第17話

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「二日連続で同じ人間のせいで保健室のベッドで目覚める事になるとは……」

 レニーのわざらしいため息にアルは自分こそ呆れたため息を吐きたくなる。

「昨日は僕の不注意の事故だが、今日は君がやれと言ったんじゃないか」

 殴った頬が腫れあがらない様に、レニーの頬にアルは氷を当てる。

 まるで自分のせいだと言われるだなんて心外だと抗議はしているが、殴った事への心配はどうやらある様だ。

「フリでも良かったのに。善処するとは嘘だったのかい? もしかして、君なりのジョーク?」

「そこまで笑いに勤勉なつもりも素振りも見せた覚えはないんだけど。善処はした。ただ、善処を差し引いての昨日からの恨みつらみ分が加速を促したんだ。恨み言を言うなら僕よりも自分に言ってくれ」

「これ、口の中切れているぞ?」

「可哀そうに。人の嫌がる事をやる人間の末路だな。僕も覚えておくよ」

 随分と薄い言葉だと、レニーは笑う。

「言っておくが、本当に僕は最初、アルの邪魔をしようと思わなかったんだ」

 お行儀よく人形の様に大人しく座っていた僕を思い出して欲しいとレニーは続けた。

 確かに、最初レニーはアルを助ける所か無関心を貫いていた。

「君の性癖について僕が口を出すのはいくら親友だからでも可笑しいと思ってね」

「性癖だって?」

「違うのかい? 君は彼らに馬鹿にされる言われも、虐められる言われも、まして殴られる言われもない。それに君には彼らを一撃で仕留めれるだけの実力を常に持っていた。だけど、彼らの暴力を甘んじて受け止めていた。それは、あー。言いにくいが、アレだろ? そう、何と言うか、そう言う性癖だったって話だろ?」

「おいおい、何だって?」

 それこそ、本気で言っているのかと疑いたい内容だった。

「冗談でも笑えないぞ、それは。どうすればそんな思考に行きつくんだ? 頭が良すぎるのが原因なの?」

「理論的に考えて、じゃなきゃ理由がない」

「いやいや、あるだろう。理論的でもなんでもない。理由なんて他にいくつもあるだろ。現に僕は、違う理由からだ。目立ちたくないから、彼らの暴力を甘んじて受けて来たんだ。君も言ってただろ?」

「それって本当にそう思っているわけ?」

「……同一性を感じない話?」

「そうだ」

 レニーはアルの手から氷を奪うと自分の冷えた頬を撫でる。

「あのジョックと一緒だな。家庭での自分の役割と、この学校での自分の役割。真逆過ぎたら誰も信じないと思うか?」

「少なくとも、あの場にいた何人かは半信半疑だったと思うよ。あれは事実?」

「勿論。ナイフの浅い傷が何個か首元、腕周りから見えた。傷はどれも浅く、比較的新しいのから古いのまで。そう考えれば日常的に彼は誰かにナイフで脅されている。頻度を考えれば学校か家庭かの二択。学校であれば腐ってもジョックだ。そんな秘密を持っていたらクイーン・ビーが彼とは付き合わない。となると、残る可能性は家庭だ。しかし、父親でも母親でもない。腐ってもあの体格でそれはないだろう。もし、両親であれば、彼は自分の身を庇う痕が腕に出来ているはずだ。しかし、それはない。となると、残るは兄弟。同じ、もしくは彼よりも上の体格を持っているモノだ。となると、姉や妹の線は薄いだろう。多分兄だな。元軍人で戦場帰り。今はシャブで生きているんだろうな」

 テレビで聞くような社会問題をレニーはあのジェシーの家庭だと言うのだ。

「それも傷で?」

 たったあれだけの傷で、それら全てがわかったというのか。

 まさに天才。いや、天才と呼ぶには次元が違う。もはやそれは神の領域に足を踏み入れている者ではないか。

 しかし、残念がら現実にそんなファンタジーが通じるわけがない。

 驚くアルを鼻で笑い、レニーは肩をすくめながらこう言ったのだ。

「まさか。昨日デリを買った帰りにあのジョックに似た男を街で見かけた。黒ずくめの太った売人に薬が効かないと暴れていたからな。今日ぐらいに家に帰ってくるだろう」

 そのくだらないリアルの言葉の羅列に、アルは呆れた顔でレニーを見た。

 あのジョックの兄だと思われる人に会っていたって?

「……嘘だろ?」

「何だい。君は本当にあの生傷だけで僕が推理したって思っていたのかい?」

「推理は?」

「見たモノを唱える時に君は推理をするの? 逆に新しいな」

「だって、君。あのジョックに僕は頭がいいって」

「真実だろ? 僕の何処が頭がよくないか教えてくれよ」

「頭じゃなくて、目がいいの間違いじゃないか」

「じゃあ、訂正しておこう。頭の良くて目もいいんだ」

「……君って奴は」

 ふふっとアルは呆れながらも思わず笑ってしまった。

 あの場にいた全員が、まるでレニーが魔法使いじゃないかと疑っている顔をした。それを見て、自分の秘密を暴かれるんじゃないかと戦慄していたのを思い出したからだ。

「もしかし、昨日寝た女も君は見たとか?」

「まさか。あれは耳さ」

「耳?」

「自慢話は、小さな声で方がいいって事」

 それはつまり、ジェシー自身の自爆である。

「あー。なるほどね。なんてこった。レニー、君は魔法使いよりも詐欺師の才能がある」

「詐欺じゃない。でも、君は魔法でも何でも僕の言葉を信じただろ?」

「まぁ。残念ながら君には実績があるからね。僕の言葉も何処かで聞いてたり、見てたりしたの?」

「まさか。見て分かる事にそんな手間な真似するわけないだろ。秘密の暴露だって君のほぼ自爆じゃいなか」

「……僕もトロールの仲間って事?」

「自覚があるなら気を付けた方がいい」

 アルはレニーの言葉に顔を顰めた。

「真逆だから人は同一性を疑わないと言うのも一理あるが、リスクが高い。それこそ今日何回も君と言い争っている確率の問題だ。誰かは気付かないが、誰かは気付く。何もしないは目立たないとイコールじゃない。何もしないはその分振り回されてはその母数を悪戯に増やしている行為に過ぎない」

「……それは、そうだな」

 レニーの主張は正しかった。

 アルには否定できないぐらいに。

「でも、僕はそれ以外で火の粉の振り払い方を知らなかったんだ」

「そうだろう。君のその見事な体術を見て、人々は君に興味を示すだろうな。しかも相手はスクール・カースト最上位のジョック相手にだ。体術は家で?」

「……ああ。一通りね。SSも付いていたが、基本は自分の身は自分で守る様に言われていたから」

「素敵だね。まるで何処かの国の王子様だ」

 君の容姿の方が王子様だろとアルは呆れながら言う。

「でも、王子の方が良かったもしれないな。王子は王子の役割があって、責務がある。僕の家はただの、少なくとも王族などとは程遠い一般に属する家庭だ。子供には子供としてしか価値のない、普通の家さ」

「アル、君は正体を僕に言いたいの?」

「……いや。この話は止めよう。レニー、止めてくれてありがとう」

「いいさ。僕は君がどんな家庭でどんな正体を持っているか何て、心底どうでもいいと言っただろ? 君は君でありさえしてくれればいい。その脳みそさえ持って、僕の相手をしてくれたらね」

「随分と傲慢過ぎる友情だな、それ」

「友情とは時に傲慢なものさ」

 レニーの言葉にアルは照れた笑いを見せた。

 今回ばかりは、その傲慢な友情に救われたのだ。

「……あー。レニー。今回の事はありがとう」

「何だい、急に」

「いや、僕の為に、僕の身代わりになってくれただろ?」

 レニーが間に入った事により、アルの興味はレニーに全て流れて行く。

 また、殴った相手もレニーだ。アルの体術に興味を持ったところで、お互いが友達通しであり、相手があのレニーであれば余程の事が無い限り、アル自身を嗅ぎまわる事ないだろう。

 つまりは、アルはここでレニーと言う壁役を得たのだ。

 それは、身代わりと言っていいだろう。

 しかし、その単語にレニーは顔を顰めて反論を唱えた。

「身代わりだって? 冗談はやめてくれ。僕は言っただろ? これから僕と行動をするんだよ、君は。今日みたいな事が起きたら面倒だ。予定に響く。僕は彼らと違って一秒単位で動く事件を追っているんだぞ。逃がしたら彼らが責任を取ってくれるのか? 取ってくれないだろう? だから、これは先払いだ」

 あくまでも自分のために動いたとレニーは言う。

 身代わりではないのだ、と。

「だからお礼はやめてくれ。僕は君の黙って従う意味を知ってぶち壊したんだから」

「気にしていたんだな」

「……本当は、もっと君が騒ぐと思っていたよ。最悪、ルームメイトを解消したいと言うかと思った」

 レニーの弱きな発言に、思わずアルは耳を疑った。

 ルームメイト解消だって?

「出来るの?」

 思わずアルが問いただせば、レニーはむっとした顔を作ってアルを睨む。

「させない方法なら既に百個用意してある。興味があるならば一個ずつ試してみるかい?」

 何ともおかしな話だなと、アルは小さく笑った。

 意外に、レニーも人間なのかもしれない。

「残念ながら、僕には部屋がなんだ。それは困るよ。レニー」

 そのアルの声には、憂鬱なため息等一つも交じっていなかった。

「同一性の話で思い出したけど、結局あの事件でレニーが見つけた同一性ってなんだったの?」

「ん? あぁ、片腕事件か」

「センスのないネーミングセンスだね」

「実にネーミングセンスのない教えに入っている君には言われたくなかったセリフだ」

 レニーは呆れるように笑うと、ゆっくりとベッドを降りて松葉杖の近くにかけてあった上着を手に取った。

「教室に戻るの?」

「まさか。今戻っても、動物園の象だろ? それを見越して、君は鞄を持ってきたんじゃないのか?」

「まあ、そうなんだけどね。いいの? レイチェルさんは君に授業を受けて欲しそうだったけど」

「体調不良じゃ仕方がないだろ。そんな状態で授業を受けてなんになるって?」

 体調不良と言うか、レニーの右ストレートからの軽い脳震盪だ。

 他の体調不良に随分と失礼な言い掛かりである。

「君がそれでいいならいいけど。で、どこに行く気なの?」

「二つの事件の詳しい話を、場所を変えてしようと思ってね。分かりやすい場所があるんだ」

「……オーケー。それって学校外に出るって事?」

「いや、安心してくれ。校内さ。さあ行こう」

「それよりレニー、君松葉杖を忘れて歩いてるけど、いいの?」

 呆れた顔でアルがレニーに松葉杖を見せると、レニーはこれまた普通にアルの所まで歩き、松葉杖を受け取った。

「通りで歩きにくいと思った。けど、ギブスは置いて行こう。いい提案、ありがとう。アル」

 レニーはそう言うと、松葉杖をついて歩き出した。

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