第10話 鼻歌とため息

 次の週、僕は東京駅で大きなリュックを背負い、日和を抱くようにしてお母さんの引いていたキャリーバッグを壁につけてもたれかかっていた。

 お土産売り場の近くで楽しみで仕方ないといった表情の人達と同じように荷物番をしている。


 今年は岩手のおじいちゃんの年忌らしい。それと、岩手んばぁの近くに住んでいるお母さんの妹の紗栄子おばちゃんに子供が産まれたので、合わせて岩手に里帰りすることになった。父ちゃんは仕事があるからと、僕と妹だけでお母さんについてきた。


 昨日、岩手行きの準備をしていたら、あっちゃんが『仙人攻略法』と書いてある紙を持って家に来た。自慢気に話をしていたけれど朱音ちゃんが作ってくれたのを僕は見抜いている。

 その時に「兄貴が一緒に行かねえんだから、お義姉さんとひーちゃんはお前が守るんだからな」と言われた。僕は胸を張って「任せとけ」と元気よく笑ってみせる。


 でも、目一杯張っていた胸は見る影もなく萎んでいる。

 周りの人とは違い僕だけ笑っていない。


 大きなため息を一つ吐いて、先程までの惨めな自分を思い出す。




 あっちゃんから託された任務は、鼻唄交じりでこなせるものだと高を括っていた。

 三年前は何の苦労もなく、気がついた時には真っ白な世界に目を奪われていた。そのイメージがあったからみんなを守るなんて余裕だと思っていた。それよりも仙人からどうやって秘技を伝授してもらうかそればっかりを気にしていた。


 東京駅に向かう電車の中で模擬戦を繰り返す。

 悪党が襲ってきたらリュックを盾にして相手の攻撃をかわし、必殺の跳び蹴りを喰らわしてやる。あそこに座っている人が実は怪獣で、いきなり変身すると目からビームを撃ってくる。それをギリギリでかわし式神を使役してやっつける。


 撃退法をいくつか考えていたけれど、何一つ使えそうにない事をエスカレーターを登る度に増えていく人の数で思い知らされた。そもそも、思い描いていた大事件は起こりそうに無い。

 見渡す限りの人、人、人。住んでいる場所では決して見ることのない光景がそこには広がっていた。

 こんなにも人でごった返えしている中で二人を守るって何をどうやるんだ?思いがけないピンチに僕は戸惑った。どうすればいいかなんてさすがに秘伝の書にも書かれているはずがない。そう思った途端、心がざわつき始めた。


 ここが近所のスーパーなら、買い物袋を両手に持って二人の前を歩く事だってできる。悔しいけれど僕にできるのは、お母さんの後ろを必死について歩く事だけだった。


 東京駅の構内は大型のディスプレイや色々なものが飾られていた。それらに気を取られると、僕は人の波にのまれてしまう。大人の背の高さに視界は遮られてお母さんを見失ってしまった。直ぐにでも追いつこうとするけれど、追い越されたり目の前で突然曲ったりと複雑に動く人の流れが僕を邪魔する。

 パニックになりそうなのを必死に堪えて人を掻き分けるように無理矢理進み、目の前に見えた見覚えのある小さい手を握った。


 それに気が付いたお母さんはニコリと笑って日和の手を離す。


 思いがけない行動に僕は驚いてしまう。そして、あることに気が付く。

 東京駅に向かう電車の中で散々「お母さんと日和は僕が守る」なんて豪語していたから、お母さんは、僕が日和の手を引いてくれるんだねと思ったに違いない。


 でも現実は全く違う。情けないお兄ちゃんは妹に助けを求めたのだ。

 僕の胸はギュッと締め付けられた。


 お母さん違う…。出かかった言葉を日和の視線を感じて飲み込む。それと同時に「兄貴ってのは弟の…」という父ちゃんの言葉を思い出す。

 日和の前ではカッコよくなくちゃダメだ。父ちゃんみたいになるんだ。そう自分に言い聞かせると、歯をグッと食いしばってお母さんと日和の間に体を滑り込ませる。


 右に左にと視線をちらし、気を抜けばどこかに行ってしまいそうな日和の手をしっかりと握りしめて、お母さんが引くキャリーバッグを必死に追いかける。少しでも気を抜いたら川に流される木の葉のように、どっかに連れて行かれそうな感覚があった。

 間に割り込んできそうな人がいたら歩く速度を上げてそれを阻止する。日和にぶつかってきそうな人がいたら体を挺して守る。




 短い時間だったのかもしれないけれど、不安との戦いは長い時間続いたように思えた。

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