其の漆 異邦ロリの使い手

 岩壁の奥は、篝火かがりびの灯りが届かぬ狭い通路だった。


 目の前の人影すら見えないほど、辺りは深い闇に包まれている。冷たい岩肌を手探りで伝い、拙者たちは慎重に歩を進めた。


「こちらです」


 先頭に立つ女性は、この暗闇をまったく苦にしていなかった。時おり立ち止まっては、小声で拙者たちを誘導している。その足取りに迷いはない。彼女の声を頼りに進むと、やがて拙者たちは隘路あいろの終わりに到達した。


「うおっ……!」


 辿り着いたのは屋外だった。


 両目を射る朱色の光と、耳を打つ大きな渓声けいせい。拙者の目の前で、強い西日が中州全域を赤く染め上げていた。冷たい川風がわきを吹き抜け、火照ほてった頬を優しく撫でていく。


「外に通じてたのね。もう拒想石きょそうせきの牢獄なんて二度と御免だわ」


 緒方が伸びをしながら言った。


 まったく同感だった拙者も、彼女に釣られて身体を伸ばそうとする。だが、急に袖を引っ張られて大きく蹌踉よろめいた。


「早く行きましょう」


 促す声に視線を下げると、冷たい碧眼で見上げる幼女の姿があった。


 夕陽に映えるストレートの金髪に、その天辺てっぺんから飛び出す長いアホ毛。透けるような白い肌。幼女は淡い桃色のワンピースを身に着け、その上にはいみのある藤色のカーディガンを羽織っていた。フリフリの華美な衣装は、所謂いわゆるロリータ系ファッションと呼ばれるものだ。


 忍者の里に似合わぬ格好が、神秘的でシュールな雰囲気を醸し出している。


 大人びた口調から年上の女性を想像していたが、もし見た目通りの年齢なら、実際は小学校低学年といったところか。まさに幼女真っ盛りだ。


 そのあどけなくも端正な顔立ちに、拙者はつい見惚みとれてしまった。


「さっきからその子を熱心に見つめてるけど、もしかして芦辺あしべ君、舞衣まいと兄妹仲が悪くなったからってロリ嗜好しこうに走ったんじゃ――」

「いや違うぞ!」


 緒方の誤解を察知して食い気味に否定する。


「拙者が愛しているのは、モウソウ目イモウト科に分類される舞衣だけでごぢゃる!」

「静かに。無駄口を叩かずについて来てください」


 高らかに愛妹あいまい宣言する拙者を、抑揚のない声で幼女がたしなめた。


 その冷やかな態度にゾクゾクする。無愛想なロリに心惹かれた拙者は、黙って歩き出す幼女に付き従った。少し進むと、中州を一望できる小高い丘陵きゅうりょうに辿り着く。


「これが隠れ里の全景か……」


 罪賀さいがの里は、川の中央に浮かぶ狭い陸地だった。ただし、狭いといっても長く下流に伸びている為、見た目の印象よりもずっと広い。中州を囲むように切り立つ崖が、天険の地と呼ぶに相応しい威圧感を放っている。


 拙者は、丘陵の先にある居住区域に視線を向けた。


 古びた物見ものみやぐらを中心に碁盤目状の田畑が広がり、その一部を埋める形で長屋や雑木林が点在している。自然が息づく日本の原風景。そんな印象だった。


「ねえ芦辺君。逃走中の私たちが、こんな目立つ場所に居たらマズいと思うのだけれど」

「あ、そうだな……」


 真っ先に考えるべきだった。


 場違いな幼女と美しい景観に心奪われ、自分たちが追われる身であることを失念していた。周囲から丸見えの高台に居たら、追っ手に見つけてくれと言わんばかりである。


 だが幼女は、そんな拙者たちの危惧きぐをキッパリと否定した。


「ここまで来れば追跡者の心配はありません」


 年齢にそぐわぬ冷静な口調だった。そしてその言葉通り、見渡せる範囲に追っ手の姿はない。何やら狐に化かされた気分だが、とにかく背後を警戒しなくても大丈夫そうだ。


「そういえば、まだ礼を言ってなかったな」


 状況が落ち着いたので、拙者は小さな助っ人に謝意を伝えようと口を開いた。


「お嬢さん、脱獄をサポートしてくれて有難ありがとう。おかげで上手く逃げ出すことができたよ」

「いえ」


 幼女は見向きもせずに応えた。実に素っ気ない応対だった。


「申し遅れたが、拙者は萌賀ほうがの芦辺是周これちかという者だ。そして隣にいるのが――」

比賀ひがの緒方緋雨ひさめよ」

「良ければ、恩人であるお嬢さんが何者なのか教えてもらえないかな?」


 拙者は、答えを無理強いしないようにやんわりと訊ねた。

 敵として疑うつもりはないが、それでも素性は探っておきたいところだった。


 しかし幼女は名乗ることすらせず、


「兄様に会って話を聞いてください。ご案内します」


 肩越しにそれだけ答えると、小さな手で居住区域の向こうを指し示した。


 結局、金髪幼女の正体は分からずじまいだった。拙者たちはそれ以上の会話を断念して、黙々と彼女のあとに続いた。程なくして、今にも倒れそうな荒屋あばらやに到着する。


「ただいま戻りました」


 人が住んでいるとは思えぬその家の前で、幼女が帰宅を告げる。


 すると目の前の戸がガタガタと開き、奥から無精髭ぶしょうひげを生やした中年男が顔を出した。


「おかえり。どうやら『お客さん』は無事だったようだね」


 男は、長い黒髪を無造作に背中で束ね、ヨレヨレの作務衣さむえをだらしなく着ていた。その外見は不潔そうな印象だったが、満面にたたえた笑みはさわやかで人懐ひとなつこい。


「ようこそ、無法者が集う罪賀の里へ!」

「はぁ……」


 うっかり気の抜けた返事をしてしまう。散々逃げまわった挙げ句、今になって歓迎されるとは思わなかったのだ。


「もう追っ手の心配はないけど、外で立ち話もアレだから中に入ろうか」

「どうぞこちらへ」


 男の言葉を金髪幼女が引き取り、拙者と緒方を荒屋の奥へと招き入れる。


 通されたのは狭い四畳半の部屋だった。黒ずんだ床の真ん中には、昔ながらの素朴な囲炉裏がしつらえられている。正面を見ると一幅の掛け軸が下がっており、「外妹一択」という謎の文字が本紙に躍っていた。


「取り敢えず座ろうか」


 室内を眺めていたら座布団を勧められたので、拙者は緒方と並んでその上に座した。囲炉裏を挟んで男と向かい合う。気持ちを切り替え、まずはお礼の挨拶からだ。


「この度は、貴殿の妹君よりご助力を頂きましたこと、心よりお礼申し上げます」


 正座をして丁寧に頭を下げる。内心では中年男と幼女の関係をいぶかしんでいたが、そんな態度はおくびにも出さない。


「いやいや、堅苦しい挨拶はやめてくれよ。身内が困っていたら助けるのは当然さ」

「え?」


 困惑する拙者に、中年男が柔和な目を向けて言う。


「実は是周君と会うのは今日が初めてじゃないんだ。まあ昔のことだから覚えてないのも仕方ないね。初対面の娘さんもいるし、せっかくだから自己紹介をしておこうか」


 拙者と緒方を交互に見て微笑むと、男は急に鹿爪しかつめらしい顔になり話を続けた。


「僕の名前は芦辺貴座きざ。この罪賀に常住し、荒くれ者にも顔が利く古株だよ。趣味はキュン死を用いた忍具の開発と妹の拡張で――」

「ちょ、待ってください。今、芦辺って言いましたか?」


 後半の奇天烈きてれつな発言も気になったが、何より捨て置けないのは男の苗字だった。拙者と同じ芦辺の姓を名乗ったのだ。


「そう、僕は萌賀のにんなんだ。罪賀ここでは素性を隠してるけど、血縁上は芦辺甚代じんだいの実弟。つまり是周君、キミの叔父ということになるね」

「お、叔父上ですかぁ!?」


 驚きのあまり、つい頓狂とんきょうな声をあげてしまう。


 しかし言われてみれば、確かに目鼻立ちや細かい所作など、父上に似ていなくもないが。


「芦辺君、そちらの御仁ごじん貴方あなたの叔父様なの?」

「そのようだな。しかし父上の話では、すでに叔父上は他界したと聞いていたが……」


 芦辺家の仏壇には、一つだけ新しい位牌いはいが混じっている。それは最近亡くなった叔父のものだと、拙者は父上から聞かされていたのだ。


「抜け忍は一族の恥だからね。兄は当主として、愚かな弟を死んだことにしたかったのさ」


 仮にそうだとしても、生者に対して位牌まで用意することはないだろう。悪辣あくらつすぎる父上のり口に、拙者は名状し難い嫌悪感を覚えた。


 だが叔父は気分を害した様子もなく、


「次は、キミたちの脱獄を手引きした小さな勇者を紹介しよう。妹の芦辺アリスだ」


 自慢気に言うと、隣に座る幼女を慈しみの目で見つめた。


「なるほど、そういうことか……」


 萌賀ほうがものの妹であれば、この場違いな異邦ロリにも納得がいく。妹遁まいとん使いと非現実な妹、その二つを結びつける解釈は一つしかない。そう、アリスは叔父が具現化した妄想の妹なのだ。


 しかしそうなると、見過ごせないのが「異邦」という点だった。


 外国人の妹を具現化するのは、妄想基準法「妹遁に関する法令第三項」に反するのである。すなわち「明らかに外国籍と分かる妹をみだりに具現化してはならない」に抵触する。アリスは極めてイリーガルな妹なのだ。そのうえ幼女という罪深さ。


 叔父が無法の地で暮らす理由――それは、この異邦ロリをかくまう為で間違いないだろう。


「アリスは妄想の妹だったんですね」

「え、この子が妄想?」


 拙者がアリスの正体を指摘すると、それを聞いた緒方が驚いた表情で口を挟んだ。


「あり得ない、距離的にも時間的にも妄想の限界を超えてるわ。妄想狩りで引き離した妹ならともかく、普通の具現化でこんな……」

「いや、そうとも限らないよ。退行の術を使えばアリスのような妹だって具現化できる。これは常時具現型というヤツさ。キミも聞いたことくらいあるだろう?」


 叔父は事もなげに種明かしをしたが、それは言うほど容易たやすい芸当ではなかった。


 退行の術は、省エネ妄想の中で最も難しいとされる節約術なのだ。具現化対象の性能を意図的に削り、妄想オーラの消費を大幅に抑えるのである。理屈だけなら簡単そうに聞こえるが、そのさじ加減は途方もなく厳しい。拙者も一廉ひとかどの妹遁使いを自負しているが、この術だけは未だに使えたためしがない。


 叔父はそれを易々やすやすと使いこなしている。しかもアリスの場合、瞠目どうもくすべきは「常時具現型」ということだった。


 退行の術を極めた妹遁使いは、具現化した妹を半永久的に維持できる――それが常時具現型だ。ただし、代償として妹の精神を「節約」しなくてはならない。アリスの感情がそこはかとなく乏しいのはその影響だろう。如何いかんせん、術本来の意義は飽くまで省エネなのである。


「常時具現型なんて初めて見たわ。芦辺君の叔父様って妄想の達人なのね」


 憧憬しょうけいの眼差しを叔父に向け、緒方が熱っぽく言う。


 そう、間違いなく卓越した妹の使い手だ。この罪賀で顔が利くというのも頷ける。拙者たちが牢獄から逃げ出せたのも、叔父という頼れる存在があったればこそだ。


「ねえ芦辺君。叔父様に頼んで、あの二人も助けてもらったらどう?」

「あの二人?」


 それは誰のことだ? ――と思ったのは一瞬だった。拙者は「あ!」と短く声をあげ、己の迂闊うかつさを呪った。


 脱獄の達成に安堵したり、かと思えば叔父の出現に驚いたり。そんな慌ただしい動揺の中で、拙者は大事な親友のことをすっかり忘れていたのだ。それをまさか、緒方の提案で思い出すことになろうとは情けない限りだった。


「そうだな、こうしちゃいられないぞ……」


 逃げ惑う充真じゅうまたちの姿を想像しながら、拙者は背筋を伸ばして叔父に向き直るのだった。

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