3

 目蓋を開くと視界いっぱいにぼんやりとした母親の顔があった。

 

「お父さん、眼、開けたよッ」

「サトル、大丈夫かッ」


 母に代わり、父親の顔がそこに割り込む。

 返事代わりにひとつうなずくと二人に安堵の表情が浮かんだ。

 

 

 あとで聞いた話によると、僕が昼寝をしてしまうと兄はすぐにひとりでアスレチックコースに行ったらしい。

 また膝枕を貸した母はやがて睡魔に襲われて一緒に眠ってしまったという。

 父は親子が寄り添うように眠るその様子をホームビデオでひとしきり撮影した後、僕たちと桜が上手く映るアングルを探していた。

 そしてモニター画面にスッと横切る何かを視た父が顔を上げた時にはすでに僕は桜の木のそばに居たのだと語った。

 

「突然のことで呆気に取られてな」


 父はしきりに首筋を撫で、そして岸辺へと目を向けた。


「見とったらサトル、おまえがフラフラとした足取りで池の方に向かって行くけん、そんで父さん、あわててビデオをそこら辺に置いて柵を乗り越えたんよ」


 そして駆け寄った父はためらいもなく水に入っていく僕の腕をつかみ岸へと引っ張り上げたのだという。


「それにしてもおまえ、凄い力やったぞ。どんだけ引っ張ってもなかなか水から上がらんでな」


 そう言って苦笑いを浮かべた父の横で母が顔を歪めた。


「もう、なにしとるん。なんでそんなアホなことしたん」


 その涙声の叱責に僕がその恐ろしい姿をした女のことを話すと、二人は白けた表情になり「もしかして夢遊病の気があるんやろか」と首を傾げた。

 


 

 父が地面に置いたビデオカメラはその救出の一部始終を捉えていた。

 それは桜の木の根元から誰かに引かれるような不自然な足取りでふらつきながら水辺へと歩いていく僕。

 次いでそれを追う父の後ろ姿がカットイン。

 そして岸辺で僕の腕をつかまえて必死で引き戻そうとするところまでが映っていて、それから不意に画面が乱れ、やがて鮮明な画像に戻り、なぜかそこで映像が止まった。


 その日の夜、テレビでそれを観ていた僕以外の家族は最後の静止画を見詰めたまま息を呑んだ。

 

 それは水中へと体を沈めていく僕と力一杯それを引き戻そうとする父。

 あたりに粉雪のように舞い散る桜の花びら。

 そして画面奥の水面みなもから突き出した無数の真っ黒な手。

 それらがまるで獲物を捕える野獣のあぎとのように弧を描いて僕に襲い掛かろうとしていた。


 それを見た僕の脳裏には恐怖が甦り、同時に諦観とも安堵ともつかない平坦な心持ちが胸に押し寄せて、無意識にポツリと呟いた。


「……やっぱり、おったんや」


 


 それを境に僕の瞳はときどきこの世あらずの者を視るようになった。

 

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