第5話 転落

 真行寺さんの事情聴取が終わった後、検疫室に備え付けのパソコンを起動して、僕が異世界に行っていた間のニュースを検索してみた。

 最初に調べたのは、僕が巻き込まれたクラス召喚についてだが、予想以上に大きく報道されていた。


 異世界召喚と思われる事例は増えているが、三十人以上の学生が行方不明になれば大騒ぎになるのも当然なのだろう。

 これまでにも異世界から日本に帰還を果たした人が何人か存在しているが、全員が個人を召喚する儀式に巻き込まれた人だ。


 十人以上の集団召喚による行方不明者は一人も見つかっておらず、そう考えると、僕が集団召喚された後に日本に帰国を果たした最初の事例になりそうだ。

 ただし、僕が集団召喚に当て嵌るかどうかは微妙な気がする。


 僕は高校の教室で異世界召喚に巻き込まれたが、教室中央の生徒が本命だったらしく、隅の席に座っていた僕は、驚いて立ち上がった時に魔法陣を踏み外してしまったのだ。

 気が付いたらインターネットで見たアメリカのセコイア国立公園のような、巨大な針葉樹が林立する深い森の中に一人きりで、周囲に人の気配は全くしなかった。


 耳を澄ませてみても、聞こえて来るのは風に揺れる木々のざわめきや鳥の声ばかりで、自動車や飛行機のエンジン音は聞こえなかった。


「ステータス、オープン! ファイヤーボール! ウインドカッター! ウォータージェット! ストーンバレッ……はぁ、はぁ……駄目か」


 声の限りに叫んでも、当然のように魔法が使える気配すら無かった。

 この時の僕は、辛うじて健康を取り戻したといってもジョギングが激しい運動と感じるほど貧弱な体で、深い森に一人で放り出されて途方に暮れるしかなかった。


 とにかく人のいる場所を目指そうと、トボトボと歩いていた時に遭遇したのが角の生えた黒ウサギだった。

 後ろ脚二本でスクっと立ち、口許をモニュモニュと動かしている表情は愛くるしい。


 この時の僕の持ち物は、制服のポケットに入れておいたハンカチとティッシュのみ。

 角黒ウサギを夜の寒さをしのぐ暖房器具として、命を繋ぐ糧として捕まえられないかと思ったが、ジョギングすらままならない体では影すら踏めないだろうと諦めかけた。


「ほーら、何もしないぞ……怖くないぞ……」


 冗談半分で、しゃがみ込んで手をヒラヒラとさせると、角黒ウサギは小首を傾げた後で、ヒョコヒョコと近付いて来た。


「もしかして、人への警戒心が薄いのか?」


 角黒ウサギは、時々立ち止まって鼻をヒクヒクさせては、またヒョコヒョコと近付いてきた。


「よーし……もうちょい、さぁおいで……って、痛っ!」


 近付いてきた角黒ウサギは、突然牙を剝いて僕の手の平に噛み付き、肉を食い千切った。


「嘘だろう……肉食なのかよ」

「キュッ!」

「キュキュッ!」

「うわっ、いつの間に……」


 気が付くと、角黒ウサギの群れに囲まれていた。

 たかがウサギと侮ることなかれ、一羽二羽ならまだしも、十羽、二十羽、三十羽と増えると洒落にならない。


「うわぁぁぁぁ!」


 悲鳴を上げながら走り出したが、虚弱体質の高校生と野生動物では最初から勝負は見えている。

 黒角ウサギは、次から次へと襲いかかってきた。


「痛い……痛い、痛い、誰か助けて!」


 一度肉を食い千切っても、黒角ウサギ達は満足せずに襲い掛かってくる。

 口の周りを血まみれにしながら追い掛けてくる姿は、可愛い小動物ではなく獰猛な肉食獣だ。


「痛い、痛い、もうやめて!」


 黒角ウサギはどんどん数を増し、肉を食われるたびに僕の動きは鈍くなり、襲撃は激しくなるばかりだ。


「嫌だ……こんなの嘘だよ。死にたくない!」


 黒角ウサギに先回りされ、前後左右から襲われる。

 手足をメチャクチャに振り回しても、群がってくる黒角ウサギを払いきれない。


 木の根に躓いて転ぶと、一斉に黒角ウサギが襲い掛かって来た。


「グルゥゥゥ……」

「ガァァァァ!」


 耳を齧られ、首筋を齧られ、全身が溢れ出した血に塗れていく。


「嫌だぁぁぁ……嫌ぁぁ……誰か、誰か助けてぇ!」


 立ち上がろうとしても足に力が入らず、もう体のどこが痛いのかも分らなかった。

 顔を覆った手の指が噛み千切られ、地面を埋め尽くすほどの黒角ウサギの群れが見えた。


 もう駄目だと諦めかけた時、突然轟音と共に強風が吹き荒れ、群がっていた黒角ウサギを吹き飛ばした。

 黒角ウサギを吹き飛ばすと風は止み、近付いてくる足音が聞こえた。


 うつぶせに倒れたままの僕の視界に、歩み寄ってくる足が見えた。


「助け……て……」


 確かに人間の足のように見えたが、その風貌を確かめることなく僕は意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る