが口なのだろう。
味わって食べているようで、しばらくした後でバンリはマリに言った。
『私のお嫁さんは料理上手だね』
私のお嫁さんと言われてマリの胸がときめく。
バンリはもうしっかりとマリのことを認めてくれていた。
食べ終わると後片付けをして、マリは縫物をする。
縫ったものには強い守護の術がかかるのが、マリにも実感できるようになっていた。
一針一針心を込めて丁寧に縫っていると、バンリがマリの様子を覗きに来る。
マリは蛸の刺繡をしていた巾着になるはずの布を見せた。
「刺繍の図案の本があったら嬉しいのですが。それに刺繍枠も」
『明日、商人のところに行こうか。マリが欲しいものを好きなだけ買うといい。マリはここにずっと住むのだから、マリが暮らしやすいように物を揃えていくといいよ』
バンリの言葉にマリは「はい」と微笑みながら答える。
バンリがマリの存在を認めてくれているのはとても嬉しかった。
商人のところで刺繍の図案や新しい料理の本や刺繍枠や縫物に必要な針や糸や布を揃えて、マリはバンリと一緒に海底のお屋敷に戻った。
食材は港町のひとたちが結婚のお祝いにくれたものがあったし、調味料くらいしか買い足すものはなかった。
「港町では水神様から返された娘を水神様の巫女として祀って大事にしているそうです。水神様は二度と生贄を必要としないという話も広まっています」
『港町の者たちには、私は邪神と思われているみたいだからね。逆らうと怖いんだろう』
商人の言葉にバンリが答えている。
マリも最初は邪神だと聞かされていたが、バンリは水神様で、海を荒らして大雨を降らすどころか、それを止めるために力を使っているのを知っていた。
マリが入ってはいけないと言われている部屋に、バンリは一人入って海を沈めて大雨を止ませる祈祷を行っていることもマリは知っている。
こんなにも心優しいバンリを邪神扱いする港町のひとたちには怒りがわいてくるが、バンリが恐れられていたがためにマリは生贄として海に沈められて、バンリと出会い名前と居場所をもらったので、怒りは収めておくことにする。
「今日の晩ご飯は何にしましょうか?」
『マリが食べたいものを食べたらいいよ』
「バンリ様も一緒に食べてください」
一人では寂しいから。
マリが上目遣いに長身のバンリを見ると、バンリは触手の一本を伸ばしてマリの肩を抱く。
『マリのお願いなら断れないね』
了承してくれるバンリにマリは抱き付いた。
触手で構成されているバンリの体は柔らかく少しひんやりとしていた。
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