二章 レニーとルームメイト

第6話

二章 レニーとルームメイト



 アルフレット・スチュアートと言う男を知っているかい。

 彼は実に、レニーとは対照的な場所にいる男であった。彼は何処にでもいる目立たない、真面目な心優しい貧困な学生である。ボサボサの髪を切りもせず伸ばして前髪で目が隠れる。着ている服は学校のバザーで買ったモノばかり。いつでも、どれでも誰かのお古。同級生に遊び半分で壊された眼鏡だって、バザーで買った一品だ。度が合っているとは言い難い。

 だって仕方がないじゃないか。彼には『使えるお金』がないのだから。

「今日は散々な目にあった」

 一番格安の、一番ランクの低い寮部屋がこの学校での彼の家だ。

 部屋は実に質素で、生活に必要なものすら置いていないぐらい。

 それでも、今の彼には十分過ぎる生活が送れている。

 ボサボサの髪を掻きむしりながら、眼鏡を外してため息を吐く。早くシャワーを浴びに行きたいが、今行けばきっと彼を揶揄ってくるジョックス達と鉢合わせしてしまうだろう。

「今日も図書館に行きそびれたな……」

 夕暮れの赤黒い太陽が、部屋に差し込む様子を見ながらアルは窓の前に立つ。

 窓に映る自分は、何処からどう見ても貧乏人だ。

 貧相で汚らしい、自信がなさそうで酷くどんくさく、まるで絵に書いたようなナードの様な姿だ。

 きっと、彼の『本名』を知っている人間は、彼だと言う事さえわからないだろう。

 親だって、なんだって。

 なのに、何故……。

「あいつは、僕を知っているんだ……」

 アルは唇を強く噛んだ。

 しかし、アルはレニーを知らない。

 それが一番の問題である。

 離れた方が正解なのはわかるが、あいつは、レニーは、いや、レオナルド・モーガンはアルの秘密を知っている。

 その事実は明らかに彼の脅威。彼がここにいれなくなる理由に成り得る。

 最悪、誰かにバレることだって……。

 荷物なんて殆どない。教科書類を覗けば、ここに来た時に持ってきたボストンバッグ一つに簡単に入ってしまう程の量。

 それもこれも、どれも、彼の秘密とつながるものは何処にもない。

 一体、何故?

 何処から? いつからバレていたのか。

「失礼」

 アルが可能性をかき集めていると、ドアからノックの音が鳴る。

「あ、はい」

 アルがドアを開ければ、寮長のケリーが立っていた。

「やあ、アルフレット。少しいいかな?」

 程よい低い声で、ケリーはアルに話かける。

「はい、寮長。御用はなんですか?」

「ああ、少し言いにくい話なんだけどね。この部屋、実は明日から業者が入って工事をするんだ。だから、君に今日中に出て行ってもらわなくちゃ行けなくなってね」

「あ、あの、今、寮長何か間違いを仰られていませんでしたか?」

 アルは思わず口を開け、ケリーの言葉に首を傾ける。

 耳を疑うよりも、ケリーを疑った方が早いからだ。

「あー。アルフレット。俺は何も間違っていないよ。真実を君に伝えに来ただけさ。本当に申し訳ないんだが、君の部屋は今日でなくなる。準備は出来そう?」

「い、いやいやいやっ。寮長、ちょっと待ってください。この部屋の使用料を僕は今年分払ったばかりだっ! 今、この寮ではこの部屋しかあの値段で入れないはずでは?」

「ああ、君の言う通りだよ。アルフレット」

「じゃあ、僕は明日から何処に住めばいいんですかっ!?」

「一つ上のランクの部屋の代金を払ってくれれば、すぐにでも手配できる」

「そんなっ、今のでも精一杯なのに……っ!?」

 信じられない顔でアルがケリーの腕を掴む。

「急すぎます、無理です、寮長。これはおかしい。可笑しすぎるでしょう。今日一日でなんて話っ!」

 冗談なら度が過ぎる。

「それは、あー、本当に、あー……。何と言ったらいいか。本当に申しわけないと思っているよ」

 申し訳ないだって?

「なら、もう少しだけでも……っ! せめてお金が工面出来る迄でも待ってくれてもっ」

「アルフレット、すまない。それは出来ないんだ」

「じゃあ……っ!」

 部屋がなくなる恐怖に必死になるアルの叫びが、後ろからの声にかき消される。

「やあ、アル。こんな所で君は何をしているんだい?」

「……レオナルド・モーガン?」

 アルは目を見開いて後ろを振り向けば、そこには先ほど別れたはずの彼が本を片手に立っていた。

 何故、彼がここに?

 きっと、アルの顔にそんな文字が書いてあったのだろう。

 レニーはそんなアルを鼻で笑って口を開く。

「なんの騒ぎだい。僕の部屋迄その大きな声が聞こえて来たぞ?」

「ああ……」

 どうやら、アルのケリーへの抗議がレニーの部屋迄届いたらしい。

 それも不思議ではない。なんたって、格安寮のオンボロ寮だ。防音設備が完璧とは真逆の位置にあるに決まっている。

「で、どうしたんだ?」

「ああ、アルフレットが今日中にこの部屋を引き上げなくちゃいけない事になってね。伝えていたんだよ」

「成程。で、アル。君がただを捏ねていたわけかい?」

「ただって……、ぼ、僕は今年いっぱい分の部屋代だって、既に払っているのに、急に……っ」

「返金はあるんだろ? 寮長」

「勿論」

「じゃあ、金銭面では問題ないじゃないか」

「でも、急に言われても……っ!」

「僕が見る限り、この部屋の荷造りに必要な時間は一時間もかからないと思うけど?」

 空いていたドアから顔を覗かせながら、レニーが言う。

「ち、違うよ……」

 勿論、レニーの言う通りだ。

 アルの荷物は今すぐにでも詰められる。

 掃除をしなくていいと言うのならば、残念な事に十数分で終わるだろう。

 お金を払った事をアルが主張していても、それを返すとなればその問題は解決されるに等しい。

 例え、即日退去命令が出たとしても移動は出来る。

 しかし、彼が言いたい事は、訴えたい事はそれではない。

「何が? 僕が真実を見れていないと言うのかい? アル」

「そうじゃない。確かに君が言う通りなんだけど、その……」

 言いにくそうにアルが顔を伏せる。

「まったく、さっきまでの威勢はどうした? 親友である僕に猫を被る必要が何処にある? 先ほどの悪態を忘れるぐらい僕が馬鹿だと? それとも、何か僕のどこかが酷く間違っていると?」

 全く以って、そこが完璧すぎる彼の残念な所だ。

 勿論それは、レオナルド・モーガンは他者の気持ちを配慮できない所、である。

「間違っては、ないよ」

「合っているなら問題ないだろ?」

「いや、だから、問題があって……」

「だから、その問題は? 僕が解決しただろ。荷物を纏めるのも、返金も問題ないはずだ」

「確かにそこは問題がないけど……っ」

 実にこれはデリケートな問題だ。

 確かに、ケリーが出した問題はこれで解決はする。

 でも、アルが抱いている問題は解決していない。

 それに、レニーは昔の自分を知っている。もし、昔の自分と比べられたとしたら……。

 アルは喉を鳴らす。

 今まで一度も考えもしなかったことが頭をよぎる。そう。どれ程惨めだと思われるのだろうか? と。

「じゃあ、一体、何が問題なんだ。君は。ただの我儘かい?」

「我儘と言えば、僕の我儘だけど……」

「レニー。彼はこの部屋の使用期限を延長して欲しいらしい」

「延長? それは可笑しい。先ほど僕が述べた様に、延長の理由がないだろ」

「ああ。物理的な理由は確かにないな」

 ケリーの含んだ言い方に、アルの顔が赤くなる。

 ケリーはアルの事情をよく知っているのだから、彼が暗に自分の金銭問題をレニーに隠してくれている気遣いが逆に恥ずかしかった。

「じゃあ、出来る筈だ。それとも、ママの手伝いがなければお片付け一つ出来ないのかい? パパの許可がないと部屋一つ決められない?」

 レニーの馬鹿にしたような言い方に、カッと頭に血が上ったアルはレニーの胸倉をつかみ上げた。

「止めるんだ、アルフレットっ! レニー、君も言いすぎだぞ」

「君だって、親に頼って生きてるんだろっ!? いい加減にしろよっ! 僕の事を何も知らない癖に、僕の何処が親に頼っているって!?」

「アル、君だって僕の事を良く知りも居ないじゃないか。じゃあ、何で君はこの部屋を出られないんだい? まさか、図星かい?」

 レニーの責める様な口調に、アルの堪忍袋の緒がついに切れた。

 もう恥ずかしいやら情けないよりも、部外者であるレニーに何故此処まで言われなきゃいけないのか。そんな怒りの感情がアルの中で込み上げてくる。

 親、兄弟、全てをアルはふりきったのだから。

「僕、この部屋以上の部屋を借りるお金きが無いんですっ! モーガンさんは黙っててくれますかっ!?」

 兎に角、今のアルには金がない。ここを追い出されたら新しい部屋を借りる金すらない。

 工面できる当てもなければ、宛てもない。

 ないものだけらなのだ、アルにとっては。

 それを関係ないレニーにどうして責めれなくてはならないのか。

 理不尽な物言いにとうとうアルの気持ちが爆発してしまったのだった。

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