第6話 手落ち手打ち

 その獣は、地上から十メートルはあろう高さの倉庫の屋根で佇んでいた。黄色い爬虫類のような瞳が見つめるのは、屋根の割れた天窓の下にいる三匹の獲物。獣の役目はこの獲物たちを排除することだった。


 獣は顔をしかめた。右耳に装着したイヤホンが震えたのだ。これがどうにもむず痒く、中々慣れなかった。


『……仕事の時間だ、ジャック。準備はいいか?』冷徹な雰囲気をまとう女の声がイヤホンから発せられる。


「GRRRR……」

ジャックと呼ばれた獣は喉を鳴らしてから首をゆっくりと縦に振って応答する。言葉は使わない。彼の見る光景は、イヤホンの向こうにいる彼の主にも見えていた。二人は一心同体だ。距離は問題にならない。


 ジャックが天窓へとジャンプした。窓が呆気なく割れる。彼はキラキラと舞うガラス片と共に地上へと落下していった。その頑強な四肢を広げながら。




    ***




 アレッサとセナの二人は、ガラスの割れる音を聞いて上を見た。次にキラキラと光りを反射するガラス片が空中に作る痕跡を目で追って、そしていつの間にか倉庫の入り口の近くに陣取り、身を低くして着地姿勢をとる顔色の悪い男、ジャックを見た。


「あんたの仲間?」

 セナは拳銃をジャックに向けながらアレッサに訊ねた。

「いいえ、知らない。あなたの友達かと思った」

「まさか、倉庫の天井から降ってくる友達なんていないね」


 アレッサがセナの横に並んだ。背後ではロウが怯えた声を出している。二人とも薄々気づいていた。眼前の白髪に黒の混じった髪を前に垂らした男が、どちらの味方でもないことを。理由はとくにない。ほとんど勘だった。そしてその勘は正しかった。ジャックはコア・ロウの始末のために送り込まれた殺し屋で相違なかった。



『ジャック、最優先目標はコア・ロウだ。他の二人は障害になりそうなら排除しろ。適度に煽って目標を追い立てるんだ』


『了解だ…クイーン…』ジャックは主の命令を了承して、コンクリートの固い床を力強く蹴った。


「来るよ!」

 二人の役割分担は打ち合わせもなくごく自然に行われた。アレッサが後方にて支援射撃。セナが前衛で迎撃だ。


 ジャックの大きな手が振り上げられる。その爪は鋭く研がれたテクタイト合金製。鉄板程度は易々と引き裂く切れ味を持つ。


 鋭い爪の一撃がセナめがけて振るわれる。風切り音がするほどの素早い横なぎを間一髪で回避。セナが横に転がり脱出。射線が開ける。そこにすかさずアレッサが援護射撃を見舞った。銃声と共に何発もの弾丸がジャックの胴体へと撃ち込まれる。しかし効果はなし! 弾丸はジャックの体を貫くこともなく、ポトリポトリとコンクリートの床へと落ちた。 


「何なのコイツ⁉」アレッサは驚きながらも射撃を続行する。彼女の銃に装填されている対サイボーグ戦を視野に入れた特殊九ミリ弾は、多くのサイバネボディに採用されている特殊プラスチックの破壊に最適化された構造を持つ弾丸だったが、ジャックの肉体にはどうにも効果が薄いようだった。


 これは彼が生身の肉体を持つただの殺し屋である事を意味するのだろうか。いや、そうではない。考えてみてほしい。ただの人間が五メートルの高さからフリーフォールをして無傷でいられるだろうか? 九ミリ弾を何発も体に受けて跳ね返せるだろうか? そんな人間が存在しないことは、皆さまもよく理解しているだろう。であればその正体は自ずと絞られてくる。ジャックはサイバネ置換とは別系統の人体強化を施された強化人間である可能性が高かった。


 弾丸を意に介さずに、ジャックはどんどんと前に進む。その背後からセナが銃撃を加える。九ミリ弾の時とは異なり僅かによろめきはしたが、それでも彼の動きを止めるには不十分だ。

 素早くセナが跳躍してジャックめがけかかと落としを放った。銃撃では大した有効打を与えられなかったが、重サイボーグのボディを利用した格闘攻撃であれば、肉体の内部に大きな衝撃が伝わり無視できないダメージを与えられるはずだと考えたのだ。


 セナの足がジャックの肩を捉える。彼女は手ごたえを感じた。しかしその瞬間、ジャックの大きな手がセナの足首を掴んだ! そして彼は振り向いて無造作にセナを投げた。 


「うおおおお!」

 ジャックの恐るべき膂力によって、セナは絶叫を上げながら体を大の字に広げてスリケンのように飛んで行った。


 ジャックはその様子を確かめることなく、電磁警棒を振り上げるアレッサに目を向けた。警棒の端子がバチバチと音を立てる。ジャックはそれを躊躇なく掴む。電撃が彼の手のひらを通じて全身に駆け巡るが、意に介さない。


 ジャックが手を振り上げた。彼の鋭い爪の一撃を受ければ、重傷は免れない。アレッサはすぐに警棒から手を放し、距離を取った。

〈左っ!〉


 だが一歩遅い。アレッサの行動を予測していたのか、ジャックの左腕が彼女の体を捉え、そのまま真横へと振るわれた。アレッサの体が硬いコンクリートの床に打ち付けられる。衝撃で肺から空気が吐き出され、彼女の体は痛みをこらえるために自然と胎児のように丸まった。


「アイエエエ!」

 暗殺者がロウに迫る。現実から目を背け続け、酒に溺れてきた彼の精神はすでに破綻寸前だ。彼のなけなしの本能は、逃走という選択肢を彼に選ばせた。

 足をもつれさせ、無様な悲鳴を上げながらも、彼は奇跡的にジャックの隙をつき横を通り抜ける。そして彼の保護のため戦い、結果として現在地面に倒れているアレッサの横を、ようやく脳震盪から立ち直り身を起こしているセナの横を、わき目も振らずに駆け抜けた。


『予定通りにそっちへ行った』

 ロウが逃走するのを確認すると、ジャックは外で待機しているはずの主へとメッセージを送った。これで自分の仕事は完了だ。叩き伏せた二人には目もくれず、ジャックはその場から素早く離れた。


 セナとアレッサが立ち直った時にはすでに彼の姿はなかった。そして目的の男にも逃げられた事を察した二人は、大急ぎでロウの後を追いかけて走り出す。


 倉庫から出て五分後、二人は血を流しながら地面に転がるロウを発見した。すでにその目には生気がなく、胸には二発銃弾を受けた事を示す傷があった。


「やられた……」アレッサが悔しそうに呟く。手がかりを得られそうな所でみすみす逃したことに、彼女は我慢がならなかった。


 その横でセナが小さくため息を吐く。そしてしゃがんでロウの骸を観察し始めた。セナのアイインプラントの分析ソフトが弾丸の口径を判別する。二十二口径。威力は控え目だが、人を殺すには十分な弾丸だ。

〈他には何か〉セナは周囲を見回して、自分の位置から右斜め後ろの電柱からぶら下がる監視カメラを見つけた。まだ終わりではない。警察から報酬を得るにはもうひと働き必要だ。運が良ければ映像から暗殺者を特定できるかもしれない。セナは立ち上がり、アレッサの方を見た。


「何か見つけたのかしら? 傭兵さん」意識して落ち着こうと努めながらアレッサはセナに問いかけた。

「そんな対した事じゃないよ、エージェントさん」


「別々に追いかけるなんて非効率。そうよね」

「分かってるじゃない。エージェントはもっとお堅いかと思ってた」


 二人は一瞬だけ睨み合い、そして握手を交わした。


「非常時はそうでもないわ。私が情報を、あなたにはその腕っぷしを提供してもらいたい。いいかしら?」

「ええ、喜んで」


 今この時、セナ・リンゴとアレッサンドラ・シッショリーナの協力関係が構築された。


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