第3話 作戦開始のラッパ
独立都市ムサシ スゴイトベル空港
(旧羽田空港)
「それじゃあ、もう行かないとならないけど食事には気を付けるんだよ」
サイバネ置換された後頭部をコスメスキンとウイッグで隠したシンラ少年は、友人の手を握って強く言った。
「はいはい。分かってるわよ」
それに対して、手を握られている女、セナ・リンゴは右から左といった様子で相槌を打つ。
「本当に分かっているのか⁉」シンラが声を荒らげた。「セナはいつもそうだ。ボクが何もしなければ、今でもあの汚い部屋でタワラ君(オニギリディスペンサーのこと)が吐き出したオニギリとサプリメントで食事を済ませる最悪の食生活を続けていたに違いないんだ! せっかく部屋をキレイにしてもすぐに汚すし、脱いだものは洗わないどころか洗濯機にもいれない。ボクは心配だよ」
彼は目を潤ませてセナを見上げた。
「別に、最近はそんなことないじゃない。洗濯だって…ちゃんとやるし…」
セナはシンラの顔を直視できずに歯切れ悪く答える。
「洗濯は二日に一回とは言わない。せめて三日に一回はやってくれ」
「分かった。分かったから、早く行きなさい。みんな待ってるんだから、ほら」
そう言ってセナはシンラの背後で待つ大人三人と十数名の子供たちの集団を指さした。
「うん。心配だけど。とても心配だけど。もう行くよ」
「ええ、楽しんできなさい」
シンラ少年はまだ言いたいことが沢山あるというような表情のまま、セナからゆっくりと離れて、そのまま集団に合流しにいった。
空港内に、シンラを含めたエレメンタリースクールの子供たちの搭乗する飛行機が搭乗の誘導を開始した事を知らせるアナウンスが流れ始めた。
搭乗口へと進んでいくシンラを見送ると、セナは近くに設置されているベンチに腰掛けた。座ると同時に深いため息が漏れる。まさか、子どもの修学旅行の見送りだけでこれほどまでに疲れるとはさしものセナも予想外であった。
〈まさか大人が子どもから生活の心配をされるとは〉
優秀な戦士であるセナ・リンゴには、生活能力に少々難があった。
「ずいぶん出来たお子さんね。フフッ」
「うん?」右隣から声をかけられて、セナはそちらを向いた。見ると、縦じまの上下揃いのスーツで中に黒いブラウスを着た銀髪の女性が座っていた。
〈ワオ、銀髪美人〉セナは心の中で口笛を吹いた。
「あたしの子じゃないわ。友達よ。まあでも、恥ずかしいところを見られたことには変わりないわね」
肩をすくめて、セナは困り顔を作った。
「へえ、変わった関係なのね。フフッ」銀髪の女性は楽しそうに笑い続けた。
「ワタシはアレッサンドラ。よろしく」
女性は自身の名を名乗り、手を差し出した。
「セナよ。こちらこそよろしく。それで貴女は? 観光?」握手をかえしたセナは、アレッサンドラに質問した。
アレッサンドラの白い肌とそれをさらに際立たせる赤いリップが良く似合う凛々しい細面に惹かれるものがあったセナは、美人な女性との世間話で、気分転換をしようと考えたのだ。
「残念なことに仕事なのよ」
「へえ、それはほんとに残念。まあでも、そこら辺を歩き回るだけでも面白い物をいろいろ見れるから、少しは楽しめると思うわ」
「ありがとう。そうね、よく見てみるわ。…そうだ。もしまた出会えたら、貴女にムサシのガイドでも頼もうかしら」そう言いながら、アレッサンドラはベンチから立ち上がった。ヒールの低いパンプスを履いているにも関わらず、彼女の身長は百七十センチメートル以上あった。身体の起伏は控え目で、細身ながらもよく鍛えられ引き締まっているのがスーツの上からでも分かった。
「ええ、その時は喜んで引き受けさせてもらうわよ」
「フフッ、ありがと。それじゃあねセナ。楽しかった。また会えるといいわね」小さく手のひらを振って、アレッサンドラは空港を後にした。
人混みに消えていくアレッサンドラを見送って十分ほどしたところで、セナもベンチから立ち上がった。
〈さーてと、昼はどうしようかな〉空腹ではあるが特にこれといって食べたいものはない。悩みながら、彼女は空港の駐車場に向かう。停めてあった相棒の大型モーターサイクルに跨りエンジンに火を入れた。モーターサイクルはその巨体に見合わぬ静音性で発進した。
***
ムサシ港湾エリアにほど近いスーパーマーケットの廃墟で、二人の男がテーブルをはさみ向かい合ってビジネスを行っていた。一方はスキンヘッドの男。もう一方は右前腕をサイバネ義手に置換したクルーカットの厳めしい男だ。どちらの背後にも、武装した部下が控えている。
「カァッ。君もどうだね、同志。故郷のウオッカだ」厳めしい男は、汚れたステンレスカップに注いだウオッカを呷ってから、目の前の男に言った。
「いや、止めておく。それよりも仕事の話をしようぜ。お互いにあまり時間がないだろう? 同志スミノフ」スキンヘッドの男、バザロフが身を乗り出して言った。
鼻を鳴らすと、スミノフと呼ばれたクルーカットの男は、カップをテーブルに置いて背後の部下に目配せをした。ボスの命令を受けた部下の男が、部屋の奥から台車に載ったプラスチック製の大きなケースを運んできた。スミノフが手ぶりで「見てみろ」とバザロフに示す。
バザロフは席を立ち、ケースのロックを外して中身を改めた。ケースの中には、複数丁の拳銃にアサルトライフルと大量の弾薬が収められていた。バザロフは思わず顔をにやけさせる。
「期待以上だ。同志」バザロフはスミノフの働きぶりに感服した。スミノフはヤクザやギャング相手に横流しや密造された武器を売る裏社会の武器商人だった。
「ジャノメライフル。ムサシ防衛隊で廃棄予定だった物を業者から横流ししてもらった。一つ前のバージョンだが、状態はかなり良い。拳銃の方はダミー会社を通じて合法的に購入。そして、これだ」
そう言って、スミノフは部下の運んできた別のケースからサブマシンガンらしきシルエットの物を取り出すとテーブルに置いた。やけに軽々しい音だ。中身が入っていない。銃身の中身もなければトリガーもない。弾丸を発射するための重要な内部機構はいずれもそのサブマシンガンらしきものの中には搭載されていなかった。
バザロフはプラスチック製のおもちゃを見て眉をひそめる。
まあ待てと言うようにスミノフは人差し指を立てた。そして武器ケースの中から拳銃を一丁取り出すと、同じようにテーブルに置き、先ほどのサブマシンガンらしき物の下部分に空いた穴、本物の銃であればマガジンの収まっている位置に、拳銃を滑り込ませた。ガチャリと音がする。スミノフはニヤリとして手の中に納まった物をバザロフに渡した。
「おいおい、こりゃあどこからどう見ても、サブマシンガンじゃないか!」
ガチャガチャとバザロフは銃の各部を操作。プラスチック製の外部パーツで覆われた拳銃は、一見するとモデルガンの類に見まがう見た目をしていた。
「拳銃用のコンパージョンキットだ。あくまで分類は拳銃、ライフルや本物のサブマシンガンと違ってキットと拳銃で分けておけば容易に運べるし、見つかったとしても違法じゃない」バザロフはつい先週取り扱いはじめたばかりの新商品の能書きを話ながら得意げに腕組みした。拳銃とサブマシンガン化コンパージョンキット。なぜわざわざこのような回りくどい事をするのか。それはムサシでの銃規制法案が関係していた。
独立都市ムサシでは、基本的に銃の所持は合法だ。だが、拳銃以外の銃器を自宅以外で持つ事は、犯罪防止の観点から禁止されている。(それでも、大した予防にはなっていないが)そこで登場したのがコンパージョンキットである。これを使用すれば、拳銃は途端にサブマシンガンへと早変わり。拳銃の弾丸はそのままに、反動は容易に抑え込める。本来は官憲用に開発されたものであったが、昨今ではライフルなどの強力な重火器を揃えることのできないギャングや弱小ヤクザに大人気であった。そしてもちろん、テロリストにも……
「やはりあんたに頼んでよかった。助かったよ同志」
大げさな態度で喜びを表現して、バザロフはスミノフの手を握った。
「気に入ってもらえて何よりだ。喜んでもらえて、その、嬉しいよ」
スミノフも困惑しつつ握手を受け入れる。
「支払いの金を今送る」バザロフが端末を操作した。すぐにスミノフの運営する組織の口座へ対価の金が入金される。
「本当に助かった。ありがとう」バザロフが笑顔で礼を言う。
「またいつでも」スミノフも朗らかに応じる。
取引が終わると、バザロフは足取り軽くその場から離れた。すでにトラックへの武器の搬入は完了している。彼がここにいる意味はもうない。
バザロフは建物から出ると、素早くトラックへと飛び乗った。
「必要なものは手に入れた。荷物を積み込み終わりしだい、すぐに車を出せ」
ミラー越しに、荷物を積み込んでいく男たちの姿を見つめながらバザロフは運転手の男に命じた。
トラックの後部、荷台からノック音が聞こえてきた。バザロフが後部と運転席の仕切りに設置されたアクリル板を引き開けると、技術者の男が食い気味にバザロフに話しかけてきた。
「どうでした。成功しました?」その声は緊張していながら高揚もしていた。楽しみのイベントを今か今かと待つ子どものような態度だ。
「落ち着けよ。これからだ」バザロフが端末を操作した。トラックの運転席のグローブボックス上に設置された小型プロジェクターが映像を表示させる。写し出されたのは、先ほどまでいた廃墟の中を俯瞰で撮影したリアルタイム映像だった。
『くそっ、あのイカレ野郎』
はじめに映像から聞こえてきたのはスミノフの悪態だった。映像の中の武器商人は、ウオッカをビンのまま呷り、テーブルに足を投げ出している。バザロフとの商談時とは打って変わった粗野な態度だ。
『何が同志だ。おい! 連中がいなくなったら塩撒いとけ! 呪いでもやらないよりはマシだ』スミノフが苛立たし気に部下に怒鳴る。バザロフとの商談時の顔はあくまで仕事用の物。本心では、バザロフを蛇蝎のごとく嫌悪していたのだ。しかしそれも無理は無いであろう。
『クソっ』テーブルから足を下ろして、スミノフは立ち上がった。
そこに、小太りの男が近づいてくる。小脇には分厚いバインダーが抱えられている。男はバインダーをテーブルの上に置いて苦労しながらページを開き、ボスであるスミノフに捲し立て始めた。収入と支出の報告だ。スミノフは腰に手を当てて、帳簿係の話を聞いている。退屈そうなスミノフの右腕が、腰のホルスターに伸びる。帳簿係はそれに気づかずに報告を続けている。
『……と、いうわけでね。今回も、かなりの余裕を持った経済状況となりましたね。ねえ、ボス。ボス?』帳簿係が出納帳に刻まれた数字の羅列にうっとりとしながら顔を上げると、その顔が驚きで固まった。
トラックの運転手の肩をバザロフが叩く。それを受けて、運転手はアクセルペダルを踏み、トラックを発進させた。武器を積み終えて荷台が満載になったトラックは、ゆっくりとした速度で道路に出て走り出す。
「いよいよだ。見逃すなよ」にやつきながらバザロフが技術者の男に言う。
技術者の男も食い入るように映像を見つめてゴクリと唾を飲み込む。
スミノフの右腕が、腕自体が意思を持ったかのようなぎこちない動きをしたかと思うと、ホルスターから拳銃を引き抜いた。
『何だ⁉ 腕が勝手に動くぞ!』スミノフは右腕の持つ拳銃を引き剝がそうと試みる。『離れない。手がいうこと聞かない!』しかし腕は主の意思を無視して、握った拳銃をスミノフの顔に向ける。周囲の部下はどうしたら良いのか分からず只慌てふためくだけだ。
ガチッ、撃鉄を起こす音がした。
その光景に、バザロフの口の端が大きく吊り上がる。そして遂に、パンッ! 乾いた銃声が響いた。映像には、頭から血を流して倒れるスミノフの姿が映っていた。
「よし! よしよしよし!」ガッツポーズをとりながらバザロフは喜びの声を上げた。その後ろにいる技術者の男も静かに拳を握り、自分の成した仕事の結果に満足した。
滑り出しは順調だ。サイバネ置換者を操ることに成功した。企業の試験場から強奪してきた箱の解析はいまだ二割程度しか進んでいないが、その僅かなデータから得られたプログラムだけでもこの結果である。
これで仕事を進められる。バザロフはそう思った。ウェブデーモンを使役しての大規模都市への攻撃。その足掛かりと掴んだのだ。それは、ほぼ実行不可能な危険で非現実的な作戦が、一気に現実味を帯びた瞬間だった。
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