其の伍 二人は骨乳の仲

 まだ始業のチャイムまで時間はあったが、どうにも服の入手方法が思いつかなかった。


 拙者は開き直ると、上のパンツと下のパンツの食い込みを丁寧に直して、半裸のまま乙組の教室へ向かった。


「おはよう!」


 忍び足で教室に入り込んだが、いつものくせさわやかに挨拶してしまう。するとその声に反応して、最前列に座る伊能いよくみやびがサッと顔を上げた。


「おはようあしぶッ……!」


 失礼にも拙者の名前を呼び間違えると、伊能は椅子ごと後方にひっくり返った。


 無理もない。斬新ざんしんなクールビズを間近に見て、感動のあまり天を仰いでしまったのだ。ドガシャーンと、後ろの机を巻き込んで派手な音を立てる。


「ミヤビちゃん、そこまでして『背面デスク割り』に挑むなんて!」

「やだ、ミヤびん頭大丈夫? あ、怪我けがじゃなくて正気を疑うって意味で」


 伊能の身を案じ、心配そうに声をかける女子生徒たち。


 背面デスク割りという稀有けうな単語も飛び出したが、今は気にしている場合ではない。周囲の目が都合よく伊能に向いているのだ。この機を逃す手はなかった。


 拙者は忍び足で廊下に戻ると、今度は後ろのドアから教室に入った。生徒の視線が伊能に集まっていることを確認し、素早く自分のロッカーまで移動する。


「着衣まで長い道のりだったな……」


 黄色いトラックスーツを出して身につけると、途端に半裸ロスの切なさが胸をいた。更に頭のパンツを脱ぐことで、輪をかけて空虚な思いが募る。しかしこれで良かったのだ。拙者はパンツをポケットにじ込み、そっと自分の席に着いた。


「やれやれ」


 深い溜め息をき、グッタリと机の上に突っ伏した。朝から色々あったが、これでようやく一息つける。


 だが、そう思ったのも束の間だった。拙者の安息は数分で破られてしまった。


「ちょっと芦辺あしべ!」


 目の前に「背面デスク割りのミヤビちゃん」が現れたのだ。拙者は仕方なく顔を上げた。


 伊能は怒りの形相ぎょうそうを浮かべ、腰に両手を当てたポーズでこちらを見下ろしていた。赤みの強いショートヘアを逆立て、その小さな身体に剣呑けんのんな気配を漂わせている。


 彼女は童顔にして幼児体型、天よりロリっの二物を与えられし存在だ。しかし、好戦的な性格でロリそこねていた。仁王立ちする姿に幼女的な魅力は微塵みじんもない。


 そんなロリ系くノ一――伊能いよくみやびは、妄想忍法の一派である「妙骨みょうこつ流」の娘だった。奇妙な骨を具現化する一族で、その流祖はうそまことか、骨蒐集家しゅうしゅうかの妖怪だという。


 起源は江戸時代にまでさかのぼる。骨をでる妖怪と隠遁いんとんする刀匠が、うっかり出会い、ちゃっかり恋に落ち、しっかりコラボして「骨遁こっとんの術」を編み出したのだ。妖怪の骨を「匕骨あいくち」という名の武器に見立て具現化する妄想忍法である。


 本来「匕」とはドスのことだが、ただサイズが近いという安易な理由で妖怪側が命名したのだ。


 目の前で殺気立つ伊能いよくは、その匕骨を具現化したいのか右手をワキワキさせた。


「フッ。この拙者に何の用かな、伊能君?」


 拙者は荒ぶる骨遁使いを刺激しないよう、できる限り美声を意識して問いかけた。


「気持ち悪い声を出すな! それよりあんた、どうしてさっき女物のパンツ被ってたんよ!」


 美声の効果はなく、激しい剣幕けんまくで詰問されてしまった。


 拙者は気圧けおされながらも、咄嗟とっさに思いついた嘘の言い訳を口にする。


「パ、パンツの布教活動をしていたのだ。伊能が欲しいと言うならゆずってやるぞ」

るか! そんな布教あるわけないんよ。第一あんた半裸だったっしょ!」

「落ち着け、あれはクールビズだ。そしてあの画期的なスタイルがあったればこそ、おまえは感動して背面デスク割りに挑むことができた。拙者に感謝してもいいのだぞ。はっはっは」


 これで伊能もパンツと半裸の素晴らしさに納得したはずだ。黙って引き下がるに違いない。拙者は持ち前の洞察力でそう判断したが、なぜか彼女の額には青筋が浮かび上がった。


 高笑いが一瞬で凍りつく。


 伊能の小さな身体から、大量の妄想オーラが立ちのぼっていた。


「あんた、よくも抜け抜けと……」


 プルプル震える彼女の右手に、ドロンと煙をあげて白い骨が出現する。骨遁の術を発動したのだ。つまりこれが「匕骨あいくち」と呼ばれる武器である。


 その形状は大腿骨だいたいこつそのもので、武器というより短い棒切れのようだった。それでも赤毛の伊能が手にすると、金棒を担いだ赤鬼のように威圧感がある。


「ちょっ……待て伊能!」


 拙者は慌てて立ち上がると、荒ぶる伊能を制止しようと両手を前に出した。


 彼女の匕骨は、妖怪「子泣きじじい」の骨を具現化したものだ。しかし現状では、子でも爺でもなく拙者が泣くばかりだった。いよいよ赤鬼が得物を振りかぶったのだ。


「キ、キモォ~」


 拙者は掛け声を発したが、それは単なる虚勢に過ぎなかった。


 そもそも拙者には、妹を位置ズレなしで具現化する技倆ぎりょうがない。だから妹遁の術はフリだけで、取り敢えず掛け声で伊能を牽制けんせいしようと試みたのだ。


「キモいのはあんたっしょ! 骨をバカにすんな!」

「ち、違う。キモいじゃなくて起妄きもうだ。これは妄想委員会が推奨する掛け声の――」


 拙者の目論見もくろみに反し、起妄を知らぬ伊能は火に油の状態だった。弁明に耳を貸す様子もない。こんなことなら虚勢など張らず、最初から床に平伏しておけば良かったのだ。しかしそれも後の祭りだった。


 彼女の振り上げた匕骨が、拙者の目の前で妖しい光を放つ。


「ごぢゃああ……じゃなくて、ひぃぃぃぃぃ~」


 拙者は腹の底から恐怖を吐き散らした。


 小柄な伊能はとても機敏で、易々やすやすと逃げられるような相手ではない。だから防御一択だった。拙者は両手で頭をかばうと、匕骨の衝撃に備えて歯を食いしばった。


「くたばれ、歩くワイセツブツ!」


 伊能はそう叫ぶと、匕骨を振り下ろしてぽよよーん!


 拙者の頭部を容赦なく砕き――いや待て、それにしては打撃音がコミカル過ぎる。それに痛みもなく、拙者はまだ頭を庇っている。どうやら助かったようだが、これはもしや……。


 つむった目を恐る恐る開くと、拙者の前に男子生徒が背を向けて立っていた。


「おお、やはり充真じゅうまだったか!」

「よぉ是周これちか、俺のおかげで命拾いしたな」


 そう応えて振り返ったのは、同級生の藤村ふじむら充真じゅうまだった。白い歯を見せて二カッと笑う。彼の頭部を覆う緑色のバンダナには、毛筆体で「美乳」と書かれていた。


 充真は入学して最初にできた友達で、伊能と幼なじみの変態少年だった。


「おいみやび、朝っぱらから物騒な骨を出すなよ」

「うっさい、そっちこそ巨乳を引っ込めろ。この『おっぱい御曹司おんぞうし』め!」


 伊能がやり返した言葉は、毒舌ながらも言い得て妙だった。

 なぜなら充真は、おっぱい資産家として名をせる「乳影ちかげ流」の跡取り息子だからだ。


 乳影流とは、偉大なる「乳遁にゅうとんの術」を今に受け継ぐ一派である。その歴史は古く、妙骨流と並んで江戸時代にまで遡る。宇宙より飛来したおっぱい星人が、江戸の老絵師、藤村比呂志ひろしの春画と引き換えにおこした流派だという。まさに宇宙伝来、異星生まれの妄想忍法だった。


 そんな乳遁の極意は「張り、つや、弾力」に富んだ胸を具現化することにある。


 巨乳無双、爆乳無比!


 人智を越えたおっぱいは、敵を討ち滅ぼす優れた武器と化す。弾力を高めた胸は岩をも砕き、またあらわになったそれを寄せて上げれば、乳首から怪光線を出せるという禁術のうわさもあった。だが実際にそれを目撃した者はおらず、くまで真相はブラの中だ。


「胸ばっかり言及しないで顔もめてくれよ」


 充真はおっぱいだけでなく顔立ちも良い。眉目びもく秀麗しゅうれい、バリバリの二枚目イケメンだ。つまり彼は、とんだ巨乳の無駄遣いをしているのである。そう、美男子にあるまじき乳房。イケメンの持ち腐れもいいところだ。


 それでも先ほどは、巨乳のぽよよーんで伊能の骨をはじき、窮地におちいった拙者を助けてくれた。残念なおっぱいイケメンも、すべてが無駄というわけではない。拙者は、服の上から丸わかりのけしからん双丘に感謝の一礼を捧げた。


 そんな拙者とは対照的に、伊能はウンザリした視線を充真に向けた。


「はいはい、とにかく色男は邪魔しないで! これは芦辺が悪いんだかんね」

「まあ待てって。是周はパンツだけでも穿いてたんだし、もうそれくらいで許してやれよ」


 まさに充真の言う通りだった。拙者は気配を消す努力も惜しまなかったし、何より節度ある半裸だったと自負している。


「俺のダイナミックな巨乳に免じて、ここは一つ穏便に頼む」


 充真はそう言うと、大きなモーションで右乳と左乳を交互に揺らしてみせた。

 赤面した伊能が、自分の小振りな胸をそっと服の上から隠す。


「わ、悪かったんね。どうせあたいは貧乳よ!」


 悔しそうに言い捨て、ギリギリとぎしりする。伊能は血の気が多く、好戦的で負けず嫌いな性格だ。しかし胸のサイズばかりはどうにもならない。どうにかなったら貧乳は絶滅だ。


「そうやって余裕なのも今のうちだかんね。首を洗って待ってなさいよ、充真」

「よく分からんがいいだろう。望み通り乳首を洗って待っててやるぜ」

「違う、あたいは首って言ったんよ! このおっぱいバカ!」


 いいかげん怒鳴り疲れたのだろう。最後に拙者の顔を睨みつけた伊能は、ドシドシと大股で自分の席へ戻っていった。ようやく超弩級ちょうどきゅうの嵐が去ったのだ。


 拙者は極度の疲労と安堵から、ガクンとこうべを垂れてしまった。


「大丈夫か、是周これちか?」

「ああ。おかげで助かったよ、ありがとう」


 充真に礼を言うと、拙者は改めて机に突っ伏した。今日から期末試験が始まるというのに、すでに疲れてクタクタだった。


 そこへ追い打ちをかけるようにホームルームの予鈴が鳴る。これでは休む暇もない。


「それじゃ、俺も席に戻るぜ」


 充真が立ち去ると、骨乳こつにゅうの争いを観ていた野次馬やじうま生徒たちも席に着き始めた。

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