奇箱

ここプロ

第1話 コーポ◯央

 私が古いアパートで経験した心霊現象の話をします。


 

 

 私は30歳の時に長く住んだ土地を離れ、一人暮らしをすることになりました。


 当時の私はお金がなく、事情があって急な引っ越しだったこともあり、若い女がとても1人で住むことはないようなボロアパートに住むことになりました。


 そのアパートが変な作りで、郵便受けのあるエントランス(と呼べるレベルのものでもないけど)から上下に伸びる階段があります。


 上に行くと2階で、下に行くと1階。

 階段の先は奥に向かって廊下が伸びているような造りです。

 

 1階の方は半分地下みたいな構造で、昼でも廊下は薄暗く、ジメジメした感じがしました。

 私が住んでいたのはそんな1階の、突き当たりから3番目の部屋でした。

 

 一応、2階のフロアには大家さんが住んでいて、他の住人もいるようでした。

 けど1階は全部で4部屋ありますが、住んでいるのは私だけ。

 

 日当たりの悪い廊下はコンクリートの地面に苔が生えたりしていて、なんとなく薄気味悪い雰囲気がありました。


 家賃が安いのに空室が多いのはそういう理由だろうな。

 最初はそう思っていました。


 住み始めて2週間経ったある夜のことです。

 

 閉店までパートに入っていた私は、深夜1時過ぎにアパートに戻りました。

 屋根に穴の空いた駐輪場に自転車を停め、目をこすりながら1階に降りる階段を降りていた時のことです。


 蜘蛛の巣がかかった蛍光灯の灯りに、ぼんやりと人影が浮かんで見えました。

 場所はちょうど廊下の一番奥のあたり。


 小学生くらいの男の子が地べたに座って膝を抱えていました。


 背丈からして、たぶん2〜3年生くらい。

 11月だというのに薄手の白いシャツを着ていました。

 

 家出かもしれないし、虐待かもしれない。

 良識のある大人なら、当然声をかける場面だと思います。


 でも私は膝が震えて声が出ませんでした。

 直感でしかないんですが、その子は幽霊なんじゃないかって思ったんです。


 そもそも1階に住んでいるのは私だけ。

 もしかして家賃が安いのも、1階が空室ばかりなのもこういう理由?


 ぐるぐるといろんなことを考えながら、数分くらい立ち尽くしたでしょうか。

 結局は帰らなきゃどうしようもないので、私は男の子をスルーして自分の部屋に入ることにしました。


 幸い、男の子がいるのは廊下の突き当たり。一番奥の部屋の向こう側の壁に背中を預けて座っています。

 

 私の部屋に入るだけなら男の子のそばを通る必要もありません。

 距離もそれなりに離れています。


 男の子は廊下の壁の一点を見つめているような感じで、こちらを気にする様子もありません。

 

 私は息を殺し、足音を殺して自分の部屋まで歩きました。

 鍵をあけ、扉がギィって音が鳴った瞬間には「静かにしろよ!」って、心の中でドアに向かってキレました。

 そのくらい怖かったんです。


 結局、部屋に入ってからは何もありませんでした。


 次の日の朝、ゴミ出しに行く時はドアを開けるのにかなり怯えましたが、男の子の姿はなくなっていました。



 



 それからしばらくその部屋に住みましたが、夜中に廊下を通ると、男の子の姿は時々見かけることがました。


 男の子がいるのはいつも決まった位置。廊下の一番奥。


 最初こそビクビクしながら部屋に入っていたものの、男の子が私に何かしてくるわけでもありません。

 慣れてくると「ああ、いるな」って思うくらいのものでした。


 そんな生活が3ヶ月ほど続きました。


 あの日、私はパートの仲間と飲んでから帰りました。アパートに着いた時には日付をまたいでいたと思います。


 いつものように階段を降りて、ギョッとしました。



 

 男の子が立っていたのです。

 私の部屋の前に。


 


 回っていた酔いが一気にさめた気がしました。


 いつも男の子は意味もなくそこにいる……そんな印象でしたが今日は違います。


 明らかな意味をもってそこにいる。

 それが一目でわかりました。


 私は反射的にその場を逃げ出しそうになりました。

 しかしこんな深夜にどこへ行けばいいのかもわからないし、部屋の前の男の子から目を離すのも、それはそれで怖い。


 戻ってきた時には家の中にいるんじゃないか。

 そんな妄想が浮かびました。


 かといってどうするのが正解かもわかりません。

 警察に連絡? でも騒ぎを起こしたら部屋を追い出されるかも?


 アルコールの残った頭で色々考えた結果、ちょっとどうかと思われると思いますが、私は男の子を無視して自分の部屋に入ることにしました。


 いつも通り私をスルーしてくれるかもしれない。

 そんな一縷いちるの望みにかけて足を前に進めました。


 でもね。私の期待通りにはなりませんでした。



 

 男の子は私が部屋に近づくと、何かを喋り始めたんです。




 声は甲高い男の子の声なんですが、言葉が日本語じゃない。

 なんか歌とお経を混ぜて発音を崩したような、この世に存在しない言語に思えました。


 男の子の口はほとんど動いていません。

 でも私が近づくとどんどん大きくはっきりと聞こえてくる。


 骨が震えるような悪寒に耐えられず、ついに私はその場を逃げ出しました。


 それからファミレスで一晩中泣いていました。

 店員に「大丈夫ですか」って2回くらい声をかけられたけど、「すみません、大丈夫です、すみません」って鼻声で返事をしました。





 朝になって私はパート仲間に電話をしました。

 私の様子が普通じゃなかったというのもあるでしょう。私の話を笑わずに聞いてくれて、アパートまで一緒に来てくれることになりました。


 アパートに戻ると、エントランスの近くで大家さんが掃き掃除をしていました。

 七十過ぎのおばあちゃんで、時々あいさつをする間柄でした。


 私のパート仲間はおばあちゃんが大家さんだってわかると、私の代わりに昨日の話を伝えてくれました。

 するとおばあちゃんは、怖い思いをしたね、ごめんなさいねと私に向かって頭を下げました。


 おばあちゃんの話によると、やはり男の子はこのアパートに出る幽霊だそうです。


 私の住んでいる部屋はなんでもない部屋ですが、一番奥の部屋は事故物件であることがその時にわかりました。


 そういうのって告知義務があるんじゃないのって思いましたが、該当の部屋は入居の募集をしていないことや、特に今まで害がなかったこともあり、不動産屋から告知を止められたのだそう。


 いやでも害はないって言いますが、私めちゃくちゃ怖い思いをしたんですけど。


 私がそんなことを言いかけた矢先に、今度はおばあさんの方から「2時間くらい前……明け方のことだけんね」と口を開きました。



 

「男が一階から階段を登ってきたんだが、あれはお姉さんの知り合いかえ?」




 ——今朝方6時ごろ。郵便受けに新聞をとりにきたお婆さんは、入居者ではない男とすれ違いました。

 男はあいさつをするおばあさんを無視して、そのまま去っていったらしいのです。

 

 様子がおかしいと思ったおばあさんは、掃除をしながら私が帰ってくるのを待っていたのだそう。




 おばあさんの話した男の特徴は、私の元夫と完全に一致していました。

 私に暴力を振るい、住んでいた町から逃げる原因となったあの男と。




 おばあさんも一緒に3人で私の部屋へ向かいました。


 男の子の姿はなくなっていました。

 

 ただ私の部屋は、かけたはずの鍵がかかっていませんでした。



 

 部屋の中には、あの男がよく吸っていたタバコの吸い殻が残されていました。





 


 私はその日のうちに荷物をまとめました。


 パート仲間は職場に事情を伝えてくれて、おばあさんは大家仲間にすぐ入居できる部屋はないかとかけ合ってくれることになりました。


 今はおばあさんの紹介してくれた別のアパートに移り住み、再婚もして幸せに暮らしています。


 落ち着いてから、男の子は私に危険を伝えようとしてくれていたのではないかと思えるようになりました。


 あの時は怖がってごめんね。


 また会えたなら、そう伝えなきゃって思っています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る