其の陸 脱獄は計画的に
緒方は白いリボンで後ろ髪を
「私の便遁では役に立たないわね。
「ふむ、試してみよう」
拙者は頷くと、通路に響かぬように「キモォー」と
「……!」
――?
……いや失敬。なぜか舞衣は無言のまま、どこか
「お、おい舞衣。一体どうしたというのだ?」
「つまんない。普通に登場ナリ」
どうやら位置ズレがないことに不満を抱いたらしい。天使のように可愛い妹が、今は両頬を膨らませてムスッとしている。いや、もちろんそれはそれで可愛いのだが、こうも露骨にいぢけた態度だとキュンにも迷いが生じる。
「舞衣、おまえの萌え一文字で鉄格子を斬ってくれないか」
「お兄ちゃん、舞衣は奇抜な登場がしたかったでごぢゃるよ?」
「……分かった。あとで具現化をやり直すから、今は鉄格子を斬ることに集中してくれ」
「らぢゃー」
投げ
よほど位置ズレなしが気に入らなかったのだろう。舞衣は覇気のない表情で仕込みアホ毛を引き抜くと、
――キィィーン!
金属同士のぶつかり合う高い衝撃音。だがその一撃で鉄格子を斬ることはできず、逆に萌え一文字が物打ちの部分からポッキリ折れてしまった。
「ごぢゃああぁぁぁ〜! 萌え一文字が折れちゃったナリィィィ〜!」
舞衣が大声で泣き叫ぶ。
これだけ大騒ぎをすれば、間違いなく先ほどの看守が戻ってくるだろう。
「……」
致命的なキュン不足に白けていた拙者は、これ幸いと舞衣の肩に右手を置いてドロン、何も言わずに妹の具現化を解いた。
「あ、
「この鉄格子は萌え一文字で斬れないようだ」
緒方の言葉を遮り、淡々と事実だけを告げる。拙者の未熟な妄想では、これ以上の高硬度な萌え一文字は具現化できない。完全にお手上げの状態だった。
「じ、じゃあ、舞衣を鉄格子の外側に具現化するというのはどうかしら? 本人も位置ズレを希望しているようだし、きっと喜ぶと思うわ」
「それだ!」
何も鉄格子を壊すばかりが能ではない。舞衣を鉄格子の向こうに具現化し、戻ってきた看守と戦わせればいいのだ。それで牢獄の鍵は簡単に奪えるだろう。
拙者は鉄格子に近づくと、その隙間から右腕を伸ばして妄想オーラを高めた。手の平から妹が出るわけではないが、イメージ次第で具現化の精度も変化するのだ。
「キモォー!」
「いや、キモいのはお兄ちゃんでごぢゃる」
すると
またしても位置ズレは起こらなかったのだ。一体どんな法則が働いているのだろうか。もう神の
拙者は無言のままドロン、再び舞衣を消して深い溜め息を落とした。
「ね、ねえ芦辺君。もう少し舞衣を
「キモォー!」
拙者は再び緒方の言葉を遮ると、立て続けに妹遁の術を発動した。
さすがに三回連続はないと
恨めしげに拙者を睨んでいた舞衣も、やがて人形のように反応しなくなった。
「いかん、いかんぞ。このままでは兄妹の仲が険悪に!」
「もう手遅れのような気もするけど、とにかく具現化は中断して別の方法を考えましょ」
「……そ、そうだな」
つい意固地になっていた拙者は、すぐに頭を切り替えて緒方の提言に従った。
「
なかなかに面白い案だった。しかし拙者は首を左右に振った。
「残念だが、そこまで妹を小型化することはできない」
妄想オーラを節約しても、具現化対象を際限なく小型化できる訳ではない。それぞれの遁術が持つ特性により、どうしても一定の制限を受けるからだ。
たとえば妹遁の場合、キュンが
ゆえに一寸法師サイズ――胎児のような妹は論外なのである。
「これもダメだといよいよ手詰まりね」
緒方が大仰に肩を
妹遁の連発でヘトヘトだった拙者は、
「おうテメェら、楽しくやってるみたいだな。グヘヘヘッ」
そのとき
先刻の小太りな看守だ。拙者たちが騒がしかったので戻ってきたのだろう。禿げた頭頂部が
「べ、別に脱獄しようとしてた訳じゃないんだから!」
看守の姿に焦った緒方が、ツンデレ崩れの言いまわしで余計なことを口走る。
もちろん、そんな
「ほう。賑やかだと思ったら、やっぱり脱獄を図ってやがったか。そいつは無駄な努力をしちまったな。この牢獄には仕掛けがあって、妄想忍者は絶対に逃げられないぜ」
「な、何……だと!?」
看守の話を聞いた拙者は、脱力して大の字に倒れてしまった。
舞衣を牢屋の外に具現化できなかったのは、恐らくその仕掛けとやらが原因だろう。これでは脱獄なんて到底無理だ。
拙者はそう思って観念したが、緒方はまだ諦めていなかった。
「絶対に逃げられないとは大きく出たものね。そんなに自信があるなら、参考までにどういう仕掛けなのか教えてもらえないかしら?」
彼女らしい挑発的な態度で、牢獄に施された仕掛けを
「いいだろう。ならば教えてやるから、感謝して聞けよ」
間抜けな看守は、そんな緒方の口車に乗せられて得意気に語り出した。
「この牢屋の壁や鉄格子には、
大の字で寝ていた拙者は、その話を聞いて思わず跳ね起きた。悔しさが込み上げたのだ。
「クソッ! 拙者の妹遁が
「そうね、確かに逃げられないわ」
二人揃って弱音を吐いたそのとき、不意に通路の奥から新たな人影が姿を現した。
「あれは!」
沈み込んだ気持ちが急浮上し、やがて歓喜に変わる。近づいてきた人影の正体は、
「緒方、光明が見えたぞ!」
しかし彼女は、この喜ばしい助っ人の登場に不満の声をあげた。
「どうして藤村君は忍び足を使ってないの? あんなに堂々と近づいたら、看守が警戒して仲間を呼んでしまうかもしれないわ」
「それなら心配ない。充真は『
「……潜伏術? 私には普通に歩いているようにしか見えないけど。そもそも胸を使ってどう隠れるのかしら」
隠れ巨乳の緒方が鼻で笑う。千乳霞の術が理解できない様子だった。
確かに一見すると、正面から看守に近づく無謀な構図である。しかし実際は違う。両者の間には、不可視のおっぱいが寄せて上げるように
――そう、それが
敵の視界に幻覚作用を及ぼし、どんなマニアックな性癖にも刺さる千のおっぱいで
幻の胸を
「つまり藤村君の歩く姿が、あの看守の目には……む、胸を露出した痴女に見えると?」
両頬を桜色に染め、緒方が恥ずかしそうに術の内容を確認する。
「うむ、おっぱいだ」
「上半身裸ってことよね?」
「いや、一概にそうとは言えない。千パターンの幻おっぱいが相手の好みに合わせて出現するのだ。潜在意識がチラリズムを求めていれば、おっぱいは服を着ているかもしれない」
「幻とはいえ、あまり過激だと
「確かにその恐れはあるな。だが、
拙者たちが妙な現実逃避をしていると、ようやく看守も充真に気づいて奇声をあげた。
「……おお、こいつは! うっほほおおおっぱい!」
だらしなく鼻の下を伸ばし、
どうやら千乳霞の術が上手く働いたらしい。看守の目に映っているのは充真ではなく、潜伏の為に作り出された眩惑のおっぱいだ。
しかしその
「ぐふっ、こんなところに迷い込むなんて悪い野良おっぱいだ。お仕置きしてあげるから早くこっちにおいで」
看守は野太い
拙者の隣では、看守の痴態を目にした緒方が青ざめた顔で立ち尽くしている。
「ほぅら豊満ニャンニャン、早く僕チンの胸に飛び込んでおい――」
「
嬉しそうに両手を広げる看守の顔に、充真が乳首然とした飛び
直後にグシャッという不快な音が響くと、看守の口から二本の歯と短い悲鳴が飛び出した。その
「ち、乳首が乱れ舞い、
最後に何が見えたのだろうか、看守は
充真は伸びた看守の腰から鍵束を取り上げると、鉄格子のドアを開いて拙者たちを解放してくれた。これで汚い牢獄ともオサラバだ。
「よお
「助かったよ充真。それにしてもよくこの場所が分かったな」
「緒方の隠れ巨乳のおかげさ」
充真が、どこかで聞いた
「充真よ、足はもう大丈夫なのか?」
緒方の奇襲を受けた際、彼の右足は個室の下敷きにされたのである。
「ああ。軽い
そう言ってチラリと緒方を見る。
「是周こそ、緒方と一緒にいて大丈夫だったのか?」
「いや、なかなか個室を貸してもらえなくて漏らすところだったよ」
そう言ってチラリと緒方を見る。
「ああもう、二人で過去を掘り返さないでよ。あのときはまだ敵だったから仕方ないでしょ!」
連続チラ見に
それを見て、充真は
「随分と打ち解けてるようだが、何かあったのか?」
「ああ、緒方とは協力関係を結んだのだ」
「協力関係?」
首を傾げる充真に、拙者はこれまでの経緯を
「おいおい、じゃあ課外授業は――緒方捕縛の任はどうするつもりなんだ?」
「一身上の都合で放棄する。悪いな充真」
「そうか。まあ被害者のおまえがそれでいいなら、俺は別に構わんけどな」
「恩に着る」
充真は軽く手を挙げて応じた。
「それで、いつ比賀の里へ乗り込むつもりなんだ?」
「
「
「だろうな。そういえば
拙者がそう訊ねると、充真は呆れ返った表情で
「あの戦闘狂なら罪賀の連中と戦ってるぜ。ここはあたいに任せるんよ、とか言って陽動役を買って出たんだ。頃合いを見て俺たちと合流する
あるいは戦いが楽しくて、陽動の切り上げ時を見失ったのかもしれない。戦力としては最高に頼れる伊能も、その熱くなり過ぎる性格が玉に
「ここで彼女を待つの? できれば長く
「いや、心配なさそうだぞ。
通路の暗がりから、ちょうど足音が響いてきたところだった。陽動を終えた伊能が、こちらに走ってきたのだろう。気掛かりだった合流は無事に果たされそうだ。
と思ったのだが――
「ちょっと待って。この足音、何か変じゃない?」
そう、どうも様子がおかしかった。伊能一人にしては足音が大きかったのだ。
実際にはかなり遠い場所から聞こえていたらしく、それは近づくに連れ地響きのように変化していった。まだ闇に埋もれて見えないが、明らかに複数の人間が走っている音だ。拙者たちは不安に駆られて顔を見合わせた。
やがて通路の正面に土煙が巻き上がると、その向こう側から赤みを帯びたショートの人物が飛び出してきた。
「ごめーん。敵の数が多すぎて
言わずと知れた伊能である。
叫びながら走る彼女は、背後に大勢の追っ手を引き連れていた。この罪賀で無体を働く抜け忍どもだろう。ざっと三十人はいる。
「やばい、拙者たちも逃げるぞ!」
慌てて通路の反対側へと走り出す。ここで捕まれば、もう誰も救出には来てくれないだろう。何としても逃げ延びる必要があった。
伊能と合流した拙者たちは、反響する靴音と飛び交う怒号に追われて通路を走った。
頼りない光源の所為で、地面の凹凸に何度も足を取られる。狭い通路は細かく枝分かれして、まるで迷路のように拙者たちを
「ちょ、待つんよ芦辺、そっちの道は
不意に伊能の気配が遠ざかる。
薄暗い通路を
「芦辺君、戻っちゃダメよ!」
緒方が鋭く叫ぶ。彼女だけは、拙者の斜め後ろを
「くっ、二手に分かれてしまったか」
だが伊能たちを心配している余裕はなかった。拙者も緒方もかなり息が上がっている。出口の見えない通路は精神的にも
とても逃げ切れるとは思えなかった。ならば多勢に無勢であっても、動けるうちに迎撃した方が得策だろう。
「緒方、このままではジリ貧だ。体力があるうちに迎え撃とう」
「そうね、私も同じことを考えてたわ」
覚悟を決めて、拙者たちが立ち止まろうとしたそのときだった。
「こちらです、お二人とも早く!」
不意に知らない女の声が響いた。驚いて周囲を見まわすと、岩壁の裂け目から細い腕が伸び、ヒラヒラと拙者たちを差し招いていた。何者だろうか。
「……ど、どうする芦辺君?」
「迷っている暇はない。行こう!」
拙者は緒方の手を掴むと、
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