2.共に過ごせば蛸と里芋の煮物
マリがあまりにも痩せて顔色が悪いので、バンリはマリのために屋敷の中に部屋を作ってくれた。
ふかふかの布団とたくさん着物が入った箪笥のある部屋でぐっすりと眠って、起きれば厨房には魚や海藻、米がたくさんあって、バンリは毎日のように触手を一本千切ってマリのためにくれて、毎日綺麗なお湯のお風呂に入れて、マリのぱさぱさだった髪や肌は艶を取り戻し、顔色もよくなってきた。
バンリはマリのためにどこからか野菜も調達してきてくれることがあった。
『今日は里芋があるよ』
「蛸と里芋の煮物! ありがとうございます」
毎日バンリと喋っていると、マリは少しずつ年相応の喋り方ができるようになってきていた。
眠っているときはバンリはマリをそっとしておいてくれるが、料理をしているときは食べないのに寄り添ってくれているし、食べているときも見守ってくれている。
里芋と触手の煮物を作って、炊き立てのご飯と一緒に食べると、美味しくて箸が止まらない。里芋のねっとりとした食感に蕩けるほど柔らかく煮た触手と吸盤のコリコリとした食感が堪らない。
夢中になって食べていると、しゅるりとバンリの触手が伸びて来る。
バンリの触手は柔らかく乾いていて、マリを汚すことはない。
垂れていた髪を耳にかけてもらって、マリはバンリを見上げた。
触手の塊が着物を着ているようだったが、マリにとっては自分を下働きとして働かせて、暴力も振るっていた人間の方がバンリよりもずっと怖かった。
バンリはいつも紳士的で優しく、マリの嫌がることは一切してこなかった。
それどころか、マリのために食材を集めて来てくれて、いつもマリが快適に過ごせるように部屋も整えてくれている。
料理も洗濯も風呂の用意も何でも仕込まれているので自分のことはできるマリだが、バンリは料理も食べないし、着物が汚れているのも見たことがない。風呂にも入らなくていいようだった。
「バンリ様は、前にも結婚していたのですか?」
『結婚!? 人間が何か勘違いして、私に女性を捧げることはあったけれど、みんな、遠くの町に逃してあげた。君みたいに弱っていて少しの期間この屋敷に滞在したものもいたけれど、人間を妻にしたことはないよ』
「それでは、わたしがバンリ様の初めての花嫁なのですね」
『君も元気になればここの暮らしは窮屈になって、陸に上がりたいと思うよ』
「思いません。バンリ様のおそばにいたいのです。お願いですから、追い出さないでください」
土下座するようにして必死にマリが頼めば、バンリは戸惑っているようだった。
『君がここで安心して暮らせるのならば、追い出したりしないけれど……君は私が怖くないの?』
問いかけて来ているのは触手を固めたような姿の異形に着物を着せた神の姿である。
水の神と言っていたが、港町の人々が邪神と勘違いしてもおかしくないおどろおどろしい姿をしている。
その触手の一本に触れて、マリは手を握るつもりで触手を握った。
「わたしはバンリ様の花嫁です。バンリ様は優しくて紳士です。怖いなど思いません」
縋るように言えばバンリもそれ以上は言って来なかった。
食後、マリがお屋敷を散歩していると、バンリもついて来てくれていた。マリが広いお屋敷で迷子にならないように見守ってくれているのだ。
バンリは水の神なので人間であるマリの想像もつかないほどの年月を生きているようだった。その間に捧げられた女性の数はかなりいるようだが、それら全てをバンリは陸に逃がしていた。
お屋敷に残りたいと言ったのはマリが初めてのようだ。
「バンリ様、あれは何ですか?」
『海に咲く花だよ。この屋敷に植え替えて咲かせている』
「バンリ様、このお部屋は何ですか?」
『私が祈るときに入る部屋だ。マリは入ってはいけないよ。魔力を吸い取られるからね』
お屋敷の庭に咲く花を指差して問いかけ、お屋敷の部屋の戸を指差して問いかけるマリに、バンリは丁寧に答えてくれる。
魔力を吸い取られると聞いて、マリは首を傾げた。
「わたしは、魔力がないと家族に言われていました」
『マリに魔力がないわけがない。マリは強い魔力を持っている。ただ、分かりにくいものではあるけれどね』
「わたしに魔力があったのですか!?」
驚きに声を上げるマリに、バンリは穏やかに語ってくれた。
『マリの魔力はまだ眠っているようなものだからね。これから魔力が開花することだろう。マリの中に私はしっかりと魔力を感じているよ』
人間の家族には分からなかった才能までもバンリはマリに示してくれた。
マリの持っている魔力で何ができるのだろう。
まだその魔力は開花していないようだが、マリにとっては役立たずで名前すら付けられなかった自分に初めて可能性を感じた瞬間だった。
「わたしの魔力がバンリ様のお役に立つでしょうか?」
『私のことはいいから、自分の魔力は自分のために使いなさい』
「わたしは、バンリ様の花嫁なのです。バンリ様に尽くしたいのです!」
温かな布団を用意してくれて、毎日食事の材料も提供してくれて、マリをこき使わずに好きに生きさせてくれている。それだけでもバンリはマリにとってありがたい相手だった。
暴力も振るわないし、寝る時間も惜しませて働かせたりしない。
「バンリ様、お願いがあります」
『何かな?』
「最初に連れて行ってもらったお部屋の反物を使わせていただきたいのです。それと、お着物を洗わせてもらえませんか?」
『私の着物は匂うかな? そういえば、ここ百年ほど洗ってない気がしてきた。匂うなら大変だ』
「そういう意味ではないのですが……」
着物を洗わせてほしいとお願いすれば、バンリは慌てて部屋に入って、着物を着換えて来た。つるつるとした鱗模様の着物は、ひとの使う反物とは違うようだ。
脱いだ着物を受け取ったマリは、その着物の大きさを測ってから洗って干しておいた。
その日からマリは部屋に籠って、最初に連れて行ったもらったお供え物がおさめられた部屋から美しい絹の青い反物と赤い反物を持ち出して、着物を縫い始めた。
縫物をしているマリに、バンリはマリの着物を縫っていると思ったようだ。
『縫ってある着物だけで足りなければ、あの部屋の反物は全部マリが使っていいからね。男物もあるけれど、マリが使いたいなら、何でも使っていいよ』
「ありがとうございます。大事に使わせていただきます」
一針一針心を込めて、マリは反物を縫った。
出来上がったのはマリが着るにはとても大きな着物で、丁寧にそれを畳んで、マリはバンリの元に持って行った。
「バンリ様、わたしが縫った着物です。人間が縫ったものを身に纏うのはお嫌なら、着なくてもいいですから、受け取るだけ受け取ってくださいませ」
『私の着物……?』
「はい。あのお部屋の反物で作らせていただきました」
赤い着物と青い着物の二着を見て、バンリはとても驚いていた。
『どうやって大きさを……あぁ、私の着物を洗濯したときか』
「そうです。同じ大きさの着物を作らせていただきました」
受け取ってくださいとマリが繰り返すと、バンリの触手の一本が柔らかく着物に触れた。着物を持ち上げて、広げて見ている。
『これは、強い守護の術がかかっているね』
「守護の術、ですか?」
『マリの魔力がこもっているのが分かるよ。ありがとう。大事に着させてもらうね』
バンリは水の神で力に溢れているからマリの守護など必要としないはずだった。それなのに、そのことに一言も触れず、バンリは着物を受け取ってくれて、大事に着ると言ってくれた。
嬉しくて頬が熱くなるマリに、バンリが微笑んだような気がした。
バンリの顔は触手で表情など読み取れないのだが。
「バンリ様……」
『何かな?』
バンリの表情が読み取れた気がしたマリは、自分が耳まで真っ赤になっていることに気付いていた。
異形の姿だが心優しいバンリのことが好きだ。
バンリに惹かれている。
そのことをマリは自覚しつつあった。
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