第4話 二つで十分

「はい、おまちどう」大衆スシバーマグロツキジの店主が、その大きく太い手に持ったドンブリをカウンター席に座るセナの前に置いた。


 ドンブリには白米が、その上には米を覆い隠すように黒く四角い物体四個が盛られていた。サイボーグ向け高栄養ペーストと魚介のすり身を練り合わせた物を成形ののちショーユと砂糖で甘辛く味付けして表面がパリパリになるまで焼いた食品、ナゾ肉だ。その黒々として硬くコーティングされた表面から生み出されるグロテスクな見た目とは裏腹に、短時間に大量のカロリーを摂取できて安価であることから、セナは外食するときはこのナゾ肉ドンブリを好んでよく食べていた。


 ナゾ肉にかぶりつくセナを見て、店主が呆れたようなため息をついた。本来ならばこのドンブリにはナゾ肉は二個しか載っていなかった。それ以上だと過剰な栄養の摂取で逆に体調を崩すことになってしまうからだ。ナゾ肉が原因の事件は、過去に数度起きている。ムサシ行政府も一度に提供できるナゾ肉の量を制限している。


 ナゾ肉は元々、戦後の食べ物が安定供給されていなかった頃に軍隊の放出品と魚のすり身を合わせたのが始まりの闇市料理だ。そもそもが栄養状態を保つための苦肉の策。常食にするような物ではない。


 だが、それをセナは無理を言ってプラス二個トッピングしてもらっているのだ。初めのころは「二つで十分ですよ」だとか「わかってくださいよ」などと店主も言っていたが、今はもういちいち止めるようなことはしない。どうせ無駄であると理解しているのだ。


 ザクザクと歯ごたえのある音をさせながら咀嚼しているセナから目を外し、店主は天井から吊るされているテレビに目をやった。放送しているのは昼のニュース。ドローンによって撮影された空撮ライブ映像が流れている。


「あん?」サバスシを食べていた常連の客がテレビを見て眉をひそめた。「なあオヤジ、今映っている所、なんか見覚えねえか?」


 客に言われて、店主も目を凝らして映像を見る。車道側には車やバイクが止まっている。路上駐車可能エリアだ。駐車している車両の陰に複数の人がいるのも分かった。MPDのパトロールオフィサーたちだ。そして彼らの向かい側、商店の立ち並ぶ広い通りでは何者かが立っている。画面の上端では「衝撃! 往来での人質事件か⁉」と扇動的書体のテロップが踊っているところからして人質事件なのだろうと、店主は推測した。最後に商店の方に目を向ける。「ワカモト」「ランペイジソバ」「オミヤゲ」の看板が見えた。

「これすぐそこの通りだよ」店主が言った瞬間、幾人かの客が野次馬目的で外へと向かった。


 同じくテレビを横目で見ていたセナも、急いでドンブリをかき込むとドンブリと代金のトークンをカウンターに置いて、大急ぎで店を後にした。

 走る、走る、走る! 食事を終えたばかりだというのにセナは駆けた。焦りの表情が顔に浮かぶ。一体何が彼女をそこまで駆り立てるのか? 答えは先ほどのライブ映像にある。食事に集中しながらも、彼女は視界の端でそれを捉えていた。自身の愛車である自立思考型大型モーターサイクル「レックウ」の群青色のボディを弾除けの盾として身を隠す警官の姿を! 


 事件の現場までは五分も離れていない。セナはサイボーグ特有の理想的ランニングフォームで急行する!


 パンッ! パンッ! パンッ! 散発的な銃声がするたびに、周囲に集る野次馬の間から悲鳴が聞こえてくる。


「ヤメロー! ヤメロー!」右手で拳銃を振り回し左腕で子どもの首に手をまわして捕えた両腕サイバネ義手の男が叫んだ。額には大粒の汗が浮かぶ。その様子を、捕えられている少女が心配そうに見つめている。

「パパ……」この二人は親子関係なのだ。


「今すぐ銃を捨てなさい! 今なら間に合うから!」

 警官の一人が説得を試みた。だが、娘を人質に取っている父親は目を赤くして泣きながら首を横に振った。

「無理だ。身体が、身体が言うこと聞かない。助けてくれ! ボクはどうなってもいいから、娘を助けてくれ!」


〈あいつは何を言っているんだ?〉MPDの巡査、ヨコタは犯人から目を離さずに心の中で呟いた。自分で人質を取っているくせに助けてくれだと? なんと馬鹿馬鹿しい話だろうか。まさか電脳へのハッキング攻撃。聞くところによると、無差別にハッキングを仕掛けて一般人に犯罪行為をさせる輩もいるという。まさかそれか? ヨコタの緊張状態の脳が、グルグルと回転して思考迷路にはまりかける。その時、横から物音。彼は反射的にそちらに銃を向けた。


〈セナ・リンゴ…か?〉見ると、駐車された車の陰で身を隠しながら、見知った顔がこちらに近づいてきていた。


 ヨコタがこちらに気づいたことを察したセナは、途中で足を止めると手を動かしてヨコタに訊ねた。

〈何があった?〉


 セナの問いにヨコタも同じように手話で返答する。

〈人質事件。犯人は父親、娘が人質〉

 サイボーグ技術が一般化した昨今では、身体に注入したマイクロマシンを利用してのネットワーク通信が普及しているために手話などの言語はソフトウェアのインストールによって容易に取得可能だった。


〈変な事件だ。男の妻は保護したが、夫が急に近くの店のガードマンから銃を奪ったと言っている〉


〈突発的な犯行か。原因は分かりそう? 家庭内不和とか〉


 ヨコタが首を横に振って否定する。

〈これは勘だが、たぶん違う。今では錯乱しているが、最初の方ではこちらの問いかけに冷静に答えていた。それで言ったんだ。「体が操られている」と…… もしかしたら電脳攻撃かもしれない〉


 ヨコタの説明で事態をおおむね把握したセナは男の方を見た。身体が操られている。どうやら、その言葉は嘘や思い込みの類ではなさそうだった。男性は大粒の汗を流して目を見開き、恐怖あるいは疲れからか体を震わせている。なのにサイバネ義手の右腕は一切微動だにせず娘に銃を突き付けている。腕自体が意思を持ちバランスを取っているかのように見えないこともなかった。


 再び銃声が響く。警官たちは乗り出しかけていた体を素早く隠れ場所に引っ込めた。弾丸が、群青色をしたバイクの装甲に当たり跳ね飛ぶ。その光景を見て、セナの顔が苦々しい表情になる。早くしなければ。セナは思った。このままでは愛車にさらなる損傷が加わりかねない。それはなるべく避けたい事態だった。


〈手伝おうか?〉手話でセナが言う。


〈それはありがたいが、なんで関わりたがるんだ?〉ヨコタの知る限りでは、セナはこのような事に自分から関わる事をしない人間だ。求められれば応じるが、自分から手伝いを申し出る事はめったにない。あったとしてもその時は決まって何か途轍もない事件やら陰謀やらが絡んでいた。まさか今回の人質事件もそうなのか? ヨコタは不謹慎ながらも興奮気味に訊ねた。彼は趣味で冒険小説を執筆しているのだ!


〈馬鹿かお前は、あんたらが盾にしている車両の一つがあたしのバイク。とっとと犯人捕まえるかと思ったら何にもできてないから手伝いに来てやったんだ。下手な事しやがって。もうすでにうちのバイクくんに弾が当たってんだよ。とっとと働け。もっと警官集めろ〉セナはヨコタを睨みつけながら力強い動作で次々と手話を紡ぐと、最後に中指を立ててみせた。


〈あのなあ、MPDの予算が今年どれだけ削減されたか知ってるか? 七人でも集まった方だよ。まあそのことはいい。手伝ってくれるならありがたい。仲間にもこのことを伝えておくよ〉ヨコタは無線機でほかの警官にセナが助っ人に来たことを連絡した。


〈連絡はしておいた。それで? どうやって犯人を捕まえるんだ?〉


〈まあ見てなさい。あんたたちは適当に注意を引いておいてちょうだい〉


〈了解〉


 セナは、犯人の男に姿を晒さぬように注意しながら野次馬の中へと身を滑り込ませると、男の背後を取れる位置へと移動を始めた。男は極度の緊張による高ストレス状態で、今にも銃を乱射してしまいそうな様子だ。時間はあまり残っていない。




 男は、混乱する理性をなんとか御しながら泣いていた。過呼吸ぎみになった身体が震える。指先がひどく冷たかった。左手の感触から、彼の娘が震えているのを感じた。男は心の中で詫び続け、娘を危険な目に合わせた自分を呪った。こんな目に合わせてすまないと。こんな事態になった理由探しはすでに止めていた。どうせ自分に分かるはずもない。半ばやけくそ気味になりながらも、男はなんとか理性を保とうと努めた。そうしなければ、自分のものであるはずの右手が銃の引き金を引いてしまいそうに思えたからだ。


 不意に右腕が動いた。そして腕を振る勢いで振り向くと、背後にむけて銃が発砲される。めちゃくちゃな体勢で撃ったために男は右肩に衝撃をダイレクト受けてよろめいた。彼は背後から接近してきていたその人物に気づいてはいなかった。足音に気づきもしなかったし気配を感じとったわけでもなかった。しかし彼のサイバネ右腕は違った。いかなる方法か、腕は敵対者の存在を主よりも早く認識し攻撃を行ってきたのだ。


〈気づかれた⁉〉

 すでに走り出していたセナは心の中で驚きの声を上げながら、弾丸を間一髪のところで躱した。気配と殺気を消しての接近を気取られた事は彼女に少なくない動揺をもたらしたが、もはや立ち止まり引き返す事のできるラインを越えており、このまま続行するしかない。


 二発目の弾丸が放たれた。今度は顔面への直撃ルートだ。だが、弾丸がセナの頭を砕くよりも前に、彼女は身を屈めてスライディングをきめた。弾丸を再び回避したセナは勢いをつけて脚力のみで身を起こし男に飛び掛かり、手刀で男の右手に強力な一撃を見舞った。


「アバーッ!」

 男が悲鳴を上げて拳銃を手放す。セナはすばやく男の腹に蹴りを叩き込むと、娘を彼から引き剥がした。男がよろよろとうつ伏せで地面に倒れる。セナがその背中に膝を押し付ける。彼女は男の頭を掴んで押さえつけると、耳の裏に開いたネット端子にケーブルを接続した。瞬間、セナの意識が引き延ばされる。一秒が一分に、一分が十分に引き延ばされていく。セナのインターネット代理体たるドローンが男のローカルネットに侵入すると、アンチウィルスプロテクトを解除し、携えてきた拘束プログラムを起動。男のネットワーク内に広がっていった。これで男は一時的な失神状態となり無力化されるだろう。


 男を大人しくさせたセナは接続を解除するためにドローンに帰還指示を出した。その時、ドローンへとまっすぐに信号が接近してきた。まさか攻勢プログラムか。セナの脳裏に一瞬よぎる。だが、何かがおかしい。ドローンを守護するプログラム(通称ボディガード)が一切の反応を示していない。プロテクトを掻い潜り攻撃を加えてくるタイプがないでもなかったが、男の使用しているソフトは補助電脳に初めから搭載されているごく一般的なものだ。ボディガードをすり抜けるような挙動をするものではなかった。


 ドローンが接近してくる信号めがけて攻勢プログラムを展開。弓矢のイメージがネット空間に複数現れる。弦が引き絞られてつがえられた矢が一斉に放たれる。


 鋭き雨が信号へと飛ぶ。しかし信号は間断なく降り注ぐ矢の雨を軽々と回避。一気に肉薄した。

〈まずい! 早くログアウトを!〉


 咄嗟にセナはケーブルを引き抜いた。速やかにドローンがネットからログアウトして、意識が現実世界に帰還した。同時に自動診断ツールが立ち上がりネットウイルスの感染有無を精査する。


「大丈夫か⁉」呼吸荒く飛びのいたセナの様子に慌てたセナに、ヨコタ警官が心配そうに声をかけた。


 セナが気づくと、周囲はすでに警官によって囲まれており、男も手錠によって拘束されていた。娘も保護されて野次馬もまばらになってきている。


「おい、聞いてるか?」


「え、ええ。犯人は?」


「あんたのおかげだ。犯人は確保。人質も無事に保護された」


「そう。よかった」頭を振ってセナは立ち上がった。まだ少し眩暈がした。彼女は足取り重く愛車の方へと歩きだした。


「大丈夫なのか? ふらついているぞ。救急車がいる。一緒に乗っていったらどうだ」心配したヨコタが提案する。彼女は首を横に振って静かにそれを拒否。歩みを再開した。


「何か分かったらまた連絡する! いいな!」


 ヨコタの大声にセナは右手を上げて返事をして、バイクに跨った。見たところ、車体に傷は一つもついていない。運の良いことだ。そう思いながら、彼女はバイクを発進させた。




 バイクを走らせながら、セナはネットでの出来事を思い出した。あの信号は一体何だったのか。あれには悪意も敵意もない攻撃的ですらない存在であることだけは確かだった。

 頭を悩ませていると、小さくピープ音が鳴った。自動診断ツールの診断が完了したのだ。網膜スクリーンにスキャン結果が表示された。結果によればウイルスに侵入された形跡は一つもない。

〈まずは一安心〉

 そう思っていると、続いて新着を知らせる連絡が入る。フォルダを確認すると、一つだけ身に覚えのない音声ファイルがダウンロードされていることに気づいた。ログを確かめると、どうやらファイルはつい先ほど、ちょうど人質事件の犯人のネットからログアウトしようとするタイミングにダウンロードされていたようだ。

 ファイルを診断ツールにかけてウイルスの類が添付されていないことを確認してから、セナは恐る恐る音声ファイルにアクセスした。



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