第5話 二人の女戦士

『真昼の人質事件、実際コワイ!』『これは家族関係の悪化による突発的な犯行なのでは?』『ですがねマモト=サン、わざわざこんな往来でやりますかねえ。私にはどうも別の原因があるように思う』ワイドショーのコメンテーターたちが口々に無責任な推理を披露している。


 ある者が陰謀論めいた説を繰り広げ、またある者は人質事件の犯人は精神病失者だったのではないかと飛躍した論理を展開する。そんな大勢の自称知識人たちを、ベテラン司会者が次々とさばいていき、最終的に警察の発表を待つというお決まりの結論に話題を誘導した。


 アレッサンドラ・シッショリーナは、手に持ったリモコンを操作して、テレビのチャンネルを他の番組に変えた。現在は朝のワイドショーの時間だ。どこを切り替えても人質事件に関する似たり寄ったりな番組内容を放送している。


 アレッサはため息を吐くと、リモコンを豪華な装飾の施されたテーブルに置いて広いベッドに身を投げ出した。柔らかなシーツの感触を全身で感じながら、彼女は己の任務を再確認する。

 ヨーラン・バザロフ、通称イスクラの捕縛と強奪したウェブデーモンの破壊もしくは確保が最終的な目標だ。そしてそのためには連中の居場所を補足しなければならない。やることが山積みだというのに、人手は泣きたくなるほどに足りていなかった。情報のバックアップは受けられる手筈だが、現場で動くのが自分一人というのはどうにも心もとなかった。


 その時、アレッサの右耳小骨が微振動した。同時に網膜ディスプレイにも着信を告げるメッセージが届く。バックアップメンバーの一人からの連絡だ。


『なんの用?』アレッサは枕に顔を埋めたまま言った。発話は必要ない。


『新しい報告がある。テレビは見たか?』


『さっきまで情報収集も兼ねて見ていた。一局を除いてどこも人質事件の事で持ち切りみたいね』


『その人質事件に、ウェブデーモンが関わっている可能性が出てきた』


『へえ、』


『MPDの無線を盗聴していたところ、人質事件の犯人は体の制御が奪われた旨の発言をしていたそうだ』


『予想よりも動きが早いね。連中は既にプロテクトを破っているかしら』


『いや、それはないだろう。あのプロテクトは電子的ロックと物理的ロックが何十にも施されている。危険度の低いプログラムから順々にな。正規の手順を踏まえなきゃ、精々、人間数人を操る程度しかできないだろう。本領を発揮させたいならすべてのロックを解除するしかない。そして、すべてのロックの解除はどう頑張っても二週間はかかる』


『なら、今日を入れてすでに三日経過しているから、タイムリミットはあと十一日ってところか』思ったよりは時間があったが、ゆっくりとはしていられない程度だ。


『そんなところだな。こちらも引き続き……おっと、ちょっと待ってくれ。今新しい情報が入った。警察が重要参考人らしき人物を割り出したらしい。情報を送る。連中はオンブズマンを派遣するようだ。先に確保されると厄介だ。すぐに動いた方が良い』


 数秒後、切り抜かれた監視カメラ映像付きの参考人の情報ファイルが受信された。

アレッサはベッドから体を起こしてバスルームに向かった。先ほどから衣類は何も身に着けていなかったため、バスタオルだけを持って直行するだけで済む。


 背の高いシャワーが熱いお湯を吐き出し、アレッサは全身でそれを浴びる。その間にも、彼女は網膜ディスプレイに映った、送られてきた情報を隅々まで読み込んでいた。


〈なるほど。確かにこれは何か関わりがありそうな顔ね〉映像には事件を見物している野次馬が映っている。誰もが興味深々に見ている様子だが、一人だけ明らかに様子のおかしい男がいた。忙しなく周囲を伺い、しきりに手元を見ている。目には恐怖の色が浮かんでいるが、現場を立ち去るつもりはないようだ。

〈観察している? そうじゃない。何か近くにいなければいない理由があるのか〉

 人質事件の犯人が確保された。捕まえたのは警官ではない。女性だ。足取りから高度なサイボーグである事がうかがえる。大捕り物が終わった事を察した市民たちが現場から離れていく。それに紛れるように参考人の男も慌てながら離れていった。

〈確かに、これはあからさまだね〉


 書類の方には、男の詳細なプロフィールが記載されていた。どうやら前科者らしい。企業での横領、解雇のち窃盗。現在はアルコール依存でホームレス。とてもテロに加担できるような人物とは思えなかった。

〈だとすれば雇われただけの使い捨てってところかしら〉有益な情報が得られるとは思えないが、今は細い線をたどるしかない。書類には男が住み着いている廃倉庫の住所もあった。まず向かうならばそこだろう。


 アレッサはシャワーを止めて、バスタオルで体中の水気をふき取ってから、動きやすい服に袖を通して拳銃を腰のホルスターに差し込んだ。準備は万端だ。すでにムサシの地図もダウンロードしてある。


 彼女はホテルの受付に部屋の掃除が不要であることと外出する事を告げ、ホテルから参考人の住処に向けて出発した。




   ***




 人質事件の犯人が確保された翌日、セナの端末にMPDのヨコタから連絡が入った。

「もしもし、現在留守にしております。ご用の方はメッセージをどうぞ」タワラ君のボタンを押してオニギリが出来上がるのを待ちながら、セナは言った。


『もしもしって言っている時点で留守電のフリはできないぞ。こっちは仕事を持ってきたんだ。もう少し丁重に扱ってくれ』


「はいはい、こっちは別に頼んでないけどね。それで? 仕事の内容を聞こうじゃない」

〈おはよう、オニギリができたよ! オニギリを食べてボクと一緒にライスボール将軍を倒す旅に出よう!〉録音されていた子ども向け音声が再生されると同時にオニギリディスペンサータワラ君の腹部からオニギリを載せた引き出しがせり出した。セナはそれを手に取り齧りながら通話を続けた。


『簡単に言えば、昨日の事件はただの人質事件じゃないことが発覚した。それとそれに関わっていそうな奴を監視カメラ映像で見つけた。あんたにはそいつを捕まえてほしい。オンブズマン、クラスⅡ、セナ・リンゴへの依頼だ』


「オーケー、じゃあその捕まえる奴の事を教えて」


『コア・ロウ、三十四才の無職男性。何度か軽犯罪で捕まっている。住処はケンゼン通りの廃倉庫。仲間のホームレスと暮らしているらしい。詳しい事は資料を送る、確認しておいてくれ』


「了解。そういえば聞きたいんだけど、捕まえたらそっちからは警官が来るの? それともこっちから連れていく方がいい?」


『ああ、あんたが署まで連れてきてくれ。捜査は刑事課が担当。俺たち下っ端は朝から企業やら工事現場からの窃盗事件の対応に当たっていててんてこ舞いで手が離せない。まあいつも通りってことさ。それじゃあよろしく』


 通話が終わると、資料の添付されたファイルが端末に送られてきた。セナはそれを確認しながら冷蔵庫内の煮物が入ったタッパーを取り出して冷蔵庫の扉を尻で閉めると、ソファに勢いよく座って朝食を取り始めた。




    ***




 食事を終えたセナは、愛車のレックウを飛ばして情報にあったコア・ロウの隠れ住む廃墟へとやってきた。周囲も同じような倉庫街でかつては企業倉庫と同じような場所であったが、過去にシェアの大半を奪われて放棄され、今は荒れ果てている。大半がホームレスの住処だ。


 ドラム缶に廃材をくべて焚火をしているホームレスたちに、セナはロウの居場所を訊ねた。突然やってきたよそ者を警戒しながらも、彼らの一人が無言で立ち並ぶ倉庫の一つを指さす。セナは礼を言うとそちらへと向かった。


 倉庫に近づくと話し声が聞こえてきた。怯える男の声と女の声だ。念のためにセナはオブシディアン球体めいたフルフェイスヘルメットを装着してから倉庫内を伺った。


「ア、アイエエエ…」コア・ロウは体を丸めて怯えた声を出す。手はアルコール中毒によって震え、目は真っ赤に充血していた。左足のサイバネ脚も外装が所々剥がれてボロボロだ。


〈ダメだ。話にならない〉警察に先んじてロウへと接触したアレッサだったが、肝心のロウが目の前で体を縮こめて怯えているせいで何も聞き出せずにいた。ようやくついさっき、話が聞ける程度にまで気持ちが落ち着いてきたところだ。


「知らなかった…… ワタシは知らなかったんだ。小遣い稼ぎとしか思っていなかった。だってそうだろう。あんなに小さな箱で人間を、いや、サイバネを操ることが出来るなんて思ってもみなかった。これがどんなに難しい事か分かるか? ワタシはあのセイロンサイバネティクスにいたんだ! だからこういう事には詳しいんだ!」


「横領して解雇されたくせによく言う。おまけにあんた経理でしょうに。それでこれね? 言っていた箱って言うのは」


ロウの妄想めいた話を話半分に聞きながら、アレッサはコンクリートの床に置いてある小汚いリュックサックの中身を探った。少しもしないうちに、男の話していた小さな箱が見つかった。箱は手に収まるサイズで、各部に取り付けられたスイッチから、電波中継デバイスの類であると思われた。


〈ハッキングする大元が重要であってハードは大した問題ではない、か……〉小箱自体にはそれほど大した価値はない。真に価値あるのはこのデバイスが中継したデータだ。必要な情報が取り出せるかは不明だが、逆探知の足掛かりにはなるだろう。そう判断したアレッサは、デバイスを身に着けたジャケットの内ポケットにしまい込んだ。


「動くな!」

 直後、背後からセナの鋭い声が飛んできた。アレッサは一瞬だけ身をこわばらせながらも拳銃を電撃的速度で引き抜き構えて振り返った。すでにその顔には目元までを覆う戦術簡易バイザーが装備されていた。


 はじめに目に付いたのは大型の自動拳銃。そして次にオブシディアン球体めいたフルフェイスヘルメットだ。その姿はアレッサと対照的だった。一方は黒のヘルメット、もう一方は白のバイザーである。


「あなた何者」コンパクトにまとまりながらも申し分ない装弾数と攻撃力を持つ傑作ハンドガンの銃口を向けながらアレッサが言った。


「人に聞く前にまず自分から名乗ったらどう?」対してセナもハイパワーと継戦能力を高いレベルで統合させた大型拳銃を構えながらアレッサに応える。


「名前は名乗れない。だけど私は捜査機関の人間よ。それだけは約束できる。彼には捜査上の必要な事情をインタビューしていただけ」


「あらそう、よければどこの捜査機関か伺ってもいいかしら。あたしはオンブズマンで、MPDから重要参考人を連れてくるように依頼を受けているの。応援が来るとも先に来ているとも聞いていない。別の組織が介入するともね」


 剣呑な雰囲気が漂う。互いが互いを油断できぬ相手であると認識している。一方は頑強さに秀で、一方はスピードに秀でていた。


 セナが先んじて動いた。威嚇射撃を行いながら前に出る。アレッサの顔に向けてハイキックを放つ。それをアレッサは身を屈めて回避。バイザーに搭載された戦術ソフトが、敵対者が重度サイボーグである事を知らせる。サイバネはアップデートされた人体であるという見方もある。実際、格闘においてサイバネ四肢は驚異的だ。民間モデルであっても、自壊を考慮しなければ拳の一撃でコンクリートをも砕く。当たるのは危険だ。アレッサは回避に専念した。


 蹴りを避けたアレッサは、身を屈めた姿勢でセナの足をすくいあげるようにタックルした。セナの右足が刈り取られ宙に浮き、バランスを崩して背中から地面へと倒れる。しかしその直前にセナは左手を地面につき体を捻って身を起こした。両者一歩も譲らず。タツジン! 互いの距離はほぼワンインチだ!


「中々やるね」

「そっちこそ」アレッサが不意打ち気味に拳銃のグリップをセナのヘルメットに叩きつけた。最善は脳震盪。それが困難でもひるませるぐらいはできるだろうという算段だ。しかし、セナはそれを意に介さずに握りしめた左拳をアレッサのバイザーへとぶつけた。セナのヘルメットは本来エグゾアーマー搭乗時に使用するプライマルスーツの一部であり、激しい動きや攻撃に晒される装着者の身を保護する衝撃吸収機構を備えたハイテック装備だったのだ!


 セナのカウンター攻撃をくらい、アレッサのバイザーが砕ける。彼女は死を覚悟した。今のパンチを生身に受ければ致命傷は免れない。

 だが、とどめの一撃をセナが放つことはなかった。彼女は拳を振り上げた状態のまま固まった。


「アレッサンドラ?」戸惑いの声だ。ヘルメット越しにも困惑しているのが見て取れる。


「なぜ名前を…」バイザーの残骸を顔から落としながらアレッサも目を瞬かせる。オブシディアン球体めいたヘルメットが収納され、セナの素顔が露になる。アレッサの表情が驚きに変わる。「セナ? 空港で子どもの見送りをしていた?」


 二人の女戦士は、困惑の眼差しで互いを見つめた。



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