其の陸 ガチンコ妄想バトル

嗚呼ああ、期末試験のことなど忘れて充真じゅうまと熱く語り合いたひ」


 拙者は、語尾をみながら己の願望を独りごちた。


 充真と交わす妄想トークは常に刺激が強く、授業では得られない叡智エイチに満ちている。


 たとえば、二人の連携で具現化を変態させる「合体妄想忍法」や、女性のインナーウェアを妄想力で解き明かす「下着問答」など、新術の開発から紳士のたしなみまで話題は様々だった。


「確か、曲がり角でパンツをくわえた女子とはち合わせたケースで、その子が穿いてない可能性を議論してる途中だったな。あとで充真とじっくり――」


 拙者が楽しい未来に思いを馳せていると、現実を突きつけるように本鈴が鳴った。

 教壇には、すでに担任の仲尾先生が気配もなく立っている。


「起立、妄想、着席!」


 チャイムの鳴り終わりに合わせ、日直がいつも通りの挨拶あいさつを済ませた。朝の号令は、一般校と比べて大きな違いはない。


 続いて出欠の確認だ。仲尾先生が土留ドドメ色の出席簿を開き、イロハ順に点呼をとる。


伊能いよくみやびちゃん」

「はい」

「ロリータ大杉ちゃん」

「いやん」

服部はっとり万蔵まんぞうちゃん」

「にんにん」


 迷惑な話だが、仲尾先生は生徒たちの名前を「ちゃん付け」で呼ぶ。そして一人称は、大柄な男でありながら「あたし」を使う。


 つまり先生は、ていにいえばオネエなのである。長い紫色の髪にパーマをかけ、マスカラとリップグロスで怪人級の人相をひけらかしている。


 しかも流派は乳影ちかげ流で、充真と同じ乳遁にゅうとん使いだった。身の毛が弥立よだつ仕草でおっぱい教鞭きょうべんを振るう、まさに筋金入りのオネエ教師なのだ。


「はぁい、本日の欠席者はナシね。それじゃあ皆さん、元気よく校庭に向かいましょう!」


 仲尾先生が、胸に提げたホイッスルでピピィーッと合図する。

 生徒たちは憂鬱ゆううつな表情をぶら下げ、机と椅子をガタガタいわせながら席を立った。


 これから「妄想コンテスト」の緒戦が行われるのだ。


 それは全校生徒が一堂に会し、学年ごとに一対一で競い合う実地テストだった。中間試験は筆記のみだが、期末のそれはガチの妄想バトルである。


 拙者は中間試験で高得点を収めた成績上位者だ。しかし、うかうかしてはいられなかった。座学と実技では、圧倒的に後者の配点比率が高く、内申にも大きく影響するからだ。


 気持ちを引き締める必要があった。拙者だけ黄色いトラックスーツで浮いていたが、今は恥ずかしがっている場合ではない。


「パンツを被って落ち着けば恥ずかしくはないが……。それだと伊能いよくにどやされるな」


 玄関で足袋たびき替えて校舎を出ると、頭上には雲一つない青空。肌をく陽光が厳しい夏を予感させる。水けのよい校庭はすでに乾いており、隅の日陰にある水溜まりだけが、昨夜の雨の名残を惜しんでいた。


「なあ是周これちか


 小走りで拙者に並んだ充真が、脇腹の辺りを無遠慮につついてくる。


「おまえ試験勉強した? 実は俺さ、昨日の夜おっぱいを具現化してんでたら、つい気持ちよくなって寝オチしちまってよ。あんま勉強できてねぇんだわ」


 揉んで揉まれるという乳遁使いをうらやみながら、拙者は昨晩の復習について思い起こした。


「拙者の場合、心が乱れて妄想オーラが安定しないのだ。昨夜も、あと一歩のところで舞衣の全力脱衣の術を見逃してな」


 拙者が無念をにじませて語ると、充真はとんでもないことを口にした。


「それって、最初から脱いだ妹を具現化すればいいんじゃね?」

「……バカな!」


 驚いた拙者はすぐに反論する。


「充真は『脱衣三原則』を知らないのか? 脱ぐ! 脱がせる! 脱いでもらう! ――何も着ていなかったら、脱衣の存在意義が失われてしまうのだぞ!」


 あまりの興奮に息が乱れた。


 それでも拙者は、更に脱衣の持論を展開しようと勢い込む。しかし、先生方のホイッスルが一斉に鳴り響いたので、続きは断念せざるを得なかった。


 いよいよ妄想コンテストが始まるのだ。

 緊張した顔の生徒たちが、学年ごとに列を作って校庭に並ぶ。


 ただし全員ではない。特に下忍生は、まだ具現化すら覚束おぼつかない者が多く、妄想コンテストに参加できる生徒は三分の二程度だ。具現化を覚えても、鍛練不足を理由に参加を見送る生徒がいるので、実際には全体の約半数――四十人くらいが「見学組」ということになる。


 甲組の緒方緋雨ひさめも見学組の一人だろう。試験の直前まで頑張っていたが、まだ妹の具現化には至っていないはずだ。


「それじゃあ妄想コンテストを始めるわよ」


 仲尾先生が、なまめかしい低声で試験の開始を告げる。


 グラウンドの中央に描かれた三つの円が、学年別の対戦フィールドになる。その広さは直径にして一〇メートル。下忍生が使うのは、校舎から見て右側の円だった。


「最初は……誰が呼ばれるかな?」


 女子生徒の一人が、不安を隠せぬ様子でつぶやいた。


 対戦相手は全クラスから無作為に選ばれ、試合順と合わせて戦う前に発表される。つまり、先生に呼ばれるまでは何も分からない仕組みなのだ。


「まずは対戦者指名制度の試合からよ」


 仲尾先生がそう告げると、生徒たちは顔を見合わせて一斉にどよめいた。


 対戦者指名制度とは、生徒が事前に対戦相手を指名できる例外的な措置である。自分よりも成績上位の者だけを指名でき、勝てば一割アップの点数が得られる。具現化未習得者の単位を救済するのが目的だった。しかし理不尽ゆえに「一発逆転制度」の蔑称べっしょうでも呼ばれている。


 現在の点数は中間試験の結果によるもので、まだ今学期の成績に大きな開きはない。


 それでも果敢かかんに指名制度を利用したのは誰あろう、骨遁こっとん使いの伊能みやびである。そして彼女が指名したのは、幼なじみの乳遁使い――藤村充真だった。


 二人は対戦フィールドに入って静かに対峙たいじした。


「充真、ちゃんと首は洗ってきたん?」

「なるほど、さっき教室で言ってたのは指名制度のことか。おまえ座学ダメだもんな」

「そういうこと。悪いけど、あんた殴って点数稼がせてもらうかんね」


 伊能は、唇の端を吊り上げて悪そうな顔をした。


「お互いに名乗りを上げたら試合を始めてちょうだい」


 審判役の仲尾先生が、二人に指示を与えて円の外側まで退がる。いよいよ対戦開始だ。


妙骨みょうこつ流、伊能雅」

乳影ちかげ流、藤村充真」


 短く名乗り終えると、二人は腰を落として低く身構えた。両者の妄想オーラが一気に高まる。具現化はほとんど同時だった。


 伊能の右手にドロンと現れたのは、子泣きじじい大腿骨だいたいこつを具現化した匕骨あいくちである。その短い杖のような得物を振りかぶり、凄まじい速さで充真のふところに飛び込む。先制攻撃は伊能だった。


「くたばれ巨乳男子!」


 後手にまわった充真は、しかし慌てた様子もなく具現化した胸に両手を添えた。乳を下から揉み上げる防御の構えである。


 そのとき拙者は、充真のおっぱいに微かな違和感を覚えた。Gカップを超越するその爆乳が、いつもより小さく感じられたのだ。


乳遁にゅうとん、双丘無刀の術!」


 勢いよく振り下ろされた匕骨を、充真の乳がぐにゅっと吸収する。深淵しんえんを思わせる胸の谷間で、見事に赤鬼の一撃を受け止めたのだ。そこから巨乳をギュッと寄せると、充真はその乳圧にゅうあつで匕骨を奪い取ろうとした。


「さ、させるかぁ!」


 伊能が「双丘無刀の術」から逃れようと片足で踏ん張る。充真はそれを見ると、すぐに匕骨あいくちを胸の谷間から解放した。あっさり骨が抜け、勢い余った伊能がたまらず体勢を崩す。


「もらったぜ雅!」


 隙だらけの伊能にボイ〜ン! 充真が、彼女の顔面に容赦のない右乳みぎちちフックを浴びせる。


「きゃっ」


 短く悲鳴をあげて倒れた伊能は、そのまま後ろに転がり充真から距離を取った。


 激しい骨乳こつにゅうの攻防を目の前にして、見学組の生徒から「おおっ」という驚嘆の声が漏れる。


「なかなかに屈辱的なんよ。手抜きのFカップに吹き飛ばされるなんて……」


 真っ赤にれた左頬をさすりながら、伊能はゆっくり立ち上がった。


「やはりそうか!」


 拙者は、伊能の「手抜き」という言葉に思わず声をあげた。


 さっき充真の胸に違和感を覚えたのは、彼が「矮化わいかの術」を使っていたからだ。


 妄想オーラには三つの節約術があり、それらは「省エネ妄想」と総称される。その内の一つが矮化の術で、具現化対象を従来より小さくして妄想オーラの消費を抑えるのだ。


「Fでも巨乳の破壊力だ。強がるなよ雅。ほら、脚がプルプル震えてるぜ」

「くっ……」


 一度は立ち上がった伊能だが、ダメージが残っていたのか、すぐに蹌踉よろめいて片膝をついた。その拍子にドロン、煙とともに右手の匕骨あいくちが消失する。痛みで心を乱したのだろう。


 この機を逃す充真ではなかった。


「これで終わりだ!」


 巨乳を感じさせない鋭い踏み込みで、充真はあっという間に距離を詰めた。伊能いよくに立て直す時間を与えない。劣位にある彼女を認めて一気に攻勢をかける。


 だが拙者は見た。伊能の引き結んだ唇に、ニヤリと不敵な笑みが浮かぶのを。


「いっひひひ。引っかかったんね、充真!」


 伊能は笑いながら言うと、うなる巨乳の一撃をヒラリ、鮮やかに飛び退いてかわした。先程まで片膝をついていたとは思えぬ機敏な動きだ。


「な……んだとっ!」


 にわかに攻撃対象を失った充真が、胸の遠心力に振りまわされて蹈鞴たたらを踏む。そこへ伊能が、反撃とばかりに白い小石のようなものを投げつけた。


 充真にはける余裕がない。しかしその投石は、避ける必要がないほど貧弱な攻撃だった。


 いや……そう見えたが、実際はそうではなかった。


「うおっ!?」


 胸に小石の一撃を受けた充真は、あっさりあおけに倒れてしまったのだ。しかもその小石の下敷きになって、苦しそうにもがいていた。


「ぐわぁぁぁぁー!」


 ふざけているのかと思ったが、充真の口から漏れる悲鳴は本物だった。


「どう、重いっしょ? これが骨遁『子泣きつぶしの術』なんよ」


 伊能が勝ち誇ったように言う。


 匕骨あいくちは単なる打撃武器ではなく、その骨に妖怪固有の特性を宿している。


 子泣き爺は、身体を石のように重くして人間を押し潰す妖怪である。その骨を具現化したという伊能の匕骨も、同様に重くなる能力を秘めているのだ。


「じゃあ、この小石みたいなのは……」

「気づいた? 矮化の術で極限まで小さくした、あたいの匕骨よ」


 伊能は意図的に匕骨を消して、いつもより小さく具現化し直したのだ。省エネ妄想を従来の「節約」としてではなく、戦術の一部として組み込んだのである。


 まったくもって見事な戦略だった。座学の成績は壊滅的だが、彼女の戦闘センスには誰もが一目いちもく置くことだろう。さっき片膝をついたのも、すべて計算ずくの演技というわけだ。


 ともあれ、これで形勢は逆転した。


 乳揺れで骨をはじこうとする充真だが、小さな匕骨は顔をうずめた男のように胸の谷間から離れない。遂に彼はを上げた。


「ギブギブギブ! 降参だ雅、助けてくれ! 重い、俺の谷間がより深く――」

「そこまで! 勝者、伊能ちゃん」


 白熱の第一試合が終わりを迎えた。逆転劇に興奮する生徒たち。割れんばかりの大歓声で、たちまち辺りは拍手喝采のちまたと化した。


 伊能が得意気とくいげな笑顔で凱旋がいせんする。充真はその後ろで苦しげに胸を押さえ、引き上げる足取りも弱々しかった。


「伊能ちゃん、高得点よ。よく頑張ったわね。じゃあ次の試合を始めましょう」


 観戦の余韻に浸る暇もなく、仲尾先生が次の組み合わせを告げる。


 すると生徒たちの歓声が、再び大きなどよめきへと変わった。またしても対戦者指名制度の試合だったのだ。まさかの二試合連続である。


 そして指名されたのは、まさかまさかの芦辺あしべ是周これちか。すなわち拙者だった。

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