第10話
6
「ふぅ。こんな所かな」
アルが肩を回しながら窓の外を見れば、既に赤い眩しさは消えており、夜の帳が降りていた。
あれから随分と時間が過ぎたとは言え、一心不乱に掃除に励んだアルだったが、まだ完璧に終わったとは言えない。
取りあえずは、自分自身の生活区画を確保したと言った方が正解である。
「当たり前だけど、この部屋に床ってあったんだな」
ここに来た時には見えなかったカーペットの色が赤だと言う事に気付き、思わず何とも言えない笑いが込み上げてしまう。
「まったく。こんなにも掃除をしたのは産まれて初めてだよ」
一年前迄は考えも出来なかった環境に、彼はいる。
彼自身も、そして、周りの人間誰一人として、想像も付かない様な場所に、彼はいる。
それがここだ。
「さて。そろそろ、謎解きでも始めようか。レニー」
真っ暗な帳に小さな煌めきが零れ落ちる夜を後ろに、アルは静かに振り返る。
「僕の正体を何故、君が知っているか。僕が『アルフレット・スチュアートではない事』の秘密を君に……」
アルが振り返って目にしたものは、この部屋の白い壁だった。
「……え?」
間抜けな姿に間抜けな声がでる。
仕方がない事かもしれない。そこにいるはずの人間がいないのだから。
しかも、今、彼は恰好を付けて大事な事をポロリと漏らしたのだ。
しかしながら、誰もいないこの部屋では、最早それはただの独り言である。
「れ、レニー?」
誰もいない、レニーもいない。だから返事が返ってくる事もない。
だからこそ、独り言になっているのだ。それも、酷く恰好を付けた、独り言だ。
それを理解した瞬間、彼の顔は炎の様な熱を持ち、マグマの様に真っ赤になった。
「ただいま。お、この部屋のカーペットは赤色だったのか。中々センスがあるな」
アルが自分の真っ赤な顔と闘っていると、レニーがドアを開けて入ってくる。
自分の部屋だと言うのに、酷く他人事の様な言葉を言いながら。
普段ならば呆れる所だろうが、今のアルにとってはそれどころではない。
「……レ、レニーっ!」
一体、いつからそこに? と、聞きたい言葉は怖くて聞けるわけがない。
「何だよ、カーペットの様に顔を真っ赤にして。掃除をサボったと怒っていたのか? まったく勘違いもいいところだな。掃除以外の家事労働だってその中には存在すると知らないのか? ほら、例えばこのように食料の調達だ。君の分もあるぞ。君のせいで夕飯が食いっぱぐれたから、食べれそうなものを買って来たんだ」
そう言って、レニーはアルに持っていた紙袋を見せた。
「いや、えっと……」
「何だよ。感謝の言葉でも度忘れしたのか? 仕方がないな。僕が特別に教えてやろう。有り難う御座います、親友。だ」
「あ、いや……、そうではなくて……」
「勿論、親友はレニーに置き換えてもいい」
「あ、いや、えっと……」
「何だい。他にもまだあるのか?」
「い、いつから、いつからいなかったんだい?」
アルは漸く出て来た震えた声で、レニーに問いかける。
「変な質問をするのが趣味? いつって、君が奇声を上げながら二段ベッドの上にある布団を引っぺがした時だよ。声を掛けただろ?」
「あぁ、あの時ね……」
アルは度の合っていない眼鏡を意味もなくかけ直した。
どう思い返しても、それは序盤だ。
寝るスペースすらないじゃないかと、大暴れしながらアルが掃除し始めた序盤である。
そこからどうやらアルは一人で掃除をしていたらしい。
通りでこんなにも疲れた筈だ。家主はそっちだと言うのに。
「何か問題でも?」
「え?」
「そんな事を聞くだなんて、僕が出て行った事に気付いてなかったのか?」
「え、そんな、まさかっ!」
勿論、大嘘だ。一ミリだって、アルはレニーが居ない事に先ほどまで気が付かなかったわけである。
しかしながら、アルは先ほどの失態をレニーに気付かれたくはない。
なんたって、レニー相手にだ。どんな風に馬鹿にされるか分からないのだから。
「……えーっと、僕シャワーを先に浴びたいなって……。よく考えたらゴミ捨て場からこのままだし、このままご飯は、ね?」
「ああ、そうだな。それがいい。シャワーはこの階の非常階段近くにある。プレートが掛かっているから一人でも分かるだろう」
「あ、ああっ! そうなんだっ。オッケー、ありがとうっ」
早くこの場から立ち去りたいと、アルは心の底から思う。
今回ばかりは空気の読めないレニー感謝だ。何たって、アルがこんなにも挙動不審なのを不思議とすら思わないのだから。
「ああ、そうだアル」
「な、なんだい? レニー」
「窓を見て浸りながら、君が言っていた君の正体、シャワーから戻って来たらゆっくりと聞かせてくれ」
「き、あ、な、何でっ!?」
アルが、君はその時いなかったじゃないかと続ける事が出来なかったのは、先にレニーが口を開いたから。
「何でって? 僕はレオナルド・モーガンだからさ。随分と溜めて言ったんだ。面白い話だと期待しているよ」
ほら見ろ。空気が読めないレニーに感謝なんて必要ないんだと、アルは心の底から思うのであった。
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