4.初めての稼ぎは蛸入りのおでん

 マリの縫ったものには守護の術がかかると分かってから、マリはお供え物をおさめた部屋にある布や反物を縫い始めた。

 布は小さな巾着やぬいぐるみを作って、反物は着物に仕立てていく。

 一針一針思いを込めて縫っていくと、マリにもそこに魔力が宿って行くのが分かるようになってきていた。


 家族の中で虐げられていた時期には発動しなかった魔力が、バンリに大切にされている今は発現している。


 出来上がった巾着やぬいぐるみや着物をマリはバンリに見せた。


「もし、これをお野菜やお米と替えてくれる方がいたら、使ってください」

『え? 替えてしまうの? マリが使わないの?』

「わたしのために作ったものではありません。お金になるかもしれないと思って作ったものです」


 家族の中で虐げられていたマリにとっては、お金を持たせてもらったことも、家の敷地内の外に出してもらったこともないので、それらがどれくらい価値があるものなのかよく分かっていなかった。

 顔に当たる触手が根元が絡まった場所を触手の一本で撫でてから、バンリはぬいぐるみを持ち上げた。和布で作られた小さな熊のぬいぐるみだ。兎のぬいぐるみもある。


『これは可愛いから、私が欲しいとか言っちゃダメかな?』

「こういうの、お好きですか?」

『うん、可愛いものは大好きだよ。部屋に飾っておきたい可愛さだ。マリが魔力を込めて作ってくれたというのもものすごく大事だね』

「バンリ様にもらっていただけるなら、また作ります」

『他の動物も作れる?』

「型紙を自分で作っているので、簡単なものしか作れません」

『型紙を手に入れなきゃいけないね。ぬいぐるみは一個ずつもらって、他は着物と一緒に取り換えて来るよ。私に捧げられた女性の子孫が商人になっているんだ』


 思わぬところでバンリを喜ばすことができてマリはとても満足していた。

 一つ一つのぬいぐるみを見て、どれが一番可愛いか確かめて、気に入ったものをバンリは一個ずつもらって行った。

 残りは商人になった捧げられた女性の子孫に取り換えてもらうつもりのようだ。


 出かけて行ったバンリを見送って、マリは部屋に戻ってまた縫物を再開した。バンリがあんなに喜んでくれるなら、作れる動物は何でも作りたい。

 狐と狸を作って一息ついていると、バンリが戻って来た。


『守護の術がかけられているから、とてもいい値で買い取ってもらえたよ。これはマリの稼ぎだから、マリが持っておきなさい』


 お金の入った革袋を渡されてマリは戸惑ってしまう。


「わたしはこのお屋敷から出ないので、お金の使い道なんてありません。お金を使ったこともありませんし」

『今度、商人のところにマリも一緒に連れて行くよ。色んなものが売っているから、マリが好きに選んで買えばいい』

「わたしが、自分で自分のものを買う……?」

『マリが稼いだお金なんだから、遠慮なんていらないからね』


 明るい声で言うバンリに、マリは革袋を手にしたままで立ち尽くしてしまった。


 その日は食材をたくさんバンリが持って帰って来てくれていて、マリはそれをおでんにすることにした。

 大根の皮を剥いて下茹でして、蒟蒻も下茹でして臭みを抜いて、厚揚げと茹で卵と下茹でした触手と一緒に出汁で煮る。醤油で味付けをしてことことと煮込んでいるといい香りが厨房に満ちて来る。

 竈にかけた鍋を見ながら、マリは縫物をしておでんが出来上がるのを待った。


 竈の青い炎はバンリの神力で操られているようで、ご飯を炊くときにでも火加減を調節しないでも自然と強くなったり弱くなったりしてくれる。

 水の神の屋敷なので綺麗な水はたっぷり使えるし、お米をといで水加減を調節して土鍋に入れて火にかけておくだけで艶々の白米が炊けるのはマリにとってとても幸せなことだった。


 元暮らしていた家では、火加減をマリが調節しなければいけなかったし、少しでも間違えれば容赦なく拳がマリを殴りつけた。

 伸び伸びと好きなものを好きなだけ作れるのもこの暮らしのよさだった。

 元居た家では水も庭の井戸から汲み上げなければいけなくて重労働だったが、このお屋敷では蛇口を捻ればどれだけでも綺麗な水が使い放題だ。


 井戸の水は時々妙な味がすることもあって嫌だったが、そんなときはマリは作った料理がまずいと言われてマリのせいではないのに殴られていた。その上一日一回の食事も抜かれて、ひもじい中で眠らなければいけなかった。


 鍋の中身が煮えたようで青い炎が消えるのを確かめて、マリは土鍋の中のご飯をしゃもじで混ぜる。おでんの鍋からは大根と卵と蒟蒻と厚揚げと触手を一通りお皿の上に取り分けた。


『いい香りがしているね。おでんじゃないか。少し私も食べてもいいかな?』

「たくさん作ったので、是非食べてください。わたしの料理なので美味しいかどうか分かりませんが」

『マリの料理はいつもとても美味しそうだよ。それじゃあ、いただこうかな』


 その日はバンリも触手で器用にお玉を使って、お皿に大根と蒟蒻と厚揚げを取り分けて、マリが食事をするちゃぶ台の正面に座った。

 触手で器用に持った箸が大根を切り分けて、触手の絡まった中に運び入れるのを見詰めながら、マリは胸がドキドキしていた。


 美味しいと言ってくれるだろうか。


『味がしみていて美味しいね。マリは料理上手だ』

「材料がいいのですよ。お出汁を取る鰹節も一級品だし、お醤油も上等だし、大根は新鮮だし……」

『マリの腕がいいからだよ。とてもいいお嫁さんになりそうだね』

「もうバンリ様のお嫁さんです」

『本当に、それでいいの?』


 食べる箸を止めてバンリが真剣に問いかけて来る。マリも箸を置いて真剣に答えた。


「はい。わたしはバンリ様のお嫁さんになりたいのです」

『この通り、私は人間ではないんだよ?』

「人間は怖いと前に言ったではないですか」

『そうだったね。マリは変わり者だ。でも……もしも、マリがずっとそばにいてくれたら……』


 私は寂しくないかもしれない。


 消えそうな声で呟かれたバンリの言葉に、マリはバンリの孤独の深さを知った。

 人間よりもずっと長い時間を生きて来て、マリの想像できないくらい気の遠くなるような時間の中で、ずっとバンリは孤独だったのかもしれない。

 その孤独を一瞬でも埋めることができればいいとマリは思っていた。


 バンリにしてみればマリのような短命の人間は一瞬で通り過ぎてしまうのだろうが、バンリの心の中にずっと残っていられたらいい。

 マリはそう思っていた。


 夕飯を食べ終わるとマリはお風呂に入って床に就く。

 お風呂にはいつも綺麗な真水を沸かしたものが湯船にたっぷりと用意されていて、マリはこのお屋敷に来てから風呂を洗った覚えがない。バンリが水の神様なので水が汚れることがなく、風呂も汚れることがないのだろう。

 よく考えれば、マリが使ったお風呂をバンリが掃除してくれているようなものなのだが、バンリはそのことについても何も言わない。


 元居た家では掃除もマリの役目だった。風呂の掃除もお手洗いの掃除も、全てマリがやらなくてはいけなかった。少しでも汚れが残っていると容赦なく殴られた。

 家の掃除と井戸の水汲みと洗濯と料理……やることが多すぎて毎日マリは倒れそうになりながら、殴られたくない一心で家事をこなしていた。


 家にはマリの母親も父親もいたはずなのだが、誰が誰だか分からない。兄弟姉妹もいたのかもしれないが、マリを馬鹿にして、マリの邪魔をしてマリが叱られるのを笑って見ている連中しかいなかった。


 お風呂に入って髪を洗って、脱衣所に出ると、特別な手拭いが置いてある。その手拭いを髪に巻けば、水分を吸ってくれて髪が瞬時に乾くのだ。

 長い髪のマリが心置きなく髪を洗えるようにバンリが準備してくれていたものなのだろう。


 ここが海の底だと忘れるくらい、空気の層で包まれたこのお屋敷は過ごしやすい。

 一生ここから出なくてもいいと思うくらいなのに、バンリはマリを今度商人のところに連れて行ってくれるという。

 優しいバンリの想いに包まれて、マリはふかふかの布団に入った。

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