其の漆 異邦ロリの使い手
岩壁の奥は、
目の前の人影すら見えないほど、辺りは深い闇に包まれている。冷たい岩肌を手探りで伝い、拙者たちは慎重に歩を進めた。
「こちらです」
先頭に立つ女性は、この暗闇をまったく苦にしていなかった。時おり立ち止まっては、小声で拙者たちを誘導している。その足取りに迷いはない。彼女の声を頼りに進むと、やがて拙者たちは
「うおっ……!」
辿り着いたのは屋外だった。
両目を射る朱色の光と、耳を打つ大きな
「外に通じてたのね。もう
緒方が伸びをしながら言った。
まったく同感だった拙者も、彼女に釣られて身体を伸ばそうとする。だが、急に袖を引っ張られて大きく
「早く行きましょう」
促す声に視線を下げると、冷たい碧眼で見上げる幼女の姿があった。
夕陽に映えるストレートの金髪に、その
忍者の里に似合わぬ格好が、神秘的でシュールな雰囲気を醸し出している。
大人びた口調から年上の女性を想像していたが、もし見た目通りの年齢なら、実際は小学校低学年といったところか。まさに幼女真っ盛りだ。
そのあどけなくも端正な顔立ちに、拙者はつい
「さっきからその子を熱心に見つめてるけど、もしかして
「いや違うぞ!」
緒方の誤解を察知して食い気味に否定する。
「拙者が愛しているのは、モウソウ目イモウト科に分類される舞衣だけでごぢゃる!」
「静かに。無駄口を叩かずについて来てください」
高らかに
その冷やかな態度にゾクゾクする。無愛想なロリに心惹かれた拙者は、黙って歩き出す幼女に付き従った。少し進むと、中州を一望できる小高い
「これが隠れ里の全景か……」
拙者は、丘陵の先にある居住区域に視線を向けた。
古びた
「ねえ芦辺君。逃走中の私たちが、こんな目立つ場所に居たらマズいと思うのだけれど」
「あ、そうだな……」
真っ先に考えるべきだった。
場違いな幼女と美しい景観に心奪われ、自分たちが追われる身であることを失念していた。周囲から丸見えの高台に居たら、追っ手に見つけてくれと言わんばかりである。
だが幼女は、そんな拙者たちの
「ここまで来れば追跡者の心配はありません」
年齢にそぐわぬ冷静な口調だった。そしてその言葉通り、見渡せる範囲に追っ手の姿はない。何やら狐に化かされた気分だが、とにかく背後を警戒しなくても大丈夫そうだ。
「そういえば、まだ礼を言ってなかったな」
状況が落ち着いたので、拙者は小さな助っ人に謝意を伝えようと口を開いた。
「お嬢さん、脱獄をサポートしてくれて
「いえ」
幼女は見向きもせずに応えた。実に素っ気ない応対だった。
「申し遅れたが、拙者は
「
「良ければ、恩人であるお嬢さんが何者なのか教えてもらえないかな?」
拙者は、答えを無理強いしないようにやんわりと訊ねた。
敵として疑うつもりはないが、それでも素性は探っておきたいところだった。
しかし幼女は名乗ることすらせず、
「兄様に会って話を聞いてください。ご案内します」
肩越しにそれだけ答えると、小さな手で居住区域の向こうを指し示した。
結局、金髪幼女の正体は分からず
「ただいま戻りました」
人が住んでいるとは思えぬその家の前で、幼女が帰宅を告げる。
すると目の前の戸がガタガタと開き、奥から
「おかえり。どうやら『お客さん』は無事だったようだね」
男は、長い黒髪を無造作に背中で束ね、ヨレヨレの
「ようこそ、無法者が集う罪賀の里へ!」
「はぁ……」
うっかり気の抜けた返事をしてしまう。散々逃げまわった挙げ句、今になって歓迎されるとは思わなかったのだ。
「もう追っ手の心配はないけど、外で立ち話もアレだから中に入ろうか」
「どうぞこちらへ」
男の言葉を金髪幼女が引き取り、拙者と緒方を荒屋の奥へと招き入れる。
通されたのは狭い四畳半の部屋だった。黒ずんだ床の真ん中には、昔ながらの素朴な囲炉裏が
「取り敢えず座ろうか」
室内を眺めていたら座布団を勧められたので、拙者は緒方と並んでその上に座した。囲炉裏を挟んで男と向かい合う。気持ちを切り替え、まずはお礼の挨拶からだ。
「この度は、貴殿の妹君よりご助力を頂きましたこと、心よりお礼申し上げます」
正座をして丁寧に頭を下げる。内心では中年男と幼女の関係を
「いやいや、堅苦しい挨拶はやめてくれよ。身内が困っていたら助けるのは当然さ」
「え?」
困惑する拙者に、中年男が柔和な目を向けて言う。
「実は是周君と会うのは今日が初めてじゃないんだ。まあ昔のことだから覚えてないのも仕方ないね。初対面の娘さんもいるし、せっかくだから自己紹介をしておこうか」
拙者と緒方を交互に見て微笑むと、男は急に
「僕の名前は芦辺
「ちょ、待ってください。今、芦辺って言いましたか?」
後半の
「そう、僕は萌賀の
「お、叔父上ですかぁ!?」
驚きのあまり、つい
しかし言われてみれば、確かに目鼻立ちや細かい所作など、父上に似ていなくもないが。
「芦辺君、そちらの
「そのようだな。しかし父上の話では、すでに叔父上は他界したと聞いていたが……」
芦辺家の仏壇には、一つだけ新しい
「抜け忍は一族の恥だからね。兄は当主として、愚かな弟を死んだことにしたかったのさ」
仮にそうだとしても、生者に対して位牌まで用意することはないだろう。
だが叔父は気分を害した様子もなく、
「次は、キミたちの脱獄を手引きした小さな勇者を紹介しよう。妹の芦辺アリスだ」
自慢気に言うと、隣に座る幼女を慈しみの目で見つめた。
「なるほど、そういうことか……」
しかしそうなると、見過ごせないのが「異邦」という点だった。
外国人の妹を具現化するのは、妄想基準法「妹遁に関する法令第三項」に反するのである。すなわち「明らかに外国籍と分かる妹を
叔父が無法の地で暮らす理由――それは、この異邦ロリを
「アリスは妄想の妹だったんですね」
「え、この子が妄想?」
拙者がアリスの正体を指摘すると、それを聞いた緒方が驚いた表情で口を挟んだ。
「あり得ない、距離的にも時間的にも妄想の限界を超えてるわ。妄想狩りで引き離した妹ならともかく、普通の具現化でこんな……」
「いや、そうとも限らないよ。退行の術を使えばアリスのような妹だって具現化できる。これは常時具現型というヤツさ。キミも聞いたことくらいあるだろう?」
叔父は事もなげに種明かしをしたが、それは言うほど
退行の術は、省エネ妄想の中で最も難しいとされる節約術なのだ。具現化対象の性能を意図的に削り、妄想オーラの消費を大幅に抑えるのである。理屈だけなら簡単そうに聞こえるが、その
叔父はそれを
退行の術を極めた妹遁使いは、具現化した妹を半永久的に維持できる――それが常時具現型だ。ただし、代償として妹の精神を「節約」しなくてはならない。アリスの感情がそこはかとなく乏しいのはその影響だろう。
「常時具現型なんて初めて見たわ。芦辺君の叔父様って妄想の達人なのね」
そう、間違いなく卓越した妹の使い手だ。この罪賀で顔が利くというのも頷ける。拙者たちが牢獄から逃げ出せたのも、叔父という頼れる存在があったればこそだ。
「ねえ芦辺君。叔父様に頼んで、あの二人も助けてもらったらどう?」
「あの二人?」
それは誰のことだ? ――と思ったのは一瞬だった。拙者は「あ!」と短く声をあげ、己の
脱獄の達成に安堵したり、かと思えば叔父の出現に驚いたり。そんな慌ただしい動揺の中で、拙者は大事な親友のことをすっかり忘れていたのだ。それをまさか、緒方の提案で思い出すことになろうとは情けない限りだった。
「そうだな、こうしちゃいられないぞ……」
逃げ惑う
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