第2話 探偵団、東へゆく Ⅱ 承の段 探偵団、活動す

 

      9

 死体が発見されたのは、江の川という、安興寺家の近くを流れる細い川と、安芸川という、大きな川の合流地点である。

 千代たちが、安芸川の合流地点の土手に到着した時は、遺体は引き揚げられており、簡単な検視も終わっていた。

「野上、身元は?」

 と、尋ねる、勇次は刑事の顔になっている。

「友村君が確認中ですが、おそらく、行方の分からんなっちゅう、大道芸人のひとりやないかと。遺体は、服を着ておらず、下着姿。殺された後、裸にされたものと思われます。身体つきと、手にある瘤が、捜査依頼の特徴と一致しているそうです」

「大道芸のピエロか……。それで、死因と首の方は?」

「首は発見できていません。死因は刃物による刺殺、又は斬殺と思われます。最初に、首の辺りを斬られ、腹部を刺されているようです。どちらが致命傷か、確認中とのことです」

「いずれにしても、刃物が使われたってことやな?で、凶器は?」

「はい、それが、腹部に刺さったままあったそうです」

「何やて?この濁流を流されてきて、刺さったまま?」

「ええ、刃渡り、二十センチ程の、大道芸のジャグリングに使う奴です。普通は刃びきがしてあるのですが、これは、してないもんで、立派な凶器です」

「じゃあ、被害者の持ちもんなんか?」

「今、確認中です。芸に使用するためのもんですから、本数もわかっているとのことです。今、そこで、団長と、綱渡りの女性が、事情聴取を受けています」

 野上刑事の視線の先に、山尾警部補と友村刑事、その傍に、地味なシャツ姿の、体格の良い男と、同じく地味なブラウスと細身のパンツ姿の女性が立ち話をしていた。

「死亡推定時間は?」

 と、小政が尋ねる。

「遺体が発見されたのが、今朝の、十時頃、近所の親父が川の様子見に来て、土手の杭に、人間の足が引っ掛かっているのが見えたそうです。それで、警察に連絡して、すぐ、引き揚げたんですが、酷く損傷してまして、川上から、流されてきたものと思われます。遺体の腐敗具合から、死後、二、三日かと……」

「すると、行方が分からなくなって、すぐ、あるいは翌日の内、ってことですね?」

「ええ、小政さんの仰るとおりです」

「千代さん、他に確認しておきたいことあります?」

「いや、後は警察に任す。勇次さん、後で教えてね。ひとつ気になるのは、この大道芸人と安興寺の関係。そこを調べて欲しい。絹婆さんの米寿のお祝いに呼んだのは誰か?それが終わったのに、ここにいるのは何故か?まあ、毒殺事件が起こったから、警察が足止めしたのかもしれんけどね。それと、メンバー三人の過去も遡って調べて欲しいの。メンバーの周りに、安興寺家と繋がりのある人物がいないか?」

「あと、道を尋ねた、商売人風の男の行方ですよね?村のひとの目撃情報があれば欲しいですよね?高知方面から来たなら、電車の車掌さんとか、記憶にないか……」

「そう、小政さんの指摘どおりね。勇次さん、お願いね。わたしたちはひとまず、安興寺家に行くわ。大道芸人のこと、参考に訊いてみる。

 あれ?才蔵さんは?」

「あっ、あそこにいますよ、山尾刑事の取り調べを訊いてるようです。あっ、小六って九官鳥の足に何か付けて、あっ、飛ばしましたよ」

 勇次の実況中継の解説のとおり、金田一に扮した才蔵の手を離れ、小さな鳥は高知方面に飛んでいった。

 その姿が、雲間に消えるのを見上げながら、小政が呟いた。

「また、『探偵団本部からの指令』ってゆうのが、来るんですかね……」

       *

「あれ?子供の泣き声がしますよ」

 と、言ったのは才蔵である。

 欅の大きな木が見えてきてすぐの処である。歩きながら、耳を澄ましている才蔵が、

「女の子の声ですね、それと、誰かが、怒っているような声もします」

 と、言った。

 千代にも、小政にも、泣き声すら聞こえない。

 欅の木を過ぎると、女性の微かな声らしきものが聞こえてきた。怒っているのか、唯の話声なのかは、まだ、判別がつかないふたりである。その声が、安興寺の庭先から聞こえていることが、門の前に到着してわかったくらいである。

「ホンマや、女の子が泣いてて、おばさん、いや、和江さんゆう人が、怒っているみたいや。才蔵さん、耳がエイんやねェ」

 と、小政が感心して言った。

 安興寺家の庭先に三人の女性がいる。ひとりは、女中の和江、後の二人は、女の子である。和江の子供と、安興寺尚子であろう。同じくらいの年齢なのだ。泣いているのが、和江の娘らしい、着ている服に格段の差があるのでわかる。

「今日は、あらあら、どういたぞね?ワリことでもして、怒られたかね?」

 と、優しい声で、娘の傍に寄り、千代が言った。

「あっ、これは、探偵団のお客さま。いえね、これは、ウチの娘で、伸子(のぶこ)いいますのやけど、誰にもろうたんか、珍しいお菓子を持ってましてね。誰にもろうたか、どうしてくれたのか、訊いても答えんのです。それで、ちょっと、大きな声出してしもうて、すみません、内輪のことで……」

「お菓子もろうたんか?どれどれ、おばちゃんに見せて?あら、チョコレートに、飴玉。綺麗な包装してる。大丸の地下で売ってるやつかな?誰がくれた?おばちゃんが当ててみようか?大道芸の団長さん?」

 千代の問いかけに、視線を千代の顔に向けた伸子は、一瞬ためらって、首を横に振った。

「おお、近かったね?そいたら、ピエロさんか?」

 その言葉に、今度は、縦に首を振った。

「凄い……」

 と、才蔵が言いかけたのを、千代は片手で制して、

「ピエロさん、伸子ちゃんに何か教えて欲しいことがあったんと違う?それ教えたら、お菓子くれるって、言ったがやろう?ほんで、答えたお礼に、お菓子もろうたけど、このことは、秘密や、って、指切りさせられたんやない?」

 と、続けて尋ねた。

 伸子は、その言葉に、前にも増して、深くうなずいたあと、

「教えて欲しいことやのうて、芳文さんの部屋から、黒い手帳を持ってきてくれたら、エイもん挙げるって言われて……」

 と、おずおずと言った。

「黒い手帳?それは、芳文さんの部屋のどこにあったの?」

「本棚の、『八つ墓村』ゆう、本の隣にあるって、わたし、八つだけは読めるから、すぐわかった……」

 伸子の話を纏めると、大道芸が終わって、米寿の祝いの始まる前の時刻に、ピエロ姿のままの男に呼び止められ、安藤家の次男の芳文の部屋の本棚、『八つ墓村』という本の隣に黒革の手帳がある。それを取ってきて欲しい。お礼に、お菓子を挙げる、と言われたのである。

「それ、ど、泥棒やないの」

 と、和江が、娘を叩こうとする。

「ううん、借りるだけ、中身確認したら、明日の朝には返す。それに、その手帳、もう持ち主が居らんから、イランもんや、って、ゆうてたもん。泥棒やないもん……」

「そうそう、泥棒やない、伸子ちゃん賢いね?他になんかゆうてなかった?そのピエロのおっちゃん。手帳がなんでいるのかとか……?」

 和江の降りあげた手を、遮るように、千代が伸子に質問を続ける。

「ううん、それだけ、ただ、手帳渡した時、『あとどれくらい…』って呟いてた」

「あとどれくらい?どうゆう、意味ですかね?」

 と、小政が呟く。

「あっ、それと、これはわたしが見たんと違うけど、尚子ちゃんが見たって……。ねえ、尚子ちゃん、このおばさんにゆうてみぃ。このおばさん、話、わかる。普通の大人とちゃうよ……」

(おばさん、おばさん、って、強調せんとって、そりゃあ、この子たちから見たら、立派なおばさんやろうけどね……)と、千代は心で嘆いていた。

「尚子ちゃんは何を見たのかな?おねえさんに話してくれるかな?」

「えっ?おねえさん?今まで、おばちゃんゆうてたのに……」

「伸子、黙っとき!」

 と、和江が口を挟む。好い突っ込みである。

「ナオちゃん、言える?わたしが言おうか?」

 と、伸子が傍らの少女に声を掛ける。

 尚子が大きく、頷いて、千代の方に顔を向けた。

「カ、カブトムシが、大きな、大きなカブトムシが、ピエロさんに被さって……」

「大きなカブトムシ?ピエロさんに被さる?それって、人間くらい大きいカブトムシってこと……?」

 千代の疑問に、少女二人が、同時に頷く。

「それ、こないだ見た、怪人二十面相の映画の話やろうがね」

 と、言ったのは、和江である。

 昭和三十二年に公開された、江戸川乱歩原作の「少年探偵団」シリーズの三作目「かぶと虫の妖奇」という映画が、安芸市の映画館で、この五月に公開されたというのである。

「映画やないき、ほんとに見た、言いゆうがやき」

 と、伸子が親を睨む。尚子は、自信なさげに俯いてしまう。

「それ、いつのことで、何処であった話?」

 と、千代がやさしく尋ねる。頭から、否定してはいけないのである。例え、あり得ないことであっても、何処かに真実があるはずである。

「お通夜が始まる、前。裏木戸の処」

「裏木戸?」

「は、はい、離れの横の方に、裏木戸があって、そこからも人が入れるんですが、普段は閉めたまんま、閂が掛かっていて、外からは自由に入れません」

 と、和江が説明する。

「尚子ちゃん、何しにそんな処へ?」

「お通夜へ行く準備ができたか、離れのひとに確認してきて、って大祖母ちゃん言われて……。けど、もう居られんかって、それで、母屋へ帰ろうとしたら、大きな黒いもんが、裏木戸の辺に居って、その下に、ピエロの服が見えちょったが……」

 そこまで喋って、尚子は、急に怖くなったのか顔を両手でふさいで、泣きだしたのである。

「確かに、わたしはお通夜の日、先に千代さんと佐代子さん、迎えに出てましたき、離れは誰も居りませんでしたね。この子のゆうとおりです」

 尚子が何かを見て、それをカブトムシと思った、そう思えるのである。

「尚子ちゃん、泣かんで、エイよ。怖かったね。それで、尚子ちゃんはどうしたの?誰かにそのこと話した?」

 千代が、しゃがんで、視線を子供に合わせ、頭を撫ぜながら尋ねた。尚子は無言で首を横に振った。

「そうか、怖くて、母屋に引き返したがやね?ほんで、夢かと思うて、胸の中に仕舞い込んでいたがやね?」

 千代の言葉に、今度は頷く。

「他には?その日やのうてもエイ。普段と違うこと無かった?何でもゆうて……」

 千代の言葉に、尚子は、視線を千代の大きな眼に合わせ、

「井戸が、啼きよった」

 と、言った。

「井戸?何処の井戸かな?」

「ああ、古い井戸が、裏木戸から入った処にありますのや。去年、新しゅう、手漕ぎのポンプで汲み出す井戸ができましたき、今は使うてませんけど、釣瓶のついた、滑車式の井戸があります」

 と、和江が説明してくれる。

「その井戸が啼いた?いつのこと?」

「この前の、大雨の夜。夜中に、お便所行った時、啼いてた」

「大雨の夜?通夜の晩のことですかね?」

 と、小政が言った。

「子供のゆうことですき、何かの音を訊き違えたがでしょう」

 と、和江が言う。

「まさか、『車井戸はなぜ軋る』やないろう……?」

       *

「どうも、複雑になってきましたね。少し整理してみますか」

 安興寺家の離れの部屋で、千代と小政、才蔵の三人が、座布団に座っている。話を切り出したのは、小政である。

「ちょっと待って、去年の台風で亡くなった人の結果を知りたいの。それによって、事件の展望が、わたしの仮説が、まるっきり違う物になるのよ」

「千代さん、何か、仮説が立てられる状況ながですか?わたしはサッパリです。三つの殺人がどう繋がるのか?まるで見当がつきません」

「わたしも暗中模索状態よ。ただ、去年の死体が、事故でなく、殺人で、首が無いのも、偶然じゃなく、故意だとしたら、事件はそこから始まってるってことよ。首を隠すって、どうゆうこと?」

「そりゃあ、身元を隠すってことですよね。けど、指紋とか、肉体的な特徴とかで、結局、身元は判明しますよ」

「事件ならね。けど、災害なら、その場にいた人が巻き込まれた、と、誰もが思うわよね?身元の調査も曖昧で終わるわよね?お葬式の都合もあるし……」

「じゃあ、死んだのは別人?」

「その可能性がある、ってことじゃない?ウチの息子の『指令』を考えると」

「ああ、才蔵さんが持ってきた、例の指令ですね?としたら、死んだ者と別の人物が現場に居たことになりますよ。あの台風の中に……」

「でもほら、今度の片腕の男が殺されたのも、大雨の中、くらいの時間帯でしょう?雨で、犯行を目撃され難い、そう考えての犯行じゃないかしら」

「なるほど、今回の事件も、大雨でしたね。ピエロの方はどうかわからんですが……」

「でも、片腕の男も、ピエロも、安興寺家とは、なんら関係のない人物ですよね?」

 と、才蔵が初めて口を開いた。

「去年の事件と係わりがあるとしたら、今回の事件は計画的な犯罪。何せ、事前に、犬猫の首なしの死骸、血文字の予告、そして、毒殺でしょう。その後の、首のない、二つの遺体が、突発的な犯罪だとは思えなくなりますよね?としたら、片腕の男もピエロも、事前に、ここへ来ることがわかっていたことになりませんか?だとしたら、安興寺と関係ない人物だと、おかしいのですけど……」

「そう、才蔵さんのゆうとおり、ふたりはこの家と、或いは、この家の秘密と、何らかの関係を持っているのよ。そこに、犯行の動機が隠されているのよ」

「この家の秘密か。それが、三菱との係わりの秘密に繋がってるのかもしれませんね?」

 と、小政が呟く。

「ところで、才蔵さん、何で、あなたが探偵になっているの?陰の存在だった人が、表に出て、何かの捜査を頼まれるなんて、不思議なんだけど。調査の内容は『機密事項』としても、何故、こんな役を才蔵さんが引き受けたの?」

 と、千代が話題を変えた。

「いやぁ、実は……」

 と、金田一の癖のように、髪の毛を掻きまわし、才蔵が話し始めた。

「石川家が、忍びの末裔、ってのは、ご存知ですよね?まあ、これも、看板だけなんですが、明治の頃から、石川家は、『伊賀の末裔』を称して、軍との関係を深めていたんです。日清、日露の戦争時には、軍事探偵として、各地に一族の者が派遣されてたそうです。身分は、旅行者、冒険家、外交官、商売人と様々ですし、行き先も、ヨーロッパから、ソ連、満州、上海、と世界中です。先の大戦時にも、そうした活動を続けていたようです。その、軍との縁で、ある人物から、今回の調査依頼が来たようです。わたしはその人物とは逢ってはいませんが……。

 その、依頼が来る前なんですが、睦実お嬢さんが、去年の、ひかりさんの事件に感動して、『探偵団を作りたい』って、言い出して、事件の捜査ではなく、困っている人を救いたい、ってことらしい。そこで、親父さん――睦実さんのお父さん――が、『石川探偵事務所』を立ち上げて、所長に十兵衛さん――顔が強面で、睨みが訊きそうだからだそうですが――団員に睦実お嬢さんとわたし、ってことで、始まったのです。その探偵事務所の仕事の第一号が、今回の調査です」

「ムッちゃんが思いつきそうなことやね」

 と、小政が笑う。

「それで?仕事の内容、少しは話してくれん?今回の事件と関係あるがやろう?」

「千代姐さんには敵いませんね。結局、『機密事項』も打ち明けることになりそうですね。まあ、いいでしょう。わたしより、お二人の方が、探偵には向いてるようですし、協力頂けることを前提にお話しします。警察には、坂本刑事も含めて、当分は、秘密に願いますよ。依頼人との契約ですから、秘密裏に調査することが……。

 依頼人は、三菱の関係者です。明治期、日清戦争の終結の頃、『今後、日本が世界を相手に戦争をすることになる。勝てばよいが、負ける日が必ず来る。その時も三菱は生き残らねばならない』そう考えた、首脳陣が、資産を隠す計画をしました。その隠し場所が、弥太郎の生家のある、この地だそうです。その資産を守る役目が、安興寺家の当主です。それは、当主だけに受け継がれるものと約束されていたそうです。現在はおそらく、芳次郎さんがその役目を担っているはずです」

「えっ?芳次郎さんって、脳卒中で、寝た切り、喋れんし、筆談もできん状態ながやろう?」

「そう、千代さんのお考えのとおりです。引き継ぎがなされていない可能性がある。つまり、次期当主、芳和さんに……」

「このままやったら、隠し資産が闇の中?まさか、三菱のもんが、隠し場所を知っているんでしょ?」

「小政さん、それが、誰も知らんらしい。生きてる『三菱関係者』は誰も知らんそうです。そこで、その資産の隠し場所を探るのが、今回の依頼です」

「そ、それで、その資産ってどのくらい?」

 と、千代が尋ねる。

「さあ、よくはわからんのです。おそらく、金塊か宝石か、何か、貨幣価値が変わらないものでしょうが、時価一億はあると思いますよ」

「一億か、庶民には縁遠い話やね。それで、何処にあると考えられるの?」

「ここ、安興寺家、岩崎の生家跡、明見寺、星神社の何れかの周辺ですね」

「それを知っているのは、寝た切りの、芳次郎さんだけってこと?」

「その可能性が、大、ってことです」

「それが、今回の殺人事件の動機に繋がっちゅう、可能性も、大、ってことやね?」

「はい、千代さんの言うとおりです」


       10

 坂本刑事の報告は翌日となった。才蔵は、隠し資産が隠されていると思われる場所の住人から情報を集めるため、出かけている。

 小政と千代は、尚子が言っていた、裏木戸から、釣瓶のついた古井戸辺りを見まわしていた。

「閂が掛かっていますね」

 と、小政が裏木戸を確認する。

「けど、最近動かしたようですね。埃がたまっていないし、簡単に動きそうですね」

 閂は、およそ十センチ四方の木製のものである。鉄の枠があり、その枠の中をずらすように、木製の棒で扉を閉めているのである。

 裏木戸から、離れの前の中庭を母屋の方に廻り込んだところ、納屋や馬小屋に向かう通路の横に古井戸があった。最近は使っていないとのことだが、壊れてはいないし、充分、使用可能である。

 小政が中を覗き込む。

「あまり深くはありませんね。水も綺麗ですし、今でも使えそうですね」

「何か沈んでない?首らしい物とか……」

 と、千代は、井戸の中を覗き込まず、小政の背を押すように尋ねた。

「ははは、千代さん、そんな想像してたんですか?残念、影も形もありません。底の石積みが見えるくらい澄んでいますよ」

「そう、そしたら、あとは……?」

 ふたりは井戸を離れ、納屋の方に向かう。馬小屋で、友造が馬の世話をしているのが見えた。

 納屋の中には、農機具など、道具類、米袋などが、乱雑に置かれている。ざっと中を覗いている処へ、坂本刑事が、汗を拭きながら、大きな門から入って来たのである。

 離れの一室に三人が車座に座って、坂本刑事の報告が始まった。

「幾つか、新しいことが判明しました。まず、昨年の台風による死者の件です」

 坂本刑事の話を纏めてみると、

 事件性はない、と判断され、検死は近隣の医師の手で行われ、検死報告書が策定された。死因は土石流による、圧迫死。遺体の損傷が激しく、外傷が多数あったが、全て、土石流に巻き込まれた時についたものと判断されている。

「それで、遺体の身元なんですが……」

 と、話を続ける。

 その時現場付近にいた者は、安興寺の芳和、使用人の友造、そして、小作人あがりの家の、慎作(しんさく)という男だけであった。台風の最中、その三人で、田畑の様子を見に行って、災害にあったのである。

 友造は、無事、芳和は、後刻、岩に足を挟まれた状態で見つかり、慎作は行方がわからなくなった。遺体が発見されたのは、台風一過の二日後であった。

「つまり、三人が田んぼや畑を見回りしてる時に、崖崩れが発生し、友造さんは、からくも逃れた。あとの二人が巻き込まれ、友造さんの急を知らせる声に、消防団が現場に駆け付けて、芳和さんを発見。風雨が酷くて、二次災害の恐れがあるとして、そこで捜索は中止。その後、現場付近で、土石流まで発生して、慎作さんの遺体発見が遅れたようです」

「その事故で、芳和さんは、片足を失うたがやね?」

 と、千代が確認した。

「と、ゆうことは、犯罪の匂いはしないですよね?」

 と、小政が首をかしげる。

「と、ところがです、大変なことがわかりました」

「何?勇さん、大変なことって?」

「まあ、訊いてください。今度の、片腕の復員者風の男の身元を確認していたところ……」

「ま、まさか……?」

「そうです、まさかなんです。死体の指紋を照合してたら、慎作の指紋と一致した。慎作は以前、女性の下着を盗んだって、犯罪で、取り調べを受けていて、その時の指紋が残っていたんです」

「けど、よう、指紋を照合しようと、思いついたね」

 と、小政が感心したように言った。

「あれ?去年死んだと思われる男と、今回の二つの遺体を照合してみたら、って言ったのは、小政さんじゃ、ないんですか?」

「えっ?そんなこと、わたしは言ってないよ」

「そ、そうなんですか?例の、金田一に扮した、才蔵さんが、昨日、そう言ってたって、野上に訊いたもんで、てっきり、小政さんの指示やと思うてました」

「才蔵さんが?わたしらぁには何も言ってなかったけど……」

「野上の言うには、夕方、警察署へ尋ねて来て、小さな紙切れを出して、それにそう書かれていたって……」

「ははぁん、例の『探偵団本部からの指示書』やね。新しい奴が届いたんや、きっと……」

「小六の通信、早、届いたがですね。そしたら、ボンの差し金か……」

「けど、どうして、わかったがですかね?去年の遺体が贋もんやなんて……」

「勝手な想像よ。首のない死体から、想像しただけ。それがたまたま、当たっていただけ。探偵小説の読み過ぎなんよ、ウチのどら息子……」

「いやいや、ボンの発想は、まあ、置いとこう。たまたまでもエイけど、片腕の男が、死んだと思われていた慎作やった、これは確かながやね?」

「ええ、指紋とは別に、背中のほくろとか、肉体的な特徴もぴったり合いました。今朝、慎作の母親――女房の母親で義母に当たる人ですが――に確認させましたき、間違いありません。母親には、その事は当分秘密にしておくよう、釘を刺しておきました」

「けど、慎作さん、片腕やったの?」

 と、千代が尋ねる。

「片腕になったのは、去年の台風以降のようです。台風の時に、怪我をして、腕を切断する手術をしたのかもしれません」

「じゃあ、台風の時は何処にいたの?生きていたのに、名乗りもあげず、今までどこで暮らしていたのよ?」

「そ、そこまでは、まだわかっていません。台風の事故で、記憶を失っていたとか……」

「おいおい、海難事故やない、陸地の、しかも自宅近くの、狭い範囲で起きた事故や。記憶喪失の男がおったら、すぐ、近所に知れ渡っているやろう」

「そうね、小政さんのゆうとおりや。そしたら、慎作は自ら、姿を隠したってことになるよね?」

「そうです。その姿を隠した理由が、もうひとつの、首なし死体に関係しているはずですよ」

 と、小政が、千代の意見を補足する。

「えっ?じゃあ、昨年の遺体は、事故じゃなく、慎作が殺した死体だったってことですか?」

「そう考えんと、辻褄が合わんなるろう?可能性は大。慎作が殺したかどうかは、確定してないけど、ひとつ身元不明の遺体が出てきたがやき、事件とみて間違いないやろう」

 と、千代が言った。

「けど、遺体は荼毘に付されて、灰になってますよ。身元確認は無理ですよ」

「他に、行方のわからん人は居らんが?この近所の住人か、関係者で……」

「居りませんね」

「いや、居るわ」

「えっ?千代さん、誰が居るがです?」

「安興寺の次男か三男。芳文、芳房のどちらか、行方が確認できてないろう?」

「そうや、そのふたりの消息は?警察で確認できた?」

 と、小政が勇次に尋ねた。

「それが、大変やったがです」

 県警から、警察庁、外務省まで照会を掛け、二人の消息を追ってみたのである。

 三男の芳房は、フィリピンで、バナナ農園を営んでいる、との情報を頼りに、調査した結果、確かに、小規模ながら、バナナ園を経営していた。しかし、昨年、台風の被害により、バナナ園はかなりの打撃を受け、廃業状態。芳房は今年の初め、日本に帰国したとの情報が入った。

 芳文の方は、難航している。南方の部隊に所属しており、中国大陸で行方がわからなくなっている。同じ部隊に所属していた、戦友からの情報では、しばらく、中国本土にいて、台湾に潜伏したのでは、との、不確実なものに留まっているのである。

「としたら、去年の死体は、芳文さんね」

 と、千代が言った。

「ええっ?」

 と、男ふたりが、合唱する。

「だって、芳房さんはその当時、まだ、フィリピンに居たがでしょう?だから、除外。それに、わたし、引っかかっていたことがあったのよ、和江さんの娘の伸子の言葉で……」

「何です?その伸子の言葉って?」

「小政さんも訊いてたはずよ。ピエロの男が、伸子ちゃんに芳文の部屋から、黒革の手帳を取ってきて欲しいと頼んだ時、ピエロの男が『借りるだけ、中身確認したら、明日の朝には返す。それに、その手帳、もう持ち主が居らんから、イランもんや』って、言ったと話したでしょう?」

「ええ、確かそんな風にゆうてましたね」

「もう持ち主が居らん、つまり、持ち主の芳文さんはこの世に居ない、ってことじゃない?」

「えっ?それじゃあ、ピエロの男は、芳文さんが死んでいることを知っていたことになりますよ」

「そう、不思議よね?去年、台風の時、死んだ男が――殺されたか、事故かはまだ確定できないけど――芳文さんだと、そのピエロはなぜ知っていたのか?」

「現場に居たってことですかね?」

 と、勇次が言った。

「片腕の男なら、わかりますよね、当事者らしいから……。けど、ピエロの男は事件後に真相を知ったってことでしょうかね?」

「わたしの考えが、まるっきり、違っていて、台風の時の遺体は芳文でなくて、別人。ただ、ピエロの男と芳文が何らかの関係があって、別途に芳文が、何処かで亡くなっていた情報を持っていたのかもしれんよ」

「いや、何処か外(ほか)で亡くなっていたら、その通知が、安興寺家に届くはずです。としたら、やはり、千代さんの推理は的を射ていますよ。去年の遺体は芳文の可能性が大、ほぼ間違いなしですね」

「けど、そしたら、ピエロの男は、どうして、その事を知ったがでしょう?警察も知らんことを……」

「そこよ、勇さん。それが、ピエロの男の秘密で、殺される理由ながよ。ところで、ピエロの男の素性はわかっちゅうが?」

「団長の話ですが、名前は安達直次郎(あだち・なおじろう)、出身とかは知らんそうです。一緒に大道芸のグループ作ったのも、最近のこと。ほら、大下サーカスが高知公演に来てたでしょう?大道芸の三人は、そこで知り合ったらしいですよ。

 そこで、大下サーカスに確認したんですが、三人とも、今度の高知公演の為に雇った、臨時の芸人だそうで、公演が終わったら、辞めたらしい。何処か外のサーカス団とか、大道芸の組織に居た者だそうですが、それぞれ、紹介状があったり、なかったりだそうです。芸をさせてみて、合格したから、雇ったってことです」

「それやと、前身は詳しゅうわからんがやね?」

 と、そこで、千代が確認する。

「まあ、そうゆうことですね。団長は大山恒夫(おおやま・つねお)、綱渡りの女性は、下田京子(しもだ・きょうこ)、と名乗っています。本籍地を訊いてますんで、今、確認中です」

「それで、この安興寺のお祝いに招かれた経緯は?」

「それが、大下サーカスの公演を見た、明見寺の住職が、呼んだそうです」

「えっ?殺された住職さんが?」

「ええ、大下サーカスの公演を主催していた団体に知り合いがいて、余興にエイもんができんか訊いたら、大道芸をするメンバーが、退団して、地方回りをしたい言いゆう、と話が纏まったらしいですよ」

「何か、怪しいわね。自ら、売り込んだんと違う?死人に口なし、ってことで……」

「千代さんの推測どおりでしょうね。けど、証明はできない。そこは、置いときましょう。それより、ピエロの男と安興寺に何らかの繋がりは見つかりましたか?」

 と、小政が、勇次に確認する。

「わかりません。安達直次郎という、名前しかわからんのです」

「そうや、素顔の写真とかないの?わたしらぁ、ピエロの顔しか知らんがよ」

 と、千代が、思い出したように尋ねた。

「ありません。ほとんど、素顔を見せてないようです。ピエロの扮装を解いた時も、サングラス掛けたり、付髭したりしてたそうで、大下サーカスのもんが、『怪しいな、指名手配の悪人やないんか?』って、冗談言ったら、『実は、ワシ、怪人二十面相なんですワ』って、答えたそうですよ。これは、団長も、京子って女性も、その場に居て、訊いたそうです」

「怪人二十面相?また、大ボラ吹いたもんやね」

 と、小政が驚く。

「待って、その時の会話、関西訛りだったの?」

「えっ?そ、そう言えば、証言、訊いた時、そんな感じでしたけど、それは、団長が関西人やからかも……」

「確認して、それ大事な処よ。ピエロの正体を追及する、数少ない、証言よ」

       *

 勇次が帰っていった後、金田一耕助スタイルの才蔵が帰って来た。

「雨がポツポツ降り始めましたよ」

 才蔵はそう言って、足音もなく、廊下の板の間から千代と小政のいる、離れの部屋に入って来た。

「ご苦労さん。それで、何かわかった?隠し資産を、隠しておくような場所……」

「はい、候補地を見て廻って、近所の住人の話も聞いてきました。一番、候補地として可能性の高いのは、星神社の裏手に、洞窟があるようです」

「洞窟?」

 と、千代と小政が合唱する。

「はい、古い洞窟で、人が出入りできるくらい、大きいものらしくて、戦前は、密造酒や、非常用の米なんかを貯蔵してたそうで、戦時中は、防空壕に使われていたらしいです。今は、扉が設けられ、鍵が掛かっていて、立ち入り禁止らしいですが……」

「防空壕に使われてたんか、それやと、人の出入りがかなりあったはずよね?隠し場所としたら、人目を引きすぎる気もするよね?」

「ところが、近所の人のゆうには、その洞窟、かなり奥が深くて、最深部には行ったことがないそうです。迷路になっているかもって言ってました」

「それって、人口の穴?それとも、自然のもの?」

「どうも、最初は自然にできたものらしい。それをいつの頃か、人工的に広げたか、整備したかのようです。防空壕にした時は、一部、岩盤の補強をしたそうですから」

「そうなると、怪しい。可能性は大やね。それで、他には?候補地があるの?」

「はい、明見寺にひとつ、誰の墓かわからない、石塔があるそうです。お墓の形はしているのだが、誰のもんとも、命日も彫られていない。楕円形の大きな墓石風なものが建てられているだけ。ただ、表面に、微かな文字か、模様がある、それが、どうも、三菱のマークの元になった、三つ葉柏にも見えるらしい。で、実際見てきたんですが、ただのひび割れかもしれませんが、三本の線が確かにありました」

「その石塔の謂れは?住職は居らんけど、寺の関係者は知らんの?」

「はい、寺には小僧さんがいますが、知らんそうです。檀家の代表も誰かの墓、無縁仏の墓じゃないかって、詳しくは誰も知らんそうです」

「その石塔、動かせるんですかね?」

 と、小政が尋ねた。

「まあ、無理をすれば、つまり、重機など、機械を使えば、動かせるでしょうが、人の力では、二、三人では、無理でしょう。かなり大きいものでしたから。

 あと、候補地の岩崎の生家跡も行きました。そこには、弥太郎が作った、日本列島を顕わした、石の列があるんですが、その下に何かが埋められている、とは思えませんでした」

「この、安興寺家は広いから、何処にでも隠せそうやけどね」

「岩崎の生家跡は、除外して良いと思いますよ。だって、見張るものがいないでしょう?星神社と明見寺は神主と住職がいるから、大がかりな発掘はできませんからね」

「そうか、住職さんの殺害の動機、その辺かもしれんね?」

「ええっ?千代さん、どうゆうことです?」

「いや、御免、根拠はないんよ。ただ、隠し資産の見張り役、ゆうたから、今回、誰かが隠し資産を狙って来て、その陰謀の渦の中で、殺人が起きた。そしたら、住職さんも神主さんも係わりがある」

「そうか、それで、神主さんあんなに怯えてるんや。誰かわからんけど、陰謀がある。それに自分が係わりを持っている。けど、そのことは絶対秘密で、口が裂けても言えんこと……」

「いやぁ、流石、井口探偵団のお二人。真相に近づきましたね」

 と、才蔵が感心した口調で言って、髪の毛を掻きまわした。

「では、誰が、陰謀の渦を作りだしたのか?ですよね……」

 と、小政が顎に手を当てながら、思案するポーズをとった。

「怪しいのは、大道芸人のグループよね?この時期に、余所から来た人間は、わたしらぁ以外ではあの三人。そのうちの一人が、殺された。もう一人の片腕の男は、安興寺のほうのメンバーかもしれん」

「えっ?千代姐さん、それって……?」

「あっ、また、独り言よ。御免、御免……」

「いや、千代さん、かなり深く事件の真相に迫っていますね?仮説の段階ですが、この事件を、岩崎の隠し資産を狙っている一団と、それを阻止する一団の攻防と見ているんですね?」

「えっ?そこまで、ゆうてないろう?それやと、ピエロの男殺したの、安興寺の誰かになるもの。でも、ピエロの男を殺せる人間が、安興寺に居る?ほら、前に小政さんがゆうたろう?絹さん、芳次郎、芳和、誰も殺人には不向きなもんやって……」

「千代さん、一人居りますよ。それと、例の『車井戸はなぜ軋る』の謎と、大きなカブトムシの話。確信はありませんが、あれを考えると、どうも、結論はひとつ……」


       11

「千代姐さん、また、指示書が届きましたよ」

 翌日の午前、才蔵が九官鳥の「小六」を労わるように抱えて、小松家――佐代子の家――へやってきた。千代は佐代子の家に世話になっている。まだ、青酸カリが見つかっておらず、安興寺家の食事に不安があるからである。代わりに、才蔵が安興寺家に厄介になっている。井口探偵団の一員、小政の助手という肩書である。

「何て言って来たの?」

 と、千代は、雨上がりの庭で、洗濯物を干しながら尋ねた。

 佐代子と亭主は農作業に出かけている。子供たちは学校。小松家には千代一人がいるのである。

「それが、警察に言って、友造さんを事情聴取してみろ、と……」

「あら、あっちでも、小政さんと同じ見解ながやね」

 昨日、小政が言っていた、結論――安興寺家でピエロの男を殺害できるもの――は使用人の友造を指していたのである。

 確かに、友造は力もありそうだし、やろうと思えば、出来そうではある。だが、千代は半信半疑なのだ。そもそも、三菱の隠し資産は「機密事項」であり、使用人の友造が知っているはずはない。そこまで、信頼されているとは思えないのである。

 他にも、何故、首を切って、それを隠す必要があるのか?それと、凶器が、ピエロの持っていた、ジャグリング用のナイフ――これは、勇次が確認している――である点もおかしいのである。友造が仮に――これは本当に勝手な想像なのだが――安興寺家の誰かに依頼されて、ピエロの男を殺害することになったとしたら、凶器は他の物になったはずである。鉈でも、包丁でも、鎌でも……。身の回りには沢山あるのである。

 ただ、逆の考えもある。ピエロの男が、何らかの理由で、友造を殺そうとした。その凶器が、ナイフであり、友造は、それを防ぐため、つまり、自分の身を守るため、逆に、ピエロを殺した、という考えである。

 正当防衛。それなら、首を切る必要はないし、隠す必要もないのではないか?

 最後の説はその両方であったという説である。つまり、友造は、ピエロの殺害を依頼されていた。ところが、ピエロの方も友造を殺害しようとしていた。その両者の戦いの結果、ピエロが死んだ、という考えである。

 最後の説が、小政の考えなのだが、そんな偶然があるのかしら?と千代は思っている。

 そこで、友造を一度、重要参考人として、取り調べてみては、と、小政が提案したのである。事件は進展がない。ひとつ、石を投げて、波紋を作ってみよう。例の狂言好きの性(さが)が出てきたのである。

 そこへ、同じ考えの「指令書」、まあ、息子の浅知恵ね、と千代は思っている。

「どうします?」

 と、才蔵が尋ねる。

「まあ、小政さんの狂言は、たまに『的を射る』ことがあるから、やって見る手はあるわね。ただ、警察が、どう思うか?証拠はまるでないのよ。唯の仮説。それも、半分は違っていそうな仮説よ」

「わたしには、さっぱりわかりません。探偵の素質がないと思い知らされました。どうやって、こんな仮説を思いつくのですか?」

「まあ、想像力ね。それと、探偵小説の読み過ぎ」

「探偵小説と言えば、このわたしの格好もそうですよね?それと、例の『横溝正史の見立て』はどうなります?友造さんの犯行だと、『見立て違い』ってことになりそうですけど……」

「そう、だから、わたしはピエロを殺害したのは、友造さんではない、と思うのよ。もっと、計画的な犯罪。悪知恵の働く、一人の男か女か、そのシナリオに乗って、誰か、本人か共犯者かが実行している。そうでないと、首なし死体の意味が無くなるのよ。当初の犬猫の首なしの死骸の意味もね……」

       *

 結局、警察でも、事件の膠着状況の突破口として、友造の事情聴取に踏み切ることになった。

 取り調べは、山尾警部補が主となり、勇次も立ち会った。野上刑事と小政、才蔵が隣室のマジックミラー越しに、その内容を訊いていた。

 その結果報告に小政と才蔵は夕刻、小松家を訪問したのである。

「どうやった?友造さん何か自白した?」

 千代に与えられている、座敷に三人が座ると同時に、千代が尋ねる。

 ふたりの男は同時に首を横に振る。

「そう、そうよね、証拠もないし、状況も友造さんが犯人とは言えんもんね。黙秘されたが?」

「いえ、尋ねられたことには素直に答えてました」

 と、小政が応えた。

「まず、アリバイですが、ピエロが行方不明になった通夜の始まる前から、翌朝までの行動ですが……」

「そう、そこよ。ピエロ――名前は直次郎か――が殺されたのは、何時と推測しているの?」

「それが、範囲が広くて、通夜の日の午後から、翌日の朝まで、約十八時間。アリバイなんて、ほぼ、確認できませんよ、真夜中も含まれていますからね。ただ、友造は通夜には参加していないのですが、芳和の世話、車椅子を押したり、寺へ連れて行ったりで、ほぼ、行動が把握できているんです」

「そう、通夜の晩、誰かに襲われて、倒れていたりしたもんね。その誰かが、片腕の男、つまり、殺された、慎作さんの可能性が高いってことよね」

「そうです、その襲撃されたせいで、そのまま、安興寺の自分の部屋に帰って、寝ていたという証言でした。ですから、不確かではありますが、アリバイがありそうなんです」

「それ、アリバイとは言えんよ。夜中のことは誰もわからん」

「ええ、確かにそうですが、あの夜は大雨だったでしょう?あの雨の中で、相手見つけて、殺害して、首切って、川に流す。ちょっと、無理がありますね」

「でも、こう考えられん、ピエロの男、直次郎はその時、拘束されていた。殺されたのは、通夜の間、首を切られて、川に捨てられたのは、真夜中……」

「時間差、攻撃ですか?ないとは言えないんですが、例の凶器が問題ですよ。腹に刺さったまんま。あれは、殺された後、すぐ首を切って、捨てられた、って状況を示していますよ。わざわざ、凶器を残したまま、死体を異動させたりは普通しないですからね」

「死因は頸動脈からの出血による、ショック死だそうです」

 と、才蔵がポツンと言った。

「えっ?」

 と、千代が視線を、小政から、才蔵に移す。才蔵は照れたように、髪の毛を掻きまわす。

「ピエロの、直次郎の死因ですよ。腹の傷ではなく、首を先に切られて、ほぼ、それで即死。留めに、腹を刺した。検死、解剖の結果です」

 と、小政が説明した。

「ああ、先にナイフで首筋の頸動脈を斬られてたんやね。そいたら、血の量も凄かったやろうね」

「ええ、殺人現場は、血だらけだったでしょうね。けど、あの大雨が洗い流してしまった……」

「と、いうことは、現場は、屋外ってことよね?」

「そうでしょうね。屋外やと、問題がありますか?」

「うん、あの尚子ちゃんが見たとゆう、大きなカブトムシがピエロに被さっていたって話が、引っかかるのよ。あそこ、裏木戸辺りには、血の跡などなかったでしょう?大雨でも、あそこなら、少しはそれらしい跡が残るはずだし……」

「ああ、あの話は、尚子って子の思い違いですよ。そんな大きなカブトムシ、居る訳ないでしょう。あの娘、ちょっと、足りんみたいやし、妄想か、夢でも見たんですよ」

「うん、まあ、そこは置いとく。で、その他の友造さんの証言は?」

「そう、あんまり、役に立つ証言はないんです。三菱の隠し資産のことは、まだ警察には内緒ですから、岩崎との約束事はないかと訊いたのですが、『何ですかそれは?』と、初めて訊いたような答えだったし、ピエロの男とは話をしたか、最後に見たのは何時か、って質問には、『口を訊いたことはない。見たのは芸をしているとこが最後』と、答えていました。素姓に心当たりはないか、との質問には、はっきり、『ない』と、答えますし、安達直次郎という名も知らん、と、答えました。『何で、ワシがピエロを殺さんとイカンがです?どっから、そんな疑いが出てきたがやろう?』と、逆に、質問されましたよ」

「去年の死体のことは?」

「はい、ピエロのことは、逆に問い詰められましたので、勇さんが、『慎作さんってご存知ですよね?』と、話題を変えました」

「へぇ、勇さん、気が利くようになったがや、大阪の研修も役に立ってるんや」

「ええ、友造も、ポカンとして、『ええ、知ってますよ、去年、亡くなりましたけど』と、素直に答えてました」

 小政の説明が続く。

 勇次は、去年の台風の時の状況を、友造に説明させた。

「何で、今更?」

 と、言いながら、友造は去年の台風の中の出来事を語った。それは、千代も知っている、一連の出来事のおさらいであった。

「他に、誰か、その現場付近には居なかったのですか?」

「居らんと思いますよ。益々、雨、風が酷うなってましたから、消防団の連中が、芳和坊ちゃんを助け出せたのが、奇跡なくらいでしたき」

「それで、捜索を中断し、慎作さんは行方不明。二日後に、遺体となって発見された、とゆうことでしたね?」

「そうです、何かおかしいことがあるんかいな?」

「ええ、大いにおかしいですね。慎作さん、その時亡くなっていなかったんですから……」

 片腕の男が、慎作である、という情報は、伏せられている。母親――義母――には、厳重に口止めしている。脅迫に近い、口封じである。

「慎作が生きてた?」

 と、友造は本気で驚いていた。

「友造さん、先日、遺体で見つかった、星神社の傍の山陰に埋められていた、片腕の男ですけど、見かけたことはありませんか?」

「いや、前にも、探偵さんに訊かれたけんど、安興寺にはそんな男、訪ねてきませんでしたよ」

「通夜の晩、あなたを襲った男はどうです?」

「ああ、あの時の……。ワシははっきりとは姿を見てないんですワ、稲光の中で、一瞬、誰か居るのは気がつきましたけど、復員服のようなと感じただけで、姿を確認する前に、首筋をガツンでしたき……」

 友造は、その時の記憶は曖昧であることを強調して、説明するかのようであった、と、小政は感じていた。

「そうですか、実は、その殺された男の身元がわかったんです。それが、去年、あなた方が亡くなったと言っている、慎作さんなんですよ」

「ええっ?そ、そんなバ、バカな……」

 と、ここでも、友造は本気で驚いたように見えたという。

        *

「ふうん、そしたら、去年の殺人にも、友造さん、係わってないのかな?」

「ええ、あれが演技としたら、オスカーもんですね」

 千代の感想に、小政が応える。

「じゃあ、友造さんの事情聴取はあんまり成果なし、って感じやね?」

「ええ、犯人にはできませんね。却って、他に犯人がいる、って印象が深くなりました」

「それで、どうする?狂言の続きは?」

「あと、怪しいのは、大道芸の二人。秘密を握っていそうなのは、安興寺の絹、芳次郎、芳和。この連中を探ることですね。大道芸人は警察が調べていますがね」

「安興寺の三人は、わたしが調べましょう」

 と、才蔵が言った。

「えっ?才蔵さんが?」

「はい、元々、わたしの調査は安興寺の当主に託された『三菱の隠し資産』の調査です。殺人事件の捜査ではありません。ですから、安興寺の方をもう少し深く探ってみます」

「深くって?」

「内緒です。五右衛門さんのほうです、と言っておきましょう」

「五右衛門さん?えっ?忍びのほう?盗人のほう?」

「忍びです。盗みは、まあ、必要とあればですが、ちょっと、屋敷の中を、黙って探ってみようかと思います。何か、文書のようなもので、隠し場所を伝えているかもしれませんし、三人の行動を見張っていれば、手掛かりが掴めるかもしれません」

「それ、五右衛門とゆうより、鼠小僧ですね」

 と、小政が笑いながら言った。

「なら、その格好は無理よね」

 と、千代が金田一の服装を指さして言った。

「はい、元の黒装束に戻ります。探偵は、おふたりに任せます」

 では、と、才蔵が立ちあがり、ふと思いついたように、

「そうだ、千代姐さん、小六を預かってください」

 と、懐から、九官鳥を取りだした。

 餌は何でも良いらしい。雑食であり、米でもパンでも、豆や果物、キャベツなどの青野菜でも食べるとのことである。

「いざとゆう時、この通信筒を足に付けて、放ってくれたら、わたしに届きますから」

「ええっ?そんな、いざとゆう時なんて、来るろうか……?」

        *

 才蔵が小松家を後にした数分後、坂本刑事が、足音を響かせて、部屋へ入って来た。

「勇さん、何かあった?」

 と、千代が尋ねる。

「ええ、今、情報が入りまして、大道芸のふたりのことですけど、本籍調べたら、大山も下田も、あったそうです」

「ふうん、本名やったんや」

「いや、どうも不審な点があるんです。大山のほうですが、前科がある。まあ、窃盗罪で、刑務所に入っていた記録があるんです」

「前科もんか、それで?」

「ところが、その大山と、今の団長の大山、ガタイの特徴が違うんです。前科のある大山は痩せた小男、団長は、背は高くはないですが、中背でしょう?しかも、筋肉隆々。年齢も微妙に違うんです。そこで、指紋を調べてみたら、これが全く違う」

「ええっ?贋者?」

「はい、どうも、大山恒夫で、言ってた本籍地の男ではないようです。本人は、そっちの前科者が自分の名を騙ったんだろうと言っています。戦後間もなくのことで、確実な身元はわからないケースもある、と訊いていますし……」

「じゃあ、贋者とも言い切れないのね?」

「ええ、それで、大阪府警に団長の顔写真、送ったがです。そしたら、返事が来て、大阪、京都を中心に暴れていた、盗賊の一団が居って、その頭目と思われる男の顔に似ているらしいんです。その盗賊一団、最近検挙されたんですが、何人か、逃走しているそうで、頭目もそのひとり。手配書はモンタージュ写真で、あまり似ていないとの評判だそうですが、その特徴に、団長が一致するみたいです」

「そいたら、逮捕するの?」

「いえ、確かな証拠はない。指紋もわかっていないそうですし、顔と体型が似ているだけでは……。その頭目、名前も知られておらんそうです。『酒呑(しゅてん)の鬼吉(おにきち)』って綽名があるそうですが……」

「じゃあ、泳がしておいて、別件で逮捕ですね」

 と、小政が言った。

「酒呑って、酒呑童子の酒呑よね?酒呑童子って、大江山に棲んでたのよね?大江山と大山、関係ありそうね」

「流石、顔回の……」

 と、言った、勇次は、言葉を飲み込んだ。千代が怖い眼で、睨みつけたからである。

 勇次は、「そいたら、捜査がありますき」と、いそいそと帰って行った。

「少しだけ進展ね。盗賊の一人が登場。三菱の隠し資産を狙っている。これなら、辻褄が合って来た気がするわよ」

「ええ、資産を狙う者と防ごうとする者、思っていた構図にはまりますね」

「で、小政さん、どう動くの?」

「わたしも、才蔵君の手伝いしますよ。まず、芳文さんの部屋から調べましょうか。例の黒革の手帳以外に、何かあるかもしれませんから。横溝の本の間とか……」

「あっ、待って、横溝の本で今思いついた、おかしいことがある」

 立ち上がろうとした小政に、大きな声で千代が言った。

「な、何です?おかしなことって?」

「芳文さん、戦争へ行って、まだ帰ってこない、って言ってたよね?」

「ええ、南方から、中国本土、台湾へ行ってるって不確かな情報があるんですよね」

「じゃあ、何で、その人の部屋に『獄門島』や『八つ墓村』なんて、戦後の本があるの?誰が買って、その本棚に置いたのかしら……?」


       12

 小政は、一旦安興寺家の離れの部屋に帰って来た。隣の才蔵の部屋を覗くと、金田一の衣装がきちんと畳まれて置いてある。黒装束に着替えて、屋敷内を探索しているのだろうか?

 小政は、ひとまず、絹の部屋を訪ねた。絹は床の間に飾る生け花を拵えていた。

 事件の経過、友造が事情聴取を受けたことを伝え、芳文、芳房の現状のことを尋ねてみたが、わからないとの返事である。どちらかが、戦後帰ってきていないか確認すると、芳房は一時帰国をして、その後、戦友の誘いで、フィリピンに渡ったと答えた。芳文は帰っていないと答えた。

 小政は、千代の疑問、芳文の本棚の本のことを尋ねようか迷った末、言葉を飲み込み、芳文の部屋を調べて良いか、許しを得ることにした。

「何処でも、自由に調べてエイきに。探偵さんはそれが商売やろう?アテが許可した、ゆうたら、誰も止めたりせんき」

 と、許可を出してくれた。

 絹の部屋を辞して、芳文の部屋に向かう。芳文の部屋は、別棟になっており、洋風のドアの部屋になっている。ドアに鍵は掛かっていない。誰でも出入り自由である。掃除や、空気の入れ替えに、一々、ドアの鍵をするのが面倒なのだそうだ。

「盗られるもんはないし、近所に泥棒は居らん」

 と、絹は言っている。

 ドアのノブを回そうと、手にかけた時、部屋の中で、コトリと音がした。誰かがいるようである。

(ああ、才蔵君が早、探りを始めたのか……)と、気にせず、ドアを開けた。

「さいぞ……」

 と、言いかけた小政の身体に衝撃が走った。何者かが、体当たりをしてきたのである。黒っぽい服装しか、眼に入らず、小政はドアの外に尻餅をついてしまった。

 黒い影が、小政の身体を飛び越えて行った。

「派手なことをしてはいきませんよ」

 と、聞き覚えのある声がした。

 小政が、尻餅をついたまま、振り返ると、廊下の端に、黒い服の背の高い男がいて、その男と小政の間に、もう一人、小柄な、これも黒っぽい服の人物が立っていた。

 背の高い男は、才蔵であり、声を出したのも才蔵である。もう一人は無言で、次の行動を覗っているようであった。

「まあ、逃げないで、話をしましょう。我々はまだ、敵同士と決まったわけではありませんからね」

 と、才蔵が穏やかな声で言う。

 小政はゆっくり起き上がり、身体に異常がないことを確かめた。

 もう一人の人物は、観念したかのように、身体の緊張を解いて、

「ふん、どうでもして」

 と、言った。

「あっ、あんた、綱渡りの……。確か、下田京子さんゆうたね?」

 小政はやっと、その小柄な人物の正体に気づいたのである。

「この部屋を調べてたんでしょう?我々も興味があります。一緒に調べましょうか?それと、あなたの素姓についてもお訊きしたいですね。いや、話したくなければよろしいのですけど、我々は警察ではないので、強制的なことはできませんが、お答えいただけなければ、不法侵入の件を警察に届けなければなりません。正当な理由がないなら、不法侵入ですからね?」

 才蔵の言葉は、非常に丁寧で優しい――そのお公家さんのような顔立ちからも――脅迫染みた香りは一切しないのだが、明らかに脅迫である。

 才蔵君、探偵に向いているかも?と、小政は心の中で呟いたあと、開いたままのドアを片手で示して、京子と名乗る女性を部屋の中にエスコートする仕草をした。

 芳文の部屋は洋間である。木製の事務机と椅子があり、ベッドが隅に置かれている。

 京子をその椅子を動かして、部屋の中央付近に座らせ、男ふたりがベッドに腰を降ろした。ドアは才蔵が閉めた。

 才蔵が、小政にアイコンタクトを取る。質問――尋問に近い――をお任せする、という合図である。

 コホンと一つ咳をして、

「下田京子さんでしたね?」

 と、姓名を確認する。

 女は無言で頷く。年は、千代と同じくらいか?レオタード姿の時は――化粧の所為もあり――二十歳代に思えたが、こうして面と向かえば、それなりの歳だとわかる。

「さて、ここで何をしていましたか?何をしようとしていましたか、かもしれませんが……」

 京子は、無言で俯いている。

 返事がないので、少し間を取ってから、次の質問に入った。

「この部屋が、誰の部屋なのかは、ご存知ですよね?」

 今度は、無言であるが、頷いた。

「ほほう、芳文さんの部屋と知っていて、何かを探していた、そうゆうことですかな?」

 小政の質問の声が、以前、借用していた「弁護士、都筑政司」の口調になっている。

 京子は、少し迷って、また、頷いた。

「こんなものを探していたんではないですか?」

 と、今度は、才蔵がズボンの腰のポケットから、黒っぽい物を取り出しながら尋ねた。

「えっ、それは……?」

 と、声を出したのは、京子であった。小政は無言であったが、驚いたように、才蔵の手にしたものを見つめていた。

 それは黒革の手帳である。ピエロの男が、伸子に頼んで、この部屋の本棚――「八つ墓村」の本の横――から持ち出したものなのか?と小政は思った。

 京子も才蔵の手にあるもの――黒革の手帳――に視線が集中している。

 才蔵が小政にまたアイコンタクトを送る。その意味を察するところが、小政の才能である。

 コホンと、また咳をする。

「この部屋にあった、黒革の手帳、それを探していた、とゆうことですね?」

「そうです。それ、何処にありました?中身は、見られたのですか?」

 と、堰を切ったように、京子の方から、質問が始まった。

「ああ、先ほど、助手は」

 と、才蔵の方をちらっと見て、小政は話を続ける。

「このようなもの、と言いましたよね?」

 いや、「こんなもの」と、言ったのだが、才蔵は否定しなかった。

「これは、あなたがお探しの物ではありませんよ。よく似たものでしょうが……。

 才蔵君、説明してあげて」

 と、才蔵に話を振った。

「は、はい、この手帳は、博文社の、昭和三十年版の手帳で、芳次郎さんの……、その、枕元の手提げ金庫にあったものなんですが……」

「まあ、捜査上の、重要書類として、押収したものですな」

 と、小政がすかさずホローする。

 ナイス、アシスト、と、千代なら、心の中で叫んでいただろう。才蔵は、例によって、髪の毛を掻きまわす。金田一耕助スタイルでないので、意味がないのであるが……。

 小政が手を出して、才蔵から手帳を取り上げる。パラパラとページを捲ってみる。

「何が書いてあるのですか?」

 と、今度は小さな声で、京子が尋ねた。

「あなたは、何が書いてあると、思いますか?いや、これではなく、これに似た物のほうにですけど……。その内容を少しはご存じだった。ですから、お探しになっていた。手に入れよう、としていたのですよね?」

 小政は、京子の質問には答えず、逆に質問、というか、断定的に、一部分、詰問してしまう。

 京子は、また黙ってしまう。

「あなたは、この部屋の住人、とゆうか、使用者とゆうべきでしょうか、をご存知ですよね?どうゆうお知り合いですか?いつ頃からの?これくらいは、お答え願いますよね?」

(ええっ?この女性、芳文の知り合い?どっから、そんな憶測が出てくるんだ?)と、今度は才蔵が心の中で呟いていた。

「わたしは……」

 と、俯いたまま、京子は話し始めた。

「わたしは、芳文の妻です……」

「ええっ?」

 と、才蔵が、今度は声を出してしまった。

 小政は、と横を見ると、笑顔を浮かべている。

(まさか、そこまで、推測出来てたのか?単なる、ポーカーファイスなのか?このひと、おかしすぎる……)と、才蔵は小政の評価を、大幅に変えていた。才蔵は、ワトソンなのだ。小政のホームズっぽさは、まだ、よくてわかっいないのである。

「いつ?どこで?結婚なさったのですかな?」

 と、穏やかの口調で、問いかける。

「いえ、正式には、籍を入れていません」

「ほほう、つまり、内縁関係、とゆうことですな?」

 もう完全に弁護士である、口調が……。

「芳文は、戦犯なんです」

 と、話題が少し変わった。京子が、吹っ切れたように、事情説明を始めたのである。

 その話とは……。

 終戦時、芳文は中国南部に居た。階級は「中尉」である。そして、戦時中、捕虜のイギリス兵を理由もなく、虐待し、死亡させたことがある。B級か、C級か、わからないが、戦犯になることは眼に見えている。「処刑」の判決、それを恐れて、逃亡したのである。中国人名を騙り、伝手を頼って、蒋介石の国軍に紛れ込んだ。で、結局、台湾へ逃れたのである。

 京子と知り合ったのは、台湾である。京子は日本の統治下にあった時代に生まれている。終戦と同時に、本土へ引き揚げを考えていたが、両親が相次いで亡くなった。使用人だった台湾人の夫婦が、親切に匿ってくれて、娘として、暮らしていた。

 蒋介石軍を離れた芳文と出逢い、お互いの身分――本当は日本人であること――を知り、一緒に暮らすことになった。

 ある日、芳文が、仕事から帰ってきて、一度日本へ帰ると言いだした。理由を訊いてみると、

「弟に逢った。船で、フィリピンへ行く途中だそうだ」

 芳文は、港湾で働いており、日本から、台湾経由でフィリピンに行く、客船に物資を運搬する仕事をしていたのである。その時、ある日本人が、

「おおい、安興寺」

 と、名前を呼んだのである。

 まさか、自分を知る人間は、居るまいと視線をその声の方に向けると、チョビ髭を生やした男が、別の日本人に手を振っていた。その男の顔を見て、驚いた。弟の芳房だったのである。

 芳文と芳房がどんな会話をしたかは、京子は訊かされていない。ただ、幾ばくかの金を貰ったらしく、連絡先も、お互い交わしたらしい。

「日本に帰ったら、お宝がある。親父が手帳にその隠し場所を残しているらしい。親父は脳卒中で、口も訊けん状態やそうな。今のうちに、お宝を掘り出さんと、永遠にわからんなる。ワシはすぐ、日本に帰る。おまん、一年経って、ワシが帰らんかったら、この住所へ訪ねて来い。但し、身分は隠してこいよ。状況が、ようわからんき……」

 そう言い残して、二日後には、日本行きの船に乗ったのである。

 その後、一度、台湾に戻ってきて、

「黒い手帳は手に入れた。けど、ワシはやっぱり、戦犯に指定されちゅうらしい。長いことは居れんき、一度帰って来た。お宝は、必ず見つける。また、期をみて、日本へ帰る」

 それで、去年、再び、日本へ渡ったとのことである。その後、連絡は途切れ、一年を待てずに、京子は台湾を飛び出した。軽業は子供のころから、仕込まれていたもので、身分を隠すのには、最適であったのである。

 京子の話は終わった。少し、間を置いた後、

「その手帳には何が書いてあるのですか?」

 と、もう一度同じ質問を発した。

「何も書いてませんよ。白紙です」

 と、小政が答えた。

「おそらく、これは、芳文さんが手に入れた手帳の贋物、とゆうか、代わりに、同じような手帳を、掏り替えたのでしょうね。芳次郎さんは、動けないから、掏り替えに気づいてないのかもしれませんね」

「では、本物は?芳文が手に入れたという……」

「残念ながら、持ち出されています。あなたのお仲間の、ピエロさんにですよ」

「ええっ、直次郎が?」

「おや、その様子だと、直次郎さんとあなたは同志ではない。同じお宝を狙う、盗賊一味ではないのですね?」

「盗賊一味?何ですそれ?」

「いや、これはまだ、極秘情報でして、お教えできません。では、直次郎という男の素姓については、何もご存じないのですか?」

「はい、直次郎とは、高知で、大下サーカスで知り合っただけです」

「そう、そこです。どうして、団長含め、三人が、大道芸のグループを作って、この安興寺家へ来ることになったのですか?」

「わたしたちは、臨時雇いでした。わたし、手持ちの資金がなくて、まあ、アルバイト的に働いてたんです。団長も最初は裏方だったのですが、わたしの軽業を見て、一緒にやろうと、声を掛けてくれて、二人の方が、演技の幅が広がりますから……。それから、大下サーカスの公演が終わって、わたしは安芸へ行くことを打ち明けました。辞める理由を訊かれたもので……。『そしたら、ワシも行くワ。丁度、余興ができるもんが居らんか、安芸のお大人(たいじん)が探してるそうや』と、大山が言って、そしたら、ワシもと直次郎が言って、三人で一団を組んだんです」

「二人にとっては、渡りに船、やったってことか。大分、事情がわかってきましたよ。確認したいのですが、そのふたりには、お宝のことは、一切話してないでしょうね?それらしきことも含めて……」

「ええ、そんなこと、ゆう筈ないでしょう」

「それともうひとつ、お尋ねします。片腕の、復員服の男、何かご存じのことありませんか?」

「ああ、警察の刑事にも訊かれました。直次郎の事件と関係あるみたいで……。でも、わたしも、団長も見たこともありませんよ。そんな男がこの辺に居たことすら、知りませんでしたから……」

「直次郎さんが、殺される理由についてはどうですか?恨まれているとか、金銭問題とか、女性問題とか?如何ですか?」

「全く、思い当たりません。というか、直次郎のことは、まったく知らないと言った方が近いと思います。安達直次郎が本名かも、相当疑問ですから……」

「疑問とゆうのは?」

「あいつ、わたしが『直さん』と呼んでも、反応せんことが多かったんです。自分を呼ばれたんじゃないみたいな……」


       13

「ふうん、京子って女は、芳文の内縁の妻、芳文は一度、いや、二度、帰ってきた形跡がある。しかも、二度目は去年。そして、お宝、三菱の隠し資産の存在を知っていた……。色々わかって来たやない」

 小政の報告を千代は佐代子の家の、座敷で訊いている。

「それと、そのお宝、三男の芳房も少しは知っていたみたいですよね?芳文に教えたのは芳房ですから」

「そう、そして、芳房さんも帰国しているらしい、となると、何処に居るのかな?」

「それ、わかっているのに、わたしへの当て付けですか?可能性は二つです」

「えっ?二つなが?ひとつやなくて?」

「ええ、ひとつは可能性が低いですけど、捨てきれないんです」

「その、可能性の低い方って?」

「例の、商人風の、道を尋ねた男ですよ。まだ、正体がわかっていません。勇さんも手掛かりなし、目撃者も、そんな風体の人物、仰山居る、ってな感じらしいですから……」

「あっ、そうか、あれが居ったね。けど、あれが芳房さんやったら、自分ちの場所訊く?」

「そこですよ。けど、考えてください。片腕の男は慎作やったがでしょう?慎作も安興寺を知らんわけがない。あれは、わざとですよ、道訊いたのは……」

「じゃあ、『本陣殺人事件』の模倣のためのお芝居ってこと?」

「慎作の方は、ですよ」

「まあ、エイワ。そしたら、もうひとつの可能性、大の方は?」

「これは、千代さんのお考えどおりでしょう」

「殺された、ピエロ。つまり、安達直次郎……?」

「そうゆうことです。ほぼ、そっちの方が正解やと思いますよ」

「小政さん、何か、最近、エライ、ホームズっぽさが顕著になりゆうね?探偵が板について来たやない?」

「いやいや、千代さんの仮説って奴に触発されましてね。完全に負けてましたもん、今朝までは……」

「それと、今の報告訊いていたら、小政さん、あんた、弁護士に向いているかもよ。尋問しもって、相手を観察する。そこから、推測しながら、次々と、核心を搗く。法廷でも通用するんと違う?」

「ええ、実は、都筑先生に、去年のひかりちゃんの結末、報告に伺ったら、今の会社辞めて、ウチで働かんか、って誘われました。今からでも遅くない、立派な弁護士になれるって……。でも、今の山長商会がずっとおもしろいですからね。千代さんの近くに居れるし……」

「ま、まあ、わたしも、小政さん傍に居て欲しいよ、頼りになるし……」

 お互い照れて、沈黙の時間が訪れた。

「お邪魔して、エイですか?」

 と、声を掛けたのは、坂本刑事である。午後の定例報告なのであろうか、遠慮しがちに入ってくる。

「あら、勇さん、何も遠慮なんてする必要ないやろう?」

「いえ、雰囲気がいつもと違ってましたから、空気が、かなり暑苦しいゆうか、別世界、ゆうか……」

「何ゆうてんの、わたしらぁ、事件の話してただけやないの。それで、警察の方、何か発見があったの?友造さん引っ張ったの失敗やったそうやね?」

「失敗やなんて、あれはあれでエエんです。揺さぶりやから。それで、次のターゲットですが……」

「また、誰かに揺さぶりかけるの?」

「ええ、今度は本命かもしれませんよ。星神社の神主ですき」

「神主さん?何で本命なが?」

「例の毒殺事件、警察の中では、お吸い物のお椀に毒を入れたのは、神主やないかって。つまり、千代さんがお椀配った時は、まだ毒が入ってなくて、その後で、隣の神主が、すばやく、お椀に入れたんやないかって……」

「ええっ?」

 と、千代と小政が、ハモる。

「あり得ませんか?」

 と、勇次が尋ねる。

「まあ、神主さんが、手品師のように器用やったら、できんことはないろうけんど、あの客がようけ居る面前で、マジシャンでも難しいろう」

 と、小政が否定的な意見を言う。

「それに、その後すぐ、身体検査とかして、毒物、誰も持ってなかったやろう?後始末もできん状況やったよ」

 と、千代が補足する。

「青酸カリって、ごく少量でエイがでしょう?致死量って奴。そしたら、少量、持ってて、使い切る、入れてたもんは、小さなゴミみたいに、其処らにほっておく。毒を入れたんは、ほら、元村会議員の挨拶が長かったでしょう?その時に入れたんやないかと……。山尾さんの意見ですけどね」

「なるほど、賛成はできんけど、殺したいのが住職一人だったとしたら、二分の一の確率の犯罪よりは確かですね。でも、お椀が出てきたのは、挨拶の後でしたよ。だから、あんまり、毒を入れる時間はなかったがやないかと思いますね。それと、少量でエイといっても、それなりの量はいりますからね。もうひとつ、神主は犯人じゃありませんよ。あの場に居たら、それは確かです。驚き方が、自分が狙われたって、驚き方でしたから、ねえ、千代さん?」

「あれ?千代さん、何ぼんやりしてるんですか?小政さんの意見、訊いてました?」

「住職さんのお椀に毒を入れるか……、その方法があるかもしれんね?」

「えっ?千代さん、神主さんの犯行と思うがですか?」

「えっ?いやや、誰も神主さんの犯行なんて言ってないよ」

「けど、二つのお椀のどちらが住職さんに行くかは、誰もわからんがですよ。千代さんが知っていたら別ですけど……」

「おい、勇さん、それはありえんろう!」

「ふたりとも、落ち着いて、もう一回、あの毒殺の場面を振り返るね。いい、あの毒殺は、お吸い物のお椀に入っていた青酸カリによるものよね?」

「ええ、そうですよ」

「住職のお椀以外に、毒物は発見できなかったのよね?」

「ええ、他の食べもん、飲みもんからは、反応ありませんでした」

「でも、それおかしいよね?」

「えっ?何でおかしいのです?」

「お吸い物を飲む時って、しかも、あのお吸い物、魚の――鯛だったと思うけど――アラが入っていたわよね?それを何も使わずに、食べたりするかしら?」

「そりゃあ。左手にお椀持って、右手には……」

「そ、そうか、箸か、箸の方に毒があった……」

「そう、お吸い物食べるには、お箸がいる。お箸の先に毒が付いていたら、お椀の中に溶け込む。少量でいいんだから、ただ、青酸カリは、空気に弱いと訊いたけどね」

「割りばしで、袋に入っていますからね、空気に触れて、毒性が無くなるほどじゃあなかったのでしょう。いや、ひょっとしたら、普通の青酸カリじゃなくて、ほら、戦後間もなくでしたか、帝銀事件ってあったでしょう?あの時の毒、一般には、青酸カリ、って言われてますけど、別の化合物だと言われていますからね」

「どんな化合物であったとしても、当然あの時、お箸からも毒物は反応があったはずよ。けどそれはお椀から移ったものと思われていた。本当は逆だった」

「それなら、住職を狙って、住職を殺せますね」

「それともうひとつ、例の、安興寺への道を尋ねる、『本陣殺人事件の前触れ』って奴も、芳文さんの部屋の『横溝正史の本』も、犯行の伏線よ。偽装工作に近いかもね」

「そうか、横溝の作品の模倣、その印象が強かったから、お椀の毒殺が『八つ墓村』の最初の殺人と重なったがですね」

「どうも、よくわからんがですけど……」

「勇さん、わからんでもエイよ。千代さんが、解決に《こじゃんと》近付いてきちゅうき」

「小政さん、まだまだよ。でも、ぼんやり、黒幕が見えてきた」

「く、黒幕が居るんですか?」

「うん、実行犯とは別にね。でも、証拠は皆無に近いわよ。これから、タヌキをいぶりだす方法を考えんとね。揺さぶりか、エイかもね。神主さん、いたぶってみようか……」

      *

「どうや、探偵団から、エイ話が訊けたか?」

 安芸署の対策本部に勇次が帰ってくると、山尾警部補と共に、安芸署署長が居り、勇次にそう語りかけたのである。

 勇次は、住職毒殺事件について、毒は箸に付着していたものではないか、との千代の推理を語った。さっそく、押収しておいた、箸袋を再検査するよう、指令が出された。

「それと、神主への事情聴取ですが……」

「おお、箸に毒が付着してたとなると、神主は白になるか?事情聴取は取り止めやな」

「いえ、是非やってみろと……」

「どうゆうことや、それ?」

 と、山尾警部補が驚く。

「神主は、毒殺には関与してない、と思われます。けど、自分が狙われたのではと、深い猜疑心を抱いているのは、間違いありません。つまり、狙われる理由があったんです。それを白状さすには、殺人犯の容疑で追及する。自分の潔白を証明するためには、その狙われる理由とやらを言うしかない……」

「なるほど、薮を突いて、ってやつか。そりゃあエイ。署長、エイですろう?逮捕やのうて、事情聴取ですき」

「ああ、問題ないろう。けど、高知から来ちゅう、井口探偵団とは、何もんぞ?警察でも思わんことを、次から次と……。誰が作った組織や?山長の社長か?」

 署長は以前、高知署に勤務していたことがあり、山本長吾郎の名声は知っていた。勇次は、探偵団を作ったきっかけが自分であることは、口が裂けても言えなかった。

「それと、ピエロの安達直次郎ですが、偽名やないかと……。どう考えても、安興寺か岩崎の関係者ではないかとの見解です」

 直次郎が安興寺芳房ではないかとの憶測は、まだ秘められていた。下田京子が芳文の内縁の妻というのも、勇次はまだ知らないのである。黒革の手帳のことも……。

「岩崎?何で岩崎が関係してくるんや?」

「はい、安興寺と岩崎はどうも深い関係がある。昔、援助しただけやない、互いの秘密めいたもんがある。これは、親戚筋に当たる、今話に出た、山本長吾郎さんからの情報だそうです」

「何やて?山長さんからの?そりゃあ、確かなもんや。けど、その秘密って何や?」

 署長を初め、警察は「三菱の隠し資産」については、情報を掴んでいない。千代や小政は、警察より遥かに先を行っているのである。

「正確にはわかりませんが、金銭的なもんやないかと……」

 三菱の隠し資産は機密事項である。才蔵が打ち明けたのは、千代と小政に協力を求めたからであり、警察の方には、「機密」がまだ生きているのである。だから、可哀想だが、勇次は蚊帳の外、それとなく、岩崎と今度の事件が係わりがある、と臭わせているのである。

「ですから、そこな辺も、神主を追及する糸口になるんやないかと……」

「よし、わかった、神主、事情聴取で引っ張って来い。あくまで、任意やぞ」


       14

「どうやった?神主さん、何か喋った?」

 翌日の午後の、定例報告である。勇次には「蚊帳の外」の事項が結構あるのだが、警察の情報は、ほぼ、千代や小政には伝わっている。捜査に協力、という建前の割に、一般人としての警察への協力――情報提供――はどうなのか?偏っているなあ、と、千代は思っているのである。

「まず、例の毒物のことですが、箸袋から、毒物の反応は出ませんでした。時間が立ち過ぎて、化学変化が起こっていたのかもしれませんが、千代さんの推理は正解だと思います。

 それと、ピエロの安達直次郎ですが、大下サーカスからの情報を遡って、前の就職先――大道芸のグループ――を捜査した結果ですが、安達という者は居りませんでした。つまり、職歴は虚偽であったということです。ですから、素姓は不明のままです。指紋の方でも、該当者は見つかっておりません」

「ねえ、小政さん、あのこと、ゆうてエイ?そろそろ、調べてもろうた方が、エイ時期かもよ」

 と、千代が小政の顔を覗き込むように言った。

 小政が、無言で頷く。

「な、何なんです?あのことって?お二人の中で、秘密があるんですか?まさか、本当に不倫の関係になったとか……?」

「何ゆうてるの?この前から、不倫、不倫て、エエ加減にしいよ!協力しちゃらんよ、もう。いや、協力どころか、絶交よ、口も利いてあげんよ、勇さん!」

「じょ、冗談に決まってますやいか。そんなに怒らんといてください。千代さんに絶交されたら、僕、首、括りとうなりますき……」

「ははは、勇さん、千代さんも冗談でゆうてますよ。けど、あんまり、笑えん冗談は、お互いやめときましょう」

 と、小政が一番大人である発言をする。

「すみません、不倫って言葉は、冗談にも使いません。

 それより、あのことのほう、教えてくださいよ」

「うん、わかってるって、勇さん、こっちもご免ね。冗談でも、勇さんと絶交なんて言わんきね。ウチの大事な弟やもん」

「えっ?大事な弟?う、嬉しい、涙が出てくる。そんな風に思うてくれてたんですか、僕のこと……」

「勇さん、それも、千代さんの冗談や。それくらい、わかれよ。もう長い付き合いやろう?」

「えっ?やっぱり、冗談、ですか……?」

「これは笑える冗談やろう?」

「いえ、お二人には笑えるもんかもしれませんが、僕には笑えるもんと違います」

 と、勇次はむくれた表情をする。これも冗談である。

「あっ、それより、本題ね。その安達直次郎の正体についてなのよ」

「えっ?安達の正体がわかったがですか?まさか、それも、冗談?」

「おいおい、勇さん、そこまで、冗談ゆうか。千代さんが推理して、わたしも納得した結論やき」

「勇さん、よう訊きよ。安達直次郎は偽名。本名は、安興寺芳房。安興寺家の三男よ。フィリピンで、バナナ園しよったとゆう男」

「ええっ?そ、そんな馬鹿な。芳房やったら、ピエロなんかに化けんと、堂々と、帰ってきたらエエですやいか。しかも、その芳房が、何で殺されなアカンがですか?全く訳がわかりませんよ」

「仰るとおりです。でも、芳房以外に考えられないんですよ。その根拠については、もう少しあとで説明します。取り敢えず、勇さんにお願いしたいのは、ピエロの男が、三男の芳房ではないか、との前提に立って、調べて欲しいんです。指紋とか、肉体的特徴とか、様々な証拠を集めて欲しいんですよ。ねっ、千代さん?」

「うん、勇さん、小政さんのゆうとおりなのよ。勇さんの疑問点、何故、正体を隠して、我が家に帰って来なければならなかったか、そこにこの事件の真相に迫るもんがあるってことよ。わかるろう?ここが、事件解決のターニングポイント。ピエロが芳房と確定できて、その理由が解き明かされた時、ホームズさんが、関係者集めて、謎解きが始まるんよ」

「いえ、ホームズやのうて、ミス・マープルになるんと違いますか?それとも、金田一君に任しますか?」

「ああ、才蔵さんは、やっぱり、金田一には向いてなかったね。格好は決まってたし、絵にはなってたけど……」

「あのう、何の話か、またわからんがですけど……」

「エエの、エエの、探偵団の、内輪の話やから。それより話を進めよう。神主さんの事情聴取のほう、訊かせて」

「はい、なんか、煙に巻かれた気がしないでもないですが……」

 勇次が話を始めた。

 取り調べは、例によって、山尾警部補が主担当である。やはり、強面の顔が便利なのである。

「神主さん、お忙しい処、申し訳ないですなぁ。もう一度、お尋ねしたいことができましてね。捜査が進展して、また、疑問点が出てきましたんよ」

 まずは優しい口調で、話を切り出した。

「亡くなった、住職さんですがね、どうも、岩崎の秘密事項に係わっていたとの情報がありましてね……」

 と、ゆっくり喋りながら、神主の表情を覗き込む。

 明らかに、動揺した表情が神主の顔に現れた。

「どうも、殺人の動機は、その辺にありそうなんですよ。それで、そこら辺を内偵してましたらね、神主さんもその秘密に係わっているんではないかと、疑惑が出てきましたんですワ。どうです?岩崎との秘密の約束、話してもらえませんかね?」

「し、知らん。どっからそんなデマが出てきたんか知らんが、岩崎との間にそんな秘密などない!」

「ほほう、つまり、命に係わることになっても、喋れん、それくらい大事な秘密事項なんですなあ?毒を盛られたんは、住職さんやったけど、神主さんが狙われたんやないんですかな?あの状況では、どちらが狙われたか、確定できませんよね?」

「そ、それもデマや。狙われたんは住職や、ワシは関係ない!」

「ほほう、神主さんが狙われたんやのうて、住職さんと絞ってて、あの毒殺が可能だったわけですな?そしたら、どうやって、お椀に毒を入れたんですかな?住職さんの前に置かれてから、住職さんのお椀に毒を入れられるんは、隣に居た人物だけですよね?隣にいたんは誰やったか……?」

「ば、ばかな、ワシがどうやって、毒を入れられるちゅうんや」

 神主は明らかに動揺を隠せない。

「けど、そうですやろう?住職さんに絞って、毒殺しようとしたら、お椀が住職さんの前に置かれてからやないと、無理ですよね。で、そのお椀に触れられるのは、住職さんか、神主さんだけ。まさか、自殺やなんて言わんでしょうね?」

「知らん、知らん、どうやって、住職の椀に毒が入れられたか、ワシは知らん。ワシはやってない!」

「まあ、犯人は皆、最初は、知らん、やってない、って、言いますのや。そりゃあ、毒殺だけやのうて、あと二人殺してたら、死刑は確実ですもんなあ。捕まりとうはないですワなあ……」

「あ、あと二人?まさか、首のないあの死体、あれもワシの所為にするんか?」

「神主さん、わかってますか?あんた、容疑者にされてますんよ。しかも、連続殺人の容疑者ですよ。どうしてかわかりますか?あなたが隠し事をしてるからですよ。あなたは、住職が殺された理由を知っている。それは、自分にも当てはまることであるからです。そうでしょう?それを話してくれん限りは、あなたの容疑は晴れませんよ」

 神主の額から、玉のような汗が流れている。身体が、震えているのが眼に見えてきた。

「い、言えん、どうしても言えん……」

 と、訊き辛い、喘ぐような声が神主さんの口から洩れてきた。

(あと、一歩のとこやな……)と、山尾警部補は心の中で呟いて、隣に居る、勇次の方に視線を向けた。

「神主さん、慎作って男、知っていますか?」

と、勇次は一旦、話題を変えてみた。

「し、慎作?ああ、去年、ノウなった、小作人上がりの男か、知っちゅうが、それがどうしたぞ?」

「どうゆう人物ですか?人殺しをしそうな、そんな人物ですか?」

「ひ、人殺し?死人が、人殺せるか?何ゆうてんのや?」

「いや、生前の慎作とゆう男の性格ですよ。どんな性格の男でしたか?」

「生前?それやったら、人を殺せるろうかな?無口で、陰湿な男やった。と、ゆうか、あいつは、この土地のもんやない。戦後、流れ着いて、そうや、良子(りょうこ)の亭主の戦友とかで、遺品を持ってきたがやった。そのまま、良子の家に世話になって、いつのまにか、夫婦になっとった」

「良子さん?」

「ああ、じゃから、安興寺の小作人の後家さんよ。召集で、亭主が居らんなって、親の面倒見よったがやけど、父親はノウなる、亭主は戦死の通知が来る。母親は病に倒れて、動けんなる。まあ、頼るもんが居らんで、亭主の戦友やった、慎作とデキてしもうたがよ」

「慎作は婿養子、なんですか?それで、良子さんは今は?」

「慎作が、おなごの下着盗んだゆうて、捕まった時、首括ってノウなった」

「じ、自殺したんですか?」

「そうや、可哀想なおなごや……。残された母親もやけどな。死ぬことはなかったんや。たかが、パンツ一、二枚盗んだだけやから。余罪は知らんけど。起訴はされんかったはずや」

 取調室に、一時、静寂が下りてきた。

「では、もうひとつお聞きしたいのですが、安興寺の息子たちですが、芳和、芳文、芳房の三人の仲はどうですか?仲が良い兄弟ですか?それとも……」

「ああ、下のふたりは、仲がエイ兄弟や。じゃが、長男とは、性格が合わん。それは仕方ないやろう。今は、法律が変わったが、戦前は、長子相続と決まってた。出来が悪うても、先に生まれただけで、親の遺産は総取りよ。下のもんは、分家、お涙程度の土地を分けてもらえるだけよ。仲よう出きる訳がないろう?」

「それと、もうひとつ、例の大道芸の一団を呼ぶことになった経緯ですが、ご存じないですかね?住職さんが絡んでいるみたいなんですが……」

「ああ、そうや。住職が、絹婆さんの為に何か余興をしよう、ゆうて、知り合いに頼んで、来てもろうたがや。それがどういた?不都合でもあったがか?」

「住職さんが提案して、住職さんが、あの三人を連れてきたがですね?」

「そ、そうゆうこっちゃな……」

「住職さんが殺されて、ピエロも殺された。ふたりに、何か秘密の関係があったとは思われませんか?以前からの顔見知りやとか?」

「ま、まさか、あの三人は、大下ゆうサーカス団に居ったがやろう?サーカス団に知り合いは居らんやろう、なんぼ、住職の顔が広いゆうたち……」

「でも、あの三人は、正式な団員でなく、臨時雇いだそうですよ。三人とも、身元が確かではないんです。ピエロの安達直次郎という男、偽名と思われるんですよ。該当する、曲芸師が居りませんでしてね。神主さん、ピエロの男、見たことありますよね?誰かに似てるとは思いませんでしたか?」

「誰かに似てる?誰や、それ?素顔、見てないし、芸しているとこだけやから、誰かに似てたって、わかる訳ないろう?」

「そうですよね、素顔をだれも見てないんですよ。死体の首も無いし……。つまり、皆さんの知っている誰かだったんじゃないかって、疑問が出ているんですよ。住職さんは、それを知っていたんじゃないかってね。それで殺された……。まあ、単なる、仮説です、お気になさらないでください……」

       *

「どうですか?小政さんの描いた、シナリオに沿ってたと思いますが……」

 神主の取り調べの内容を語り終えて、勇次が、千代と小政に尋ねた。

「ええ、上出来です。揺さぶりを掛けたから、神主さん、次の行動に出ますよ」

 と、納得顔の小政が答える。

「次の行動って?」

「ご注進に上がりますよ。おそらく、安興寺の誰か、さもなければ、大道芸人の団長」

「えっ?神主さん、そこまで繋がっているんですか?」

「いや、団長の方は、ないと思いますがね」

「そしたら、僕はどう動いたら……?」

「安興寺は才蔵君が見張っている。何かあったら、すぐ連絡が入る。勇さんは大道芸人のふたりを監視して欲しい。特に団長が、盗賊一味の頭、『酒呑の鬼吉』やったら、次の行動に出るはずや。お宝を探しにね……」

「お宝?何ですそれ?」

「あっ、いけない、機密事項の一端をゆうてしもうた」

「機密事項?ちょっと待ってください。僕の知らんこと、おふたりさん、知っているんですね?捜査に協力してくださいよ。隠し事は困りますよ」

「勇さん、小政さんを責めんといて。これは、誰にも内緒、ってことで、才蔵さんが打ち明けてくれたことなのよ。才蔵さんの仕事に係わること、つまり、依頼主に対する、秘守義務があって、公にはできないことなのよ」

「ううん、千代さんに言われると、強う言えませんね。けど、僕も絶対内緒にしますから、署長にも、山さんにも。ですから、教えてください」

「どうする、小政さん?」

「勇さんを信じましょう。大事な弟さんですから……。わたしにとっては、大好きな兄貴ですけど……」

「えっ、兄貴?小政さん、僕をそんな風に、思うてくれてたんですか?う、うれしい……」

「もう、冗談やろうがね、エエ加減学習しいや、勇さん」

「やっぱし。いや、わかってたんですよ。でも、わからんふりせんと、イカンでしょう?この展開では……」

「もう、何処までが本気で、何処までが冗談かわからんね。まあ、わたしも含めてやけど……。

 そいたら、絶対他言は無用で、話すきね、よう訊きよ」

 千代は、勇次に三菱の隠し資産について、わかっている範囲で――芳文と芳房が知っていた可能性があることを含め――うち明けた。

「えっ、えっ、えっ?」

 と、えっ、を三連発して驚いた後、

「それって、今回の事件の、大元やないですか?殺人が結果やとしたら、それは、原因ちゅうか、事件の発生源やないですか?」

「その可能性が大な訳よね。だから、機密事項なの。世間に知れたら、まだまだ、複雑になってくる可能性があるのよ。時価、一億円の資産やからね」

「それで、おふたりは、事件の真相に近づいていた訳か。警察より大分先行ってますやいか、参ったなあ」

「ここまで話したら、いいわね、勇さん。あんたも探偵団の一員よ。才蔵さんが、ちょっと、風変わりな捜査をしても、大目に見てよ」

「風変わりな捜査?何ですそれ?」

「石川や、浜の真砂は尽きるとも……、のほうですよ」

 と、小政が説明する。

「また、訳がわからん……」


       15

 小政が、佐代子の家を辞して、安興寺家の離れに帰ってくると、才蔵が待っていた。

「神主さんが来て、絹婆さんと何か話していましたよ。警察でどうのこうのと、言ってましたけど、何か進展がありましたか?」

「ほう、早来たんか、まあ、予定の行動やけどね。ちょっと揺さぶりを掛けたんよ。警察がどんだけ真相に近づいているかを、ちらっと見せてね。どうゆう反応をするか、と思うたら、絹婆さんにご注進か。人間関係の構図が見えてきたね。

 いや、人間関係といえば、千代さんが、妙なこと言ってた。安興寺の先代って誰やろう?って、絹婆さんの亭主と違うんですか?って訊いたら、今の当主が、芳次郎、次男さんやないか?って、そしたら、長男はいつ亡くなったがやろう?って……」

「なるほど、そう言えば、次郎ですから、次男でしょうね?若くに亡くなったってことですね、その長男。子供の時かな?」

「うん、絹婆さんの亭主とどっちが早いか、そこが問題ながやて、つまり、当主にだけ伝わる、隠し資産の秘密の経緯がどうなってるかが、問題ながやと」

「隠し資産は、日清戦争後のことだそうですから、今年で……」

「そう、六十五年や。八十八歳の絹婆さんは、当時二十二、三。当然、嫁に来てたから、どんなに秘密やとゆうても、変わったことが起きてることはわかったやろうな。と、千代さんがゆうとった」

「絹婆さんは、生き証人ってことですね?何処まで知っているかは別にして、当初から、知っている唯一人の人物ですか……」

「ああ、その時の当主が、絹さんの亭主やのうて、その父親か、あるいは、まだ、じいさんが生きていたか、どっちにせよ、絹さんの亭主も、秘密の伝承者のひとりなわけや」

「そこから、どう繋がったかが、問題ながですか?」

「ああ、千代さんがゆうには、芳房が、不確実ではあっても、お宝、として、隠し資産のことを知っていた。そこに、伝承のミスがあったんやないかと。つまり、絹さんの亭主か、亡くなった、長男からかわからんが、現当主の芳次郎に引き継ぐ時、あるいは、芳次郎が、卒中で倒れた時か、その辺りで、齟齬(そご)が生まれたんやないかと。それが、この事件の発端やないかと……」

「凄い、流石、顔回の……」

「うん、それは禁句やけど、本人居らんき、エイと思う。

 まあ、そこの辺りは、戸籍の調べとかで警察の捜査権がいるき、勇さんに任している」

「わかりました。では、僕は絹婆さんの周りを調べます。芳次郎さんの周辺には、例の白紙の手帳以外目ぼしいものはありませんでしたから。手帳は元に還しておきました。次のターゲットは……」

「ああ、そっちは任した。それと、京子という女はどうしてる?変な動きはしてないかい?」

「ええ、この近所の農家の空き部屋に泊っているらしいですよ。そこも、元は、安興寺の小作人だった家らしいですけど」

「団長の大山の方は?」

「そっちは、安芸市内の、旅館に居るそうです。警察が見張っていますよ。盗賊一味の頭という疑いが晴れてないようですから」

「よっしゃ、そしたら、わたしは、京子の様子見てくる」

       *

 小政が離れの部屋を後にし、才蔵も絹婆さんの様子を覗いに行こうと立ち上がった時、

「おや?車の停まった音がしたな?小政さん、『ダットサン』で行く距離でもないし」

 と、物音に独り言を吐いた。

 才蔵が耳を澄ますと、

「カタ、カタ」と、音がする。微かな音であり、才蔵の耳でなければ、聴き取れない音である。

「ゴト、ゴト」と、今度は、少し音程の低い音がする。どちらも、金属音でなく、木製の物の音である。

「キィー」と、今度は、高音。これは、わかった。裏木戸の軋む音である。

(裏木戸が開いた?おかしいな、誰も裏木戸の方には行ってない。閂がしてあるから、外からは開かないはずだが?誰かが前もって、閂を外していたのか?)

 才蔵は、身を隠す。裏木戸を開け、誰かが庭に入ってくる気配がしたのである。

(あれ?佐代子さんやないか?千代さんの従妹の。けど、何で、裏から?いつも、表から来てるのに……)

 才蔵が様子を覗っていると、佐代子は裏木戸の閂を閉め、辺りを覗うような仕草をした後、足早に庭を横切り、母屋の方に向かって行った。

(怪しいなぁ、ひとつ、後をつけるか……)

 才蔵は、素早く靴をはくと、佐代子の向かった方向に音もなく進んで行った。

 佐代子は、人目を避けるように、勝手口から土間に入り、履物を胸に隠すと、板の間へ上がって行った。

 土間はコンクリートで、一部、斜面になっている。車椅子の芳和が通れるように、新しく作ったものらしい。その延長に板の廊下があり、芳和の部屋に続いている。

 佐代子はその芳和の部屋の前で立ち止まり、洋風のドアを軽くノックした後、

「若旦さん、居りますか?佐代子です」

 と、辺りを気遣うような、細い声で呼びかけた。

 ドアが内側から開かれ、佐代子が中に入って行った。

 才蔵は、ドアが閉められたのを確かめ、素早くドアの前に立ち、耳を当てた。

「これが、新たな報告書です。どうやら、去年のことを調べて、ピエロの正体も、確認しようとしています。お宝のことも、知っていますし、油断できませんよ。探偵団なんて言ったって、素人の集団とばっかり、思ってたんですが……」

「まあ、しばらくはほっとけ。おまんと、ワシの仲を知られたら困る。早う、出て行き」

「あら、つれないですねえ。陽子さんと、巧ういってないんでしょう?淋しゅうないんですか?」

「そっちの話はまた別じゃ」

「はいはい、わたしは、絹婆さんのご機嫌を覗ごうてきます。ほいたらまた……」

「ほら、駄賃や」

「あら、おおきに」

 佐代子の足音がして、ドアノブに手が掛かる前に、才蔵は素早く身を隠した。

 佐代子は辺りを気にして、一旦土間に降りると、勝手口を回って、母屋の玄関へ向かって行った。

(おやおや、佐代子と芳和はデキていたのか。しかも、我々の話を盗み聞きして、ご注進に来たわけか。いや、最初から、探偵団の見張り役やったのかもしれんな。さてと、絹婆さんに何をしゃべるつもりか?そっちを確かめるか……)

 才蔵の姿が廊下から消えた。天井の羽目板を一枚外し、そこから、屋根裏へ忍び込んだのである。

        *

「えっ?佐代子さんがスパイ?」

 と、言ったのは千代である。

 才蔵は絹の部屋の天井裏から、絹に探偵団の調査の進み具合を報告しているのを、盗み聞きし、佐代子が表から出て行ったのを確かめて、離れの部屋に帰って来たのである。

 そこへ、小政が千代を伴って帰って来た。才蔵が、佐代子の行動を話すと、千代は驚いたのである。

「まあ、絹婆さんに頼まれて、調査の進み具合をご注進に行ったのなら、理解できますね。元々、千代さんを呼んだのは、絹婆さんに頼まれて、佐代子さんが手を回したわけですから……」

 と、小政が意見を述べる。

「うん、絹さんとの繋がりはわかる。けど、芳和さんとミョウな関係になってるなんて、ちょっと理解できんワ」

「陽子さんと巧くいってない、って、夫婦仲ですよね?そういえば、陽子さんって、何してるんですか?姿見かけませんよね?」

「陽子って、芳和の女房だったんですか?てっきり、女中さんかと思ってました。その女なら、芳次郎の世話に付きっ切りですよ。食事から、下の世話まで……」

「そうか、舅の世話か。そら、才蔵君が女中さんと間違うわけやな」

「それで、佐代子さん、裏木戸から入ってきて、帰りは表から帰ったのよね?気になるなあ。ちょっと裏木戸調べてみん?あの外側どうなっちゅうか、見たこと無かったね」

 千代の提案に、三人は庭に下りて、裏木戸に向かう。

「閂はちゃんと掛かっているわね。外からは開けれないわね」

 と、千代が扉を押したり引いたりしてみる。

 閂を横にずらすと、「ゴト、ゴト」と音がする。

「あれ?さっき佐代子さんが入ってくる時、この音がしましたよ。おかしいなあ?扉が開く前だったから、佐代子さんが、閂を動かせるはずはないんですが?こちら側には誰もいませんでしたし……」

「えっ?それ確か?ほいたら、外から、閂を操作できるのかもしれんよ」

「そ、そうゆうことですよね?よし、調べてみましょう」

 と、小政が急いで、戸口から外へ出て行く。

 裏木戸を外の方から、注意深く眺めてみる。扉は、唯の板張りではなく、幾つかの木材を張り合わせて、凹凸がつけられている。

「一旦閉めてみましょう。才蔵君、中から閂掛けてみて」

 と、小政が言って、才蔵が扉を閉め、閂をした。

 小政が外側から扉を押したり引いたりするが、閂は外れない。

「才蔵さん、閂が外れる『ゴト、ゴト』とゆう音の前に、何か他の音、せんかった?」

 と、千代が扉越しに尋ねた。

「はい、微かでしたが、『カタ、カタ』いや、『カタ』と鳴って、また『カタ』っと、鳴ったような気がします」

「それって、木を動かす音よ。わかった、この扉の板張りのような模様、これが動くのよ。ほら、箱根細工の宝箱……」

「ああ、そうですね、よし、何処かに動く一カ所があるはずや」

「よく見て、さっき、佐代子さんが触ったはずよ。汚れとか、指紋とか、付いてない?」

「あっ、確かに、この辺りが、他より汚れてるし、木が擦り減っていますよ。ここだな。これがまず、動きそうや。よし、動いた」

 小政が、ひとつの出っ張った木の模様を上に動かした。次にその空いたスペースに、右の木の模様を動かす。そして、また、その木の空いたスペースに、下から木の模様を動かすと、「カタ」っと、音がして、扉の一部が、両手が入るくらい、開いたのである。

「この穴から、手を入れて、閂が外せますね。やってみます」

 その穴は、丁度、閂のある高さにあり、楽々と外から閂を外すことができたのである。

「この細工を知っていたら、出入り自由やね。当然、家族の芳文、芳房は知って居たろうね?それと、慎作ゆう男も……」

       *

「色々、わかってきましたね」

 と、離れの部屋に帰ってきて、小政が言った。

 裏木戸の外を三人で調査して、佐代子の「ミゼット」のタイヤ跡、何人かの靴跡、そして、江の川が、意外と近くに流れていることまでわかったのである。

「ピエロの男、安達直次郎の死体も、あそこから流されたのかもしれませんね?」

 才蔵が話を続ける。千代は黙ったままである。

「千代姐さん、どうしたんですか?」

「才蔵君、千代さん、今、顔回に……、いや、マープルさんになりゆうがよ」

 千代が、怖い眼で、小政を睨む。その後、また、思案顔になって、言葉を発しない。

「ところで、京子の方はどうでした?」

「ああ、京子のとこへ、千代さんと行ったがよ。警察から睨まれちゅうらしゅうて、大人しくしていた。ポニーテールの髪も切って、別人になっちょったよ。芳文がどの程度『三菱の隠し資産』について、知っちょったか、尋ねたり、芳文の身体の特徴訊いたりしてみた。体型は例の片腕の男、慎作とほぼ同じ。つまり、去年の死体が、芳文だった可能性が、また大きゅうなったよ」

「去年死んだのが、芳文。芳文はお宝を見つけるために、帰ってきてた。殺されたとすると――まあ、事故死とは考えられんから――お宝がらみの殺人よね?犯人か、共犯者かわからんけんど、慎作が絡んじゅう。その慎作が殺される。どう考えても、口封じよね?それと、ピエロが芳房だとしたら、こちらも、芳文と同じ、お宝絡み……」

「千代さん、完全に、真相に迫ってるやないですか」

「えっ?また、ひとり言よ」

「いやあ、凄いな、理論、整然としています。僕にはできない芸当です」

 と、才蔵が、髪の毛を掻きまわしながら、尊敬の眼差しを千代に向けた。

「嫌や、まだ、仮説の域よ。前にもゆうたけど、証拠は皆無。状況証拠が、ほんの少し、出てきただけ」

「けど、ほぼ真相に近いことは事実ですよ。警察より先に行っています」

「ああ、才蔵君のゆうとおりや。今の仮説からすると、慎作ゆう男が鍵やね。どうゆう役割で、どうゆう行動を取っていたのか……」

「それがわかったら、共犯者、いや、主犯の黒幕に迫れますね?」

「ねえ、慎作――片腕の男――と、ピエロ――芳房と思われる男――はどちらが先に殺されたんやろう?」

「えっ?どっちが先か、問題あるがですか?どっちにしても、犯人は一人でしょう?連続殺人やから……」

「犯人は一人?同一犯の犯行?誰がそうゆうた?」

       *

 ふたりの男を煙に巻いたまま、千代は、

「わたし、家に電話してくる。随分、こっちに居るから、向こうも気になるし……」

 と、言って、部屋をあとにした。

「犯人が一人でないなんて、考えられますか?同じ、首なし死体ですよ」

「ああ、わたしも、そう思うとった。けど、それぞれ、違う犯人、ってことは充分有り得る。エイかえ?殺された二人の立つ位置や。慎作は、お宝の秘密を守る方。これは、去年の芳文殺しから、そう判断できる。じゃあ、ピエロが芳房だったら……?」

「そうか、反対の立場、お宝を狙う方ですよね。でも、慎作は『口封じ』で殺されたとしたら、秘密を守る方の、味方に殺されたってことでしょう?」

「ああ、その『口封じ』が問題よ。何の口封じか?」

「そりゃあ、去年の芳文殺しの口封じでしょう?」

「そうかもしれんが、少しおかしい処がある。慎作の行動や。エイかえ?慎作は、復員服の男として、村に帰って来た。そして、『本陣殺人事件の模倣』のように、安興寺家への道を尋ねた。そして、多分、裏木戸の、あの秘密の扉を操作して、中に入った。ここまでは、理解できるろう?」

 小政の言葉に、才蔵は無言で頷く。

「その、『本陣殺人事件の模倣』が問題ながよ。慎作の考えではないことは、芳文の部屋にある横溝正史の本でわかる。つまり、この事件には、千代さんがゆうてた、黒幕が居って、慎作は、その駒の一人やった、としか考えられん。しかも、わざわざ、呼びよせた駒や。それを、去年の口封じだけで殺すやろうか?ただ殺すだけやったら、例の、道を尋ねる行動なんか、させたりはせん」

「そうですよね、人目につかんように呼び戻して、正体がわからんようにして殺しますよね。元々、死んでいるはずの男ですから」

「つまり、今回の事件に慎作を利用したかったから、呼びもどした。としたら、口封じは今回の事件の慎作の、用、って奴が、終わったから、口封じに至った、ってことになりゃあせんかえ?」

「その、用、っていうのは?」

「これは、あくまで憶測やで。去年、芳文を殺した、それが、慎作に与えられた使命やったとしたら、今回も同じ、お宝にチョッカイを出す人間を見つけ出す。あるいは片付ける。それが、慎作の、用って奴やろう?その、チョッカイを出す人間、ピエロ、団長、京子……」

「す、凄すぎる。千代さんも小政さんも、名探偵……」

「千代さんは、もうそこまでは考えていたはずだよ。だから、同一犯でない、と仄めかしたんや。わたし、完全に負けてるワ、今回は……」

 そこで、二人の間に沈黙が下りる。

「あれ?車椅子の音がしますよ」

 と、才蔵が言った。常人には聞こえない、わずかな音である。

「芳和が動いた?」

「そうらしいですね。わたし、様子を探ってきます……」

       *

 その頃、千代は安興寺絹に断りを入れて、高知の我が家へ電話を架けていた。電話に出たのは、千代の長男、S氏であった。

「あら、あんた、学校終わった時間か。何か変わったこと無い?妹、弟は悪ことしてない?」

「ああ、みっちゃんに、よう懐いて、大人しゅうしゆうよ」

「ところで、あんた、エライ、指令書なんか送って来たね。首なし死体ゆうて、勉強せんと、小説ばっかり読みよったらイカンよ」

「指令書?何それ?首のない死体?母ちゃん、意味わからん。僕、母ちゃんが何しゆうか、全然訊いてないよ。学校の行事が忙しゅうて、それどころやない。学芸会のお芝居の台本。クラスマッチのメンバーの編成。全部、押し付けられたがやき」

「ええっ?あんたやないの、あの指令書」

「それ、九官鳥の足に付けた奴のこと?それやったら、菜々子さんや。祖母ちゃんと顔役さんは一枚噛んじゅうろうけんど、僕はノータッチ。あっ、菜々子さん、帰って来た。替わるワ、本人に訊きや。菜々子さん、うちの母親から、電話。替わってって……」

 電話口で、菜々子と替わる気配がした。

「はい、菜々子です。千代姐さん、小六の通信が途絶えて、心配してました。電話があるなら、そっちが早いですもんね。これからそうします」

「あの、指令書の推理は菜々子ちゃんだったの?顔のない死体の正体とか……」

「はい、合ってました?去年の死体、別人だったでしょう?首のない死体は、別人。これ、探偵小説の王道ですもんね」

「やっぱり、それだけの推測か……」

「それで、事件はどうなってます?才蔵から連絡がないんです」

「菜々子ちゃんが心配せんでエイの。大学の勉強に身を入れなさい」

「でも、お寅さんや顔役さんが、事件の経過を知りたがっていますよ。顔役さん、毎日、来てますから」

(まあ、顔役さんは、親戚筋の事件やから、気にはなるわね。お母さんは?唯の野次馬やと思うけど……)

「まあ、それなりに、解決に向かっているわよ。そのうち、警察から発表があるから、新聞に載ると思うよ。顔役さんには、小政さんから連絡入れるし、菜々子ちゃんには、才蔵さんからの連絡。いいわね、学生さんの本分、忘れんように。あなたは、石川のご両親から、ウチとこが預かってる、大事な娘さんやからね」

「ちゃんと、講義には出てますよ。本当はそっちへ行きたいんやけど、我慢してるんやから……。事件の経過だけは知らせてくださいよ。ボンは今回、パス、って言ってますけど……」

 はいはい、と会話を終え、お寅さんは不在とのことだったので、みっちゃんと替わってもらい、子供たちの世話を、もう一度頼んだ。夫のことは、また、話の縁にも載らなかったのである。

 電話を終え、離れに帰ろうとした、千代の視線に、黒い物体が横切った。玄関先から、納屋、馬小屋が見える場所に居たのである。

 黒装束?いや、単に黒っぽい服装の男が、人目を避けるように、物陰から、物陰へと移動しているのである。

 夕暮れが近付いている。雲が広がってきて、辺りはもう薄暗い。

 あれは、団長?大山って男みたいや。

 千代が視線でその男を追っていると、男は母屋の陰に入って、見えなくなった。慌てて、玄関先に出て行く。男が床下に潜り込んで行ったのを、視線の片隅に捉えていた。

「団長が、安興寺の秘密を探りに来たか……」


        16

 才蔵は、その頃、天井裏に居た。団長の大山が、床下から、同じように様子を覗っているのには気づいていない。下には、絹婆さん、芳和、そして、芳次郎が動かない身体を、座椅子に座らせいる。そこは、芳次郎の部屋である。

 和室の廊下に、芳和の車椅子が置かれており、芳和は車椅子から降り、這うようにして、座敷に入って来た。絹婆さんが、一番、達者である。

「また、ハエがたかって来たみたいやね?」

 と、絹婆さんの声から、会話が始まった。

「親父、跡継ぎに引き継ぎをしてもらわんと、困ることになっちゅうぞ」

 芳和の言葉に、芳次郎が、動き難い身体を動かす、気配がした。才蔵は思い切って、天井板の一部を動かし、下が覗けるようにした。

 座椅子に座った芳次郎が、枕元の手提げ金庫を、少しは動く、左手で指し示していた。

「この手提げ金庫になんかあるがか?」

 という、芳和の問いに、首を傾ける。

 芳和が、金庫ににじり寄り、中を検める。

「この手帳か?」

 と、黒革の手帳を取り出して、芳次郎に確認をする。芳次郎の首が、縦に動く。

「なんちゃあ、書いちゃあせんぞ」

 と、手帳のページを捲って、芳和が言った。

「バカやね。芳文が、取り替えて行ったがやろうがね」

 と、絹婆さんが軽蔑した眼差しで言った。

「芳次郎、あんた、芳之助が亡くなる前に、あんたに教えたことがあるろう?それを、手帳に控えたがかね?けんど、あんた、その時、中風の気が出ちょって、右手が不自由やったろうがね。そんな手で書いたもんが、読めるもんかね」

「ほいたら、どうするがぞ。秘密は、わからんままになるぞ」

「芳和、あんたも芝居は辞めや。あんた、秘密の全部は知らいでも、ちょっとばあは、知っちゅうがやろう?」

「ああ、芳房が、何かしよったき、それなりには……。けんど、他にもあるがやろう?」

「芳次郎、ここに、いろはの文字が書いた、札がある。あんたが芳之助から訊いた場所を文字で教えや。左手で、文字を指さしてみい」

 絹婆さんが、ひらがな一字を書いた、カードをあいうえお順に並べて、芳次郎の前に、見えるように並べて行った。

 芳次郎の左手がゆっくり動きだす。最初は中央から、左に動き、下の方を指さした。

「ほ、やね」と、絹婆さんが確認する。芳次郎の首が動く。

 続いて、左手が、中央右に動き、上の辺りで停まった。

「し、やね」

「星神社」

 と、芳和が声を上げた。

 絹婆さんが、無言で芳次郎を睨む。芳次郎が首を動かす。

「他には?」

 と、絹婆さんが続けて尋ねる。

 芳次郎の手が、「し」の位置から、少し斜め左下に動く。

「て、かね?」

 首が動く。手が、左の方に動きだし、左端近くの上で停まる。

「わ、かね?いや、ら、かね?」

「てら、明見寺か?」

 首が大きく動いた。

「他には、ないんか?」

 と、芳和が追及する。

「あとは、この家に預かってる分だけよね。それは、アテが知っちゅう」

「ほいたら、神社と寺に隠しちゅうがやな?」

 芳和の問いに、芳次郎の首がまた傾いた。

「けど、あんたには掘り出すんは無理やろう?誰にやらすんや?」

「掘り出す?何でや、預かりもんやろうが、そのままで、エイんや、場所さえわかったら、後はどうにでもなる。慌てることはない。たかってくる、五月蝿(うるさ)い、ハエさえ片付けたら、エイんや」

「そうか、あんたがエイんやったら、それでエイわ。アテのもんやないし、ほいたら、アテはご飯にするきね」

 絹婆さんは杖の力を借り、立ち上がると、部屋を後にした。

「おおい、陽子」

 と、芳和が、大きな声で、女房を呼び、車椅子まで、手を借り、自分の部屋へ帰って行った。

 芳次郎の身体を抱え、陽子が布団に寝かせる。

「食事の用意をしてきます」

 と、言って、部屋を後にした。

       *

 その頃、千代と小政は、芳和の部屋に居た。その部屋の主がいないことがわかっている、今のうちに、部屋を捜索しておきたかったのである。

 芳和の部屋は、洋間になっている。和室だったものを改装したもののようで、押入れのようなスペースがあった。

 部屋は思っていたより、整頓されている。机とベッドがあり、本棚がある。百科事典がずらりとあり、夏目漱石、森鴎外、芥川、太宰、川端康成の本が並び、探偵小説や大衆小説は並んでいない。

 千代が、そっと、押入れを開けてみる。冬用の掛け布団、毛布のほかに、衣装ケースなのか、竹で編んだ、大きな行李(こうり)があった。その行李の蓋を取ってみる。

 着物が畳まれているその上に、唐草模様の風呂敷に何かが包まれている。幅はそれほどではないが、かなりの長さがあるものである。

 千代が、その風呂敷に手を当てた。その時、天井裏から声が掛かった。

「芳和が帰ってきますよ」

 と、才蔵が教えてくれたのである。

 千代は、風呂敷の上から、中身の形状を確かめるように、両手で撫でまわし、素早く、行李の蓋を閉め、押入れの襖を閉めた。

「おや、芳和さん、お出かけでしたか?」

 小政の声が聞こえる。廊下の角の向こうで、芳和を足止めしてくれているのである。千代は素早く、部屋を出、反対側、土間の方へ向かって行った。

 離れの部屋に戻ると、才蔵が待っていた。小政が少し遅れて帰ってくる。

「才蔵さん、小政さん、ありがとう。おかげで、芳和さんに見つからんで済んだわ」

 と、まず、千代が二人に礼を言った。

「ところで、家族会議はどうだった?」

 と、続けて才蔵に尋ねた。

 才蔵が今、見聞きしてきた、安興寺の三人の会話、様子を伝えた。

「ふうん、やっぱり、星神社と明見寺か、それと、この家にもあるんや、お宝が……」

「エライ、在り来たりな場所に、隠したもんですね?誰でも想像できますやないですか……」

「まあ、隠し財産があること自体が秘密やから、隠し場所はそう複雑には、せんかったがやろう。今回みたいに、当主から、次に伝わらんような事態が発生する可能性があるからね」

「それと、千代さんの想像どおり、長男から今の芳次郎に伝わったがですね?芳之助って、長男のことでしょうね?その時、芳次郎が中風で、巧いこと文字が書けんかった。黒革の手帳を手に入れた、芳文も難儀したでしょうね?読めん文字の羅列やったろうから……」

「そうね、星神社、明見寺くらいは、想像できたろうけど、まだまだ、範囲は広いよね。じゃあ、芳文はどうしたと思う?」

「そりゃあ、その辺、詳しゅう探すでしょうね?」

「けど、戦犯の身よね?おっぴらにはできないよね?」

「そうか、黙って、隠れて、秘密裏に、てことか」

「それを知った、守る側はどうする?」

「五月蝿い、ハエを追い払う」

 と、才蔵が、安興寺の家族会議で訊いた言葉を使って言った。

「いや、片付けるやろう?つまり、人間やったら、殺すってことや」

 と、小政が訂正する。

「そうね、これで、去年の殺人の動機が確定したわよね。実行犯は慎作かな?誰の依頼かは、ほぼ、確定的よね?」

       *

 千代は、佐代子の家での夕食の時間が近付いており、そこで、部屋を後にした。

 才蔵が、眼を丸くして、その背中を見送っている。

「千代姐さん、完全に事件の真相、掴んでますよね?わたしには、さっぱりなんですが、わたしの能力、坂本刑事、以下なんでしょうか?」

「今回の事件に関してゆうと、わたしも負けてる。顔回の霊が本当に憑いてるんやないか?それとも、ミス・マープルか?」

「確かに、去年の殺人は、今、千代姐さんが言ったとおりでしょうが、そしたら、今回の事件は?まず、住職さんの毒殺の意味、いや、動機がさっぱりわかりませんよ。それと、慎作殺しのほうも……」

「そう、その二人は、所謂、『五月蝿い、ハエ』じゃあないよね?反対に、ハエを追い払う方と思われるよね?としたら、動機は別物になる……」

「じゃあ、その二人を殺したのは、別の者?ピエロが芳房だとしたら、それもまた、別?殺人の実行犯である、慎作が殺されているんでしょう?ピエロは誰に殺されたんです?殺人鬼がそんなに居るんですか?この小さな集落に……」

「うん、そこがわからんがよネ。実行できる人間が、そんなに居らん、とゆうか、友造と、大道芸の団長くらいやろう?二人が共謀、な、わけないもんね……」

「ピエロを殺したのが、友造。慎作を殺したのが、団長、って考えられませんか?」

「その逆もあり得る。けど、そうしたら、二人とも、首を切られていた、いや、首を切って、別の場所に隠している、ってのが、わからんなる。犯人も動機も違うのに、犯罪の結末が同じ、これは、偶然とは言えんやろう?誰か一人の思惑から出たもんやろう?例の、犬猫の首なし死体もあるし、計画的な犯罪やろうから……」

「そうですね。団長は、関西の盗賊の一味。友造は、古くから土地の者ですから、接点がないですよね?」

「接点があるかもしれんが、まだ、わかっていないし、可能性はかなり低いね。直接の顔見知りとは、思えんからね」

「やっぱり、団長を見張りますか?所謂『五月蝿い、ハエ』って、団長のことでしょう?」

「ああ、そうやね……。待って?けど、今回の『家族会議』を開くきっかけ、って何やった?」

 と、小政が急に、今、思いついたことがある、という風に、言葉を投げかけた。

「それは、神主さんの、ご注進と、佐代子さんの報告が、きっかけ、でしょうね」

「そこに、団長の話があったか?」

「さあ?少しはあったでしょう?」

「けど、家族会議を開くほどの情報やとは思えん。神主は知らんし、佐代子は、わたしらぁ『探偵団』の動きの情報を持ってきただけやろう?

 としたら、どちらも、捜査関係の――進捗状況の――情報や。それで、家族会議。そこで、『五月蝿いハエ』……」

「まさか、我々のことを……」

「そうとしか考えられん。こいつは気ィつけんといかんよ。まだ、例の毒薬、見つかっておらんき……」

「ち、千代姐さんにも知らせんと……」

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