第二章 偽りの家族
其の壱 骨を振る校医
――いつもの夢を見ていた。
それは決して架空の物語ではなく、実際にあった過去の
始まりは満開の桜並木だ。
母上、
しかしそれは、八千代がぐずった途端に崩壊する。
優しい笑顔を浮かべた母上が、いきなり茶色のミディアムヘアを
拙者は
だから嘘の尿意を訴え、少しでも八千代を遠ざけようとした。
「母上、おしっこ」
妹から距離を取れば、いつもの優しい母上に戻る。拙者は
それでも母上は拙者の手を握ると、
「心配しないで
そう言って、普段通りの笑顔で導いてくれるのだった。
そして短い
視界が白い煙に覆われると、なぜか最後に「
☆
「母上……」
拙者は、目尻から
目を
「ここは?」
拙者が寝ていたのは、白いカーテンで仕切られたベッドの上だった。室内には微かな消毒液の匂いが漂っている。どうやら保健室のようだ。
「はて、何があったのか……」
拙者の記憶は、
どうして頭部を負傷したのか、なぜ保健室のベッドで寝ていたのか。何一つ思い出せない。こんなことは生まれて初めてだった。
「だ、誰かいませんか?」
拙者は、抑えた声で遠慮がちに呼びかけた。少し待っても反応がなかったので、取り敢えずベッドから離れようとする。
そのとき――不意にカーテンが開くと、白衣を着た若い女性がヒョッコリと顔を出した。
「あら芦辺君、もう起きたの?」
校医の
「御免なさいね。職員会議があって留守にしてたの」
先生がベッドの
「頭は痛くない?」
「はい、おかげさまで。包帯ありがとうございました」
「その包帯は私じゃなくて、仲尾先生が愛を込めて巻いたものよ」
「うげっ」
思い出したように頭が痛くなる。
「少し血が
美才治先生が、ハーフアップの明るい茶髪を揺らしながら顔を近づける。口元にある
「なるほど。どうやら手加減されたみたいね。この程度の浅い傷なら、軽く殴ってやれば完治するわ」
頭の怪我を視認すると、先生は急に物騒なことを言い始めた。それは、壊れかけの機械を叩いて直すような軽いノリだった。
「……え、殴る?」
「大丈夫よ、あっという間に終わるから」
「お、終わるって拙者の人生が?」
その問いかけに応えたのは、妄想オーラの急激な高まりだった。
そして次の瞬間、美才治先生の右手にドロン、煙を
言わずもがな、
「ちょっ……先生、何を!?」
「ほら、傷口に骨を振るって言うでしょ?」
「それを言うなら傷口に塩を
「いくわよ。両手は膝の上ね、そのまま動かないで!」
拙者の言葉を遮り、凶悪な匕骨が問答無用で振り下ろされる。
「待っ」
どうして骨遁使いは、
――カッコォーン!
やがて傷口を殴打されると、
「はい、終わったわよ。これで完治ね」
「ぎゃああああ……って、あれ?」
拙者は盛大に悲鳴をあげたが、殴られた痛みはまったく感じなかった。それどころか、頭のズキズキさえ嘘のように引いていたのだ。原理は不明だが、恐らく傷が完治したのだろう。
「これは一体……?」
「あら、芦辺君は初めてだったかしら。驚かせちゃって御免なさいね」
そう言って謝ると、美才治先生は近くの丸椅子に腰をかけた。
拙者は戸惑いながらも、この「不可解な治療」について説明を求めた。
「先生、どうして拙者の怪我は治ったのですか?」
ただ傷口を殴っただけなのに、と心の中で皮肉を付け加える。
美才治先生は、まだ手元にある
「ご覧の通り、私は
「いえ、妖怪には詳しくないので」
「三匹の鎌鼬は、一匹目が対象を転倒させ、二匹目がそれを斬りつけ、そして三匹目が素早く薬を塗るの。パックリ開いても出血しない鎌鼬の傷は、その三匹目が塗る薬のおかげね」
そこまで聞いてすぐにピンと来た。
「つまり先生の匕骨には、その薬の特性があると?」
「正解。私が具現化する匕骨『
説明を終えると、先生は
「不思議な
殴打で癒やされる貴重な体験だったが、事前に説明を受けなかった拙者としては、まるで
「というわけで怪我は完治したけれど、まだ経過を見るから一両日中は安静にしてね」
「経過って、どこも痛くないですよ。他にも何か問題が?」
「え? それは……」
拙者の質問を聞くと、先生は曖昧な態度で言葉を
「もしかして、骨で殴られた副作用があるとか?」
「いいえ、薬壷にそういう危険性はないわ」
「じゃあ目覚める前の記憶がないから安静にしろ、という意味ですか?」
重ねて訊ねると、美才治先生は驚いた顔で拙者を見た。
「記憶障害なんて初耳よ。
「その前に! まずは安静にしなくちゃいけない理由を教えてください!」
語気を強めて迫る。すると先生は、観念したように小さく溜め息を
「本当は、ショックを与えないように時間を置いてから言うつもりだったけれど」
「大丈夫です。後まわしだと
先生が首を傾げる。
「ブラ……? よく分からないけれど、冷静に受け止めなくちゃダメよ?」
「分かっています。
「では結論から言うわね。芦辺君。あなたは今、
「……はい?」
美才治先生が何を言っているのか、拙者は即座に理解できなかった。
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