第3話 ビデオガ・ガ VIDEO GA GA
「そんじゃ、無事に和解成立したわけだ。」
連れションで入った4階の男子トイレで、交代で使うしかない一つだけの小便器に向かい後攻で用を足している
「いや、そんな大袈裟な話ではないっていうか…。もともと俺が一方的に苦手意識持ってただけで、それが解消したって意味ではまぁそうかもしれんけど。」
「なんにせよ、良かった良かった。仲良きことは美しきかな。」
先に済ませた
「それにしても、俺のチリツモ・ローテーションの事、なんで
「ああ、俺が
予想外の方向からの内通者の自白に、思わずまだ便器に向かい合っている脇谷の方を振り向く。
「はぁ!?」
「いやな、沼さんが浅井センセイ凹ませた事気にしてるから、実際どんな様子なのか教えろと突っつかれててさ。」
そんな密約があったとは、浅井は今の今まで全く気づきもしなかった。
「…もしかして、今日ここで沼さんと居合わせたのも、全部お前らの仕込みなんじゃないだろうな。」
「さすがに皆んなそこまで暇じゃねえって。スパイ映画見過ぎ。」
まぁ、仮にそうだったとしても、沼さんへのわだかまりを捨てるキッカケを作ってもらえた浅井としては、感謝しかない。
「じゃあ、アレだな。次こそ沼さんに映画一緒に見に行こうって誘えるじゃん。」
「…あー、ゴジラの新作、か。」
この一月前、7月に予告編が流れ始めた『ゴジラ-1.0』は、2023年11月3日公開である。
別に誰に誘われなくても、沼さんは当然見る予定であろう。
映画館で新作ゴジラを見るのは、最重要イベントなはずだ。
そこにお邪魔するとなると、まだ浅井にはかなり勇気を要する行為である。
「…う〜〜〜ん……。どうすっかなぁ…。」
「またえらい悩みようだなオイ。直接誘うのまだ無理そうならさ、LINEでいいじゃん。」
「えっ。」
「いやいや。えっ?じゃなくて。LINE交換くらいはしたんだろ?な?センセイ?」
「………。」
ようやく一歩進めば、次の難関が待ち伏せているのが、人生という旅路なのである。
如何に自然かつキモくない流れでLINEアドレスの交換を提案できるかを脳内シミュレーションしながら脇谷と共に5階フロアに戻って来た浅井は、「渋谷フィルムコレクション」から少し離れたあたりで検索機をいじっている沼さんたちと再び合流した。
LINEの件は一旦保留とし、映画の話に脳機能をシフトする。
「沼さんは何を借りるつもりで来たの?沼さんがここに来るなら、用があるのは4階の方って気がするけど。」
4階エレベーター口から出て右側の特撮コーナーこそ、SHIBUYA TSUTAYAにおいて沼さんが最も出没しそうなポイントである。
「今日は『プルガサリ』と『ヨンガリ』と、『ペキ逆』と『バミュ三』をまとめて借りようかと思っていました。」
『プルガサリ伝説の大怪獣』と『大怪獣ヨンガリ』はともかく、『北京原人の逆襲』や『バミューダの謎・魔の三角水域に棲む巨大モンスター! 』をこんな風にカジュアルに略する人間を、浅井は沼さんしか知らない。
ちなみにこれら4作品の共通点は「日本の特撮関係者が出稼ぎや共同製作で参加した海外特撮作品」という点であり、先ほど言っていた通りに沼さんも浅井と同じように独自のテーマを決めて視聴計画を立てている事を表していた。
「ですが、先ほどから探しているんですけど、『プルガサリ』が無くなっているみたいなのです。検索結果でも『貸出中』ではなく『取り扱いなし』となっていました。」
「え!?マジで?」
浅井も、「渋谷フィルムコレクション」の棚を見渡してみた。
確かに、見当たらない。
2本あったはずの北朝鮮製怪獣特撮映画『プルガサリ伝説の大怪獣』のDVDが、パッケージごと無くなっていた。
「…言われてみると、『豪勇イリヤ』も『原子人間』も無くなってるような…。」
「もしかしたら、ひと足先にDISCASの在庫に移動したのかもしれません。私や浅井君以外にほとんど借りる人がいなさそうなタイトルですし。」
『プルガサリ』は元々DISCASで借りられるタイトルではあるが、在庫が多いに越したことはないのだろう。
それにしても、すでにDISCASへの移行が始まってるのか、と諸行無常を感じつつ、自分のことを同好の士と呼んでくれる沼さんに心がくすぐったくもなるチョロい浅井だった。
「やっぱり、沼さんもここでのレンタルやめるっていう例のニュース聞いて来たんだ。」
「そうなんですが…。」
人差し指を顎にあて、少し考え事をするような素振りが、やはり妙に画になる。
「考えてみると、DVDはDISCASでこれからもレンタルできるのですから、どうせならVHSを借りるべきなのしれません。」
「えっ。」
そう言うやいなや、スタスタと「渋谷シネマコレクション」VHSコーナーに入って行ってしまった沼さんを慌てて追いかけて、いつのまにやらあれだけビビり倒していた禁域に、なし崩し的に足を踏み入れることになった。
他の3人も、特に抵抗なく後に続いてくる。
「私、VHSって触ったこと全然ないな。ネギちゃんは?」
「『べーた』ってやつの方が強いのは知ってる。」
「いや、強いってなんだよ。闘うのかよ。」
「ほら、ありましたよ。先ほど浅井君が探していた『豪勇イリヤ』です。古いタイトルのバージョンですが。個人的にはこちらの方が好きですね。」
一本のVHSを指さしながら、沼さんが手招きしている。
『キング・ドラゴンの逆襲/魔竜大戦』という邦題がパッケージに書かれているが、ジャケット写真にいるのは間違いなく『豪勇イリヤ』に出てくる「ゴルイニチの大蛇」、キングギドラの元ネタとなったとも言われる三本首の竜である。
このソ連産ファンタジー映画は、『豪勇イリヤ巨竜と魔王征服』の邦題で公開後、『キング・ドラゴン』のタイトルでビデオ化、さらに『再上映や再DVD化の度に『イリヤ・ムロウメツ巨竜と魔王征服』になったり『巨竜と魔王征服/イリヤ・ムーロメッツ』になったりしてきたのだが、そういう混沌とした遍歴は浅井が好むレンタルビデオの魅力の一つであり、沼さんもそれが嫌いではなさそうなのが、嬉しかった。
「でも、これはきっとDVDがDISCASの在庫に加わるでしょうね。浅井君がDVDで見つけられなかったタイトルは見当たりますか?」
「えぇっと…。」
急な展開にまだ心の準備ができていない浅井をよそに、脇谷は即行で動き出した。
「おっ!VHSでも『スウォーズマン』発見!」
「だからお前それ(以下略)」
自分のペースに忠実な脇谷が、こういう時は羨ましい。
兎にも角にも、脇谷につられて浅井も棚に目を走らせてみた。
「渋谷フィルムコレクション」のVHSコーナーは5階フロアのほぼ中央部にスペースを有している。
邦画洋画VHSと陳列棚が客をぐるりと取り囲むように並んでいる光景はなかなかに壮観で、レンタルビデオというよりは学術的な資料を収めた倉庫にいるかのような感覚に陥る。
パッケージの印刷はすり減り、タイトルの文字は掠れ、中身のテープの状態も万全ではないものが多いだろう。
かつてはレンタルビデオ業界の一時代を築き君臨したこのVHSたちにとって、ここは最後に辿り着いた
そんな敬虔な気持ちに浸っていた、次の瞬間。
「うぉ!『エスピオナージ』があった!レンタルDVDもサブスク配信もないやつ!」
突如興奮する浅井。
脇谷と大して変わらないリアクションでくせ毛頭を激しく振り乱し、勢い余ってたまたま同じ棚を見ていていた根岸さんを驚かせてしまった。
「ナニ!?いきなり!?そんなすごい掘り出し物SFなの?」
「『エスピオナージ』なんだから、スパイ映画に決まっとろう!」
「???????」
「『エスピオナージ』という単語は馴染みが薄いですが、スパイやスパイ行為全般を意味するのですよ、根岸さん。」
浅井と沼さんのオタクトークのターゲットになった根岸さんが、目を白黒させている。
普段は沼さん一人に対して野々村さんと二人で均衡を保っているのが、オタク二人に一人で囲まれ集中攻撃を食らう状況には慣れていないのだろう。
「そもそも浅井っちは、なんでそういうマイナーな映画が好きなン?」
「マイナーってなんだ、失礼な。スパイ映画はアクションやサスペンスの王道だろ。」
「その通りです、根岸さん。007やヒッチコックは語るまでもなく、スパイ映画は1930年代から続く一大ジャンルで…。」
「沼ちゃん沼ちゃん、ここで語り始めると他のお客さんに迷惑だから。」
見かねた野々村さんが、レフェリーストップをかけてきた。
根岸さんにつられ、沼さんが暴走し始めると、野々村さんがブレーキをかけるのが、この三人組のいつものパターンらしい。
一方浅井は、先ほどの男子トイレでのやり取りと、今『エスピオナージ』を目にしたことで、今日はスパイ映画のシリーズものを借りるつもりだったのを思い出していた。
「そういや今日は『ハリー・パーマー』シリーズ借りるつもりだったんだ。いつか借りようとは思いつつ先延ばしにしてきてたやつ。」
「ハリー・ポッター?」
「違います。」
「『007』のアンチテーゼ的スパイ映画シリーズですね。主演はマイケル・ケイン。」
専門外の洋画スパイものでも、沼さんはちゃんと把握しているらしい。
「浅井君が見ていなかったというのは意外です。なぜ今まで先延ばしに?」
「1作目の『国際諜報局』がレンタルに無いから。」
「なるほど、納得です。」
『国際諜報局』は人気シリーズの第1作目なので、いつか販売版がレンタル落ちする可能性を捨てきれなかったのだ。
それにしても、さすが沼さんである。
シリーズものは制作年順に1作目から見るべきだという、基本的なルールを心得ていらっしゃる。
心得てらっしゃらないのが、脇谷である。
「2作目から見ればいいじゃん?」
坊素頭をポリポリ搔きながら事もなげにそう言った脇谷に対し、浅井が驚愕の表情を浮かべ、沼さんが氷点下の視線を向けた。
「シリーズものを途中から見るとか、お前正気か!?」
「脇谷君には失望しました。」
つい先程まで映画と映画オタクの在り様について真剣に語り合っていた二人が、もうこれである。
めんどくさいオタクぶるのは、何しろ楽しいのだ。
「うわっ。なんだこいつら!仲良くなったと思ったら早速つるんで一般人にマウントとってきやがる!」
「ワッキーはカンフー映画以外だとパンピーなんだネ。」
「あたしらは沼ちゃんに鍛えられてるし。」
そういう根岸さんは漫画原作のコメディ、野々村さんはハリウッドのブロックバスター大作のBDをそれぞれ手にしている。
沼さんのような特殊な趣味の映画オタクと付き合いつつ、自分たちの映画の好みは変わらないところが、沼さんの友達たる所以なのかもしれない。
「ワッキー、すまない。お前の言う通りだ。」
わざとらしく神妙な態度で脇谷の肩に手をおく。
「映画の見方なんて、人それぞれ。シリーズを2作目3作目から見たっていいんだ。だけどなワッキー。ひとつ、これだけは約束してくれ。」
「はぁ、何スか。」
「倍速再生マンにだけは、決してならないと。」
不意打ちに耐え切れず顔面を両手を覆いながら「ブフゥーッ」と吹き出す沼さんを見て、根岸&野々村コンビも衝撃を受けている。
「沼っち!?何!?今の何がそんなツボったの!?」
「うわっ。こんなに分かりやすくウケてる沼ちゃん初めて見たかも。貴重ー。」
そう言って野々村さんは沼さんの笑いっぷりを珍しそうにスマホで撮影しているが、根岸さんの方は、さっきまでは仲直りするようけしかけていたくせに今度は沼さんをとられたようで面白くなかったのだろうか、浅井に対してさらに突っ込んだ質問を繰り出してきた。
「んじゃサ、B級SFは?やたら昔の、タイトル聞いたことないようなやつばっか見てるんでしョ。」
まず間違いなく、脇谷が流した情報であろう。
横目でジロリと睨みつけると、先ほどの意趣返しであろう、わざとらしく気づいていないフリをして口笛(『笑傲江湖』のテーマ)まで吹いていた。
「浅井君のその系統の趣向に関しては、私も興味があります。」
平常心を取り戻した沼さんまでが曇りなき純粋な好奇心の目線を送ってきて、それなりにちゃんと答えないわけにはいかない流れになってしまった。
正直、なぜ好きかと聞かれても、自分がそういう人間だからとしか言いようがないのだが。
「そんな趣向とか大袈裟なもんじゃないけど、最初はオーソドックスに『シン・ゴジラ』キッカケで怪獣特撮を見始めて、初代ゴジラ経由で『キングコング』やレイ・ハリーハウゼンと辿っていって…。」
「王道ですね。」
「ちょっと横道に入って、ハマー・プロやマリオ・バーヴァを嗜むようになり…。」
「ふむふむ。」
「…そっからさらに道を踏み外して、いつの間にかロジャー・コーマンやバート・I・ゴードンやサミュエル・Z・アーコフの世界に迷い込んでた、みたいな。」
「なるほど。」
浅井の言わんとしているニュアンスを完全に把握したのは、この場では沼さんだけであった。
根岸さんが「つまりどういうやつ?」と疑問符を浮かべてるところに、野々村さんが「きっとアレだよ、前に見たエド・ウッドみたいなやつ。」と耳打ちしているのがこちらにも聞こえてくる。
コーマンは知らなくてエド・ウッドなら知ってるいるのかと不思議に思ったが、この二人が見たのはたぶん本人の監督作ではなくティム・バートンが監督した伝記映画『エド・ウッド』の方だろう。
ちなみに、以前浅井が借りたエド・ウッド監督作『死霊の盆踊り』を又借りして見た脇谷は、あまりの退屈さに生まれて初めて映画を見ながら居眠りを経験し、この映画は不眠症治療の為に製作されたものに違いないと結論づけた。
「それならば、浅井君が見るべきはまずは『き』行の棚ですね。」
「き?」
首を傾げる脇谷たちにも分かりやすく、作品タイトルで五十音順に区分けしている商品棚のうち『かきくけこ』の『き』の列を指差しながら沼さんは続けた。
「『吸血鬼』『金星人』『恐竜』『恐怖の〇〇』…。『き』行こそホラーとファンタジー、SFの宝庫です。」
「あぁ〜。そういう…。」
約3名からキワモノの『き』だと思われてる気もしないでもないが、浅井が好むジャンルがそこに多いのは事実なので仕方ない。
沼さんの提案に従ったわけでもないが、『き』の列を見て回る。
すると、それはあった。
『恐竜時代』。
ストップモーション映画ファンなら誰でも知ってるレイ・ハリーハウゼンが、ホラーとSF映画のファンなら誰でも知ってるハマー・プロダクションと手を組み、トカゲ特撮映画ファンなら誰でも知ってる『紀元前百万年』をストップモーション(一部トカゲ特撮)でリメイクした名作『恐竜100万年』の
これもまた、日本語版DVDがレンタルに存在しない映画の一つだ。
明らかに目線がそこに集中しているのが側から見てもバレバレだったのだろう。
沼さんが、横から話しかけてきた。
「借りないんですか?」
ちょっと驚くくらい耳元の近くまで顔を寄せてきて、心臓に悪い。
意外と距離感がバグってるヒトだ。
「いやその、VHSってさ、ちょっと敷居高いっていうか。再生できる機械持ってないし。」
「デッキの貸し出しもやっていますよ。」
「それは知ってるんだけど、何というか、その、一週間のレンタルに1000円は個人的にキツいというか、心の準備が出来てないとか、うっかり壊したらどうしようとか、いろいろとさ。」
脇谷からたびたび指摘されている、興奮したり焦ったりすると早口かつ多弁になる癖は、沼さんとの関係が良好に転じてもまだまだ治りそうになかった。
「…一歩を踏み出さない理由ばかり探してる自覚はある。」
慎重な性格なのだと自分では思いたいが、ビビリなのも真実であろう。
本当のところ、浅井がVHSを借りる決意が出来なかった最大の理由は、果たしてニワカ映画オタクの自分がそこまでやっていいのか、それはもっと気合の入った真の映画通にしか許されない行為なのではないか、という珍妙極まる気後れだった。
他人から見れば理解不能な感情だろうが、当の本人にとっては一大事なのだ。
そして浅井にそういうコンプレックスを抱かせたのは、今この目の前にいる真の映画通に凹まされた経験も一因なのは、間違いなかった。
「VHSは沼さんレベルじゃないと手を出せない領域だから、もっと経験を積んで、ニワカを卒業して、VHSを見る資格のある人間になったら、なんて思ってたんだよ。」
「浅井くん。」
沼さんの声のトーンに、やや真剣なものが混じった。
「ここまでがニワカで、ここから先が本物、などという線引きは、映画好きには存在しないと思います。」
沼さんの言う事はいちいちもっともで、自分はこれまで随分と偏った考えに囚われていたのだと、実感させられる。
あるいは、浅井はこの言葉をずっと前から誰かに言って欲しかったのかもしれない。
「それに、そんなことを大真面目に考えている時点で、浅井君はとっくにめんどくさい映画オタクですよ。」
沼さんにそう言ってもらえただけで、天にも舞い上がる気分に浸れる自分は本当にチョロいやつだ、と浅井は思った。
「とは言え、VHSデッキは物理的に持ってないのはどうしようも…。」
「ありますよ。」
「え?」
「VHSのデッキ、私持っています。」
「そ…っそんな…古代文明の遺物を!?」
「そのように大層なシロモノではないですよ。実家から持ち出した再生専用のシンプルなものですが、問題なく作動します。つまり、うちに来ればVHSは見られるので、浅井君はテープを借りるだけで大丈夫です。これならば、そこまでプレッシャーはかからないでしょう?」
確かに、大変ありがたい提案ではある。
しかし、さっきまでVHSとビデオデッキに抱いていたのとは別のプレッシャーが浅井の心中に生まれていた。
え?俺、今から沼さんの家行くの?
「いや、普通にあっしらもいるからネ。」
「二人きりになる前提のところ悪いけど。」
考えてる事が表情からダダ漏れだったらしく、根岸&野々村コンビが呆れ顔でツッコんできた。
「あ、じゃあ俺も俺もー。俺も行くぅー。」
「いや、ワッキーはダメだヨ。」
「そこは空気読もう?ワッキー?」
「何で!?」
こいつらもこいつらで仲良いな、と思う浅井であった。
店頭レンタル終了のニュースで客足が増えたのだろうか、4階フロアのセルフレジに順番待ちの行列が出来ていた。
「なんか、こんな簡単な事だったのに、今まで足踏みしてたせいで貴重な時間を失った気がする…。」
『恐竜時代』と『エスピオナージ』のVHSを手にして列に並びながら、浅井は独り言ちた。
もっと早くにVHSの世界へ飛び込む決断を下せていたら、これまでにもっと多くの映画を見る事ができただろうに。
独り言のつもりだったが、浅井の後ろに並んでいた沼さんの耳にも届いたらしい。
「まだ2ヶ月ありますよ。その間に、悔いの残らぬよう借りられるだけ借りてしまえばいいんです。」
「…でも、それってVHS借りる度に沼さんの家にお邪魔し続けることにならない?」
「…そのへんは、おいおい考えましょう。」
沼さんの鉄面皮の頬が羞恥で少し染まったように見えたのは、浅井の気のせいであっただろうか。
「おいおいおいおい、仲直りした途端ガンガンいくな、センセイ。」
「沼っち。浅井っち呼ぶ時はあっしらも同伴だから。二人きり禁止だかんネ。」
「あんたは親か、ネギちゃん。」
列の後ろに続く面々にからかわれる気まずさを誤魔化すように、浅井は技術的な質問で話題を変えた。
「VHSを見るにあたって、注意するべきことってあるのかな。」
「映像特典はありませんよ。ほとんどの場合。」
「そりゃ、分かってます…。」
浅井は確かに映像特典中毒のDVD主義者だが、B級Z級映画のDVDはメニュー画面に『本編再生』と『場面選択』しかない事も多いし、最近はサブスクだって使っているのだ。
決して、映像特典だけで見る映画を選ぶ男ではない、と沼さんには知っておいて欲しい。
「冗談です。」
沼さんからこんな悪戯めいた冗談が出てくるというのも、浅井には衝撃の体験だ。
「ものによってはテープの劣化で画も音もガビガビのノイズだらけですから、そこは覚悟しといた方がいいです。」
確かに、パッケージに映像が乱れる旨の注意書きが貼られたものもそこかしこにあった。
商品として考えれば全く不適格なものだろうが、それでも棚に並んでいたのは、やはりそれらの映画の多くがサブスクはもちろん、DVDにもなっていない希少な作品群だからであろう。
「テープをダメにしちゃうんじゃないかってのが怖いんだよね。正直、それがVHSから逃げてた一番の理由。」
「もちろんそれは起こり得ることですが、デッキに問題がない以上、それがそのテープの寿命だったという事です。映画の発展と普及にその身を捧げた文化的功労者として、粛々と送り出すべきでしょう。」
浅井は、レンタルビデオテープの廃棄後にその魂が行く世界を想像してみた。
そこでは磁気テープは摩滅・経年劣化する事なく永遠に高彩度の映像を保ち続け、音声トラックは全てHi-Fiステレオに生まれ変わり、VHSとベータマックスは諍い争う事なく平和に暮らすのだ。
だが、ここのVHSたちがそこへ召されるまでには、まだもう少し時間がある。
「それにしても、浅井君らしいチョイスですね。『恐竜時代』とは。」
浅井の手にしたパッケージに描かれた映画の原題を指さしながら、沼さんが続けた。
「『When Dinosaurs Ruled the Earth』、『恐竜たちが大地を支配していた時』。なんだか暗示的だと思いませんか?このVHSたちも、かつては映像レンタル業界の支配者だったのです。だけど、DVDの登場という環境の激変に適応出来ず、今やこうして生きた化石のようになっている…。」
そう言われてみると、何やら詩的でさえある
「そのDVDもサブスクの配信サービスの登場で、支配者の座から追いやられつつある…。いつかは、DVDやBDも同じ運命を迎えるのでしょうか。」
DVD主義者・浅井としては、この問いかけへの答えはすでに持っていた。
「そうはならないよ。」
「確信めいた仰りようですね。」
「希望的観測だけどね。DVDはきっと生き残るよ。なぜなら…。」
沼さんに負けないよう、精一杯思わせぶりな物言いを心がけてみる。
「 DVDには、映像特典があるからね。」
「さすが、DVD主義者の浅井君。」
眼鏡のレンズの奥の両目が悪戯っぽく輝いているのが分かるほど沼さんの顔が近いのは、自分の猫背癖のせいなのか、沼さんのやけに近すぎる距離感のせいなのか、今の浅井にはまだよく分からない。
「ちなみに、レーザーディスクのプレーヤーもありますよ。」
「そっそんな…エイリアンが地球に残したというオーパーツを!?」
「そこまでのシロモノじゃないですよ。」
「だってレーザーなんだろ!?うっかり触ったら融合して特殊メイクの怪物に変身しそうでおっかねぇ。」
「『レーザーブラスト』ですね。デイビッド・アレンのコマ撮り宇宙人にとどめを刺されるなら、それも悪くない運命ではないでしょうか。」
「マジで変な映画見過ぎだよ、センセイも沼さんも。」
「野々っちぃー!沼っちが浅井っちと二人だけで盛り上がってて疎外感バリバリだヨー!」
「そうだねぇ。あたしらも対抗してなんか極めようか。」
「そこのお二人さん!そういうことなら、『スウォーズマン』っていうのがあってぇ…。」
劇終
▶︎[映像特典へ]
https://kakuyomu.jp/works/16817330662194818989/episodes/16817330665926182295
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