第7話

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 込みあがって来た彼の怒りは、尤もなモノである。

 しかし、当の本人はどうやら違う様だ。

「ああ、何だ。そんな事か」

「そんな事って!」

 レニーは満足げに笑うとアルの手を掴み自分から引きはがす。あっけらかんとしたレニーの声に呆然としてしまって、力が抜けてしまったのだろう。強く掴んだ手はいとも簡単に引き離せた。

 本当にレニーはそんなことかと言ったのか? そんな人として失礼で尚且つ馬鹿にする方法があると言うのか? 出来ればアルだって耳を疑いたいが、悲しいほど疑う要素が何処にもない。逆にああ、レニーならば普通に、それも明るく、何気もなく、何の葛藤も気遣いもする事なく、言い放つだろうと確信の方が強い。

 アルからしてみれば何よりも重要な事だと言うのに。

「君は実についているな」

「はぁ?」

 レニーの楽しそうな表情に、アルの思考は付いていけなかった。景色が変わるのがあまりにも早すぎるのだ。

「どうやら、幸運の女神は君に前髪を置いて行ったらしい。アル。此処で一つの提案が僕にはあるんだが、聞いてくれるかい?」

「提案?」

 わざとらしい、取って付けた様なレニーの咳払いをアルが怪訝な顔を返す。

 レニーと出会ってたった三時間かそこらだが、アルにはもうわかっているのだ。

 この提案が碌な事ではない事が。

「そんな顔をするなよ。寮長。ここより安いか同等の部屋は?」

「ないよ。ここが最後の我が寮のお化け部屋さ」

「アル、君はここより高い部屋には入れない。それで間違いはないかい?」

 レニーの言葉にアルは静かに頷く。

 怒りに任せたとは言え、自分から進んで暴露した事実なのだ。急に恥ずかしさが込みあがって来たって、否定するわけにはいかないだろう。

「寮長、アルの部屋の手配は?」

「アルフレットの出せる金額にもよるが、現状だと一つ上のランクの空いている二人部屋に入る事になるな」

「金額が払えない状態だと?」

「残念な話になるね」

「アルは他の部屋に行く当ては? 一時的でもいい。親友の所とか寝泊り出来る場所はあるかい?」

 レニーの言葉にアルはため息を吐く。

 先程の事に対しての文句を並べたいが、この話はアルとケニーの二人の時よりも実に健全的だと言わざる得ない。

 レニーは今、第三者として、アルの現状を分かりやすくまとめてくれている。

 つまり、寮長にアルのどうしようもない状態を第三者として分かりやすく提示してくれているのだ。

 これに乗らない手はないだろう。

「モーガンさんもご存じでしょ? いじめられっ子の僕には友達すらいないのに、親友なんておかしな話だと思わない?」

 事実である。

 いじめられっ子仲間はいるにはいるが、アル自身が親しい相手だとは思っていない。

「それは残念。じゃあ、質問を変えよう。一時的な延長を申し出たぐらいだ。アル、君に金の稼ぐ当てはあるの?」

「今はないが、流石にそれは見つけるよ」

 なんたって、生活の為だ。

 仕事なんて選んではられない。

「出来れば最短で、何とかお金を用意します。だから、どうかそれまでだけでも、退居させるのは待って欲しいんです。ここを追い出されたら、僕は他に行ける場所が何処にもないんです」

 アルがケリーに向かって祈りを捧げように両手を組む様子を見て、レニーはわざとらしくため息を吐いた。

「アルフレット、そんな事を言われてもなぁ……」

「じゃあ、場所は此処じゃなくてもいいんですっ! 寮長貴方の部屋でも、少しの間だけ置いて頂けるならっ!」

「えっ? お、俺の部屋?」

「寮長の部屋には、もしもの為のゲストルームがありますよねっ?」

 そうだ。寮長の部屋に何らの致し方ない理由で部屋に入れない寮生を受け入れらる部屋が用意されている。

 そこに置いて貰う事が叶うならば、それで問題はない。

「いや、しかし、それは……。ほら、本当に困っている寮生が使えないのは問題だろ?」

「ゲストルームは二部屋ですよね?」

 はっきりとしないケリーの態度に、アルがここぞとばかりに推して行く。

 しかし、それも直ぐに終わりを迎える事となる。

 何たって、この部屋にレニーの不機嫌な壁を蹴る音が響いたからだ。

「……レニー?」

「ああ。失礼。もっといい案があるからベルを鳴らそうと思ってね。でも、ベルがないから壁を蹴った。それだけさ」

 それだけと言いながらも、明らかに不機嫌な声と態度。

「アル。そんな事を寮長に頼む必要はないと思わないか? 見ろ、庭なら使いたい放題だ」

「……僕にお庭でキャンプしろって事ですか?」

「今回は察しがいいな」

 一体、どうしてこれ程迄に不機嫌になったのか。

 理解できないアルはため息にため息を重ねるのであった。

「レニー、流石にその提案はないんじゃないか?」

「君だって困っていたじゃないか。貸せる部屋はないんだろ?」

「数日ぐらいは大丈夫だが、期間が分からないとね。流石に、そんな贔屓は出来ないよ」

「結論的に貸せないと言う事実は変わらないだろ? では、他の案しかない」

「でも、庭は……」

「寮長。モーガンさんの提案通り、この際、庭でも僕は構いません」

 アルはレニーを責めるケリーを止めて、自ら庭へ出る事を志願する。

 恥だけでは生きていない。アルには最早帰る場所もないのだ。

 指を指されて笑われるのならば、それはもう十分に慣れている。この一年、どれだけの人間にこつかれ、揶揄われて来たなんて数える事すら億劫なぐらいだ。

「おいおい、アルフレット。君迄何を言い出すんだ。庭はキャンプ場じゃない」

「でも、僕はゲストルームも使えないんですよね?」

「……君が数日で規定の金額を用意出来るなら、何処にも問題はないさ」

 何とも酷い話だ。

「僕は、寝泊り出来る場所があれば何処でもいいです。寮長、キャンプ用具の貸し出し申請を」

 これはアルがここに来た覚悟。

 全てを捨てて、この地に来た覚悟の表れだ。

「……はぁ。勘弁してくれ。アルフレット。いいかい、気持ちはわかるが……」

「アル。そこまでにしてやれ。早く部屋を片付ける準備に取り掛かるんだ」

「レニー?」

「モーガンさん、僕の話は終わってないですよ?」

「結論が出ないんだから、そんなものは遅延行為だ。認められるわけがない。では、寮長は何を提案してくれる? 提案が出る迄アルはここを動く理由はないぞ。ここまで色々彼は提案したわけだから。アルはそれを狙っている」

 アルの胸がドキリと跳ねる。

 レニーの睨んだ通り、あれも駄目、これも駄目と言うのならば他の案を提示しろとごねるつもりだった。

 実にスムーズに、そして自分の非が無く提案できる計画だったのに。

「そんな事を言われても俺には、どうしようも出来ないだろ」

「そうだな。だから今度は僕からの提案だ。アル、君は僕の部屋に来ればいい。と言うか、最初から僕は一つ提案をいいかと言っていたのに無視を決め込むとはいい度胸だな。アル」

 いや、そんな事よりも、今レニーは何て?

 アルはパチリパチリと目を瞬かせる。どうやら、彼は現実のスピードについていけない様だ。

「また無視か? アル、随分と失礼だぞ」

「あ、いや、無視って言うか、今、何て?」

「僕の部屋に来るために早く荷造りを開始しろ、だ。君は頭がいいのか悪いのか全く以ってわからない人間だな。それとも、耳が悪いのか? さあ、今度はしっきりと聞こえたんだろ。オーダーは通したんだ。早く準備に取り掛かってくれ」

「待ってくれっ! 僕は君の部屋に行ってもいいなんて一言も言ってないっ!」

 アルの叫びにレニーは不思議そうに顔を横に倒す。

 おかしな事を言う奴だ。

「君は、ここに住めない。他の部屋にも行けない。部屋に止めてくれる友達もいない。ゲストルームにも泊まれない。庭でのキャンプも駄目。お金はない。目途もない」

「そ、そうだけど……」

「僕の部屋に泊めてやる。で、断る理由は? 次の代用案は? 君の番だぞ? アル」

 そう言われると、アルは思わず口をへの字に曲げてしまう。

 自分が寮長に対してやろうとしていた事をそのまま返されれば、気返す言葉がない。詰んでしまうに決まっている。

 ここで君が嫌いだからと言っても、それは現状断る理由としては安すぎる。

 なんたって、アルは自分自身で自分の問題を『お金がない』と宣言してしまっているのだから。

「幸い、僕の部屋は二人部屋を僕一人で使っている状態だ。金が貯まる迄はいればいい。金は取らないよ」

「……え?」

 そう言われると、少し弱い。少しでも使う金は減らさなければならないアルにとっては、死活問題と言ってもいいだろう。

 だからこそ、レニーの言葉は救いの手以外の何物でもない。

「でも……」

 レニーはアルを知っている。

 アルの正体を知っている。

 どうしてそんな顔を自分に向けているか、頭のいいレニーは十分に分かっていた。だからここでトドメを指すのだ。逃げない様に。

 言い淀むアルに、レニーは耳元で囁いた。

「僕が君の秘密を知っている理由を、教えようか?」

 知りたかったら、僕に付いてくるといい。

 そんな笑みをレニーは乗せてアルに笑いかける。

「……っ」

「寮長、アルは僕の部屋に来るそうだ」

「本当に? ああ、レニー、ありがとう。アルフレット。本当に君には済まないと思っている。今度振り込んだ金を返すからまた尋ねるよ。じゃあ、僕はこれで」

 寮長の足早に去っていく後ろ姿を見送って、アルがレニーを睨む。

「直ぐに用意するから待っててくれ」

「オーケー、アル」

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