第7話 誘拐

 協力関係を築いたセナとアレッサは、先頃の襲撃後、互いの情報を交換するために立ち食いスタンドで食事をすることにした。


「それで、監視カメラからは何か分かった?」


 アレッサの問いかけに、セナは手首に装着したウェアラブルデバイスを起動して空中に写真を投影した。写真に写っていたのは血色の悪い面長の顔に爬虫類のような目の男と、金色の挑発をした目つきの鋭い女だった。


「男の方はジャック、あたしたちをのしてくれた方ね。で、もう一人のわざとらしい金髪の方はクイーン。殺し屋ネットワークでは常に二人一組で行動するってことで有名な二人らしい。ロウを殺したのはたぶんクイーンの方、ガスマスクにワインレッドのスーツでばっちり映ってた」そこで言葉を切り、セナは冷えたグラスに注がれたチャを一口飲んだ。

「それで、そっちはどうなのよ。今分かっていることだけでも教えてよ」


「量が多いけど大丈夫かしら」そう言いながら、アレッサはセナの端末に、事件の経緯や実行犯やその他もろもろのデータが入ったファイルを送信した。


 その情報の量にセナは顔をしかめる。


セナが頭を痛めながら大急ぎで情報を読み込むのを、アレッサは創作ラーメンをフォークに絡めて口に運び、その光景を見守った。彼女がラーメンのスープを三割ほど飲んだところで、セナは大きく息をついて顔をアレッサの方に向けた。


「このバザロフって奴、ずいぶん凄い経歴ね」セナが感心したように言う。彼女の網膜ディスプレイには、砂の大地と青空を背景に白い歯を見せて笑う精悍な男の写真が映っている。


 ヨーラン・バザロフ、スラブ共栄連合(旧ロシア)出身の傭兵。元々は父親であるセリオが首魁であったネオコミュニズムグループに参加しており、過激派共産主義者の革命闘士であった。ヨーランは幼い頃から手先が器用で、成長してからは爆弾制作の才能を開花させ、建築物に対する深い造詣を身に着けた。成人後は革命闘士として政府施設の爆破など複数のテロに関与。そして、


「そして、テロリストとして名前が売れてきた頃になって突如、参加していたグループの本部施設を爆破。父親や仲間をまとめてあの世送りにすると、そのまま組織を出奔。それからは、あちこちで反政府組織のインストラクターなどのキャリアを積み今日に至る」そう言って肩をすくめると、アレッサはピッチャーから冷えた水をコップに注ぎ、一気に飲み干した。


「元テロリストの傭兵、嫌な手合いよ。個人的にはテロリストでいてくれた方がまだよかった。主義主張がはっきりしている事がほとんどだから狙いが掴みやすい。でもこいつは違う」


「判断基準は報酬の多寡。仕事に個人的動機を持ち込むとも思えないから、仕事の内容がわからなければ追いかけるのも難しいってことね」


「そういう事」アレッサが食事を終えて紙ナプキンで口を拭っていると、彼女の通信端末がコール音を響かせた。

「こっちも分析が終わったみたい。あなたも話を聞くでしょ? 通話を共有するわ」

 そう言って、アレッサは通話を共有状態にした。これで周囲に話を聞かれる事なく会話が可能となった。端末の向こう側にいるアレッサの仲間もすでにセナがアレッサと協力することになった事は承知ずみだ。


『報告してもいいかね、お二人さん。……よし、それじゃあ始めるぞ。まず、例の中継器のことだが、はっきり言うと追跡はかなり難しい。この端末以外にもかなりの数のサーバーを経由、おまけに何重にも暗号化されている。これを解析するくらいなら手当たり次第に街で連中を探した方が早いかもしれん』


「つまりは何も分からなかったと?」アレッサは落胆を隠そうともせずに言った。考えてみれば当然か。たかが中毒者のホームレスに、手がかりになりそうなデータの残る装置など渡すはずがなかった。そんなヘマをするくらいならば、バザロフはとっくの昔に檻の中だ。


『それがそうとも言えない。一つだけだが情報を見つけた。マスクだけで、暗号化は施されていなかったが、まあ見てみろ』

 端末に、新しい情報が送られてきた。所々をカンマで区切られた数字の羅列だ。


「これって、座標?」数字を見たセナが言う。


『そうだ。座標はあんたらの現在地点から十キロの地点を示している。高齢者向けの集合住宅だな』


「集合住宅…… なんでそんなところが? それにその情報だけが暗号化されていなかったなんて怪しすぎる」アレッサは、この座標データに何か作為的なものを感じていた。中継器ないに残された唯一の非暗号化データ。果たして追うべきだろうか。バザロフが深入りする者を炙り出すために仕込んだトラップの可能性もある。いや、その可能性の方が高いだろう。どう考えても明らかな罠だ。

「それでも、今はこの情報に頼るしかないか」小さいため息を吐いて、アレッサは立ち上がった。それにセナも続く。


 二人は路肩に停車していたレンタカーに乗り込み、座標の示す集合住宅へと向かった。




     ***




 古いロボット、直すのは簡単だが部品はもう生産されていない。これは苦労しそうだ。ゴンドー老人はペットロボの内部を覗き込みながら思った。近所の子どもから頼まれたロボットの修理。叶えてはやりたかったが金銭的な問題が発生する。さすがに子どもから巻き上げるのは気が引ける。


〈仕方がない、リサイクルショップを回るか〉

 痛む腰をさすりながら立ち上がると、ゴンドー老人はハンガーにかけておいた上着を着こみ、玄関の方に向かった。ロボットのパーツ探しも兼ねた日課の散歩に行くつもりだ。その時、タイミングを見計らったかのようにチャイムが鳴った。インターホンカメラの確認をするにはリビングに戻らなければならない。それを面倒くさがったゴンドーは、確認もせずに扉を開けた。


 立っていたのはがっしりとした体つきのクマのような男だった。ゴンドーは戸惑いながら男を見上げ、一歩後ずさった。どうにも嫌な予感がする。


「ゴンドーさん?」男が野太い声で言った。男の身長はゴンドーよりも頭四つ分高く、威圧感も強い。


「いや、ゴンドーさんは不在ですな。ワシはその、彼の友達で、留守番をしているんですな」

 ゴンドーは咄嗟に嘘をついた。彼の交友関係は狭く、借金もない細々とした年金暮らしだ。記憶の限りでは扉の外に立つ屈強な男に訪問されるような心当たりはなかった。


 ゴンドーの答えに男は薄ら笑いを浮かべて顔を横に向けた。ゴンドーからは見えないが、男の横から笑い声が聞こえる。その数から、男には二人の仲間がいるようだった。

「いいや、ゴンドーはあんただ」男は視線をゴンドーの方に戻す。その顔からはすでに笑みが消えていた。


 身の危険を感じたゴンドーは、咄嗟に握ったドアノブを力いっぱい引いた。しかし扉は閉まらない。目線を落とすと、男の足がいつの間にか隙間に差し込まれていたことに気づく。


 判断を間違えたことに気づいたゴンドーは舌打ちをした。男の太い手が伸びる。抵抗を試みるが、老人と逞しい肉体を持つ男盛りでは力の差は一目瞭然。彼はなすすべもなく乱暴に担ぎ上げられ、頭にズタ袋を被せられた。身体中の関節が悲鳴を上げ、痛みが走る。彼は力いっぱい叫んだ。気づいてくれれば誰でもよかった。気づき、誰かが警察に通報してくれることを祈りながら、ゴンドーは体を動かしながら叫び続けた。




    ***




「何か聞こえた気がする」

 そびえ立つ二十二階建てのビルディングを見上げながらセナが言った。

「何処からよ」

「それは分からない」

 アレッサは肩をすくめると階段へと歩き出した。その後にセナも続く。二人は高齢者向けに設計された段差の低い階段を数段飛ばしで登っていき、数分で目的地の階層へとたどり着く。うすら寒い空気の漂う人気のない廊下が続いている。


 廊下を進み、目的の部屋に近づくと、二人は拳銃をホルスターから引き抜いた。罠を警戒しての行動だ。部屋の玄関扉が半開きになっているのに気付いたセナは、アレッサに声を出さないようにジェスチャーを送る。二人の緊張の線が張り詰める。


 セナがドアノブに手をかけた。勢いよく引き開けるのに合わせてアレッサが室内へと拳銃を向けて警戒しながら中へと入っていく。


 室内へと土足で踏み込んだアレッサは、鼓膜が震えるほどの静寂に包まれたリビングを見た。作業台や一人用のソファ、所狭しと置かれたコンピューター機材と金属パーツ。ごちゃごちゃとしてはいたが、部屋は住人のこだわりに基づくある種の秩序性があり、荒らされている様子はなかった。人も手がかりらしき物もない事を確認したアレッサは玄関へと引き返した。


「誰もいない。たぶん遅かったみたいね」そう言いながら拳銃をホルスターにしまうと、アレッサは腰壁に寄り掛かる。

「これからどうする? 聞き込みでもしてみましょうか」


 アレッサが首を横に振る。「ムダだと思う。ここ、住人は三分の一しか居住していないの。この階もこの部屋以外誰もいないし、ほかの階だってほとんど住んでいない。やってみてもいいけど、無駄足になるでしょうね」


 当ての外れた二人が元来た道を引き返そうとすると、地上から、甲高いが低くもある男性の叫び声が聞こえてきた。


 その声を聴いた二人が手すりから身を乗り出して階下を見る。地上にはバンが停車しており、頭に中途半端にずり上がったズタ袋を被せられている人らしきシルエットが、三人の男によって車の中に押し込められようとしていた。明らかな異常事態。状況的に、もぬけの殻となった部屋の住人に違いない。


「急いで追いかけなきゃ!」そう言ってアレッサが階段の方へと駆けだそうとするが、それとは反対にセナはその場から動かずにじっと地上を見つめていた。

「何をやってるの⁉ 急がなきゃ逃がしてしまう!」

 セナは焦るアレッサの方をちらりと見てから視線を地上に戻した。


「ちょっと、まさか本気じゃないでしょうね?」

 アレッサの問いにセナは答えない。何事かぶつぶつと呟いている。そして、セナは姿勢を正し深呼吸を数回すると、意を決して手すりを腕の力だけで乗り越えた! 手すりから手を離すのとほぼ同時のタイミングで、彼女の体は重力に従い地上へと落下していく!


「バカ!」咄嗟に悪態を吐きながら、アレッサが手すりから身を乗り出す。既にセナの姿は数メートル下だ。

「なんて無茶な。ここ地上六階なのよ……」セナの無謀さに驚きながらも、アレッサは彼女の降下方法に目を丸くしながら独り呟いた。


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