其の伍 死ぬほど特別な任務

 腹が減っては何とやらだ。


 拙者は脱獄よりもはらごしらえを優先し、差し入れの食事を頂くことにした。茶碗と箸、コップを持って床に胡坐あぐらく。緒方も釣られてトレーに手を伸ばした。


 ようやく悪臭が収まった狭い部屋で、拙者は彼女と向き合って遅めの昼食をり始めた。


「白飯と水だけか。まあ無いよりはマシだが……」


 冷めた飯は不味まずく、そのうえ量も充分とはいえなかった。半端に食べたことで、却って空腹感が増したようにも感じる。腹は一向に膨れず、胸中の不安ばかりが膨らんでいった。


芦辺あしべ君、あの……一つお願いがあるの」


 それは二人とも食事を終え、拙者が深い溜め息を漏らしたときだった。緒方が神妙な顔つきで切り出したのだ。


 突然のしおらしい態度に、拙者は困惑しながらも突き放すように応じた。


「悪いが緒方、メシのお代わりなら拙者ではなく看守に頼んでくれ」

「ちょっと、いきなり何の話?」

「自分でお代わりするのが恥ずかしいから、拙者にお願いしたいという話じゃないのか?」

「違うわよ!」


 緒方が力強く否定する。


 さすがに牢獄でお代わりはしないようだ。しかしそうなると、他にこれといった心当たりがない。彼女のお願いとは何か、拙者は黙って次の言葉を待つことにした。


 程なくして、冷静さを取り戻した緒方が躊躇ためらいがちに口を開く。


「もし芦辺君が脱獄を考えているなら、私にも……協力させてもらえないかしら?」


 そうたずねると、緒方は切れ長の目を気まずそうに伏せた。


 およそ彼女らしからぬ申し出だった。罪賀さいがの悪い空気に当てられて変節したのだろうか。いや、何か良からぬことを企んでいるのかもしれない。


 拙者は警戒しながら彼女に答えた。


「確かに脱獄は考えている。緒方の協力があれば渡りに船だろう。だが、さっき馴れ合わないと言ったのはおまえだぞ。舌の根も乾かぬうちにどういうつもりだ?」

「ここが罪賀の里と分かって事情が変わったの。脱獄しなければ芦辺君の身が危ないわ。私の任務では、できる限り貴方を傷つけないよう言われてるから」

「それは妹を奪う際の命令だろ? おまえが脱獄を手伝う理由にはならないと思うが」

「……」


 緒方は眉をひそめると、拙者の疑問を無視して責めるように問い返した。


「そもそも芦辺君は、どうして私を助けたりしたの? 舞衣を奪い返したあと、危険を冒して吊り橋を戻る必要はなかったはずよ。私を見捨てていれば今の状況にはならなかったわ」

「それは……」


 思わず言葉に詰まる。


 確かに今の状況は拙者が作り出したものだ。拙者が緒方を助けようとしなければ、こうして投獄されることも、協力や馴れ合いの問答をすることもなかった。今頃は学校に戻って、任務放棄の件を叱られていただろう。


 だがあのとき、拙者はどうしても緒方を見捨てることができなかった。学校で出会って以来、幾度となく妄想修業を繰り返した仲なのだ。情が移るには充分すぎる時間だった。たとえそれが、彼女にとっては任務の一端、偽りの関係に過ぎなかったとしても。


 拙者の中に芽生えた「感情」は、緒方の妄想狩りすら許せるほどに大きく育っていた。


「そう、つまり拙者は緒方のことが好――」


 途中まで言いかけて、慌てて口をつぐむ。


 頭の中で考えていたことを、うっかり口に出してしまいそうになったのだ。


「私のことが何? す?」

「いや、だからおまえのことが……す、凄く悪い奴には思えなかったのだ」


 拙者は、咄嗟とっさひらめいた嘘を喉の奥から絞り出した。


 この色気のない牢獄で、たまたま休戦中の緒方に秘めた想いを告げる――そんな愚行を犯すわけにはいかなかった。告白なんて妹にもしたことがないのに。


「まさか、そんな理由で私を助けたの? そんな性善説にすがるような理由で?」

「そ、そうだ。悪いか!」

「悪いわよ。私たちは比婆古ひばこ流と萌隠もがくし流の忍者、不倶戴天ふぐたいてんの敵同士なのよ?」

「流派の確執なんて悪しき因習だ。今を生きる拙者たちに関係ない」


 それを聞くと、緒方はやれやれといった様子で肩をすくめた。


「次期当主として思慮に欠ける発言ね。そんなことだから私に妹を奪われるのよ」


 聞き捨てならぬ言い草だった。ムッとした拙者は、反撃とばかりに皮肉で切り返した。


「ならば拙者も言わせてもらうが、任務に失敗したくらいで軽々に死を選ぶ緒方こそ、よほど思慮に欠けた行動をしていると思うがな」

「あれは……」


 緒方が返事にきゅうする。つまり、拙者の言葉は図星を突いたということだ。


「なるほど、自覚はあったのだな」


 常識的に見て、緒方の任務に対する責任感は異常といえるレベルだった。なぜなら、生徒が担うそれはくまで「課外授業の一環」だからだ。ときには重い任にも当たるが、大抵は取り返しのつく内容で、失敗した場合も寛大な措置がとられる。


 しくじったくらいで自決するなど、生徒の立場ではおよそ現実味のない話なのだ。


比賀ひがの里では、生徒にも特別な任務が与えられるの」


 緒方は短い沈黙を破ると、いつもの凛とした声で言った。


「そうか、萌賀ほうがの里とは違うというのだな。それで、おまえの任務はどこが特別なんだ?」


 拙者の妹だけを狙う潜入任務は、確かに命じた者の意図が不明で異質なものだった。だが、その失敗を命で詫びるほど重大な内容とは思えなかった。


「そうね、もう隠しても意味ないし教えてあげる。私の任務は左衒さげん様に下知げちされたものなの」

「サゲン様? 知らぬ御仁ごじんだが、どちらのサゲン様だ?」

蜷川にながわ左衒様。比賀の里長さとおさよ」

「さ、里長ぁ〜!?」


 あまりの驚きに、拙者は声色裏返しの術を炸裂さくれつさせた。


 謎めいた任務の出処でどころが比賀の里長だというのだ。それなら彼女の過剰すぎる使命感にも納得がいく。里で一番偉い人から受けた任務だ。軽々に扱えるものではない。


「しかし長期の潜入任務だぞ。生徒には荷が重いと、当時の里長は思わなかったのか?」

「それは逆ね。だって潜入先は学校だもの、むしろ生徒こそ適任だと断じたはずよ。だから、妄想狩りを修めた唯一の若手忍者――つまりこの緒方緋雨ひさめに白羽の矢が立ったの」


 選ばれたことを誇らしげに語る緒方。だが拙者には、妄想エリートゆえの受難としか思えなかった。天賦てんぷの才があったばかりに難しい任務を押しつけられたのだ。


「これで分かったでしょ? 私は任務に失敗して左衒様に合わせる顔がないの。だから自決の道を選んだ。でも恣意しい的な判断で芦辺君を巻き込んでしまったわ」

「それは拙者が勝手にやったことだ。隠れ里に流れ着いたのも緒方の所為せいではない」

「だけど、このままでは納得できないから協力を申し出たの。これも任務みたいなもの。貴方を無傷で脱獄させたいのよ。どう、私の気持ちを受け取ってもらえるかしら?」

「……」


 拙者は即答を避けた。


 緒方の行動理念は理解できたが、だからこそ危ういと感じる部分があったのだ。まずはそれを排除しなければならない。


「おまえの申し出を受け入れてもいいが、一つ条件がある」

「ふふっ、協力を受ける側なのに偉そうね。それで条件とは何かしら?」

「脱獄が済んだあと、再び死のうと考えないことだ」

「っ!」


 緒方は吐息のような声を発したが、拙者の出した条件には何も答えなかった。ただ眉間にしわを寄せ、どこか恨めしそうに拙者を見つめている。


 その態度が答えだった。


 つまり彼女は、拙者を脱獄させて心残りを晴らし、そのあと改めて自害するつもりだったのだ。まだ死ぬことを諦めていない。それほど任務の失敗に責任を感じているのだ。


「思った通りだな。そんなに死にたいのか?」


 拙者が無遠慮に訊ねると、緒方は自嘲するように歪んだ笑みを浮かべた。


「別に死にたいわけじゃない。私はただ、それ以外に責任の取り方を知らないだけよ」

「そうか。ではおまえに死なれる前に、拙者も不始末の責任を取ろうではないか」

「不始末の責任?」


 緒方が不思議そうに首を傾げる。

 拙者は、その場の思いつきを頭の中で整理して話を続けた。


「大したことではない。拙者は死に急ぐ緒方を助け、逆に苦しめてしまった。だからその責任を取り、おまえの任務達成に協力しようと思う。そうすれば、緒方が死んで詫びる必要もなくなる。違うか?」

「違わない……けど、今から任務達成って。まさか私に舞衣を差し出すつもりなの?」

「いや、それは御免だな。代わりに、拙者が蜷川左衒の居所きょしょまで同行しよう」

「は?」

「おまえの任務は、拙者をできるだけ傷つけずに舞衣を奪うことだ。つまり元気な拙者が同伴すれば、それだけで完遂したことになる。別に拙者が一緒でも任務に反してないだろ?」

「確かに芦辺君がセットじゃ駄目とは言われてないわ。でもそれだと奪ったことにならないし、何より左衒様にとっては予想外の展開よ」


 緒方が呆れ顔で言う。


 だが、拙者の提案を一蹴する様子ではなかった。きっと心のどこかで迷っているのだ。その証拠に彼女は、髪をいじったり口元に手を当てたりと落ち着きがない。


 そんな緒方を説き伏せるには、任務の「見えない部分」に切り込む必要があった。


「予想外の展開と言うが、そもそもおまえの任務は何が正解なのだ? 敵地に潜入する危険を冒しながら、そのターゲットは拙者の妹一人。これではリスクに釣り合わない。萌賀に対する宣戦布告でもないし、蜷川左衒の目的が見えないのではないか?」


 実際おかしな話だった。


 比賀の里長は、なぜ面識すらない拙者の妹を奪おうとしたのか。


「次期当主」の戦力をぐ為とも考えられるが、比賀の里長は穏健派といううわさもあり、あまり現実的な洞察とはいえなかった。


「そうね。私もこの任務は不可解……理不尽だと思うわ」


 緒方の口から本音がこぼれた。


 あるいは、心の天秤が揺らぎ始めたのかもしれない。里長に対して不信感をにじませ、拙者の意見に傾いている。そんな印象だった。


 彼女の気持ちを変えるまで、あと一息だ。


「脱獄後に拙者と比賀へ行くなら、里長の目論見をすべて吐き出させてやるぞ。そうすれば、おまえは任務を達成して真実にも辿り着ける。さあ、どうする緒方よ!」


 拙者が強い口調で決断を迫ると、緒方は何かを悟ったように硬い表情を緩めた。


「バカね、敵に塩を送るなんて」


 そう言って、わざとらしく笑声を響かせる。


 だが、そんな彼女の虚勢も長くは続かなかった。笑声はしりすぼみに聞こえなくなり、気がつくと目尻に涙を溜めて拙者を見つめていた。


「また私の負けね。ありがとう芦辺君」

「礼には及ばないぞ。協力するのは責任を取る為だし、拙者も比賀の里長に用があるからな」


 己の都合であることを強調すると、緒方は即座に首を振った。


「それは口実でしょ。本当は、私から任務という『重荷』を取り払おうとしてる。違う?」

「た、単なる利害の一致だ」

「素直じゃないのね」


 緒方は手の甲で涙を拭うと、不満そうな表情で唇を尖らせた。


 そのブサ可愛い顔にドキッとしながら、拙者は苦笑を浮かべて彼女に言い返した。


「素直じゃないのはお互い様だ」

「確かにね。じゃあひねくれ者同士、仲良く手を取り合って比賀の里へ向かいましょう」


 素直じゃない言い方で、それでも彼女は申し出を受け入れた。これで話を進められる。


「では一応確認するぞ。まず緒方が拙者の脱獄を手伝い、次に拙者が緒方の任務を補佐する。要するに、罪賀を抜け出して里長に会うまでの協力関係だ。それでいいな?」


 拙者がそう問いかけると、緒方は吹っ切れた笑顔を見せて頷いた。それは拙者を騙してきた間者の仮面ではなく、彼女の本当の気持ちが込められた素の笑顔だった。


「何だか恥ずかしいわね」

「そうだな。だがこういうのも悪くないだろ?」


 正式に協力関係を結び、その証としてガッチリ握手を交わす。


 これで課外授業の放棄も確定した。もう後には引けない。いずれ学校から処罰を受けることになるだろう。だが今は、そんなことをうれえている場合ではなかった。


「さっそくだが脱獄の算段を練ろうか」

「ええ、こんなところでつまずいてたら笑えないものね」


 やるべきことは決まった。あとは、この難局をどう乗り越えるかだった。

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