其の弐 死を呼ぶ黒いネタバレ

 緒方、黒装束、少し遅れて拙者――の順で屋外へ出た。


 裏口の先に道はなく、なだらかな丘陵きゅうりょうが目の前を遮っている。中州の隠れ里は、居住区域を除けば起伏に富んだ地形が多いようだ。


 緒方は丘陵のすそで足を止め、背後に迫る黒装束の姿を確認すると、慌てた様子で斜面を駆け上っていった。


「本当に私が狙いなの? まったく意味が分からない。やめてよね、もう!」


 珍しく泣き言を漏らした彼女は、黒装束の意図が掴めず混乱しているようだった。


「おい緒方、今は余計なことを考えるな!」


 拙者は走りながら叫ぶ。


 そうこうしているうちに、前を行く二人の姿が勾配こうばいで見えなくなった。拙者は急いで邪魔な斜面を登り切る。


 丘陵の先は開けた草地だった。拙者は緒方の気配を求めて視線を走らせる。すると、その光景は探す手間もなく視界に飛び込んできた。


「こ、これはいかん……!」


 中州の端に、追い詰められて立ち尽くす緒方の姿があった。朱晴すばる川を背に黒装束と対峙している。川の対岸は屹然きつぜんそびえ立つ断崖絶壁であり、完全に逃げ場のない状況だった。


 拙者は草を蹴散らし、向かい合う二人のそばに無言で駆け寄った。警戒しながら黒装束の後ろに近づくと、陽光に照らされた黒い背中がハッキリ視認できた。


 ――そこに漂う微かな違和感。そして拙者は「それ」に気づいた。気づいてしまった。


 何と黒装束は、その頭部に黒い三角巾を着けていたのだ。正面から見たのでは分かりにくいが、顔全体を覆う布とは別に、頭部を黒い三角巾で隠していたのである。


「ぐぬぅぅぅ」


 拙者は低くうめいた。驚異のネタバレ感に眩暈めまいすら覚える。


 正体を隠そうとしているのに三角巾だけは手放せない。そんな特殊な嗜好を持つ者は、拙者の知る限り一人しかいなかった。小柄で怪力という特徴だけなら逃げ道もあったが、ここまで条件が揃ってしまえば見過ごせない。ほぼ確証を得られた格好だった。


 ――そう。やはり最初ににらんだ通り、黒装束の正体は芦辺あしべ八千代やちよなのだ。


 もちろん信じたくはなかった。願わくは、三角巾マニアの空似であって欲しい。


 だが黒装束の次なる行動が、拙者の切なる願いに追い討ちをかけた。どこに隠し持っていたのか、実に「八千代っぽい武器」を構えたのだ。


「あれは……鉄扇てっせん!?」


 黒装束が構えたのは黒い鉄扇だった。文字通り鉄で作られた扇子型の武器だ。大きさこそ異なるが、拙者の朝修業で使うハリセンを彷彿ほうふつとさせる。こうまで八千代の嗜好と重なる部分が出揃うと、もう別人だと疑う方が難しい。


 拙者は複雑な思いで両者の出方をうかがった。


 黒装束が武器を取り出したことで、逃げ腰だった緒方も腹を決めたらしい。切れ長のクールな目に力強い光を宿す。彼女は個室をドロン、脇に具現化してドアを開けると、素早くトイペを二ロール取り出して攻勢に出た。


便遁べんとん、落とし紙の術!」


 両手から二条のトイペが飛び出し、変幻自在の軌道で宙をいまわる。


 それは妄想コンテストで拙者も味わった、あのクセになりそ……いや、あの厄介極まりない捕縛術だった。


 シュルリと白蛇のように伸びたトイペが、黒装束の手元に達して鉄扇を絡め取る。


 ――そう見えた。しかし実際はそうではなかった。黒装束は鮮やかに鉄扇をひるがえすと、寸前に迫った二条のトイペを流麗な一撃で叩き落としたのだ。


 拙者は思わず見惚みとれてしまった。それくらい非の打ち所がない受け流しだった。


「……や、やるわね」


 緒方はトイペの攻撃を中断すると、再び個室に手を伸ばしてラバーカップを取り出した。かわや傀儡くぐつの術で使った木目調のスッポンである。彼女はそれを右手に構えた。


「悪いけど、ここからは本気で――」


 だが、緒方が攻撃するより早くラバーカップは弾き飛ばされた。黒装束が一足飛びで距離を潰し、黒い鉄扇を彼女の手首に叩き込んだのだ。宙を舞ったラバーカップは、綺麗な放物線を描いて朱晴川に水没した。


「くっ、ならばもう一度……」


 しかし実力差は明らかだった。ここで再度ラバーカップを具現化しても、妄想オーラの無駄遣いにしかならないだろう。どう贔屓目ひいきめに見ても勝ち目はなかった。


「逃げろ緒方、もう戦うな!」


 拙者はそう叫ぶと、無我夢中で黒装束の背中にしがみついた。


 あの怪力に無手で挑むのは無謀だが、どのみち今の拙者は妹遁まいとんが使えない状態だった。舞衣がとんでもない大打撃を被った為、妄想オーラが枯渇してしまったのだ。妹を具現化できない現状では、黒装束を羽交はがい締めにするのが精一杯だった。


 とはいえ、決して闇雲やみくもに仕掛けた訳ではない。黒装束の正体が八千代なら、拙者には危害を加えないはず――という目算もあった。実際、さっき戸口のところでもスルーされている。


「貴方はどうするの芦辺君?」

「拙者なら大丈夫。狙われてるのはおまえだけだ!」


 拙者は自信を持って答えた。この戦いは、緒方を守り抜けば勝ちも同然なのだ。


 しかし裏の事情を知らない彼女は、一人で素直に撤退しようとはしなかった。拙者の行為を捨て身の戦法と判断したのだろう。


「貴方一人を残して行けないわ。待ってて芦辺君、今助けてあげるから」

「いや、拙者のことは捨て置くのだ! ここでおまえが戦ったら――」


 慌てて制止しようとしたが遅かった。


 緒方は複式の術で便器を具現化すると、黒装束の脚に向かって鋭い蹴りを放ったのだ。


「喰らえれ者! 便遁奥義、厠封じの術!」


 それを見た瞬間、拙者は無意識に戦うことを選択した。緒方の蹴りにタイミングを合わせ、背後から黒装束の体勢を崩そうとする。最悪、八千代を便器に流し込むことになるが、ここで手心を加える余裕などない。今はただ緒方を守る為、厠封じの術を援護する。


 だが思い通りにならなかった。


 黒装束は、しがみついた拙者を強引に払い落とすと、同時に恐ろしい身軽さで緒方の蹴りをかわし、更には鉄扇を振り抜いたのだ。じゅうごうを併せ持つ流れるような神業かみわざだった。


 ――ピシィィィィーン!

 開けた草地に乾いた音が響く。


「……!」


 拙者の脳裏に、吹き飛んで川に落ちる緒方の姿が思い浮かんだ。しかし、鉄扇の標的は彼女ではなく、その脇に鎮座する白い便器だった。


 打ち上げ花火のように急角度で吹き飛んだそれは、見る間にはるか頭上まで達した。そして、キラリと輝く小さな星になる。妄想星座「便座」の第一星が爆誕したのである。


「そんな……」


 緒方の声に恐怖と絶望がにじむ。彼女は二歩、三歩と後ずさり、川岸を迂回して逃げに転じた。すっかり戦意をくじかれ、その表情は驚くほどに強張こわばっている。気の毒だが、拙者に構わず逃げてくれるなら好都合だった。


「よし、いいぞ緒方。そのまま一気に突っ走れ!」


 遠ざかる緒方の背に声を投げる。


 だが、そのまま逃げおおせることは叶わなかった。


 低く構えた黒装束が、広げた鉄扇を手裏剣のように放ったのだ。それは、地面スレスレを物凄い速さで飛び抜けると、辺りの雑草を回転しながら刈り散らした。数瞬で緒方に迫り、その両脚を一緒くたにぎ払う。かなりの勢いだった。


「あっ……!」


 たまらず尻餅しりもちをついた緒方は、ふくはぎを押さえて痛そうに顔を歪めた。


 ……実に危うい状況だ!


 拙者は、彼女に駆け寄るべく急いで立ち上がった。だが、黒装束に振り落とされた際に背中を打ち、その痛みで思うように動けなかった。そんなモタつく拙者には目もくれず、黒装束は緒方を押し倒して馬乗りになる。体重差を感じさせない力強い縦四方固たてしほうがためだった。


「芦辺君、たっ、助け――」


 仰向けに組み伏せられてジタバタする緒方。その動きを腕力だけで封じた黒装束は、彼女の額に容赦なく掌底しょうていを叩きつけた。


 ゴッという鈍い音がして、派手に鮮血が飛び散る。緒方の身体は電撃を受けたようにビクンと跳ね、そのまま動かなくなった。


「お、緒方ぁ!」


 拙者は思わず叫んだ。


 その眼前で、何事もなかったように黒装束が立ち上がる。それは冷徹な殺人鬼が、ただ本能のままに仕事を終えて引き上げるような所作だった。


 拙者は呆然と、倒れている緒方に視線を向けた。彼女に動く気配はない。その頭部は、大量の出血により赤く染まっていた。


「まさか『死』……」


 ふと脳裏に押し寄せる不吉なこと


 だが拙者はかぶりを振った。


 認めない。認めてはいけない。緒方の死も黒装束の正体も、拙者は認めなかった。まだ緒方は生きているし、八千代も平然と人をあやめるような残忍な妹ではない。


「まずは貴様の化けの皮をがしてやる!」


 不安を怒りに変え、背中の疼痛とうつうさえ気合いで消し飛ばした拙者は、雄叫びをあげて黒装束に突進した。退路など与えない。絶対に仕留める。何が何でもヤツを仕留めてみせる!


 だが次の瞬間、拙者は思いがけず怒りの矛先を失った。


 黒装束がクルリと背を向け、躊躇ちゅうちょする素振そぶりもなく川面へダイブしたのだ。


「馬鹿な!」


 それは自殺行為だった。


 泳ぐことのできない激流。越えることのできない絶壁。そして下流には、大きな滝壺が口を開けて待ち構えている。この中州より西側に、逃げられる場所など一つもない。川に落ちれば一巻の終わりなのだ。


 あの黒装束がどれほど凄腕であろうと、自然の脅威に抗えるとは思えなかった。


「緒方が始末できれば自分の命は要らないというのか……?」


 急流に呑まれて遠ざかる黒い人影を、拙者はただ愕然がくぜんと見つめることしかできなかった。

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