第12話

 8


「そう急ぐなよ。レイチェルも言っていただろ? 焦る男は見っともないって。アル、ここからは僕の番だ。僕の質問に、僕が気分よくなれる様な回答をしてくれ」

 それはどんな魔法が必要なのか。

「正気で言ってるのか? そんな事、無理に決まっているだろ?」

「僕はいつでも正気で正しい。もし上手く言ったら褒美をやるぞ」

「はっ。今度は王様気分か?」

「まさか。ルールメーカー気分だよ。君は自分から手を差し出して乗り込んだんだ。今から引き返す事なんて出来やしない」

 レニーは手に持っていたフォークをアルの喉元へ近づける。

「君の大好きな脅迫だ。僕には君のカードが沢山揃っている。でも、君はどうだ?」

 アルの手には一枚のカードもない。

 だからこそ、アルはレニーの問いかけに黙り込むしかない。答えが無いのだから。

「オーケー。賢いぞ。さあ、アル。クイズの時間だ。スペシャルな答えを僕は君に期待しているよ」

 レニーはの真っ赤な舌が楽しそうに自分の上唇をゆっくりとなぞる。

 レニーが天使だと言っていたのはどの信者だっただろうか。

 これは悪魔だ。悪魔そのものではないかと、アルは思う。

「アル、何であの右腕は綺麗だったと思う?」

「それがクイズ?」

 アルは緑色の綺麗な瞳でレニーを真っ直ぐ見つめる。

 クイズと言う事は、だ。

「君は答えを知っているって事?」

 クイズだと言うのならば、質問と答えは揃っていなければならない。

「おいおい、アル。君は本当に馬鹿なのかい? 全ての質問に答える義理はないって僕は言わなかったか?」

「お言葉だが、君はこうも言った。自分はルールメーカーだと。ルールを聞けないゲームなんてゲームてあるかい? そんなゲームこそ、『馬鹿』だろう」

 アルの言葉にレニーは笑う。

 レニーがルールメーカー。それは、レニーの方がアルよりも優位に立っていると言う事。

 それはこのクイズと言うゲームにおいての話だろうか?

 いや、そんな事はない。

 これは、全てにおいて。これから二人の生活を続けて行く全てにおいてのルールメーカーがレニーだと言う事を指す。

 それはそうだろう。ここは彼の部屋だ。

 しかし、話はそれだけは終わらない。部屋だけではない。レニーはアルの秘密を知っているし、アルが知りたい事を知っている。

 どうだろ? 優位と一言で終わらせていい程の差だと誰が思うと言うのか。

 まるで王と奴隷だと思わないか?

 思ってしまうだろう。これだけ持ち物の差が出来てしまっているのだから。しかし、残念ながらレニーとアルの関係はそんな単純なものではない。傍から見たら王と奴隷である事は変わりない。

 しかし、アルは招かれて席に着いた。自分から飛び込んだわけでも、志願したわけでもない。連れてこられた奴隷はいても、招待された奴隷などいないだろう。

 つまり、彼はゲストなのだ。だからこそ、ルールを聞けないゲームなど、ゲームではないと彼は指摘した。

 つまる所、ルールを教える気がないと言うのならばいつでもこちらは降りて構わないと言う事だ。

 ゲームからも、レニーとの生活からも。どんな問題が待っていようが知るものか。与えられた餌の咀嚼しかできないのならば何の意味もないだろ。

「本当に、お言葉だな。アル、君を馬鹿なのかと聞いたのは訂正しよう。君は本物の馬鹿だ。しかしながら、ルールメーカーの意味をよく理解している。頭のいい馬鹿なんだろうな。君が僕の言葉を正しく理解しているが、理解の向こう側に行きつかない思想を心底残念に思うよ。理解は正しい。その理解をこちらに脅しとして使ったのも正しい。実に頭のいい使い方だ。しかし、それを提示した相手についての配慮が一つもないのが実に残念だ」

「レニー、それは脅し? それとも嫌味か?」

「脅し? 嫌味? どれもこれもセンスがないな。まったくもって、僕の言葉の本意が君に伝わっていない事を残念に思うよ」

 アルは自分自身がしでかした過ちにまだ気付いていない様だ。

 レニーはため息を吐く。

「何処まで君は自分の自己紹介をしたいのか。僕には理解できないね」

 言葉を上手く理解している。

 それを使って、こちらを脅す。先ほども言ったが、どれも正解だ。実に正しい使い方だ。

 頭も、相手の言葉も。

 しかしそれは、今、この場で、レニーが相手ではなかった場合に限る話だ。

 今一度二人の関係と、アルの現状を整理してみて欲しい。

 彼がルールメーカーの一言でここまで理解出来る向こう側に何が見えるか。

 そして、このレオナルド・モーガンはその向こう側を見る事が、予想することが、予測を絞り込むことが出来る人間であるかどうか、今一度冷静に考えて見て欲しい。

 だからこそ、彼にとってアルの言葉は自己紹介なのだと言う事を。

「……何だって?」

 怪訝な顔をアルがすれば、レニーはひらひと手を横に振る。

 この様子では、予想もついてない様だ。

「教える義理はない。さあ、クイズの続きをしよう。僕を気分よく出来る回答なら、先ほどの答えを教えてやるかもしれないぞ」

「クイズの続きをするならば、僕の質問に回答をどうぞ」

「僕が、答えを知っているかどうかについて?」

「そう。それを聞いてから、僕はこのクイズに参加するか荷物を纏めるかを決める。このご飯はこの部屋の掃除代って事にしておくよ」

 そう言って、アルはレニーに貰ったデリを指差した。

「オーケー。行く当てもない癖に。でも、悪くない回答だ。答えるよ。僕はその正解を知らない」

「知らないのにクイズだって?」

「しかし、予想は付く。本当に正解かどうかは、これから君の回答で答え合わせだ」

「……僕の回答が間違っているかもしれないのに、よくそんな事が言えるな」

「二人が同じ違和感を抱いて、同じ答えを導きだせたら、確率的には正解に近くなる」

「たった二人だろ? もっと人数が多いならまだしも。たった二人で確率だって?」

 おかしな話ではないか。

「そうでもないさ。僕とアルならね」

 レニーはただ、そう笑うだけだった。

「僕の事を過信し過ぎじゃないか? 君と僕は知り合ってまだ十数時間、一日も経っていないと言うのに」

「そうでもないさ。君が思っているよりも、君は十分に分かりやすい性格をしている。さあ、アル。答えをどうぞ」

 それは馬鹿だと言う事だろうか? そう、アルは眉間に皺を寄せるがレニーは律儀に答えるつもりはないらしい。

 アルは諦めた様にため息を一つ。

 ついでに、デリを一口。

「残念ながら、レニー。君を満足させる回答は出来ないかもしれない」

「随分と自信がないんだな、アル」

「まあね。僕は君じゃないんだ」

 アルは嫌味の様に大袈裟な動作を付けてレニーの言葉に返してやった。

 しかし、レニーにとっては嫌味にもなっていない様だ。

「その正解は今必要としていないだろ?」

 どうやらアルの前にいる奇人変人には嫌味一つ通じないらしい。

 ノーダメージの彼を見てアルは天井に視線を向ける。

 確かにこれはただの時間の無駄だ。

「オーケー。話が脱線した。もうしない」

「ああ、頼むよ。僕は早く君の答えが聞きたいんだ」

 全く以って、誰のせいだと言うのだろうかと、これまた嫌味の一つでも唱えたいアルはぐっと喉の奥を鳴らす。

 唱えた所でダメージを受けるのはこちらだと言う事を彼は十分に理解している様だ。

「前提として、あれが人の腕だった場合の話だ」

 アルはデリに入っていた鶏肉をフォークにさして自分の目の前に持ってくる。

「あの腕が綺麗である事はとても可笑しい。通常ならば考えられない事だと僕は思う」

「何故?」

 レニーはアルに問いかける。

「僕らはあのゴミの山を二時間漁っていた。その間、君と君を尋ねに来たレイチェル嬢しか会っていない。それは君もだろ?」

「訂正だな。僕は君とレイチェルしかあのゴミ捨て場で見ていない、他に人影を見は見なかった、だ」

 レニーは作業をしていたアルよりも高い位置から広くを見渡せる場所にいた。

 その彼が証言したのだ。

「つまり、あの腕は最低でも僕らがあのゴミの山についた二時間前からあると言う事になる」

 アルはレニーの方を見ずに、ただフォークの先端についた鶏肉を見ていた。

「今は冬じゃない。新しい学年が始まったまだ残暑の厳しい九月だ。少なくとも、二時間あの炎天下のゴミの山にあれば腐ってくるのが、通り」

「そうかな?」

「ああ、そうだとも。人の腕だって、この鶏肉同様ただの肉。腐敗が始まれば匂いを出す。だから、可笑しい」

 アルは鶏肉をパクリと口に入れた。

「ただの肉に、ネズミも虫も、果ては野犬などの動物すら集まってこないのは、可笑しい。こんなにも美味しい肉なのに」

「随分と君は悪趣味な事を言い出すな」

「ネズミになった気分で言ってるだけ。僕らが鶏肉を食べるように、彼らも人の肉を食べているんだと思ってね」

「それが悪趣味って言っているんだ。それに、あの警部が言ったようにあのゴミ捨て場にはネズミがいないかもしれないぞ?」

「レニー。君はそれを本気で言ってる?」

 アルは軽くレニーを睨んだ。

 彼だって分かっているはずだ。そんな事はない事を。

「僕はあのゴミの山を漁っていた。ネズミも虫も腐るほど見てるよ」

 最後に「君のせいでねっ!」と、付け咥えたい衝動にも駆られてしまったが、何とかアルは呑み込んだ。

 嫌味なんて通じない相手に嫌味を言うのは、こちらが一方的にダメージを食らうだけだと、先ほど学んだばかりだと言う事を思い出した様だ。

「ネズミも虫もいた。それなのに、あの腕は綺麗すぎる。例え袋に入っていたとしても、決して深くない浅い層に置かれていたんだ。袋が密閉されてもされてなくても、匂いは需要者たちに届くはずだ。なのに何故皆んなはご馳走に並ばない? 可笑しいだろ?」

 アルは何度も「可笑しい」と言う言葉を口にする。

 何故か。

 それこそが、あの腕が綺麗だった理由だからだ。

「確かに可笑しい。しかし、何故その可笑しい事が起こると君は思うんだい?」

「そうだな。凄く雑な言い方をするが、答えは簡単。あの腕が腐っていなかったからだよ。レニー」

 アルはペロリと舌で自身の唇の淵を舐めた。

 確かにそれは何とも単純明快。そして、何よりも分かりやすい答えだった。

 腕が腐っていないから、腐臭などしない。腐臭がしなければ、ネズミや虫は集まらない。実に簡単で、単純で。それ故、この答えを否定出来る者はない。

 しかし、この男以外は。

「腐っていないだって?」

 レニーは小馬鹿にした様な笑いをアルに向ける。

 どうやら自分は雑に言い過ぎた様だと、アルはため息を覚えた。

「……訂正させてくれ」

「訂正?」

「どうやら、僕言い方では君は気に入らないらしい」

 全く、とんだ我儘なルームメイトだ。

「気に入らないとは一言も言ってないし、思ってもないのに? 何だ、アル。君は超能力者か何かかい?」

「一言も言ってないが、顔に出ている。思っていなくても、君の顔には僕の事を馬鹿だと書いてあった。それも油性マジックではっきりと」

「馬鹿な所は気に入らなくはないさ。少し面白くて残念だと思っているだけ」

 悪びれもせずにレニーは少しズレた訂正をアルにする。

 訂正する所はそこではないと言うのに。

 その神経を疑いたくもなると言うものだ。

「で、超能力者・アルの正しい回答は?」

「君の存在と発言と行動が超次元だし、超能力だよ。それに、正しいもクソもない。正しい答えも腕は腐ってないだ」

 それは、正解なのだ。

 あの腕は腐っていないかった。

「では、何を訂正するんだ?」

「例えば、腐っていないと言うとレニー。君ならどんな状態を思い浮かべる?」

 切り出された肉が腐っていない状態。

「……成る程、そうだな。例えば、冷凍された肉、か」

「冷凍された肉は腐らない。凍っているからね。でも、あの腕の周りに水気は愚か、水滴すらなかった。つまり、あの腕は凍っていない。でも、腐っていなかった。君にはそれだけで十分だろ?」

「訂正ってそれだけ?」

「何か不満?」

 どうやらアルの訂正は、答えを導き出す途中式を一文書き忘れたと言いたかったらしい。

 しかし、レニーは少しだけ目を細めてため息を吐く。

「不満、だな」

「何故?」

 どうやら、アルの中ではこれが満点の答えだと信じて疑っていなかったらしい。

「雑過ぎる。僕なら分かる? 勿論、分かる。当たり前だ。だけど、それは友として、親友として、礼儀に欠ける行為だろ。説明の省略なんて」

 めんどくさいと言うメッセージしか感じられない。と、レニーは言葉を続けた。

 全く以って、その通りだとアルは思ったが、レニーと違って常識はあるらしいアルはそっとその言葉を喉の裏側に隠した。

 一体、いつ友人になったと言うのだ。

 親友になったと言うだ。

 心底呆れて言い返すのも億劫である。

「めんどくさいって事はないよ。頭のいい君にはそれで十分だと思っただけで他意はない」

 今この状態が面倒くさいと言うのに。

「気に障ったら謝るし、説明を続けるよ。あの腕は凍ってなかった。しかも、聞いてる限りでは鮮度の良くない肉なんだろうなと、僕は思う」

「鮮度の話は誰が?」

「君があの腕にある程度の当たりを付けていた事がわかれば単純な話だろ。君が誰かの腕がない事を知り得る時間はあの二時間より大分前。少なくとも僕とぶつかった時間よりも大分前だと言う事が分かる。だすれば、あの腕の鮮度だって良くないに決まっているだろ?」

「素晴らしい」

 レニーがパチパチと手を叩いてアルに言葉を向けた。

「……馬鹿にしてんの?」

 しかしながら、その言葉を純粋に受けいれる事のでないアルは、疑いの眼差しをレニーに送る。

 自業自得の賜物故の言葉だと言うのに、レニーにはどうやら気に入らなかったらしい。

「馬鹿にしているわけがないだろ。見事な僕への推理だと思って拍手を送ったんだ」

 それは、まるで素晴らしい料理を出したシェフに賞賛を送るかのように。

 当たり前の事として、レニーは手を叩いて、アルに賞賛を送ったのだ。

「矢張り、君は僕の親友に相応しいよ。アル」

「だから、その親友って何だよ。僕は、君を親友として認めた覚えはないんだけど」

「けど、僕らは同じ思考の上にいる。とても近い思考回路を持っている。僕の言葉をこれだけ理解してくれたのは君が初めだ」

「……僕は君を一ミリも理解した覚えがにないけど?」

 アルは思わず顔を顰めてレニーの言葉を否定した。

 だって、そうだろ。

 現に何故今、レニーがこんなにも興奮しているかアルには一つも分からないのだから。

「そんな事はない。アル、君は理解している。僕の言いたかった事を、僕の思考を、僕の言葉の裏を。全てではないが、それは些細な問題だ」

 だって、同一ではないのだから。

 だけど、思考は合わせられる。

「僕は今、君の脳を見た。見えない筈の彼の脳裏を。それはきっと、自分と同じなのだと思う。さあ、アル。僕が今からその証拠を見せてあげるよ」

 レニーは持っていたデリをサイトテーブルに置き、足を組んでアルを見る。

「君は、あの腕は腐っていないと言った。でも、凍ってもないと。周りに水滴もなければ液体もない。即ち、それは血液すら出ていなかったと言う事だろ? でも、腕は切り落とされている。断面がある。乾いたと言うわりには、人の腕そのものだった。もし、血が全て出て干からびてもいたら、君は真っ先にその事を告げるだろう。でも、腕は腕そのもの。そんな切り取られた腕なんて存在出来ると誰が思う?」

 アルはただ、レニーを見ていた。

 一字一句、自分と同じ考えを述べる男の顔をただ、茫然と見ていた。

「答えは簡単。あれは剥製だ。腐らない肉なんだ。君が言った様に、前提として、あれが人の腕『だった』場合の話だ。そう言いたかったんだろ? アル」

 目の前の美しい顔をした男の言葉に、アルはただ頷く事しか出来なかった。

 だって、彼が言った事が正解なのだから。

「完璧だよ、アル。僕の思い浮かべた答えと同じだ」

「……君はいつからあれが剥製だって?」

「剥製だとは断言はできない。でも、剥製に近いものである事は間違いない。そんな状態だった。今頃は警部たちもあれが剥製の様な何かだって分かっているだろうさ」

 レニーの言葉にアルはデリを置く。

 食べかけのデリをこれ以上彼は胃に入れるつもりなどないのだろう。

「君は、何者なんだ? レオナルド・モーガン」

 それは、初めてアルからレニーに向けての、レニー自身に関しての問いかけだった。

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