第2話 迷惑なお客様
「金田君。……金田君?」
「はっ」
バイトの時間、バーコードを片手に意識が軽く飛んでいた金田は、浜田の声ではっと目を覚ました。驚いて隣を見ると、心配げに金田の顔を覗き込む浜田が。その近さに一瞬ドキリと胸が鳴り、それと同時にずきりと鈍い痛みが頭を走り、金田は顔をゆがめた。
「金田君?」
「いや、大丈夫っす」
「そう……?」
「ハイ————あ、お客様、レジへどうぞ~!」
浜田の怪訝そうな顔から逃れるように手を挙げた金田は、食パン一つを購入しようとする客に軽く感謝しながら接客を始めた。いくらなんでもあの夢を見た後に、直接浜田と会話をするのは気が引ける。それに、睡眠不足を気取られるのもなんだか気恥ずかしかったのだ。
そう、あんな夢————ほわほわと、眠い脳内に先ほどの光景が浮かぶ。純白のワンピースが風にはためき、浜田の茶髪がゆらりと……
(ヤベ、思い出さないようにしてたのに————)
暗闇の中で、金田は浜田に出合った。
最近バイト終わりに見かけた際に一番印象的だった純白のワンピースに、麦わら帽子をかぶった浜田———髪には銀色の蝶のバレッタが付いていて、それもぴったりだと感心していた記憶があった———が、金田の前に立っていた。
小首をかしげながらこちらを見続ける彼女は、あの時よりもかわいさが増していて、その姿に心拍数が上がる。
つややかな唇。あどけない笑み。それに、まっすぐに自分を見つめる上目がちの瞳
————そんな魅力的な浜田との距離約三メートルを残して対峙した金田はぎゅっとこぶしを握った。
瞬間的に、ここでなら何を聞いても大丈夫だと、説明できない自信を得たからなのか、ゆっくり自分でもかみしめるように言葉を紡ぐ。
『浜田サン、ここに好きな人はいるんスか?』
『うん!』
『え、え、誰ですか?』
思ったよりも率直に返答が帰ってきたことに対し、金田は驚愕で目を見開く。浜田は屈託のない笑顔を前に、体内を妙な速さで不安が駆け巡っていった。
誰、と、一番勇気がいる言葉を投げかける。本当は三メートルの距離を一気に近づけて聞きたかったが……それは無粋だと、はやる気持ちに言い聞かせながら。
『え、気になる? しょうがないなぁ~。えっとね、それはね~……諸星さん!』
「うわぁぁぁぁ‼」
想定してしまっていた最悪の答えを聞き、金田は絶叫した。視界の中で満面の笑みを保ち続ける浜田の顔が徐々に薄れていき……
「っは……! は、ゆ、夢か……っ」
顔に滴る冷や汗をぬぐいながら飛び起きた金田は、粗い呼吸で自室の時計を確認すると、時刻は午前二時。あまりにも早い起床だった。
今日は講義の予定もないし、バイトまで遊ぶ約束も入っていなかったので、ベッドにそのままいよう、と思ったのだが————先ほどの発言が、妄想だったとはいえあまりにも衝撃的すぎて、目がばっちり覚めてしまった。
どうも寝付けないと立ち上がり、自室からよろよろとリビングに向かう。冷蔵庫から水を取り出してぐいと煽り、それから口元をぬぐった。
昨日の深夜一二時までの課題がありろくな睡眠を指定なかったところにこの悪夢……どうしたものかとスマホにふと目をやった金田は、カレンダーの日付が、コンビニ閉鎖まであと三日を示していることに気が付いた。
(そうか、それでなんだか気がせって……)
知らず知らずのうちに自分を追い詰めてしまっていたのだろう。先ほど早鐘のように脈打っていた心臓がもう一度高鳴り始めたのは、連絡先を交換できずにいる自分への苛立ちか、それとも交換してもらうための趣味レートで羞恥心が顔を駆け巡った反動か。
(————たすえてくれ、沢村……!)
おそらく熟睡しているであろう親友に向かって心で叫んだ金田は、ふらふらと、あてもなく早朝の散歩をし、近くのカフェで動画サイトを何とはなしに眺め続け……
こうして今に至るのだった。
(うわ、ねみ~……でも、今日こそバイトを終わらせて連絡先ききたいな……今日は後で沢村も合流してくれるっていうから、いざとなったら頼ればいいし……)
勝手に頼るな、と脳内で攻撃してくる沢村に対して防御する金田の前に、突然一人の男がやってきた。ずいぶん買うものがあるのか、ずっしりと重量感のあるカゴを手にぶら下げていて、これは時間がかかりそうだな、と軽く目で計算する。
「こちらにどうぞ~」
「————これ会計頼むわ。後たばこ三五番ね」
「はい、かしこまりました」
接客いたしますとサインを送ったはずなのだが、金田には目もくれず、ずしずしとそのままレジコーナーを進んだその男は、浜田の前にその重そうなかごを乱暴に置いた。
え、俺のことは無視⁉と動揺する金田を他所に、浜田は笑顔でバーコードを読み始める。
「やっぱ七一番に変更で」
「はい、かしこまりました。袋はいかがなさいますか?」
「あ~つけといて。あ、あとチキンとフランクフルトと、このお弁当はあっためてな。つまようじとフォークも」
「はい」
矢継ぎ早の注文にてきぱきと指示を聞く浜田に対し、何だこいつ、注文多くてめんどくさいな。というのが金田の最初の印象だった。
革靴を床に打ち付け、浜田を軽く急かしている態度に、なんてことしてくれてるんだとイラっと来た金田だったが、彼女がおとなしく接客している以上迷惑はかけたくなかったので黙っていることにした。
「レジ、手伝いますね……チキンとフランク入れます」
「ありがとうございます」
幸い店内にはほかに客がいなかったため、金田もこの少し面倒な客の接客に回ることにした。トラブルがあったらすぐに浜田を守れるようにと、あとはほかの男とあまり話してほしくないということを隠し通しながら。
トングをとってチキンとフランクを袋に詰めると、浜田に手渡す。それからお弁当をレンジにかけて割りばしとフォークの用意をしていると、その男は金田がいることをようやく認識したのか少し意地悪気な笑みを浮かべた。
「あ、ちょっとそこの兄ちゃん、ちょっくら走ってブリトー取ってきてくれない?サラミとダブルチーズのね」
「へ?」
「だから、商品取忘れちゃったから、持ってきてくれっていってんの。今ここから離れたくないし」
「なんでですか? 取りに行かれるのでしたらこちらでお控えいたしますが」
少しイラっと来た金田が言い返すと、その男が意味ありげな表情を浮かべた。
「ほら、見ていないところで変な商品買わされたくないし。いろいろ買ってはいるけど、必要以上に貢献する必要はないじゃん?」
「っ……! 浜田さんは、そんなことするような人じゃなりません! いつもお客様一人取りに対して誠実だし、まして変な商品を入れるなんてことは……!」
「え~? でも大学生バイトで遊びのためにお給料稼いでますって子たちは、モラルなんてないんじゃないの? 信用できないな~」
「っ……」
あまりにも心無い言葉に、浜田の顔が陰る。その意味が、きつい言葉だったからなのか、それとも図星だったからなのか、いや浜田に限って後者なわけがないと思いながら、金田は自分の頭に血が上るのを感じていた。
もう、このコンビニ閉鎖されるし、一発暴れてもいいのではないか。どうせ三日でなくなるのだから、クレームが来ようと問題ないのでは……
そう、金田の中で何かふつふつと沸き上がってくる感情に任せて、こぶしを握り込んだ瞬間だった。
「私がとってきますので、それでもよろしいでしょうか?」
「!」
ぱっと表情を笑顔に戻した浜田が、レジから出ようとする動作の延長線上で、さりげなく金田の握られたこぶしにゆっくり手を沿わせた。滑らかな感触に目を見開く金田に対し、パチリ、と浜田が目配せし、それからレジから出て行く。瞬間のアイコンタクトに我慢して、という意図を感じ、金田は留飲の下がる思いがした。
方向的に最短ルートでブリトーを取りに向かったのだろう。いつも通りポニーテールを弾ませながら、しかしあわただしく走ることはせず颯爽と歩く彼女の姿を見て、金田は同時に恥ずかしさが胸中を占める気がした。
自分はすぐに感情的になってしまったのに対して、浜田はクレームという名のトラブルに、一番波風の立たない行動を選択した。瞬時にそれを実行に移せる行動力と、自分に言われたことに対する憤りを一切見せぬ凛とした姿。それはまさしく自分が惚れた浜田亜優という人物であり、同時に自分の器の狭さを思い知らせた人物でもあった。
(……こういうところが、浜田サンのすごいところだよな)
金田は先ほどの手の感触を思い出しながら、少し彼女のすごさに浸っていたが、切り替えて接客を仕切ることに対しての覚悟を決めた。
素早く、しかし商品を傷つけないように次々とバーコードを読み取り、袋に詰めていく。ここで温め終わった弁当も別の袋に用意し、箸も併せて詰める。
いつの間にか、サングラスの男の嫌味ったらしい顔は気にならなくなっていた。
「あ、ありがとう、金田君」
「いえ」
戻ってきた浜田が今度はサポートに徹し、またクレーム交じりの肯定をとりつつブリトーを温めたり残りの商品を詰めるのを手伝ったりとしている間に、その仕事は終わっていた。
「……合計一万三百七十円です」
金田がきっぱり言い捨てると、その男は財布を取り出しながら少し不服な表情を浮かべた。何か、と金田が早く会計をするように促そうとすると、それを遮るようにねちっこい言葉を重ねる。
「あ~、カードで。はぁ、いちゃもんつけてこの浜田ちゃんとか持ち帰ろ~と思ったのにな~……こんな完璧、求めてないっちゅーのに」
「!!」
「!?」
男の言葉にびくりと震える浜田と、それをかばうように少し前にずれる金田。向こうはいらいらとしながらカードを差し込むが、その態度は依然不愉快なものであり、浜田サンを何度も不愉快にさせたこの男はやはり許せないと、強くその男をにらみつけたときだった。
「おっつかれ、二人とも~バック入ってい~よ~って、清水さんじゃん、お久しぶりです~!」
「あぁ、諸星さん。お久しぶりですね」
「「⁉」」
バックヤードから出てきた諸星が声をかけるや否や、その男の表情が異様に和らいだ。会計を恐る恐る終了した浜田が長いレシートを差し出すと、その清水と呼ばれた男は打って変わって丁寧な手つきでそれを受け取り財布に仕舞う。そのころには、先ほどのねちっこくまとわりつく陰湿な空気は掻き消えていた。
(いったい、どうゆうことなんだ……!?)
先ほどの対応でだいぶ疲弊した金田は、回らなくなってきた思考で、目の前の光景に対する疑問を浮かべた。
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