8

カサカサ…


カサカサカサカサ。


黒光りしている何かが若妻、神園ソラに迫っていた。


「スゥゥゥ。スゥゥゥ。」


寝息をたてているソラは折り曲げた座布団を枕がわりにして、仰向けになって寝ている。


その黒光りしている物体はソラを発見すると、偶然なのか意図した行動なのかわからないが、眠っているソラの元へ向かって行った。


長い触覚を持つ黒い物体は、つま先から太ももまで行き、ヘソ付近に到着するとサーカスの調教師がクマやライオンを調教する際に使う鞭のような、しなやかな触覚を動かしている。


「早く帰って来て、ウミィ。ムニャムニャ…。」


寝言を言うソラは身体を右斜に向きを変え、側臥位のような姿勢をとった。

黒い物体は寝返りをうったソラに驚いて窓際に逃げた。


カサカサカサカサ


一度は窓際に逃げた黒い物体はワンクッションおいて態勢を整えると、先ほどよりも速度を上げてソラの元へ接近していく。


顔付近までやってくると、しばらくの間、触覚のみ動かして、じっとソラの顔を見つめているかのようだ。



「う~ん。」


ソラは身体から大量の発汗をしており、寝苦しそうに眉間を寄せている。


反射的にソラから少し離れたが、何事もないとわかると身体の周りをなぞるようにクルクル走り回り始めた。


「ふぁ~。」


ソラは目を覚ましてすぐ上半身だけを起こし、猫のように大きく伸びをした後、口から垂れたヨダレを手で拭いた。


「…なんか遠くから音がしたような気がしたのよね。変な音だったなぁ、カサカサって。

まさかウミの言う怖い人ではないよね。

まさか、ね。」


狭い部屋で再び、コテンとねっ転がると手足を伸ばして豪快に大の字になった。


「はぁぁあぁん、ウミに会いたいなぁ。」


ボーっと真上を眺める。


木目の天井はところどころヒビが入っている。

気になる箇所はそれだけではない。

以前までこちらで暮らしていた入居者の煙草が原因だろうか。

天井だけでなく壁もヤニで汚れてしまっていて、ソラが行う日常清掃ではどうにかなるものではない。

昨今の綺麗にリノベーションされた物件とはほど遠い部屋だ。



「寝ている時とぉ、目覚めたとき。

必ずこの天井が嫌でも目に入るんだもんね。

それでもウミと暮らせるから幸せなんだ…。

ん?天井にいるあの黒い物はなにかしら?

今、少し動いたように見えたけど。」


まだ寝起きで頭がいまいち機能していない。

ソラは目頭を抑えてから、もう一度、天井に張り付いている黒い物体に目をやる。


「これって、もしかして…ゴキブリ!キャー!!!」


|黒い物体は一目散に天井へ逃走していたが見つかってしまった。


立ち上がった若妻は急いで玄関に置いてあるホウキを手に持ち、天井にいるゴキブリを夢中で攻撃した。


「あんたなんかキライキライ!大っ嫌い!早くウチから出て行ってよぉ!」


俊敏なゴキブリもソラが繰り出すホウキの乱れ打ちに耐えきれず、天井から地面へポタリと落下した。


「やぁー!!!」


武士の娘が父上や母上の仇を討つかのような形相で、ゴキブリを追い詰めていく。


「まだ生きてる!忌々しいゴキめ!それならコレはどう?」


ホウキの穂先を立てず、平らにして剣道の技で使われる面のように両腕を大きく振りかぶって叩きつけた。


「はぁ、はぁ、はぁ。渾身の一撃は当たりはしなかったみたいだけど、ふぅ、ふぅ。もう後がないわね。」


ゴキブリは再び窓際に逃げたが追い詰められた形となった。



「次こそ仕留めてあげる!」


ソラはホウキを持つ手を天井すれすれまで上げて、すり足で近づきターゲットをロックオンした。


その時、ある考えが頭をよぎった。


ターゲットを潰した場合、体内にある内臓やらが飛び出してくるのだ。

死骸を処理する精神力を持ち合わせていない事はソラ自身がよく知っている。


目線の先にはベランダへ出れる窓がある。

ソラはゴキブリを外へ追い出す事にした。


「あんただって痛い思いをしたくないはずよ。

一刻も早く、そちらの窓から出て行ってよね。」



風が吹かない閉め切った部屋で1人と1匹は西部劇のガンマンのように睨み合う。


痺れをきらしたゴキブリが先に動き出した。


ソラはその一瞬をつく。


「これでお別れよ!」


カチャリ

ガラガラガラ!


追い詰められたゴキブリも目の前にいるソラから逃げ出したい為、開いた窓から逃走した。


逃げて行くのを確認したソラは、その場でヘタレこみお姉さん座りをした。


「やったよ。ウミィィ。怖かったけど1人で憎きゴキを追い払ったんだよ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る