第20話

 7


「ここが、件の教室でいいの?」

「そうだよ。鍵はここ。僕達は今からこの部室に入るのさ」

「部室? 何かの部活動の部屋なの?」

「僕は前シーズン片っ端からトライアウトに入って様々な部室の鍵を複製して来た。ここもその一つ。ま、全て出禁になっているから部員がいない時間しか忍び込めないけどね」

「悪行過ぎないかい?」

 最早、倫理的にも行動的も大丈夫かなんて愚問はアルの口からは出てこない。

「まさか。学生の本分だろ? 教室を有効活用なんて。逆に褒めてもらいたいぐらいだよ」

「出禁になった意味が分かった」

「はは、時に熱くなってぶつかり合いをした結果だよ」

 レニーが扉を開けると、アルは鼻を掠る薬品の匂いに顔を顰めた。

「何これ」

「ここは、剥製同好会。剥製を好んで作っている奴らの溜まり場」

「剥製? 薬品の匂いと言うことは……、フリーズドライ?」

「そう。ここにはその為の機材が揃っている。多分、学園内では唯一の場所さ。フリーズドライにする為には小型犬でも一ヶ月以上はかかるらしい」

「なら、腕でも……、まだ機械の中にあるって事?」

「そう言う事。君は冷凍庫を開けてみてくれ。僕は機械の中を確認するから」

 レニーが一個一個の機械を見てまわる。

 アルは冷凍庫を始め、扉という扉を開けて回った。

 しかし、だ。

「ないね」

 約三十分間探し回ったと言うのに。成果は何一つなかった。

「ああ。ないな。つまり、犯人はフリーズドライを使ってはない」

「なら、あの腕は縫いぐるみ?」

「その可能性が高くなった」

「縫いぐるみはどうつくるの?」

「簡単さ。皮を剥いで中に詰め物をするだけ」

「それって、寮の部屋でも出来る?」

「できると思うよ。僕も一度小動物で試してみたが素人でもそれ程時間もかからない。一週間もあれば出来るんじゃない?」

 何故、そんな事をしようとしたのかすら、アルはレニーに問いかけようとも思わない。

 そんな疑問すら浮かんでこない事に嫌悪感を覚えながら、アルはため息を零した。

「少なくとも、ここの同好会の人たちは無罪だね」

「ああ、放免だな」

「どうする? 次の当ては?」

 アルが問いかけると、レニーは

「そうだな。ここにないと言う事は、他のアプローチを考えてみないとね。少し整理する為に寮に戻ろう」

「わかった。そうだ、レニー。寮に戻るなら、一度ケリーがいる寮長室に寄ってもいい? 前の部屋の鍵を返したいんだ」

「ああ、わかった。でも、この時間なら授業に出ているんじゃないか?」

「どうだろ? 彼の学年で丸々授業は珍しいんじゃないかな? ま、居なかったら出直すさ」

 アルがそう言って、部室のドアを開けた。

 その瞬間、太い腕がある目掛けて伸びてきた。

「っ!?」

 腕はアルの首を掴み上げ様とする。

 しかし、咄嗟の事で何も判断が付けられないアルは、経験的に、そして本能的にその手を掴むとねじり上げ踵を相手の耳目掛けて振り落とそうとした。

 しかし、本能よりも、理性がそれを止める。

「あ、ジェシーさん」

 ピタリと止めた足を怯えながら見ている顔を確認して、アルがまの抜けた声を出す。

「おいおい、アル。君、少し気が抜けているんじゃないか? 僕が何で終わってすぐにドアを開けなかったと思っているんだい?」

 呆れたレニーの声に、アルはそれなら早く言ってくれとばかりに不服な顔をする。

 しかし、ドアを開けたのはアルだ。責はアルにあるのだ。

「全く。寮に速やかに戻りかったのに随分と仕事を増やしてくれるものだな」

「確かにドアを開けたのは悪かったけど、君が自主的に増やした仕事だろ? そう思うならさっさと僕に松葉杖を渡すべきだった」

「そんな必要があるとでも? 君が踵を耳にネジ落とせば、そのトロールは少なくとも気を失っていた。僕達はトロールをここに転がして速やかに帰れた。つまり、僕は止める事を責めているんだよ、アル」

「大切なクラスメイトを気絶はさせれないだろ?」

「何故僕は2回もされたの?」

「そう言う趣味があるのかと思って」

 気を利かせてやったのにとばかりに、アルは鼻を鳴らした。

 しかし、その風景を見て笑う事も出来ないジェシーはただただ目を見開くだけ。

 今朝の今朝迄、弱いナードだと馬鹿にしていた男に何故自分は転がされているのか。それすら理解出来ない顔をしている。

「君も大概性格が悪いな。で、そっちの頭が悪い方のナードはどうした? 僕に用があったんじゃないのか?」

「あ、あ?」

「おいおい、恐怖で人の言葉も忘れたか? 今朝迄は元気に喋っていただろ? それとも、アルファベットからやり直す気か? Aってわかるか? アップルの綴りは書ける?」

「モ、モーガンっ!」

「おい、僕の名前はお前の鳴き声じゃない。人様と話そうと思うなら人語を話せ。人語を話すなら立て。それが人間の礼儀ってもんだろ?」

 レニーが心底不愉快の様な顔しているが、そもそも事の発端はレニーにある。

 悪いが同情はできないとアルは視線を逸らしてジェシーに手を差し出した。

「ジェシーさん、先程は突然の事で僕も気を動転させてしまっていた。ごめん。あー、何と言っていいか分からないけど、そうだな。あー、いつもの様に猫みたいに戯れたいなら、次からはいつもの様に出来れば声を出して襲ってきてくれれば僕も君のお遊びに付き合って投げ飛ばされたり殴られたりしてあげれるから、そうしてくれると助かるよ。本当にごめん」

「お、お前っ!」

「あ、そう。そうやって声出してくれたら、僕からは攻撃しない。けど、今は急いでいるから別。すぐに実践しないで、TOPを考えよう」

 差し伸べた手をすり抜け、襲い掛かろうとするジェシーの手を再度捻り上げ、再びアルはジェシーの背中に椅子の様に座ると、軽く天井を仰いだ。

「レニーの機嫌が悪くなると、面倒臭さが比例していくんだ。賢く生きよう。お互い、ね?」

「何でそんなに強いんだよ!」

「別に強くないし、君よりは非力。でも、何度も誘拐されて殺されかけて来たから経験がある。それだけ」

「殺され、かけた?」

 ジェシーはアルの方を見ようと顔を捻るが、それはアルの片手に寄って制させる。今の顔は見て欲しくない。少なくとも、レニー以外には。

「君もお兄さんにナイフでいたぶられた事があるだろ? 怖いよね。僕が最初にナイフを足に刺されたのは三歳の時だ。気持ちがわかるよ。痛いのに悲鳴すら上げさせてもくれない。声をあげれば殴る蹴る。けど、そんな事を嘆いて誰かに訴えた所で誰も守ってくれないよ。優秀なSSを付けても、どれだけ対策を練っても、どうしても綻びってもんはある。完璧なんてもんはない。五歳の時、目隠しされて銃を突きつけられた時に気付いたんだ。この世界は、自分を守りきれない奴は死ぬんだって。君もそうだろ? パパもママも、事が終わったら可哀想にと言うだけだ。抱きしめてくれるだけだ。恐怖の最中の時にはクソの役にも立ってくれない。たからこそ、僕達は生きる為に自分で努力をしなきゃいけないってわけ。で、今の僕がその努力の結果。僕の強さは腕力でも知力でも体力でもない。ただ生きたい努力だけが僕の強さだよ」

 クソみたいな世界だが、生きていかねばならない理由は死ぬ程ある。

 ならば、どれ程踠き苦しんでも、どんな努力を重ねてでも生きていかねばならない。

「投げ飛ばされるのも、強さ。殴られるふりをするのも、強さ。倒れたふりをすればするだけ、有利になる時は多々あるからね。そして、一番強さに必要なものは心だよ。何も迷わない、心だ」

 アルはジェシーの首を掴む手を強める。

「な、何をっ!?」

「瞬発的、刹那的、感情的では発生しない、常に一定した殺しても構わないと思う心。それが一番、強さには必要だ。そして、それは簡単に薬で手に入ってしまうものだね。君のお兄さんは、恐らく持っている。けど、君は持ってない。だから、弱者なんだよ」

「やめてくれっ! 今迄のなら謝る! 謝るからっ!」

 アルはふっと笑うとジェシーから手を離した。

「辞めてくれよ。そんな事をされたら、僕は今以上に注目の的になってしまうだろ? それに、僕は君が人語を話せる様になる助けをしただけさ。お礼は結構。続きはレニーと話して」

 それだけ言えば、アルはさっさとジェシーから退いてドアの外に出る。まるで、二人の会話に興味がないと言いたげに。

「アル、僕も興味がないぞ? 一緒に部屋に帰るんだ、置いて行くなよ」

「彼は君の客人だろ?」

「そうかい? 彼、整理券番号を持ってないだろ?」

「それは初耳。配ってるの?」

「勿論。整理券番号を手に入れるだけでも五年待ちさ」

「是非とも僕の手持ちの整理券番号を彼に譲ってあげたいね」

「従業員に必要なのは整理券じゃなくて面接だろ? そして、君は既に終わっている」

「辞退」

「住み込み希望のくせに、冗談が上手いな」

 レニーはさっさとジェシーを跨いでアルの肩に手を乗せる。どうやら、本気でジェシーには無視を決め込むつもりでいる様だ。

 しかし、当のジェシーはそのつもりはないらしい。

「レオナルドっ! 待てよっ! お前は俺に教えてくれると約束しただろ!?」

 そう言って、レニーの手を掴む。

 レニーは面倒くさそうにアルを見るが、首を振られるだけ。どうやらレニー専属のSSは契約期間を終えた様だ。

「はぁ。話したいなら歩きながらしろよ。僕達は忙しいんだ」

 レニーにジェシーを振り切ったアルの様な力はない。

 丸め込むにも時間はかかる。

 諦めるのも無理はないだろう。

「最大限の妥協だよ。で、君の兄貴は普段から薬物を?」

「ああ。戦場からこっちに帰ってきてからは……」

「成程。無理もない。精神的に縋るものがなければ生きるのも辛いだろう」

 随分と、肯定的なレニーの意見にアルは少し驚いた。馬鹿にするかと、内心は思っていたからだ。

「どんな薬物を?」

「知らない。この街の売人が売ってる薬だよ。注射器で打ってる」

 吸引などと違って、注射器での薬物使用は随分と効果が高くなる。つまり、ジェシーの兄の薬物依存は随分と高いと言うわけだ。

「この街で売られている薬ねぇ。最近、安価の薬物が出回っていると聞くけど、それかな?」

「安価?」

「出所は今のところわからないが、素人が作った混入物たっぷりのオリジナル薬物だよ。ま、安さが売りで手を出す奴は少なくない。売り上げはそんじょそこらの薬よりも上じゃないか?」

「素人が? 随分と無茶苦茶だな」

「無茶苦茶だが、安いんだよ。金がない奴らには優しいんだ。リピーター必須だし、いい商売だろうな。遊びで作ったとしたら、やめられなくなるほどには旨味があるだろうに」

「そっちが薬物じゃないか」

「何事も依存性はある。で、君の兄貴は家の金を掴んで薬物を買って、切れたら家に戻ってまた金を掴むんだろ? 金を素直に渡せばいいんじゃないか?」

「違うっ! いや、違わないが、それだけじゃないっ! 薬が切れたら見境なく暴れ回るんだ。腹いせの様に俺をいたぶって、気が晴れたら金を掴んで出て行く。ここ数年、そんなことの繰り返しなんだ……」

 教室で見るとは随分と様子が違うジェシーに、アルは些か、本当にいささか、同情を覚えた。

 本当に、恐怖を思い出す悲痛な顔は、まだ何処か幼児の様に思えてくる。

「薬物は辞められん。今回、一度退ける方法を教えるが、それが終わったらまたまた来るぞ? それでもいいのか?」

「いい。一晩だけでも、一晩だけでも逃げたいんだ」

「本当に逃げ出したら? 今日来るってわかってるのなら、逃げて隠れてもいいじゃないか」

「父と母が兄貴の暴力に耐えれるわけがないだろ!?」

 どうやら、このジェシーと言う男には肉親を捨てられる覚悟もないらしい。

「だろうな。だから、君はずっと耐えているんだろ? 人の家に逃げ出しもせずに、只管兄が帰ってこない事を願いながら毎日夜を越す。怯えながら」

「俺は、どうすればいい?」

 まるで神に祈る仔羊ような弱々しさを感じる声音に、アルは目を背けたくなる。

 殺す覚悟を持て。さすれば君は救われる。そう、吐き捨てる自分と、家族を愛し守るジェシーとの落差がどうしようも無く胸に突き刺さった。

 そのアルの様子を見ていたレニーは軽くジェシーの背中を叩いた。

「一度だ。一度きりだ。祈れ」

「……は?」

「一度きりでいい。神に祈れ。あの馬鹿な兄貴が、家の中に入ってこない様に祈れ。いいか? 絶対に祈れ。一晩中、祈れ。絶対に、絶対にだ。解決方法はそれしかない」

 何と言うファンシーな提案だろうか。

「お前は、天才じゃなかったのか!?」

 絶望の顔をしたジェシーがレニーの襟を乱暴に掴んだ。まるで納得など到底出来ないと顔に書いてある様に。

「天才だ。だから、お前に知恵を貸してやっている。もう一度言う、祈れ」

「そんな事、何百回もしてる! 祈らない日なんてない! 毎日が、祈って、祈り続けて、生きているっ!」

 それしが縋るものがないのだ。

 誰も頼れない。頼りにならない。ならば、神頼みと同じなのだから。

「誰に祈った?」

「誰にって……」

「神とか言うなよ? それは宗教の話だ。僕は祈れと言っただけ。誰だとはまだ言ってない」

「まだ?」

「ああ。君は、アルに祈るんだよ。心の底から。惨めな自分を救ってくれる唯一の彼に」

「え!?」

 途端に声を上げたのはアルだった。

 何故、自分が? 先程から会話には参加していないと言うのに。どうして急に。

「ナードに?」

「そうだ。君がナードと思って馬鹿にしてきた彼に、だ。出来るか?」

「出来るわけが……」

 ないと言いかけて、ジェシーは口を噤む。それはそうだ。今し方目の当たりにした彼の強さは本物だ。自分何かでは到底太刀打ちできない強さを持っている。

 神に祈るよりも、より現実的な強さに救いを求めるのは理解できなくはない。

「はは。見た目通りの現金だな」

「祈れば……、祈れば、助かるのか?」

「勿論。僕の頭脳に誓おうじゃないか」

 階段を小走りに駆け降りるレニーが笑う。

「……わかった。祈るよ」

「え!? 本気かい?」

 祈られる当の本人は、自分自身に祈られた所でどうしろとという顔を崩せないでいる。

 それもそうだ。何事も突然すぎるのだから。

「それは良かった。祈りが届けば、君は救われる。良かったな、トロール。それじゃ、良い森の夜を。アル、行くぞ?」

「え、あ、うん」

 立ちすくむジェシーに背を向け、レニーとアルは明るい外へと歩き出した。

「祈られても、困るよ」

 困惑した顔でアルがレニーの背中に話しかける。

 ジェシーに祈られたところで、救ってやる事なんて到底出来ない。それをアルはよく知っている。

「だろうな。何の効果もないさ、そんなもの」

「だろうな。は、僕のセリフだよ、レニー。だったらあんな嘘を吐くなよ。僕を巻き込むな」

「僕だってトロールには祈られたくないからな。鳴き声が本当にレニーになったら最悪だろ?」

「苦笑で済むものな」

「君だけだよ。僕は違う」

「成程。レイチェルにすれば良かったな。提案はもっと早く言ってくれ」

「可決までがスピーディー過ぎる」

「裁判も審議もスピーディーになるのに限る。文句があるなら、今度からは君が議長になってくれ」

 次があってたまるものかと、アルは心底嫌な顔をしたがレニーには残念ながら、アルの様に背中に目がなかった様だ。

「でも、本当にどうするの? このままだと、彼は本当に兄に殺されるぞ?」

「殺されはしないが僕が嘘を吐いたのは暴露てしまうな。だから、今から手を打つんだよ」

 そう言って、レニーはポケットから携帯を取り出すと一本の電話を掛けた。

 アルに電話の会話はよく聞こえなかったが、相手がウィルソン警部だと言うのは分かる。

 だって、何度もレニーが不満そうな顔をするから。あのレニーが不満そうな顔をしてまで電話を続ける相手なんて、ウィルソン警部ぐらいしかアルは知らない。

「ウィルソン警部?」

「ご名答。あのトロールの家に、今日か明日に強盗が押し入る情報が手に入ったと伝えておいた。善良な市民に有能なウィルソン警部の武勇伝をお伝えしたので、是非とも守ってほしい。そんな内容」

「成程、その嫌味は全てスルーされだわけだ」

「するだけ無駄だったよ。期待もしてなかったけどね」

 だろうなとアルは小さく笑った。

「丁度小腹が空く頃だし、アル。昼食を取ってから部屋に戻らないか?」

「いや、僕は遠慮しておくよ。出来れば僕はケリーに早く用事を済ませておきたいんだ」

「そうかい?」

 本音を言えば付き合ってもいいのだが、アルの持ち金はそれほど豊かではない。

 毎日三食の食事など満足に食せる環境ではないのだ。

「悪いね。レニーは僕に構わずランチに行ってくれよ。食堂もこんな時間からなら空いてると思うよ」

「そうだな」

 空の青さにもにた同意を、レニーは呟いた。

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