第31話 鳴る

「えっ!」


 居間に驚きの声が響く。


 話しかけている日和じゃなくて、僕が大声を上げたことにおじちゃんは驚いてこっちの方を向く。

 あまりにおじちゃんが驚いたから、僕はそれに驚いて今度は「えっ?」と小さい声を漏らす。

 お互いに状況が理解できずにしばらく見つめ合っていたら、どっと笑いが起きた。


「なんなのよそれ?」


 お母さんが、はにかんでいる僕に声をかける。


 そんなことを言われたって困ってしまう。

 おじちゃんがあんなにも驚くなんて思いもしなかったから、あんな風になってしまった。


 恥ずかしかったけれど、そんなことに構っている暇はない。

 仙人はいないって言っていたおじちゃん自ら秘密を打ち明けた、今はそれの方が大事だ。

 岩手に少ししか居られないから奥義を教えてもらえないかもしれない。そんな不安があったのに、来たその日にこんな事になるなんて僕はついている。

 日和が失敗したことによって、思いがけない幸運が舞い込んだ。

 ありがとね、日和。


 でもまてよ。もしかしたらもしかしてだけど、懐に入る作戦が成功したのかもしれない。

 たぶんそうだ、間違いない。あっちゃんとの特訓成果が出たんだ。

 こいつになら秘密を打ち明けてもいい。そう思ってもらえたんじゃないか。遅かれ早かれおじちゃんは僕にそのことを伝えようとしていて、たまたまこれをきっかけにしたんじゃないか。


 いや、それは都合が良すぎる。でも…。


「ヒロ君、大きな声出さないでくれよ」


 みんなが笑ったからか、おじちゃんも照れながらグラスに口を付ける。


 おじちゃんの声を聞いたら僕の迷いは消えた。

 色々考えたってしょうがない。あっちゃんも言ってたけれど、大切なことは焦らないってことだ。

 それにまだ奥義を教えてもらうことについて話していない。やるべきことは沢山ある。

 まずは、おじちゃんがうっかり自分の身分を言ってしまったのか、それとも家族みんなが知っているかを確認する必要がある。

 ここは慎重に。


「あれー、おかしいなー?」


 僕は少し大袈裟に言う。

 ここに明智小五郎やシャーロック・ホームズさえ舌を巻く名探偵の登場だ。見える人には見えるだろう、大きな丸眼鏡と蝶ネクタイを締めた僕の姿が。


「おじちゃん、仙人はいないって言ってたのになー」


 みんなの様子を窺いつつ、おじちゃんと目を合わせる。


「ヒロ君…」


 おじちゃんの言葉に被せるように「あっ、そっかー」と、大きな独り言を言う。


「仙人てのは秘密の存在なんだー」


 みんなに変わった様子はない。僕は話を続ける。


「外だと誰に聞かれてるか分からないから、いないっていうのはしょうがないかー」


 それを聞いたおじちゃんは意味ありげに笑う。


 おじちゃん、いや仙人さん。分かっています。

 僕も意味ありげに笑う。


 そして、おじちゃんと僕はさっきと違う表情で顔を見合わせた。


「さっきからあなた達はなんなのよ」


 またお母さんが話しかけてくるけれど、今度は少し呆れているようだった。


 ん?って思ったけれど、お母さんはみんなと離れて住んでいるから知らないのかもしれない。まあ、仙人だって実の妹にバレても問題ないだろう。


「そうなんでしょ?」

「んだ」


 おじちゃんは胸を張ってゆっくりと頷く。


 さっきまでのおじちゃんとは雰囲気が違う。間違いなくこれは本物だ。

 少しぐらい否定とかするかと思ったけれど、あっさりと認めてしまった。僕の周りには、事件なんて全く起きない。博士の発明品は必要ないみたいだ。

 もう一度、周りを見渡しても変わった様子はない。これでみんなおじちゃんが仙人だって知ってるということになる。


 問題は日和だ。

 後でおじちゃんの正体を言いふらさないように、しっかりと注意をしておこう。


 おじちゃんは、チラリと日和の方を見る。


 同じことをおじちゃんも思ったのかもしれない。

 それについては僕に任せてください。後でしっかりと話をしておきます。

 仙人に念を送る。


 日和はさっきまでの悲しげな顔から、興味津々といったものに変わっていた。


 おじちゃんは箸でイカの塩辛を口に運ぶと、だいぶ泡の減ったビールを飲み干した。

 僕がビール瓶に手を伸ばそうとすると、おじちゃんは僕に向かって手を振る。


「日和ちゃん、お酌してけろ」


 おじちゃんはにっこりと笑って、グラスを日和に見せる。


「えっ?」


 途端に日和の顔が曇る。


「やんた?」


 おじちゃんは優しく微笑む。

 日和は考える素振りをみせて、お母さんの顔を見る。

 お母さんは何も言わずに笑顔を返す。


「やってみる」


 こくんと頷いてから、日和はビール瓶を両手で持つ。


「そうこなくっちゃ」


 おじちゃんは嬉しそうにグラスを日和に差し出す。


「そーっとね、そーっと。そうそう。ゆーくりゆーっくり。おっ、おっ、おっ」


 最後に、コチンとグラスと瓶が当たる小さな音が聞こえる。


「やったぁー」


 日和が胸の辺りで瓶を抱えると、みんなが一斉に拍手をする。


 おじちゃんは満面の笑み浮かべる日和を見ながら、美味しそうに喉を鳴らす。

 そして、くーっと目を瞑った後に、幸せそうな顔をする。


「さっきのビールが世界一うめえちゃ思ったけんど、これのがうんめ」


 おじちゃんは顔先にあるグラスをまじまじと眺める。


 岩手んばぁも嬉しそうに手を叩いている。


 やったな日和。


 僕も嬉しくなってお祭り騒ぎをしていたら、体を前屈みにして日和のことを見ている亮兄ちゃんに気が付いた。

 そんなんだったら、亮兄ちゃんも注げばいいのに。そう思っているのが伝わったのか、僕を横目で見るとさっきまでの笑顔がどっかにいってしまった。


 今日の亮兄ちゃんは素直じゃないみたいだ。

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