第10話 危険な脱出

 耳障りな音がすると同時に金具が外れ、シャッターが倒れていく。大男も一緒だ。ゆっくりと確実に、サイボーグ二体は落下していった。硬い地面に大男のボディが叩きつけられる。自重で内部サイバネが壊れた。骨や肉が砕ける。大男の意識は、薬物による混濁状態のまま消えていった。




「……見事にバラバラ。ああはなりたくないね」眼下の地面のシミを見て、セナは思った。あれは映し鏡だ。少し違えば、自分があそこにいることになっていたかもしれない。どれほどのハイテックに身を包もうとも、どれほど体を機械に置き換えようとも、死はいつもすぐそばにいる。自分はいつまでこんな事を続けるのだろうか? 危険に生き、呆気なく死ぬ。それが本当に自分の望みなのか。分からない。何も分からなかった。

 怪しい気配がセナの心に影を落とす。それは過去の彼女自身だった。

……チッチッチッチッ、思考の中、心中の時計の針が回帰を始める。……カチッカチッカチッカチッ、時の刻まれる音が聞こえた気がした。チッチッ……、針の音はまだ続く。カチッカチッ、〈ウン?〉何かおかしい。セナは耳を澄ましてみた。カチッカチッカチッ……。音が聞こえてくる。具体的に言えば窓周辺の柱から。彼女は恐る恐る柱の裏を覗いた。

「ハァ?」柱の裏に設置されていたそれを見た彼女の口から、なんか小さくてかわいい感じの声が出た。

 カウントを刻む安物の液晶ディスプレイが取り付けられた長方形の物体。プラスチック爆弾だ!


 そこからの動きは速かった。設置個所から考えて、他の柱にも設置されていると予想された。そのすべてが起爆すれば、今いるフロアは余裕で吹き飛び、万が一爆発を生き延びても支えを失った天井が落ちてくる。解除する時間もない。セナは爆弾の専門家ではないし、爆発までのカウントダウンは一分を切っていたからだ。一秒の時間も無駄にはできない。


 セナはアレッサに爆弾の存在を知らせ、そしていまだにPCと向き合っているゴンドー老人を、有無を言わせずに両肩で背負った。

「ほら、さっさと動いて! 窓の方に!」

 それを聞いてアレッサが戸惑いの声を上げる。「階段から降りるんじゃ?」

 セナはアレッサの声を無視して破壊された窓の方に行くよう促すと、「覚悟はいいよね」そう言ってアレッサを蹴り落した。そのすぐ後に、自分自身も人一人を抱えたまま落下する。セナはいったい何を考えているのか! まさか自棄を起こして心中を図ったのではあるまいか⁉ いやそうではない。下を見ろ! 主からの無線指示により建物下方で待機しているインテリジェントモービルがいるではないか! 彼女らの命はまだ終わりではない!


 セナの命令を受けたレックウは、唸りを上げてその場でウィリーをした。その鋭い双眸の先には今まさにビルから落ちてくる三人の姿がある。レックウのヘッドライトが瞬き、そのフロント部下方のスリットから、フリスビーのようなものが発射された。その飛翔体はセナたちの元へと飛んでいくと、その面積を何十倍にも膨張。三人を空中で受け止め包み込み、硬いアスファルトの地面に落着した。落下の衝撃はクッションの下部に敷き詰められた特殊ジェルがすべて吸収。要救助者には一切のダメージがない。これこそは、ヴィクソン防災技研が開発した災害救助用マット。スーパークッションⅡだ!(一部助成金適用あり。なお、今回のような使いかたはまったく推奨されていない)



「生きてる? みんな生きてる⁉ 大丈夫よね、当然。そういうふうになるようにしたんだから!」フリーフォールによってアドレナリンが放出されて若干ハイになりながら、セナはクッションから這い出て言った。ゴンドー老人はその横で地面を這ったまま気絶している。そしてその背後では、アレッサがぜぇぜぇと息を切らして苦労してクッションから零れ落ちていた。

「何やってるのよ、だらしない。あんたそれでもエージェント?」

 腰に手を当ててやれやれと首を振るセナに、アレッサはよろよろと立ち上がったビンタを繰り出した。ビンタは直撃するが、セナにはまったく効果がない。かわりにビンタを放った当の本人が痛みに苦悶することになった。

「いっっっ痛っつ、こんの、よくもそんな事が! こっちはあなたと違ってほとんど生身なのよ⁉ 死んでたらどうするつもりだったの!」アレッサの指摘は最もだ。クッションに包まれ落下することこそがあの場から生還する最も確実な方法ではあったが、それでもそれを実際に行動に移すなど、とても正気とは言えなかった。


「でもほら、全員生きてるんだから問題はないでしょ?」


 アレッサは呆れた。結果が良ければすべていいと言いたい気持ちは分からないでもなかったが、それではこちらの身が持たない。せめて小言を浴びせかけてやらなければ気が済まなかった。「う、うぅ……」だが、残念ながらそれは中止になりそうだった。ゴンドー老人がうめき声を漏らしたのだ。

「いけない、早くおじいさんの手当をしないと」アレッサは屈んでゴンドーの様子を確かめながら言った。

「あなたやわたしと違ってお年寄りは体が弱いんだからね」

 アレッサの嫌味に、セナは痛いところを突かれたと顔をしかめた。アレッサの方は、そんなセナを見てほんの少しだけ気分が良くなった。



***




「全ファイルの展開を確認。対話インターフェース起動します」

 技術者の男はコンソールに目を向けたまま告げた。その数秒後、室内の照明が落とされて、床に設置された急ごしらえの大型ホログラム投影装置が起動、何万もの素子が集まって一つの大きな顔を構成した。


「対話インターフェース、バージョン2.22、識別名サンタ・ムエルテ起動。……初めまして、わたくしはサンタ・ムエルテ、第三世代型人口知能です」顔は、目の前で自身を見上げる男に機械的に告げる。


 サンタ・ムエルテの声を聴いたバザロフは、技術者の男に目配せをすると、咳払いを一つしてから仕事に取り掛かった。

「俺はバザロフ。お前の現在の所有者だ。この言葉の意味を理解できたなら、返答しろ」


 その言葉に、サンタ・ムエルテは一瞬だけ目をぱちくりとさせて言葉を返した。「はい、ミスターバザロフ。あなたの言葉は理解できています。ですが、正規の手順での所有権の譲渡が確認できていないため、あなたを所有者とみなすことはできません」穏やかな声で、彼はにこやかに答えた。技術者の男はコンソールを見つめて眉根を寄せた。


「そうか、ならこれがあればいいか? ディスクを読ませてやれ」バザロフの命令で、技術者の男がコンソールに一枚の記録メディアを挿入する。内部のデータがコンソールに転送され、その情報をサンタ・ムエルテはたったの五秒で精査し終えた。


「ユーザーを確認、権限の変更完了。現時刻より、ヨーラン・バザロフ氏にユーザー権限を付与いたしました」


「よし、それじゃあ早速、ファイル検索、ファイル名はレギオン」バザロフはウェブデーモンに音声入力でそう指示した。


「ファイル名、レギオン。検索を開始します」数秒の沈黙の後、人口知能はファイルが存在しないと応答した。

「なに? そんなはずはない、もう一度だ。ファイル名レギオン。L、E、G……」しかし帰ってくるのはそんなファイルは存在しないという答えだけだった。それは求めていた答えではない。バザロフの胸中に一抹の不安がよぎる。まさかまったく見当違いの物を盗んできたのではないかと。入念に情報収集してメンバーも選りすぐった。そして苦労して企業からウェブデーモンを奪取し、ムサシに密入国をした。費やした金もかなりの額になる。これで見つかりませんでした、ではスポンサーは納得しないだろう。


「ボス、見てほしいものが」

 悩みに頭を抱えているバザロフを、技術者の男が呼んだ。バザロフは眉間に皺を寄せたままコンソールの方へと近づいた。「どうした」「見てください、これを。対話インターフェースの感情値をグラフで表示してみました」


 コンソールのディスプレイに、時系列に沿って左から右へと線が伸びている。その二次元の水平線に、時折激しく隆起しているグラフが表示されていた。


「ああ、これがどうした」機械に感情だと? 訝しみながらバザロフもディスプレイに目をやる。


「このグラフのここと、ここ、それにここも。これに気づいたのは全くの偶然です。こんなことしたのも別に何か理由があったわけじゃない。ただ試しにモニタリングしていただけ、高度な人口知能なら、ひょっとして感情があるんじゃないかってね」男の声が熱を帯びる。興奮しているのだ。すぐ隣に立つバザロフにも伝わるほどに。


「落ち着け、もっと簡潔に話せ」


「じゃあ、そうだな、これを見て。さっきまでのボスと人口知能の会話の録音だ。これとグラフを組み合わせればきっとわかる」技術者の男はコマンドを入力し、先ほどのバザロフの会話をコンソールで再生、グラフと同期させた。


 録音ファイルが再生される。それに合わせて音声の波形がディスプレイ上に刻まれていく。

『……あなたを所有者としてみなすことはできません』ウェブデーモンの声の波形が一つ目のグラフの隆起部分に重なった。


『お求めのファイルは存在しません』一度目の検索結果を告げる人口知能の声に、二つ目の隆起部分が重なった。


『やはりそのようなファイルは存在しないようです』そして二度目の検索リクエストに返答したサンタ・ムエルテの声に三つ目の隆起が重なった。


 バザロフは、目の前に表示された情報に激しいショックを受けた。まさに自分自身の常識を打ち壊すようなそんな衝撃的事実だ。(そんなバカな。ありえない。これではまるで……人間じゃないか)彼は手を伸ばし、震える指先で画面の隆起グラフの頂点に表示されている文字を撫で、何度も心の中でその単語を繰り返した。それは、とても知的で理性的な、人間らしいふるまいをあらわす言葉。


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