第16話

 3


「おい、アル」

「……あぁ、ごめん。思わず気が遠くなったよ」

「アル、人の話はちゃんと聞いた方がいいぞ。失礼だ」

 文字通り頭を抱えていたアルに、レニーが呆れた様に言葉を投げる。

 一体、誰のせいでアルが頭を抱えていると言うのか。

「……君にそんな事を指摘されるだなんて想像もしてなかったよ。レニー」

 それは驚きを通り越して最早屈辱である。

「で、次は何?」

「だから、君の意見が聞きたい。君は先ほど僕によくこの二つの事件が繋がっているとわかったと、僕を泣きながら賞賛した」

「泣いてない」

 誇張もいい所だ。

 ここまで来ると唯一真実の賞賛した事実すら否定したくもなる。

「泣いていただろ?」

「え、それを君は本気で言ってるの?」

「僕は君の顔を見ていなかった。君が泣いているか泣いていないかの確率は両者共に50パーセント。泣いているか泣いてないの二択だからな。で、泣いていたのに否定する確率も50パーセント。否定するかしないかだ。しかし、人は泣いていると指摘すると否定する確率が高い。また、年齢が上がるにつれ、それに加えて性別が男性である場合その確率はもっと跳ね上がる。つまりだ。アル、君は男性であり、泣いていると否定したんだから……」

「レニー。泣いてない場合泣いてないと伝える場合はそれ以上の確率だと思わない?」

 呆れた顔でアルが言う。

「一理あるな」

「一理じゃなくて、事実だよ」

 自分を随分と回りくどい方法で言いくるめようとしたって、そうはいかないと、アルは大きなため息を吐いた。

「では、泣いていない可能性の方が高く、絶賛した」

「賞賛からランクが上がってないかい?」

「スタンディングオベーションだっただろ?」

「スタンディングもなにも歩きながら話していただけだろ?」

「よし、確率を求めてみよう」

「レニー、冗談はやめてくれ」

 うんざりとした口調でアルがレニーに向かって言葉を投げる。

 何の利益も生産性のない確率論なんて、一体誰に何の得があるのか。

「レニー。僕が褒めたのがそんなにも嬉しいのかい?」

「いや、別に」

「……本当に?」

「何で君はそう僕を疑うんだい?」

「だって、嬉しそうだから」

「そう見える?」

「顔は別に。普通」

「そうだろう。僕は君と違って日々褒められ慣れているからね」

 確かにそうだろう。

 レニーとって褒められると言う行為は日時用茶飯事だ。美しいと言う賞賛の声だって、惜しみなく聞こえてくるだろう。何なら、天からも。

 そんな人種であるレニーに褒められて嬉しいかなんて、確かに愚問である。

 でも、アルの指摘は鋭かった。

 いや、正確に言えば、間違えていなかったのだ。

「事実にしても嫌味な言い方だな」

「君が回答を間違えるからさ。せめて、及第点で君の親友だから類の回答が欲しかったところだ」

 どうやら気に入らない回答の正体は、そこだったらしい。

「何だそれ。一生言う機会はないと僕は思うね。その台詞」

「随分と意地悪が悪いな」

「君よりは随分とマシさ」

 どうやら、まだまだレニーの片思いの様だ。そんな下らない事でレニーがふと笑おうとした瞬間の出来事だった。

 アルの体が音を立てて横に吹き飛んだのは。

 日常において中々みる機会はないだろう。机と一緒に人が横に倒れるだなんて。

 アルは声を出す暇もなく床に倒れ、アルの代わりにと言う様に、一緒に倒れた机が悲鳴の代わりに音を立てた。

 教室は水はを打った様に静まり返る。

 不自然な程、誰も悲鳴を上げない。

 上げない代わりに、誰もが息を殺して気配を殺していた。

 誰もが見ているのに、誰もがいないフリをしている。共犯だなと、レニーは馬鹿馬鹿しい気持ちになりながら一人動く。

 レニーは顔を動かすと、アルの前には巨大な猿人達が立っていた。

 いや、正確に言えばレニーの目には猿人に映っているが、実際は人である。いつもアルを虐めているジョックス達だ。

「おいおい、スチュアート。いつから貧乏人がこんないい席に座れるようになったんだい?」

 下品な声だ。耳が腐ると、レニーは自分の頬に手を添えた。

 つまらなそうなポーズだ。それはつまり、レニーにとって彼らへの興味、存在価値の低さを現している。

「うぅ……」

 弱弱しいアルの声。

「おい、スチュアート。君は金を払ったのか?」

「おいおい、ジェシー。止めてやれよ。彼はお金なんて見た事ないに決まってるだろ?」

「そうだぜ。スチュアートは貧乏なんだ。生まれてこの方、コイン一つ見た事ないに決まっているだろ?」

 面白くもないジョークを猿たちは声を立てて笑う。

 そもそも、ジョークにもなっていないだろうに。逆に今の世界で金を見た事がなく生きている人種は金持ちだけだ。逆に金なんて見た事もない貧乏人は既に人ではなくなっている事だろ。

「スチュアート、お前の席は一番後ろのゴミ箱だろ?」

「ゴミ箱はただだもんな」

「ああ、しかもお前はお土産も持って帰れる。いい場所じゃないか」

 貧乏である事は罪なのか。

 アルは犯罪なんて起こしてもいないし、誰かを差別してもいないし、宗教の否定も強制もしていなければ、誰かの邪魔を故意的に企ててもいない。

 なのに何故。

 何故、アルフレット・スチュアートはこんな猿人達にいじめられているのか。実に理解に苦しむ。

「しかも、楽しそうに笑っていたな」

 ふと、猿人一人の言葉にレニーの顔がクルっと勢いよく回った。

「随分と楽しそうな独り言でも言ってたのか?」

「見えない友達と喋ってたのかも」

「金がないと、友達すら用意出来ないのか!?」

 今、何と?

「おい、猿ども」

 レニーは松葉づえで力いっぱい猿人の一人の膝の裏を殴る。

「きゃあっ!」

 余りにもショッキングな光景に女子生徒の悲鳴があるが、騒ぎを起こしたレニーには届かない様だ。

 殴られた一人は余りの衝撃に強く膝を地面に叩きつけ低く唸る。

「……は?」

 それに驚いたのは、他の猿人達だ。

 それはそうだろう。転がった猿人は驚く間もなく痛みを受けているのだから。

 残った猿たちは、レニーを睨みつけながら彼を取り囲む。

 その態度に、レニーはむっとした表情を見せた。

「おい、頭の悪いトロールみたいな目で僕を睨むな。猿に例えた僕に失礼だぞ」

 どうやらレニーにとって、彼らの行動が気にいらなかったらしい。

「お前、何やってんだ?」

 猿人改め、ボストロールがレニーに問い詰める。

「僕が何をしていたかって? おいおい、もっとモンスターでも知性ある事を言うだろ? 見ていたのに、何一つ分かっていないのか?」

 まるで可哀そうなモノを見る様な目でレニーは彼らを見る。

「おいおい、冗談はやめてくれ。本当に、見て分からなかったのか? 用があるから呼び鈴を押しただけだ。つまらないジョークを無いに等しい脳みそで絞る様に生成する事に忙しそうだったからな。わざわざ、一番煩そうな呼び鈴を選んで押してやったんだ」

「は?」

「実際、一番煩いだろ? 体格のいい君たちに吹き飛ばされたアルよりも、こんなにも細くて華奢な僕に吹き飛ばされた呼び鈴の方が今も煩く喚いている。まあ、僕もこんなに大きな呼び鈴は初めて見たさ。ああ、別にセンスについてどうこう言うつもりはないさ。形よりも機能が大切だからね。実にいい呼び鈴だ。でかくで押しやすかったよ。今年のデザイン賞だって狙えるさ」

 レニーの言葉に、クラスから小さくクスクスと笑う声が飛び交う。

 しかし、それはボストロールの睨みによって一蹴りされてしまうが、このクラスで呼び鈴呼ばわりされた彼の立場がない事は明確だろう。

 それでは困るとばかりに、ボストロールは、いや。ジェシーはレニーの胸倉をつかみ上げる。

「レオナルド・モーガン、お前……」

 今にも殴り掛からんと言う気迫。

 怒りに血走った目。

 段々と胸倉を掴む力がまた一段と強くなっていく。

 対格差は、まるで絵本のお姫様と魔物の様。殴られたてしまったら、残念な事にレニーなんて一溜りもないだろう。

 思わず、血と暴力が苦手な観客たちは目を逸らした。

 しかし、どれ程ジェシーがすごんでも、腕を振り上げても、相手はレニーである。

 ジェシー程度の脅しでは、彼の中の怯むと言う単語を引くにはどうやら不十分であった様だ。

 レニーはピッとジェシーの眉間に指を指す。

「おい、君は言葉を理解できないのか? 僕は君たちに用件があると言っただろ? だからわざわざ呼び鈴を押したんだ。わかるか? 理解出来るか? 人ならば、用があって呼び鈴をおされた。君たちは呼び鈴の音を聞いて僕の所に来た。次に君たちがするのは僕の用件を聞く、そうだろ? それとも、その流れも動作も出来ないのか? それ程知能は低くないだろ? どうなんだ、答えて見ろっ!」

 レニーの捲し立てる様な言葉に、思わずボストロールはたじろいだ。

「なんだ、答えないのか? 理解出来るじゃないか」

 ふふんと、レニーが美しい顔を楽しそうに歪める。

 ジェシーは言い返すことも殴る事もしなかった。ただ、あの長い長い屁理屈を聞いて黙ってたじろぐだけだった。

 こんな分かりやすい挑発をされていると言うのに何故。

 まるで突然臆病風に吹かれた魔物の様だ。

 見ている外野たちは不思議に思った事だろう。

「察しのいいトロールでよかったな。今日一日いい景色を是非楽しんでくれ」

 レニーは彼の手を払いのけ、自分の衣服を整える。

 誰も気づいていなかった。

 ジェシー以外は。

 レニーの指があの会話中、二つに割れ、彼の眼球ギリギリまで延ばされていた事を。

 そんな状態で会話なんて耳に残る筈がない。

 目の前に伸ばされた指でジェシーの頭は一杯だ。

 そんな状態で突然怒鳴られてみて欲しい。人間ならば身の危機を感じ動きを止めるに決まっている。

「さて、本題だ。今君たちは何て言った? 悪いがもう一回僕に言ってくれないか?」

「……は?」

 それは脅しの凄みでも、威嚇のなき声でも何でもなく、戸惑いの疑問の声であった。

「そこのトロールが言っただろ。アルが何をしていたって?」

「あ、アル?」

「アルフレット・スチュアートだ。お前、アルが何をしたと言っていた?」

「え、あ、え?」

「何だ、自分の言った言葉すら忘れたのか? 覚えていないのか?」

 呆れた様にレニーが言うが、言われた方はただ戸惑うだけだ。

 それもそうだろう。この学校のジョックス達相手に喧嘩を売った内容が、先ほど何と言ったかもう一回言え。それだけだ。

「ああ、もういい。僕が確認するからイエスかノーで答えろ」

「あ、はい」

「先ほど、君はアルが楽しいそうに笑っていたと言ったな? イエスかノーかで答えろ」

「え、はい、えーっと……」

「イエスかノーかと言っているんだ。早く」

「い、イエスっ!」

 まるで部活か軍隊かと疑いたいぐらいの音量で聞かれたトロールはレニーに答える。

 レニーは彼の言葉を聞くと、満足気に一人笑った。

「何だ、アル。楽しそうに笑ったてたのか?」

「……笑ってない」

 床に転がったままのアルが小さな声で返事をする。

 でも、それを聞き逃すレニーではない。

「彼らはそう見てはない。今度は証言者がいるんだぜ?」

「……笑ってない」

「確率の話でもするか? 笑っていたのに、笑っていないと答える男性だどれだけいるかを」

「……もう、この場でそんな冗談は止めてくれ」

「冗談ではないよ。笑えないだろ?」

 レニーだけではない。

 親友がいなかったのは、決してレニーだけではない。

 ただ、それだけの話である。

 単純に、ただ、それだけの話であるのだ。

「おいっ!」

「ん?」

 ぐっとレニーの細い首が誰かに掴まれる。

「何、楽しそうに話してるんだよっ!」

 レニーに掴みかかって来たのは、ボストロールことジェシーだった。

 これ程馬鹿にされた事など、きっと彼にはない事だろう。

 なんたってカーストの頂点、彼はジョックだ。

 それを、フローターとナードに泥を塗られる事になるだなんて。きっと、今まで想像した事もなかっただろうに。

「楽しいから楽しそうに話す。それだけだろ? 君は何を怒ているんだ?」

「馬鹿にしてるのかっ!?」

「では、君は馬鹿じゃな事を僕に証明するべきだろ。出来ないなら馬鹿だ」

「ふざけやがってっ!」

 ジェシーはレニーに向かって拳を振り上げた。

 殴られる事になる。誰もがそう思った時、レニー一人だけが口を開いた。

「クイーン・ビーの彼女と上手く行っていないのかい?」

 ジェシーの動きがピタリと止まる。

「成程、君は困っているね。可哀そうに」

「……お前何で……?」

「彼女は既に君に興味は無さそうだ」

「はぁっ!?」

「でも、それは君の女癖が悪い」

「一体、何をっ!」

「君が望むなら、先輩の彼女との関係をグラウンドで、大きな声で叫ぼうか?」

 見る見るジェシーの顔色が蒼くなっていく。

「僕は君なんて知らないし、興味もないよ。君が同じクラスである事は今日初めて知った。そして明日以降はまた忘れるだろう。僕は馬鹿に割く無駄な脳の空きがないんだ。でも、君は僕の事を知っているだろ?」

 レニーは手を伸ばした。

 その先には、ジェシーの首がある。

 彼は、その太い首に細い指を絡め、美しい爪を立てる。

「僕は誰か、君は知っているだろ?」

 その時、ジェシーの目には、レニーは悪魔そのものの様に映っていた。

 自分よりも小さく、細く、飴細工の様な男がジェシーは恐ろしくて仕方がなかった。

 レオナルド・モーガン。

 この学園きっての奇人変人。サイコパス。

 そして、信じられない程の天才。

 この学校では、知らない人などいないぐらいに、それは事実としてジェシーの中にも埋め込まれている。

「君は僕を殴れる。吹き飛ばせる。それは正解だ。しかし、頭は僕の方がいい。僕は、君を知らないが、今から君の秘密を全て暴ける。昨日寝た女から、君が隠しておきたい秘密も過去も。そして、未来だって。予言してやろうか? これから僕の首から手を放す。そして、アルの机を起こし彼を助ける。まあ、自分でも出来るだろうが、今の彼は素直じゃないからな。蹴り倒した君がやるのが道理だろう」

「そ、そんなわけないだろっ! 何で俺がナードなんて助けなきゃいけないんだっ!」

 いくら天才だって、過去だって、まして未来だなんて分かる筈がない。

 それは最早人の域を超えている。

 何たって、未来だぞ。予知じゃないか。そんなもの、ファンタジーの、紙の向こうの話に決まっているだろう。

 そう、ジェシーは思った。

 しかし、レニーはジェシーの叫びに怯える事も怯むことも、否定する事もない。

 ただ、真っ直ぐ彼を見て少し笑った。

「家では兄弟に怯えているのに、学校では威勢がいいんだな。ナード? 今は、ジョック? 家ではナードで、学校ではジョック。成程、自分の自己紹介かい? それとも、最近家に兄弟が返ってこない事をいい事に、家でもジョックごっこか?」

 その言葉に、ジェシーは目を見開いた。

 ジェシーには兄がいる。元ジョックで自慢の兄だった男が。

 全て過去の話だ。過去の栄光なんて何処に捨てたのか。今は、ただの飲んだくれの糞野郎。生きて動く恥そのものだ。

 彼は誰にも兄の存在を打ち明けてはいない。

 家族全員が、兄をいないものとして扱う。それに苛立って兄は家で暴れる。

 兄のターゲットは専ら自分だと、ジェシーは思っていた。

 母も父もジェシーに当たる兄の暴力は見ないふりだ。

 ジェシーだって、弱くない。学校ではアメフト部の若きエースに違いない。でも、兄はそれ以上に強く、また暴力はそれ以上に怖いものだった。

「可哀そうに。親も君の事を守ってくれなく悲しいだろう」

「……っ!」

「机ごと蹴られる? 成程、君の場合は椅子事蹴られたわけだ。他人にやった気持ちはどうだ? やられた事があるんだ。どっちが共感できる気持ちか是非教えて欲しい」

「何でお前はっ!」

「そしてここからが僕の予言だ。君の兄弟は今日の夜にでも返ってくる。酷く荒れて帰ってくるぞ」

 レニーは空の様に青い瞳を楽しそうに細くする。

「先ほど、君は言っていたな。『何で』と。魔法だとでも思っているのか?」

 目の前の美しい人は、実に絵本の王子の様に美しく、物語の魔女の様に禍々しい。

「魔法でも何でもない。これはただ、僕が君より頭がいい証拠だよ」

 そう言って、レニーはジェシーの首をそっと撫ぜ上げた。

「魔法じゃないのに、なんで……」

「魔法じゃないから、僕は君が今日、兄弟が帰って来た時にいつもみたいにナイフを向けられない方法も知っている。脅されて殴られて、散々な目に合わない方法だ」

「どうやって!?」

 まるでそれは、必死に蜘蛛の糸を掴む様に、ジェシーはレニーの首から腕に手を下げる。

「おいおい、何で僕が君を助けるでも? しかし、僕だって鬼じゃない。君がそれほど困って、君が兄弟について知恵を貸して欲しければ、君はアルを起こしてやらなければならない」

「なっ」

「そうしないならば、交渉決裂だ。僕は君を助けない。今直ぐに君は僕を殴って、今日の夜に君は兄弟に殴られる。分りやすいループを一人歩いてくれ」

 殴られる事など厭わない。

 どちらでも自分は構わないと言わんばかりに、レニーはジェシーが必死に縋る手を払いのけた。

「選ぶのは君だ。僕じゃない」

「……ぐっ」

 ばつの悪い舌打ち。しかし、かれはアルを助けない選択肢はない。

 彼の本当の悪夢は、学校ではない。あの地獄の様な家にあるのだから。

 じふじふ、自分が蹴り倒したアルを助け、レニーに文句がないだろと吐き捨てた。

「トロールにしては良い仕事だな。アル、文句はないだろ?」

「……君って奴は、本当に」

「何だい? 次は君がグッドボーイと言うべきだ」

 勿論、僕に対してね。

 そうつづけた言葉に、アルはため息を吐きながら、呟いた。

「グッドボーイ」

 一体、どっちが犬だと言うのか。

「何で、こんな事に……」

 ジェシーの呟きは、ほぼこのクラスにいる全員が思っている事だった。

「そうだな。何でと聞かれたら、僕とアルが親友になったからさ。学校ではよくあるだろ? いじめられている友達を庇って代わりに殴られる」

「レニー、君は殴られてないし、殴った方だ。そして庇ってもいない」

 アルの言葉通りになんだかんだと最初に彼が吹きばされた時には、レニーはただゆっくりと彼らを観察していただけである。

 庇ってくれた記憶もないし、間に入ってくれた記憶なんて持っての他じゃないかと、アルは思った。

「ああ、そうだな。そうだった。でも、殴られるのは好きじゃないんだ。でも、友達を助けた。結果としては同じだろ」

「どうだか……」

「そもそも、君は僕の助けなんて欲しくないだろ? でも、いい機会だ。これから君は僕と行動を共にする。毎回こんな煩わしい事をされては敵わない。丁度いい虫よけになっただろう」

 アルは昨日まで、弱気で怯えるナードだった。

 人の目を気にして、暴力に屈して。誰の言う事でも聞く、決して道の真ん中など歩く事が許されない。絵に書いたような、弱きナードだ。

 少なくとも、アルフレット・スチュアートは、そうでなくてはならなかった。

 昨日までは。

「わかっているなら止めてくれ。僕は目立ちたくないんだ。レニー」

「もう遅い。そして、弱き者が目立たないなんて幻想は捨てた方がいい」

 だって、彼はアルフレット・スチュアートではないのだから。

 目立ってはいけない。

 目を付けられてはいけない。

 その為には、流されるしかない。

「アル。考えてもみろ、それこそ確率の問題だ。君が弱者だと周りに認識される度に君の顔は皆の記憶に残っていく。ボサボサの長い髪でいくら顔を隠した所で、君の特徴は人々に伝わっていく。ある日、ふと君が思いも知ない所で君を思い出した時、気付く人間だっているだろう。目立たないなんて傲慢さ。目立たない様にしても、目立つようにしても、何がの対象になる度に君の顔は人々の記憶に蓄積される。君の努力は無駄なんだよ。そんな事で確率は、変わらない」

「それでも、僕の像とはかけ離れる」

「かけ離れいてる方が不自然だと思わないか? それとも、君もそのトロールと同じ脳みその大きさなのかい? 違うだろ。アルフレット・スチュアート」

 お互いがお互いの方を見ずに、喋り合う。

 何ともそれこそ不自然な状態だった。

「レオナルド・モーガン。お言葉だが、人は想像がかけ離れてたものと同一性を感じないんだよ」

「人? 君たちトロールの仲間の話だろ?」

「君は自分以外の人間がトロールだと思っている。人とトロールに同一性を感じるわけ?」

「はは。トロールたちがいる中で凄い皮肉だな」

「君の毒が少し移ったかもね。皮肉だと分かる感性が君に少しでもある事に僕は驚きだよ」

「人間に感染力の高い毒素は生成出来ない。君の皮肉も嫌味はどれもこれも現実性と実用性を感じないものばかりだといつも感心しているよ。口に出さないだけさ。そんな事を垂れ流しても意味がないからね」

「この会話の方が、意味がない。君のせいで僕の一年分の努力が水の泡だ」

「それは良かった。無駄な努力の評価は世界で一番悪害だと僕は思っている。早いうちに正せて良かったよ」

「僕の中で君が世界で一番悪害性格をしている様に思うけどね」

 茫然と立ち尽くしていたジョックス達が席に着き、教師が教室に入って来て教科書を開いても二人の不自然な会話が止まる事はなかった。

 だがしかし、それは余りにも不自然過ぎて逆に周りが入れるものではなかった。

 それは、鞭を持つ教師も同じ事。

 教科書を捲る度にビクビクと二人の様子を見る。

 そもそも、授業にレニーがいる事自体が珍しいのに、何たっていつもゴミ箱の近くにいる真面目なナードと口喧嘩を始めているのだ。

 ナードの声なんて初めて聞いたし、レニーが席に座っているのも初めてみた。

 教師だと言うのに、彼は教科書の向こう側でこんな事を考えながら二人を伺っていたのだ。

 しかし、それも責められる事ではない。

 なんたって、二人の口喧嘩は段々と加速してくのだから。 

「僕が世界で一番害悪な性格だって? 面白いジョークだな」

「面白いなら大きく手を叩いて是非笑って欲しいものだね」

「僕が手を叩くのは褒める時だけさ。そんな些細なユーモアセンスに賞賛を惜しむ程僕は笑いに飢えちゃいない」

「レニー、君の頭は毎日が楽しそうだ」

「そうだな、アル。少なくとも、君と違って毎日楽しいよ。……いや、失礼。それは違うな。君の方が随分と楽しそうだ。そんな無駄な努力を一年間もして遊んでいたんだろ? 僕よりも一人遊びが得意なんじゃないか?」

「一人遊びを羨ましがられるとは思わなかったよ。確かに、君は友達がいないからな。やり方を教えてやってもいい」

「そうだな。是非、教えて頂きたい。一日ぐらいは飽きずに楽しめそうだよ、アル。コツを教えて貰ってもいいかい?」

「勿論だ。良く聞け、レニー。取っておきを教えてやる」

 アルはすくっと立ち上がり、レニーの前に立った。

 流石のレニーも、アルの気迫に少しだけ口元を引き攣らせるしかない。

「ああ。でも、あー、そうだな。少しだけお手柔らかに……」

「善処はする」

 アルはにっこりと、レニーの様な笑顔を作ると、細い細い腕をレニーに振り落とした。

 それは実に見事に決まったし、誰か知識がある人間が見ればアルフレット・スチュアートは何か格闘技や武術の様なものの経験者だと言う事がわかる程。

 彼が隠し通したかった一年間の努力は、ここで本当の意味で泡となって消えたのだ。

 まるで授業がはじまる前、アルが吹き飛んだ様に倒れたレニーの襟をつかみ上げ、アルは口を開く。

「先生」

 皆、一様に静まり返って、ただ彼を見る事しか出来なかった。

 いじめられっ子。

 皆の執事。

 スクール・カーストの底辺の底辺、それも最底辺のあのナード。

 貧乏人で、着ているものもみすぼらしく、食うモノにも困っているはずの彼が。

 ジョックス達からも、果てはメッセンジャー達からもいじめを受けても、何も言わず静かに従っていた彼が。

 殴られているばかりの彼が。

 ジョックス達さえも恐れるこの学園の『キング』こと、レオナルド・モーガンを殴ったのだ。

「……何?」

 先生が何とかひねり出した声に、アルは手をそっと下げる。

「レニーが倒れたので、保健室に運んで来ます」

「あ、えっと……」

「それとも、ここに放置して授業を続けた方が賢明ですか?」

 まるで他人事の様に言うアルに思わず全員がたじろいだ。

「いや、そんな事は……」

「では、僕が責任をもって連れて行きます」

 レニーの松葉づえと二人分の鞄を手に取り、アルは大きなため息を吐いた。

「これでも、レニーの親友なので」

 まったくと、小さくぼやく彼に回りの人間達の口が暫く閉じる事はなかったのだった。


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