3.初めての嫉妬はたこ焼きの味
マリには魔力がある。
そのことはマリにとって衝撃的な事実だった。
水の神であるバンリが言うのだから間違いはないだろう。
マリが縫ったバンリの着物には守護の術がかけられていたという。それも強い守護の術だ。
神であるバンリにとって強いとはどれくらいなのかマリには分からなかったし、自分の魔力も自覚していないのでよく分かっていなかったが、バンリがあるというのだからあるのだろう。
マリはバンリを疑っていなかった。
『得意料理があるんだよ。マリに食べてもらいたいと思って』
今日はバンリが昼食を作ってくれている。
バンリはマリのために毎日一本触手を千切っていた。触手はすぐに再生するようで、千切っても全く問題ないようだった。
千切った触手を塩もみして茹でて、小麦の粉をだしで溶いた汁に細かく切ったネギを入れて、丸い幾つも窪みができた不思議な鉄の板を竈に乗せて、油を敷いて、小麦の粉を溶いた汁を流し入れる。流し入れると、バンリは中にぶつ切りにした茹でた触手を入れていった。
何本もの触手が串を持って、くるくると焼けてきたものをひっくり返して回している。
焼き上がったのは丸いいい香りのするものだった。
『たこ焼きだよ。入っているのは蛸じゃなくて、私の触手だけどね』
「そんなに触手をいただいていいのですか?」
『私の触手は栄養たっぷりなのだよ。マリが食べると健康になる。それが私は嬉しいんだ』
バンリの触手が栄養に溢れているのはマリにも分かっていた。痩せて髪も肌もぱさぱさで、貧相だったマリが、このお屋敷に来てひと月も経たないのに髪も肌も艶々になって落ち窪んでいた目も輝き、こけた頬も年相応にふっくらしてきたのは、バンリの触手のおかげに違いなかった。
毎日触手と白米をたっぷり食べているマリは、年相応の体になってきていた。
「はふっ……熱い。でも、美味しい。外側がカリッとして、中がトロトロで」
青のりと鰹節と不思議な味のたれのかかったたこ焼きは、外側がカリッと焼き上げられていて、中はとろりと蕩けるようでとても美味しかった。熱かったが吹き冷ましながらマリはあっという間に食べてしまった。
『作り方を教えよう。もう一皿くらい食べられるだろう?』
「お代わりしていいのですか?」
『もちろんだよ。最初に汁を流し入れて、真ん中に触手のぶつ切りを入れる。串で突いて動くようになったらひっくり返して、またしばらく焼く。焼き上がったら、青のりと鰹節と特製のソースをかけて食べるんだ』
「そぉす?」
『異国風にたれのことをソースと言うのだよ』
「バンリ様は異国にも詳しいのですか?」
串で一生懸命たこ焼きを回してひっくり返しながら問いかけると、バンリが何本もの触手でくるくると器用にたこ焼きをひっくり返しながら答える。
『私に捧げられた女性の中には、この国では暮らせないから異国に送り出した者もいてね。彼女から異国の料理の本や食材をもらっていたものさ』
「今でも繋がりがあるんですか?」
『彼女だけではなくて、私に捧げられた女性は子孫に私のことを語り継いでいるらしくて、私が訪ねていくと、私が必要とするものを融通してくれる。マリが食べている野菜も彼女たちの子孫にもらってきたものだよ』
バンリに救われたものは深く感謝して、子孫にまでその恩を語り継ぎ、バンリが訪ねてきたらバンリの求めているものを用意してくれるという。捧げられた金銀財宝の中から代価になりそうなものを渡して、バンリはそれを受け取っているのだ。
海の中に里芋はないと思っていたが、そうやって手に入れたのだと分かるとマリは安心すると共に、少し胸が痛いような気がする。
バンリが自分だけではなく他の相手と仲良くしていると知ってしまうと、胸がちりちりとした。
「バンリ様は人気者なのですね」
『そうでもないかな。私との繋がりを知られるのが怖くてもう来ないで欲しいと言われたことも何度もある。私にとっては一時期だが保護していた娘を嫁に出した気分だったから、もう来ないで欲しいと言われるのは寂しかったよ』
人間よりも情が深く、優しいバンリは、その姿故に恐れられる。それがずっと寂しくつらかったのではないだろうか。
捧げられる女性たちに親切にして陸地に送り出すときに、バンリは寂しさを感じていたのだろう。
そう思うとマリはますますバンリから離れる気がなくなってしまう。
「わたしはずっとバンリ様のおそばにいます。わたしはバンリ様の触手を食べています。バンリ様もわたしが死んだら、わたしの屍を食べてくれませんか?」
触手のおかげでマリは急速に元気になった。その代わりと言っては何だが、マリが死ぬときにはバンリに看取って欲しいし、バンリに屍を食べて欲しいと自然に思うようになっていた。
『そんな悲しい話はしないで。私は人間を食べたりしないし、マリを食べるなんて絶対にできない。マリは陸に上がって、どこか相応しい場所で生きていくといい』
「陸には上がりません。わたしは人間が怖いのです」
『マリは人間が怖いの?』
驚き問いかけるバンリに、マリは俯いて「はい」と答える。
「わたしの家族はわたしに魔力がないと決めつけて、わたしを家族と思わず下働きにして、暴力を振るっていました。わたしの発育がもう少しよかったら、娼館に売られていたかもしれません」
『なんて惨いことを。こんな小さな可愛い少女に……』
心の底からマリを思う言葉にマリはバンリの触手の一本を握り締める。
「港町のひとたちも、わたしを輿ごと海に沈めることに何のためらいもありませんでした。わたしはひとをそのように扱えてしまう人間という生き物がとても怖い。わたしに優しくしてくれたのはバンリ様、あなただけです」
バンリだけはマリの人生において怖くない相手だった。
それを告げるとバンリの触手が恐る恐るマリの髪を撫でる。売れるかもしれないから伸ばしておけと言われて伸ばしていた髪は、マリの背の半ばまである。ぱさぱさだった髪も、毎日お風呂に入って清潔にして、バンリの触手を食べていたら艶々の黒髪になっていた。
『マリ、そんなことがあったなら、人間が怖くても仕方がない。マリが人間が怖くなくなるまで、この屋敷にいていいよ』
「人間が怖くなくなる日は来ません。怖くないのはバンリ様だけです。バンリ様だけがわたしに優しくて、紳士で、わたしと向き合ってくれて、わたしをいらぬもののように扱わないで……」
バンリ様が好きです。
その一言は口に出せなかった。
これまで捧げられた女性にもバンリは平等に優しくして来たのだろう。マリだけが特別ではなかった。
それを考えるとマリはどうしても胸の中にもやもやを抱えてしまう。
みんな去って行った女性のことだと分かっていても、マリと同じようにバンリが優しくして来たのだと思うと、マリの胸の中に今までなかった感情が生まれて来る。
これまではただバンリが好きで、バンリのことだけ思っていたのに、こんな醜い感情をマリが抱いていると知ったら、バンリはマリのことを嫌うだろうか。
毎日触手を与えるくらいマリを大事にして、名前のなかったマリに名前をくれて、マリに居場所をくれたバンリ。
バンリを失いたくないという思いがマリには強くあった。
「わたしはバンリ様の花嫁なのです。花嫁が花婿のそばを離れるなんてありません」
『それは他の人間に押し付けられたことだろう?』
「このお屋敷に来て思いました。わたしはバンリ様の花嫁でいたいと」
縋るように触手に頬を擦り付けると、柔らかく頬を撫で、髪を撫でて触手がしゅるりとマリから離れていく。それがバンリの答えのようでマリは泣きそうになった。
『マリはまだ小さいからそう思い込んでしまっているのかもしれない。もっと大人になればこの屋敷など狭くて息苦しくなってくるよ』
「そんなことはありません。わたしはこのお屋敷で幸せです」
どれだけ言葉を募っても、バンリには届いていない気がする。
バンリは何を恐れているのだろう。
これだけ水の神として力を持っていながら、バンリは自信がないように思える。
どうすれば受け入れてもらえるのか、マリは考えなければいけなかった。
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