其の弐 パンツで破る!

妹遁まいとんの術を使うとき、拙者は常に『九十七パーセントの舞衣まい』を具現化している」

「……え?」

「要するに、残り三パーセントの舞衣が拙者の手元には残っているのだ」

「まさか、複式の術で舞衣を……妄想の妹を分割しているというの!?」


 緒方は眉根を寄せて拙者をにらんだ。あるいは妹の分割という行為から、兄の虐待を想像したのかもしれない。


「分割した妹なんて正直イメージできないけれど、たった三パーセントのそれが私に通用するのかしら?」

「もちろんだ、お望みとあらば今すぐ証明してやろう。キモォー!」


 拙者は起妄きもうの掛け声とともに、残り三パーセントの「妹」をドロンと具現化した。これだけ対象が小さいと位置ズレも起こらない。右手に掴んだ純白のそれが、吹き上がる谷風を受けて優雅にはためく。


 緒方は、拙者が具現化したものを見て表情を一変させた。


「分割した三パーセントって、まさか妹の下着……」

「その通り。聖骸布せいがいふの次に崇高とされる布、すなわち妹のパンツだ」

「信じられない! わざわざ分割して、いつも穿いてない妹を具現化していたというの?」


 拙者は大きく頷いた。


「これぞ妄想の妙技、妹遁は戦うばかりが能ではないのだ。脱衣三原則を逸脱した『脱ぐものがない』という変則的な――」

「だ、黙れヘンタイ!」


 緒方が声を荒立てる。際疾きわどいパンツの在り方に戸惑い、すっかり冷静さを失っているようだ。


「そのパンツを頭にかぶってどうするつもりよ!」

「おい待て、別に被るとは言ってないぞ」

「じゃあ舞衣に穿かせて百パーセントの妹にするのかしら? 下着を強化した程度で私の奥義は破れないわよ」

「そんな運否天賦うんぷてんぷとは違う。妹とパンツ、そこからつむぎ出される即興術をとくと見るがいい」


 拙者は両手の指にパンツを絡めると、舞衣の眼前でズバッと広げてみせた。


「舞衣、これが何か分かるな?」

「ほえ?」


 いきなり突き出されたパンツに舞衣はキョトンとしている。


「おまえのパンツだ」

「あ、ホントでごぢゃる! お兄ちゃん考案の『ツチノコ・エンジェル』が、臀部でんぶにデデンとプリントされてるナリ」


 背中に天使の翼を生やした太く短い蛇。ツチノコ・エンジェル。拙者が舞衣の為にデザインしたオリジナル妄想キャラである。


「で、でも、どうしてお兄ちゃんが舞衣のパンツを持ってるでごぢゃるか?」


 微かに上ずる妹の声が、その動揺を如実に物語っている。まずは第一段階クリアだ。


「ふざけないで芦辺君、そんな稚拙な揺さぶりで戦局が変わると思ってるの?」


 緒方がイライラした口調で言葉を挟んだ。


 そう、確かにこれだけでは妹を取り戻せない。この即興術には第二段階があるのだ。拙者は心を鬼にして、舞衣の耳に残酷な妄想を吹き込んでいく。


「このパンツはおまえがトイレに流されたとき脱げてしまったもので、ここまで一度も洗ってないんだ。つまり猛烈にくさいというわけだな」

「が、びーん!」


 舞衣の顔色が急激に青ざめ、そこから一転して真っ赤になった。激変する感情を処理できず、頭頂部から白い煙が立ち昇っている。


「うう、嘘でごぢゃる。舞衣のアロマはエレガントな花の香りナリ!」


 あたふたと恥じらいながらも、妹は必死になって否定と訂正の言葉を吐き出した。


 もちろんくさいというのは真っ赤な嘘だ。兄の権限による後付け設定である。そもそも普段の舞衣は穿いてすらいない。


 拙者は第二段階の仕上げとして、両手のパンツをより一層、盛大に広げてみせた。


「や、そんなに広げちゃダメでごぢゃる!」

「フフン。甘いぞ舞衣、ただ広げただけではないのだ」


 親指と小指で目一杯に広げたパンツを、拙者は少しずつ勿体つけて己の顔に近づけた。このとき、ニタァ~という下品な笑みを浮かべることも忘れない。


「ごぢゃああ! かかかか顔に被るでごぢゃるか!? そんなことされたら舞衣は恥ずかしさのあまり死んじゃうナリ!」


 涙目の妹が、懇願するように両手を合わせて「ごぢゃああ!」を繰り返す。拙者はその様子を確認しながら、これ見よがしに鼻をひくつかせた。


 もっとも、香り立つパンツの匂いはすべてフィクションであり、実際には下着のフレグランスをくんかくんかできるわけではない。飽くまで妄想をたくましくした拙者の演技である。


「あう、お兄ちゃんの言うこと何でも聞くから、それ以上は嗅がないで欲しいナリ……」


 ――そう、それだ。その反応を待っていたのだ!

 拙者はパンツの動きを止めると、ゆっくりらすように顔から遠ざけた。


「何でも言うことを聞くのだな? ならば舞衣よ、もう緒方の命令には従うな。今すぐ拙者の妹に戻ると約束するのだ」

「約束するナリ、舞衣はお兄ちゃんの妹ナリ! だからパンツを返して欲しいでごぢゃる!」

「いいだろう。萌え一文字いちもんじを頭に仕舞しまって拙者のところへ来い」


 これで形勢は逆転した。


 拙者は天啓ともいうべき即興術を駆使して、傀儡くぐつの妹をパンツ一枚で奪い返したのだ。特に実感はなかったが、具現化の「器」である魂の一部も戻ってきたはずだ。


かわや傀儡の術、破れたり! 悪いな緒方、拙者の方がパンツ一枚上手だったようだ」

緋雨ひさめ姉、御免でごぢゃる。舞衣はパンツで破れちゃったナリ」

「そんなバカな! 私の奥義があんな下品な妄想会話であっさりと……」


 パンツの神秘を前にして、緒方はガックリと両膝を折った。失意体前屈の姿勢で力なく項垂うなだれる。完全に戦意喪失状態だった。


「…………」


 拙者は舞衣の肩に右手を置いてドロン。久方振りに自らの意思で具現化を解くと、緒方に背を向けて歩き出した。


「ちょっと待ちなさい、どこへ行くつもり?」


 緒方が非難めいた口調で呼び止める。拙者は振り返らずに答えた。


「学校に戻る」

「私を捕縛するんじゃなかったの?」

「そういう任務だったが、舞衣を取り戻したら気が抜けてしまってな」


 何やかやで、緒方に対する怒りもすっかり冷めていた。


 そんな気持ちのまま彼女を連行しても意味がない。もし学校が緒方を拷問にでもかけたら、拙者は後味の悪い思いをするだろう。だから捕縛の任務を放棄したのだ。


 あとは、血の気が多い伊能いよくをどう説得するかだが……


「もしかして私のことを気遣ってるのかしら。でもね芦辺君、舞衣の奪取に失敗した以上、私はおめおめと比賀ひがへ引き返せないの!」


 任務放棄の言い訳を考えていると、拙者の背後で緒方が叫ぶように言った。


 その声には揺るぎない決意が宿っていた。彼女の戦意は挫いたつもりだったが、まだ充分ではなかったようだ。捕縛しない限り、何度でも戦いを挑んでくるかもしれない。


「さて、どうしたものか」


 拙者が再戦を覚悟して振り向くと、緒方は吊り橋の中央で寂しそうに微笑んでいた。彼女は立ち上がるわけでもなく、その場で静かに妄想オーラを練り続けている。


「今度は何を具現化……いや、まさか!」


 拙者はハッと息を呑んだ。

 そして、緒方の背後に木目調の個室が現れたとき、彼女の意図をすべて悟った。


「待て、やめろ!」


 拙者は大声で叫んだ。


 その具現化は追撃の狼煙のろしではない。緒方の目的は、個室の重さでもろい吊り橋を落とすこと。つまり彼女は、任務失敗の責任を取って自害するつもりなのだ。


「今すぐ便遁べんとんの術を解け!」


 拙者は再び叫ぶと、無意識のうちに走り出していた。


 ロープがブチブチと音を立てて切れ始める。底板が上下左右に波打つ。吊り橋は、それ自体が狂暴な生き物であるかのように激しくのたうちまわった。


「緒方、大丈夫か!」


 激しい揺れの中を這うように進み、拙者はどうにか緒方のもとに辿り着いた。


「……バカ、どうして戻ってきたの? 私たちは敵同士なのよ」

「そんなことはどうでもいい。とにかく吊り橋のたもとまで走るぞ、ほら急げ!」


 拙者は拒む緒方を無理やり立たせると、大急ぎで吊り橋の袂まで引き返そうとした。


 だが間に合わなかった。


 吊り橋が断末魔の悲鳴をあげて崩落する。拙者と緒方はすべもなく宙空に投げ出された。この高さから谷底へ落下したら助かる見込みはない。もはや万事休すだ!


「む、無念……」


 それでも緒方を救おうとしたことに後悔はなかった。せめて最期は、舞衣とたわむれた楽しい日々を思い出しながら――


「こら芦辺、諦めんなっ!」


 しかしその声が、巡り始めた走馬灯を粉々に吹き飛ばした。


 叱咤された拙者は、反転した視界の片隅に伊能の姿を捉える。彼女は崖上ギリギリに立ち、なぜか両手を大きく振りかぶっていた。そして次の瞬間、凄まじい勢いで何か小さな塊を谷底へ投擲とうてきした。


「あ、あれは……」


 一瞬だけ見えた白い影は、矮化わいかの術で具現化した匕骨あいくちのようだった。小石サイズのそれが、落下中の拙者を恐ろしい速度で追い抜いていく。そして川面に当たった刹那せつな


 ――ドッボーン!


 砲弾の着水を思わせる巨大な水柱が噴き上がった。


 子泣き爺の特性がもたらしたトンデモ現象である。見た目は小石サイズでも、秘めた質量は計り知れない。物理法則をじ曲げた妖怪由来の骨密度。それが巨大な水柱を発生させたのだ。


「ぬわっ!」

「きゃ!」


 拙者と緒方は、川面から突き上がる水柱の一撃に弾き飛ばされた。落下の勢いを途中でがれた格好だ。そのおかげで川面への直撃を免れた。


 これなら助かるかもしれない!


 咄嗟とっさに水柱を作った伊能のセンスに、拙者はただただ感服するばかりだった。


 しかし、それで窮地を脱したと判断するのはまだ早かった。水柱の緩衝こそ働いたものの、川に落ちたときの衝撃は拙者の想像を絶するものだった。


「ぐはっ!」


 川面がコンクリートのように硬く感じられた。


 激しい痛みに襲われた拙者は、緒方の身体をかばうように抱いたまま、あっという間に意識を刈り取られた。

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