其の捌 よろづに思ひ乱るれば

「叔父上っ!」


 焦燥しょうそうに駆られた拙者は、思わず大きな声をあげてしまった。

 その呼びかけに、驚いた叔父がビクッと肩を震わせる。


「き、急にどうしたのかな、是周これちか君?」

「実は、罪賀さいがに潜入した親友が、まだ牢獄付近を逃げまわってるかもしれないのです。叔父上の力で何とかできませんか?」

「誰かを助けて欲しいって話だね。別に構わないけど、もう少し詳しく教えてもらえるかな」

「あ、分かりました」


 拙者は頷くと、脱獄中にはぐれた二人の親友――充真じゅうま伊能いよくのことを叔父に伝えた。


 更に、そもそもの発端である緒方追跡の任や、比賀ひがものの彼女と協力関係を結んだ背景など、投獄前後の出来事も合わせて説明する。


「なるほど、そんな経緯で隠れ里に流れ着いたのか。それで友達を巻き込んでしまったと」

「はい。お願いします叔父上、二人を助けてください!」


 身を乗り出して頭を下げる。


 そのとき、叔父の返答を急かすようにグゥ〜と。牢獄の飯で満たされなかった拙者の腹が、恥ずかしいタイミングで空腹を訴えた。


 その音を聞いたアリスが、緒方の腹部をジト目で見ながら呟く。


いやしい女」

「な、ちょ、違うわよっ! 今のは私のお腹が鳴ったんじゃなくて――」


 だが否定している最中に緒方の腹もグゥ〜。期せずして「卑しい女」に成り下がると、彼女は赤面して顔を伏せた。


 叔父が小さく笑う。


「確かに親友は大事だけど、まずははらごしらえといこう。腹が減っては何とやらだ。牢獄のマズイ飯よりマシなものを用意するよ」

「ですが、グズグズしていたら充真たちが捕まって……」


 拙者が浮足立って異を唱えると、叔父は落ち着けと言うように右手を突き出した。


「是周君が僕の庇護下ひごかに入ったことは、もう里の連中に知れ渡ってる頃だ。そうなると、キミの親友に手を出す者もいなくなる。それは僕を敵にまわす行為だからね。もし二人が捕まっても丁重に扱われるはずさ。心配なんて要らないよ」

「はあ、そういうものですか」

「だから今日はゆっくり休んで、明朝になったら迎えに行けばいい」


 何とも呑気のんきな話だった。


 拙者は少しばかり反感を覚えたが、しかし最終的には空腹に負け、叔父の提案を素直に受け入れた。緒方もすぐに了承する。


「納得してくれたようだね。ではアリス、二人に食事の用意を」

「はい」


 どうやらアリスは料理もできるらしい。


 拙者は、炊事場に立つ小さな背中を羨望の眼差しで見つめた。

 舞衣にも料理の腕があれば、八千代の負担を減らすことができるのに……。ついそんなことを考えてしまう。しかし拙者の妹さばきでは、料理をこなす舞衣を具現化できない。


「……っ」


 思わず己の不甲斐なさを噛み締める。すると、そんな拙者の顔を見た叔父が、懐かしむように両目を細めた。


「その不機嫌そうな顔、特に目元の辺りが周莉しゅうり義姉ねえさんにソックリだね」

「そ、そうですか」


 どうやら拙者の仏頂面は母上に似ているらしい。しかし、そう言われたところで全然ピンと来ない。ただ反応に困るばかりだった。


 拙者が戸惑い気味に愛想笑いをすると、叔父は興味を失った様子で話の主軸を変えた。


「その義姉さんに逃げられた芦辺あしべ家の当主様は、家で元気にしてるのかな?」

「父上ですか。まあ元気というか……」


 拙者は言いよどんだ。


 母上の失踪は十一年も前の話だが、父上はその頃からずっと精彩を欠いている。そして謎の難病を患うと、妹遁まいとんの術まで使えなくなってしまったのだ。


 その事実を囲炉裏端で公開すると、隣で聞いていた緒方が目を丸くした。旧敵の親玉である芦辺甚代じんだいが、妄想の妹を失って久しいことに驚いたのだ。それは、様々な情報を得ている叔父でさえ同様だった。初めて聞いたという態度を示す。


「ちょっと信じられないね。じゃあ兄さんは何の仕事をしているのかな?」

「詳しいことは知りませんが、内閣妄想室で後進の指導に当たっているそうです」

「そいつは妙だね」


 拙者の話を聞くと、叔父は右の眉をピクリと動かした。


「あの……妙というのは?」

「僕たち罪賀の忍者にとって、内閣妄想室は警戒すべき組織なんだ。その職員に異動があれば逐一リークされる。だから分かるけど、兄さんは内閣妄想室には在籍してないよ」

「まさか」

「消息筋の情報では、罪賀のとある誘拐事件を兄さんが解決したって話だ。まだ現役バリバリの兄さんが、後進の指導なんて地味な仕事をするはずがないよ」

「ですが、父上は妹遁の術が使えないんですよ?」


 拙者が反論すると、叔父は即座に首を振って答えた。


「それこそ疑わしいね。だって兄さんは、最終奥義で失った妹さえ具現化する実力者。不滅の妹遁使いなんだ。だから難病なんて関係ない。芦辺甚代の妹は何度でも復活するのさ!」


 その狂信的な評価は受け入れがたく、拙者は内心で首を傾げた。


 確かに父上は型破りの妹遁使いだが、そんな理由で病魔に勝てるはずがない。


 それに拙者の掴んだ情報では、八千代が罪賀の誘拐事件を解決したことになっている。忍者でもない妹が、父上の仕事を陰で代行したのだ。


 もっとも、その情報も某警官から仕入れたものに過ぎず、実のところ何の確証もなかった。


「……本当は父上が任務を。でも妹遁が使えな……まさか仮病……いや、何の為にそんな」


 考えれば考えるほど、拙者の抱く父上像が疑惑にまみれていく。


 一線を退いて八千代にすがる不甲斐ない父上と、不滅の妹遁使いとして暗躍する現役の父上。果たしてどちらが真実の姿なのか? あるいはどちらも幻想に過ぎないのか――


「食事の用意ができました」


 そのとき調理を終えたアリスが、洋風の見た目にそぐわぬ和風料理を運んできた。

 白飯、味噌汁、目玉焼き、梅干し。質素なラインナップだったが、拙者の食欲をそそるには充分すぎる内容だ。


「ご苦労だったねアリス」


 囲炉裏端に料理が並ぶと、拙者は出口のない思考を中断して叔父の顔を見た。早く食べようと目で訴える。叔父は苦笑を浮かべた。


「さて、じゃあ皆で食べようか」

「いただきます!」


 拙者は猛然と箸を取った。


「お言葉に甘えて」


 緒方も控えめに手を伸ばす。


 しばらく無言のまま食事を進め、やがて空腹感が和らぐと、拙者の頭の中は再び父上のことで一杯になった。


「そういえば……」


 ふと、牢獄で聞いた看守の言葉を思い出す。


「罪賀の里は父上にとって所縁ゆかりのある地だと聞いたのですが、それは叔父上が住んでいるからですか?」


 拙者がそう訊ねると、正面で味噌汁をすすっていた叔父が顔を上げた。


「おや、是周君は何も聞かされてないのかい。まったく兄さんには困ったものだ」


 呆れ気味に呟き、それから表情を改めると次のように続けた。


「罪賀の里はね、甚代兄さんと周莉義姉さんが結婚式を挙げた土地なんだ」

「け、結婚式……!?」


 予想だにしない言葉が飛び出し、危うく梅干しの種を吐き出しそうになった。


 拙者の両親が、わざわざ犯罪者たちの巣窟で結婚式を挙げたというのだ。にわかには信じられない話だった。


「やっ、やだな叔父上。もちろん冗談ですよね?」

「本当の話だよ。兄さんの結婚式には、萌賀ほうがでも比賀ひがでもない中立の場が必要だったんだ」

「中立? どうしてそんな……」

「それは周莉義姉さん――つまり是周君のお母さんが、比賀のくノ一だったからだよ」

「母上が比賀の!?」


 何から何まで初耳だった。驚いた拙者は、思わず緒方と顔を見合わせてしまった。


「萌賀と比賀の禁断カップルは、周囲の反対を押し切って婚約したんだ。だから挙式の場所を決めるときめてね。最終的に、どちらの里にもくみさぬ罪賀を選んだってわけさ」

「全然知らなかった……」


 両親の意外な過去を聞いて、拙者は言い知れぬ高揚感を覚えた。様々な想いが心の中を交錯する。中でも、拙者が比賀の血を引くという事実には少なからぬ衝撃を受けた。


 だが、そんな興奮に満ちた思考も、やがて一つの「大きな期待」に取って代わられた。


 ――このあと向かう比賀の里に、失踪した母上がいるかもしれない!


 そう考え始めると、拙者は居ても立っても居られなくなった。もし邂逅かいこうを果たせば、実に十一年振りの再会だ。いやが上にも期待は高まり、拙者の自制心は一瞬で吹き飛んでしまった。


「決めた。拙者は今すぐ比賀の里へ向かう!」

「ちょ、どうしたの芦辺君。いくら何でも急すぎるわ。せめて藤村君たちの無事を確認してから出発すべきよ」


 拙者の唐突な宣言に、緒方が困惑した表情で異論を挟む。


「大丈夫だ。充真たちの身の安全は、顔役である叔父上により保障されてる。それより拙者は、一秒でも早く比賀へ向かいたいのだ」


 心がはやり、友人たちの安否を気遣う余裕すらなかった。そんな拙者に、叔父が素気すげない態度で隠れ里のルールを説明する。


「まだ言ってなかったけど、この隠れ里には抜け出す際に条件があってね。日没前で、しかも晴れてないと出発できないんだ。今のところ天気は問題ないけど、もう日光が足りないよ」

「……日没前?」


 理由は分からないが、日が落ちると罪賀から出られないという話らしい。どうにも納得できない条件だった。門限でも設けているのだろうか?


 だとしてもそれに付き合う義理はない。勝手に出ていけば済む話だ。拙者はそう考えると、脳内で脱出ルートを模索し始めた。


 だが、すぐに抜け道がないことに気づく。罪賀は断崖絶壁に囲まれた中州であり、どの方向にも進めないのだ。下流では大きな滝壺があぎとを開き、川下を抜けるルートも取れない。


 まるで流刑地のような土地だった。入るにやすく出るにかたい。隠れ里の在り方は、獲物を捕らえる蜘蛛の巣を彷彿ほうふつとさせた。


「自力で出ていくのは無理なのか……」


 拙者の思考はあっさり暗礁あんしょうに乗り上げた。この脱出が日没に関係するとも思えなかったが、ここは叔父の言葉を信じて素直に一泊するしかない。


 たかぶる気持ちを溜め息で鎮め、拙者はかまちの歪んだ見窄みすぼらしい窓に目を向けた。窓外には、夕陽で朱色に染まった景色が広がっている。朱晴すばる川の名の由来でもある「渓谷の夕映え」だ。


 拙者は沈みゆく西日を漫然と眺め、まだ見ぬ比賀の里に思いを馳せるのだった。

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