On Air2


 看護の準備を整えた俺はさっそく、担当となった五○一号室へとやってきた。

 入り口の壁には、患者のネームプレートがはめられている。



一条いちじょう満月みつきさんか……」


 ここに来る前にカルテを確認し、日勤の看護師から申し送りを受けてきた。

 それらの情報によると、この子は体育の授業中に、利き手である右手を骨折したそうだ。


 高校三年生って書いてあったし、受験生か。

 可哀想に。利き手が使えなきゃ、勉強するのも大変だろう。


 家は両親と妹で四人暮らし。父親は大学の教授で、母親は看護師をしている。

 入院直後から一番大きい個室を選択する辺り、家はかなり裕福そうだ。


 他に特筆すべき点は……。



「先輩にクレームを入れたってことは、少し神経質かもな。多感な時期だろうし、特に気を付けよう」



 まずは軽く挨拶してみて、駄目そうなら諦めよう。そのときは他の看護師についてもらえばいい。


「……よし」


 ――トントントン。


「すみませーん。ご飯の前に検温させてくださーい。いま入室してもよろしいですか~?」


 ノックをしてから、ドア越しになるべく優しい声で呼びかける。すると中から女性の声で「どうぞ」というセリフが返ってきた。


 少し間をおいてから「失礼します」とドアを開けた。



(ん、窓を開けていたのか)


 入室した瞬間、俺の顔を晩秋の冷たい風が撫でていった。

 窓を見れば、夕陽がちょうど地平線へ落ちていくところだった。



「綺麗だ……」


 本来白いはずの部屋は今、真っ赤な紅葉もみじ色に染め上げられている。

 だけど俺が綺麗だと言ったのは、その光景が理由じゃない。



「一条さんですか?」

「……はい」


 心地良い、透き通るような声。

 この部屋のあるじは短く返事をした。


 ベッドに腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた美少女。彼女が俺の担当患者である、一条満月だろう。


 黒髪を風になびかせ、長い睫毛まつげをした目を眩しそうに細めている。

 その光景は一種の芸術のようで、『絵画にしたら映えるだろうな』なんて素人ながらに思うほどだった。



「もう寒くなりますから、窓は閉めちゃいますよ?」

「はぁい」


 このままいつまでも眺めていたい気分だったが、患者に風邪をひかせたら大変だ。


 俺が窓を閉めている間に彼女は布団を左手でつかみ、冷えた足にかぶせていく。もちろん、彼女の右手は首から下げた布で固定されたまま。

 だが慣れたようにリモコンを使い、ベッドのリクライニングを起こしていた。



(ずいぶん快適に過ごしていそうだな……)


 正直、彼女が羨ましい。

 ここは大部屋ほどでは無いけれど、個室にしてはかなり広いVIP用の部屋だ。


 俺の住んでいる安アパートよりも、よっぽど心地良いだろう。



「今夜は私が一条さんの担当看護師になります。よろしくお願いします」

「ふぅん……九重このえさんっていうんだ……」


 胸元のネームプレートを見た後。

 頭の天辺から靴の先までジロ、と品定めをされた。どういうわけか、心なしか少し満足そうな表情をしている。


 えぇっと、これはどう判断すればいいんだ? 拒絶はされていない……よな?



「バイタル……血圧とか体温を測ることですね。それと食事の準備は私がします。もしお手洗いとかの補助が必要でしたら、女性看護師を呼び「九重さんで大丈夫です」……私が来ますので、必要だったらおっしゃってくださいね」


 うぅん? 途中すごい食い気味で来たな。せない……なんで俺を御指名なんだ!?


 それにこの子、表情があまり変わらない。だからいったい何を考えてるのか、ちょっと分かりづらいところがある。


 見た目こそ綺麗なんだけど、ちょっと近寄りがたい感じの女の子だ。学校じゃ高嶺の花とか思われてそうなイメージ。


 ……まぁ、拒否されるよりかは良いのか?

 こっちはスムーズに仕事をこなせれば、それでいい。



「それじゃあ。さっそく血圧とかを測らせてもらいますね」

「はぁい。お願いします」


 気を取り直し、俺はここへ来た目的であるバイタルの測定をすることにする。

 ベッドサイドの隣に寄り、道具を広げていく。


 うわぁ、近くで見ると余計に可愛いな。

 顔なんて俺の手のひらぐらいしかない。


「ねぇ、九重さん。……九重さん?」

「――え? あ、すみません。なんです?」

「突然ぼーっとし始めたから……測らないの?」

「や、やりますよ? ちょっと部屋が暖かくなるのを待っていたんです。ほら、寒いと血圧も変わるんで」



 ……うぐぐぐ。

 首をコテン、とかしげる仕草でさえ愛くるしいとは。さらには「ふぅん?」と、口をアヒルのように尖らせるオマケ付きだと!?


 唇ぷるんぷるんじゃねぇか! なにこれ!? ファーストコンタクトだけで、ここまで男を殺しにかかって来るのか!?


 なんて末恐ろしいJKなんだ……この子のいるクラスの男どもは、いったいどうやって理性を保っているんだ?


 嗚呼、無自覚系の美少女JK恐るべし。



 ともかく、なんとしてでも仕事はこなさねば。

 己の震える手をどうにか動かし、血圧計を左手に巻いていく。


(すげぇ、綺麗だ……)


 毛でモジャモジャな男の腕と違って、すべすべな肌だ。

 それはもう、陶磁器かってぐらいに綺麗な腕をしている。


 撫でたくなる衝動をギリギリで抑え、血圧計の隙間に聴診器を入れていく。


「九重さん」

「え、はい?」


 ん、今度は何だ。

 血圧計をキツく締め過ぎたか?


 「すみません」と謝りながら急いで緩め、顔を上げた。

 俺の彼女の顔は目と鼻の距離だ。


 必然、目が合った。


「九重さんって、童貞ですか?」

「ぶふぉっ!?」


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