唐揚げ、冷えたビール、呆気ない最期
二八 鯉市(にはち りいち)
01(前編) 夕焼け、唐揚げ
えーっ、嘘だアレどう見ても幽霊じゃん。えぇーマジで? なんで今?
ミキの胸中に葛藤が吹き荒れる。見つけてしまった幽霊を見て見ぬふりをするか、仕事帰りでへとへとだが相手をするかだ。
夕暮れに染まるアパートの二階。窓から街を見下ろしている男の身体は、半透明でおぼろげだ。
汗を拭いながら街を歩く通行人の誰も、彼の存在に気づかない。
つまり、あの幽霊を今なんとかできるのは、彼を視る事ができるミキしかいない。
そんなこと、ミキ自身よく分かっていた。
ただ昨今、霊媒師は人手不足なのである。
ミキの本音としてはもう、正直家に帰りたかった。汗だくなのだ。
今日は、薬品工場の倉庫に五年も住み着いた厄介な霊を取り除くというハードな一日だった。倉庫の中は暑くて、埃がひどくて咳とクシャミが止まらなかったし、霊は立ち退きを嫌がるたびにキンキンと鼓膜を破るような声で喚いた。体感として、支給される給料の五倍ぐらいは仕事をしたような気がするのである。
だからミキの中にはもう、とっととマンションに帰って風呂に入ってサブスクでミステリードラマを見る気力ぐらいしか残っていなかったのだった。
そんな時にうっかり、賑わう飲み屋街の中でこの世にとどまっている幽霊を見つけてしまったのである。
この世に留まる幽霊には彼らなりの事情がある。だがあまりに長く留まりすぎると、彼らの中につもりつもった情念がやがて怨念となり、最終的にはヒトの形の化け物になってしまう。
そうなってはもう、霊媒師が説得して平和的にどうにかできる段階ではなくなる。
だからそうなる前に、まだ彼らが人間である内に、彼らを説得して旅立たせるのがミキのような霊媒師の仕事である。
心澄み切って清らかに、迷える霊を導くのが霊媒師。
ああでも、ちょっと見なかったことにしたい。
イヤイヤ、困っている人を放ってはいけないというのは霊媒師の鉄の掟。
とはいえ早く家に借りたい。早く風呂入って、早くミステリードラマ「蕎麦屋探偵」の続き見たい。
とはいえ。
ミキは、中途半端な案件を放っておけない性分の霊媒師であった。
「はぁー」
大きなため息をつき、アパートの階段を上がる。アパートの廊下は日陰なのに、コンクリートが昼間の熱を吸収していて空気が生ぬるい。
アパートの一階は中華料理店のようであった。階段にも廊下にも、じめっと油っぽい、しかし唐揚げのいい匂いがしている。カツカツと階段をあがりつつも、腹がぐぅと鳴る。
「ここ……だったよね」
西向き、右から三番目の部屋。
ミキは銀色のドアノブに手をかけた。施錠されていたなら、すっぱり諦めるつもりだった。センパイに連絡して応援を呼んで、改めて来よう。
だが、ドアは呆気なく開いた。
夏の熱気と寂れた部屋の湿気が、部屋の内側からもうもうとミキを包んだ。
***
遺体の独特の匂いはしなかった。
恐らく、彼が亡くなった後、発見が早かったのだろう。とはいえ部屋の中はどこかごちゃごちゃとしている。
彼は、窓辺に居た。
下から見上げていた時と同じ角度で、窓枠に腰掛けている。ミキの方を見る目は、ひどく倦んでいた。
「誰?」
「あ、私ですね、私は日下部 ミキと言います。えー皆さんの色んな悩みごとのお手伝いをしているものです。……分かりますよ、貴方が今行くべき道に迷っているという事。よかったらお話聞かせてもらえませんか」
「何のことですか」
感情無く問われ、ミキは思わず声が上ずる。
「あ、そうですよね。全然ね、よくあることですよ。亡くなってからすぐに行くべき道が分かる人なんて全体の半分ぐらいですから」
「だからなんのことです」
「心の中にわだかまりがあるんでしょう? できることならお手伝いしますし、別のサポートが受けられるようにも繋げられますから。ただね、あんまりここに留まっていちゃいけないんですよ。なんとなく分かるでしょう? 長く留まるのはよくないんです」
「あなたが何を言っているのか分からないです。なんですか、行く道って」
「ですから、亡くなった方の行く先です」
「はぁ?」
男は眉を吊り上げ、そしてきっぱりと言った。
「誰が死んでるって言うんだ?」
「……えっと」
ミキは内心頭を抱えた。
男は立ち上がる。半透明の彼の身体の向こうに、夕陽に照らされた街が透けている。
「誰が死んでるっていうんだよ」
半透明の男は、硬い意志でもってミキを睨みつけた。
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