第11話

 7


「綺麗になってもならなくても、君は変わらないな」

 アルが部屋に戻れば随分な言葉をレニーに掛けられてしまった。

「余計なお世話だ」

 むっとした顔でアルが答えれば、レニーはそれを鼻で少し笑った。

 きっと、これがアルの本当の姿なのだろう。

「デリを適当に買ったんだ。アル、中華は食べられる? いや、と言うか、庶民の味は口に合うかい?」

 随分と嫌味な言い方だ。

「例え王族でも一年もここにいれば、大抵のものは食べれるよ」

「そりゃそうか。ほら、君の分だ。箸は使える?」

「使いたくないね。あんなもの、人が飯を食うのに適したものじゃないと思わない?」

「ああ、アル。いいね。僕も同じ意見だ。だからここに箸はない」

「それはいい選択だ。で、僕の正体の話でもする?」

 アルの黒く水に濡れた髪は、何処か彼を別の人間の様に映す。

 レニーの前に立った彼は、実に堂々とした男だ。

 身長はレニーと変わらない。顔の作りは、普通だが、悪くはない。体は少々栄養が足りてない様で、どこもかしこも痩せ細っている。

 しかし、その表情は自信に満ちた顔をしている。

 レニーを前にしても、臆することなく、自分の方が上だと思っている顔だ。

「まるで面接だな」

 思わず、レニーが笑いながらアルを見た。

「面接?」

「そうだ。今から僕は君の親友になる面接を受ける。そんな気分にさせる顔をしている。ほら、これは君の分だ」

 レニーはアルにデリを渡し、自分の前のソファーに座る様に足先で促した。

 少し癪に障ると眉を顰めるが、ここでそんな些細な抵抗をしたところで疲れるだけだ、とアルは静かにレニーに従う。

「面接なんて、随分な言いがかりだな」

「そうだな。でも、僕は君の親友に受かる自信がある。まず、君の正体を何故僕が知っているかからの話をしようか?」

 アルはレニーを真っ直ぐ見つめた。

 彫刻の様な美しい顔を、じっと見つめる。こんなもあっさりと、そして、こんなにもまるで世間話の様に、種を明かす姿を。

 今彼が何を考えているかアルには分からない。

「はぁ。……どうぞ」

 大きなため息をわざとらしく吐いた後に、アルはレニーに向かって手を広げる。

「いい選択だ。こんなくだらない話さっさと終わらせるに限る。君の掃除みたいなものだ」

「くだらないだって?」

「アル、君の正体を知って僕の何になるんだい。後、僕の話を遮るのは、良くない選択だ。覚えておくといい」

 レニーは満足に笑いながら、デリを口に放り込んだ。

 確かに彼の話を遮ったのはアル自身である。それ些か行儀が悪かった事かもしれない。が、まさか自分の最大の秘密をくだらない事と言われるとは……。

「それとも何だい? 君は自分の事を有名人で大きなサングラスと帽子で顔を隠さなきゃサインをせがまれる様な有名人だと思っているのかい?」

「そんなわけないだろ」

 またむっとした顔で、アルはレニーの揶揄いに返事を返す。

 確かに、途中で口を挟むだなんて良くない選択だった。

 勿論レニーにとってではない。こんな屈辱的な態度を取られるたアル自身にとってに決まっている。

「それはよかった。サインを強請らない僕は君に失礼を働いたのかと思ったよ」

「サイン、サインと煩いな。何だい、レニー。君は有名人のサインでも欲しかったのかい?」

「はっ。冗談だろ。僕は君がハリウッド女優でも、何処かのカルト的なロックバンドのギターだろうが、ボーカルだろうが、どうでもいい」

 それは本当に、心底どうでもいいと言いたげな顔をアルはレニーに向ける。

「結論から言おう。僕は君の正体に興味がないし、君の正体なんて知らないよ」

「……は?」

 レニーの言葉にアルは耳を疑った。

 興味がない、くだらないは今更ながら置いておこう。

 しかしながら、今、『知らない』と、彼は言ったのか?

「おいおい、アル。僕の言った言葉を思い出してみろよ。君が馬鹿じゃないならな」

「君はあの時、僕の事を『お坊ちゃん』と脅迫した。あのセリフは僕の正体をバラすぞと言う脅迫だったはずだが?」

「レニー。確かに僕は君の事を『お坊ちゃん』と呼んだが、脅迫は君が言い出した言葉だ。僕は正体をバラすともなんとも言っていない。ただ、秘密をバラすと言っただけさ」

 アルの言葉にレニーは顔色一つ変えずに淡々と答えて行く。

「僕は君の正体を知っているとは一言も言っていないし、君がアルフレット・スチュアートでない事なんて一言も言い及んでいない。そもそも、僕は君がウィルソン警部に無駄な事を言うなと釘を刺したのが始まりなのは覚えているかい?」

 レニーはデリについていたフォークを行儀悪くアルに向ける。

 確かに、あの件ではレニーはアルに対してウィルソン警部に無駄な話を、いや。正確に言うのならば自分があの腕を見つける事を仕組んだ事を悟らせない様にするのが目的だった。

 最初は、被害者の立場としての脅し。

 それこにアルが非難の声を上げた。

「僕は、別に君の正体なんてどうでもいいんだよ。ウィルソン警部に君が僕の事を話さなければ、心底どうでも。でも、あの時の君は少しだけ反抗的な顔をした」

 まるで躾のなっていない犬を見る様な目を、レニーはアルに向ける。

 窘めている様な、面白がっている様な、それでいて、それが自然な事である様な。そんな視線を。

「反抗的だって?」

「そうだよ。今も君はしているけどね」

 レニーは長い脚を組みなおしながら薄く笑った。

「手を噛んでやろうと思っている犬の目さ」

「僕が犬だって?」

 まさしくその通りだと、レニーは声を上げて笑う。

 自覚がないのだろうか。

 この血統書付きの黒く大きな犬は。

「僕に言わせれば君は犬だね。文句はありそうだが、当たっているだろ? 君はあの時、僕の手を噛む事ばかり考えていた。違う?」

 アルは思わず口を噤む。

 違う訳がない。

 あの時、アルはレニーの非難を叫び、来れ以上の関りを断とうとした。

 つまり、アルはレニーが望んでいる筋書きとは真逆の行動を起こそうとしていたのだ。

「だから少しだけ君の口を塞いだ。手を噛み千切られるのは、まっぴらごめんなんでね」

 レニーはヒラヒラと噛み千切られていない右手をアルに見せる。

「僕は君に噛まれない様にしたかった。これが目的であり、ゴールだ。そしてここから、種明かしさ」

 パンと、レニーは手を叩く。

 アルはデリを持ったまま呆然とレニーの手を見た。

 もしかしたら、自分は……。なんと致命的な事を自分から……。自分を責める言葉がアルの中で次々に浮かんでいく。

 しかし、そんなことなどお構いなしにレニーは話続けるのだ。

「君の正体を知らない。では何を知っているか。それは、今の君が本当の自分を偽って演じている事。ただ、それだけさ」

「……それだけ?」

「それだけだ。でも、それだけで十分過ぎる情報だ。何故なら、今の君は本当の君と真逆の人間を演じている。その事実が導き出すのは、それが君の中の一番重要な『秘密』だと言う事」

 誰だって、秘密は隠す。隠すから秘密になる。

 秘密の隠し方がどの程度かで大抵の秘密の大きさはわかるものだ。

「だから、君は自分の正体が他人にバレては困る秘密だと僕は答えを導いた。そこからは、簡単さ」

 まるでそれは、プレゼントのリボンを解く様に。

「次に上がる疑問は自分の正体を隠さなきゃいけない奴ってどんな奴? だ。答えは簡単。大半は犯罪者だ。罪を犯してしまった人間はどうしても偽らなきゃいけなくなる。過去を消さなければならなくなる。仕方がない事だ。例えば、詐欺師とか。彼らもころころと顔も性格も変えている。でも、アル。君はそれに当てはまらない」

 レニーの言葉は断言したものだった。

「何故?」

 思わずアルが口を開く。

 何故レニーはそれ程自信を持って言えるのか。

 それはただのレニーの憶測に過ぎない。過ぎないはずなのに、レニーは確信を得ているのだ。

「不思議かい? 自分の事なのに」

 レニーの言葉は、正しかった。

 アルの自身の事なのに、何故不思議に思うのか。

「自分の事だから不思議なんだよ、レニー。悔しいが、君はどうやら本当に天才らしい」

「今迄偽りの天才だと? 見る目がないな」

 レニーの軽口に思わずアルは肩を竦める。

 真剣に、敬意を払おうとした自分がバカみたいだと言いだけに、アルはやっとデリの蓋を開けた。

「まさか。ただの嫌な奴だと思っていたよ」

 それは今も思っているが。

「それは大きな間違いだな。頭の中で訂正するといい」

「訂正はしない、変更はない。あるのは追加だけだよ。レニー。で、僕の事をもっと教えてくれよ」

「勿論さ、親友。君はどうやら犯罪者には向いてないらしい」

「そこは、犯罪者に自分が向いて無くてよかったと安心した方がいい所?」

「まさか。本質の話じゃない。行動の話だ、アル。喜ぶには早すぎるさ」

 レニーは笑いながらデリをフォークでかき混ぜる。

「一つ目の確信は、警察への通報を君がレイチェルに任せなかった事だ」

「犯罪者が警察を嫌がったら、まるで名札を付けている様に見えるけど。それは僕の勘違い?」

「勘違いさ。犯罪者は一律に馬鹿じゃない。君の様な奴がいるから僕は楽しいんだ」

 レニーの言葉にアルは顔を顰めた。

 褒めているのかいないのか、よく分からない男だ。

 レニーは直ぐに否定したが、アルの言い分だって理に適っている。

 わざわざ正体を隠したい犯罪者が、通報を嫌がるだなんて。そんなにも分かりやすい事をするだろうか?

「アルは僕が言った事を、そのまま正しく理解していない。だからそんな顔をするんだ」

「正しくだって?」

「そうだ。僕は君がレイチェルに通報を任せなかったと言っただけだ。だけど君の頭の中では『通報を嫌がった』に変換されているんじゃないか?」

 アルははっとした顔でレニーを見る。

 確かに、彼は『通報を嫌がる』にレニーの言葉を変換させていた。

「当たりかい? それは思い込みがなせる業だ。君の言う通り、通報を嫌がるなんて名札を付けて歩いているものと言っても過言じゃない。でも、嫌がらなくても通報を免れられるなら、人の心理としては避けて通るものじゃないかい?」

「そうか、僕はあの時、『いい訳』が揃っていたんだ……」

「その通り。君はあの時、通報を自分でしなくていい条件が揃っていたんだ」

 その条件とは、ゴミ山を漁っていた彼の汚さだ。

「単純明快だろ? 自分は汚れているので人様の携帯を汚したくない。これだけで断るには十分な理由にもなるし、尚且つ自然だ。避けて通りたい人物がそこに目を付けないのはおかしな話さ」

「そうだけど、もし僕が逆手を取ろうとしていたら?」

「その場合は、君は過剰にアピールしてくるはずさ。不釣り合いな価値を払いたい人間はいないだろ?」

「不釣り合い……。そうか、犯罪者にとっては通報する行為は難易度が高く、変な話、勇気をもって行った価値が高い行為になるのか……」

「そうだ。だからこそ、過剰に価値をアピールし自分が貢献した事をこれでもかと出してくる。二つ目の確信はそこだね」

 確かに、レニーの話は単純明快だ。

 だけど、単純が故に理に適っている。道筋がこれでもかと鮮明に見える程に。

「君がウィルソン警部に会った時の様子も同様。君は自分から通報の事は一言も言っていない。名前を名乗り、手を差し出した。それだけだ」

「それが確信?」

「何もないって、確信さ。十分過ぎるだろ? 君は警察に自分の正体を知られても少なくとも困らない立場にいる。それがわかるだけで十分だ」

 行動は全て、目的を持って行われる。

 何処で気を抜くか、舌を出すか。要るか、要らないか。全ては自分の中の選択肢だ。

 それをレニーはまるで見えている様に話す。その様子に、アルは小さなため息を吐いた。

 本当に、彼は自分の正体なんてどうでもいいんだな。その確信が今持てたのだ。

「僕が自然に電話を断っていたらどうしてたの?」

 アルが漸くデリを口に運びながらアルに問いかける。

「どうもしない。気付かないか他の事で気付いたか。それだけさ。僕は君の正体にどうしても気付きたかったわけじゃない。何でそんな質問を?」

「いや、本当に君は頭がいいんだなって」

 レニーの言う通りだ。

 彼はアルの正体を疑って彼を監視していたわけじゃない。

 アルの行動を見て、ただ事実に気付いただけなのだ。

「今更何を?」

「本当、今更だ。このデリ美味しいね」

「一体そのデリを僕は何分前に渡したと思っている? それこそ今更だ。僕が選んだんだからな」

 アルはレニーの言葉に笑った。

「本当にそうだね。ただ一つ訂正だ。僕の正体は警察に知られると大いにマズい。困る立場にいる。そこは君の推理ミスだ」

 アルのその言葉にレニーは首を横に倒して口を開いた。

「マフィアのドン?」

「何でそうなるんだよ。突拍子がないな」

「いや、違うな。良くてドンの息子か」

「……何でそう思う?」

「警察に正体を知られたらマズい。でも、ウィルソン警部になら問題ない。それはウィルソン警部だからなのか、ウィルソン警部の地位からくるものなのかの二択だ」

「何故?」

「君とウィルソン警部は初めて会った。その段階でアルがウィルソン警部についての持ち得る情報なんてそれぐらいしかないだろ?」

 知っている人間か、知らない人間か。

 警部と呼ばれる彼の立ち位置。

 その二択で彼は自分の情報をどれだけウィルソン警部に売れるかを見極めたわけではある。

 結果は、スルー。問題はないとアルは判断した。

「だからこそ、知り合いではない。また、ウィルソン警部の地位にいる人間には君の正体は関係ないとなる。顔が割れていて、自身が犯罪者でもなく子供が正体隠したい理由ってそれぐらいじゃないのかい?」

「お見事。でも、マフィアのボスの子供でもなんでもないよ。ねぇ、レニー。何で君は僕を疑ったの?」

 犯罪者ではない事はわかった。

 しかし、何故君は正体を隠している事がわかったんだい? 教えてくれよ、レニー。

「アル、君は何か勘違いをしているな」

「僕が、かい?」

「ああ。僕は種明かしをすると言ったんだ。君の疑問に全て答える義理はない」

「それを含めての種明かしじゃないのかい?」

 レニーの言葉にアルは非難の声を上げる。

「種も仕掛けもない事について、僕は答える義理を見いだせない。気付かなかったのはアル、君の責だ。それに、僕既に君にその答えを告げている。精々思い出してくれよ」

「それだと話が進まないだろ? いいのかい?」

 アルの言葉には、まるで自分の正体を知らなくてもいいのかと脅している様にも取れる言い方であった。

 実際、彼は自分の正体を餌にレニーを脅しているのだ。

 レニーは既にアルに答えを告げていると言っているが、アルにとっては寝耳に水。今日一日の咽る程の濃度の高い会話を、一から思いだぜる自信はアルにはないだろう。

 だからこそ、考えを放棄し彼は交渉に入ったのだ。

 これは正確性の問題だ。逃げでも、思考の停止でも何でもない。最善の方法と言って良いだろう。

 だが、残念な事にアルは一つだけ交渉にとって最も大切な事をどうやら一つ忘れているらしい。

「君の正体だって?」

「マフィアのボスの子供でもない。君はまだ推理で僕の正体を導き出せてないだろ?」

 これから一緒に暮らす人物の身元をはっきりさせたいと思うのは世の常だ。

 セキュリティ対策としては、序盤も序盤。

 初歩の初歩。

 だからこそ、レニーはアルの正体が必要なのだ。そう、アルは考えている。

 しかし、レニーは呆れようにアルを見た。

「君は何と言えば言えば、いいんだろうか。あー……、そうだな。馬鹿なのか?」

「は?」

 突然のレニーの暴言に、アルは顔を歪める。

「レニー、君は僕の脳に興味を持ったんじゃないのかい?」

 今度はアルが呆れた様にレニーを見る番だ。

「いや、そうなんだが、何と言うか、君って少し、馬鹿だなって」

「言葉を選べよ。君は馬鹿に興味を持つの?」

「いや、まったく。馬鹿も猿もお断りだ」

「言ってる事と、やってる事が矛盾してるぞ。探偵さん」

「あー。頭はいいと思うんだが……、ああ。わかった。何と言うのか、言葉が見つかったよ。君はアレだ」

「アレって?」

 アルがレニーに続きを促せば、レニーはアルを指差してこう言った。

「君は世間知らずなんだ」

「……は?」

「ああ、自分の中でもかなりベストな表現だ」

「僕の何処が世間知らずだって?」

 アルはレニーに詰め寄る。

 まさしく、そこが世間知らずだと言うのに。

「君の思考は紙の上ではよく踊るだろうけど、どうやら高さと時間に弱いらしい」

「レニー、君が僕を馬鹿にしているのはよくわかってるっ」

「嫌味にもちゃんと気付く。馬鹿ではないよ。だけど、少しだけいつも甘いんだ。君は」

 レニーは笑いながらアルの肩を叩いた。

「交渉は正しい。見切りも正しい。だけど、それには僕が君の正体を知りたい、知らなきゃいけいなと言う背景が絶対だ。しかし、僕は君に言っただろ?」

 レニーはまるで子供に優しく言い聞かせるように、ゆっくりと、そしてはっきりとアルに向かって口を開いた。

「僕は君の正体なんて、どうでもいいって」

 最初からレニーの主張は変わらない。

「だからその交渉はなりたたない。僕はそれが要らないんだから、その交渉を蹴るに決まっているだろ?」

「……クソっ」

 何かが図星なのか、アルが汚い言葉を床に向かって吐き捨てる。

 もう、アルには切れるカードがない。

 でも、何故、レニーが自分の秘密に気付いたのか。

 これを知らなければ、彼はここまでノコノコとレニーの後を付いてきた意味がなくなってしまう。

 アルは知らなければならない。何故、自分の正体をレ二ーは気付いていつ知ったのか。

 でなければこの不幸な事故はまた起きる可能性があるからだ。

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