第4話

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「通報をしたのは、君かい?」

 車から降りて来たのは、四十ぐらいのブロンド髪と短い髭を生やした男だった。

 少し汚れている所に目を瞑れば、中々の値段で売られているコートに、これまた少し汚れている皮の靴。

 アルは彼を眼鏡越しに目を細めて、よく観察をした。

 彼は発見された腕を見る事はなく同じ車で来た二人の男に声を掛け、後に続いた車を誘導させる。部下を従える姿を見る限りでは、ここに到着した誰よりも彼の地位が高い事は明白だ。

「はい。アルフレット・スチュアートです」

 アルは頷き、男に手を差し出した。

「ああ、初めまして。私は市警察のウィルソンだ。通報、感謝する」

「いえ、市民の義務ですから」

 ウィルソンと名乗った男の目は見事な緑色をしていた。

 アルの手に重ねられた手は、随分と分厚く大きい。

 握手では指の皮が特に厚く肉の柔らかさよりも、皮膚の固さを感じる程だ。特に右手の人差し指。

 ここが異様な程。

 しかし、手を握る力は、優しいものだった。

「少しばかり、腕を発見した話時の話を聞いても大丈夫だろうか?」

「はい。構いません」

「すまないね。本来ならば、車へ君を案内したい所だが……」

 ウィルソン警部は、苦笑をしながら彼を上から下まで眺め、肩をすくめて見せる。

 成程。アルは一人心の中で頷く。

 だとすると、彼は、いや。ウィルソン警部は、少しばかり軽率である可能性が高いと心の中でメモを取りながらアルは察せれない風を装い笑顔を作った。

 つまりはこういう事だ。

 彼はアルの今の姿がゴミで汚れている為、車に乗せられないと言っているのだ。そもそも、警察に話を聞かせてくれと言われた事がある人種には見えないアルに対してその言葉が必要なのだろうか、一度よく考えて欲しい。

 いや、見た目で人を判断すると言う愚行を行っていないじゃないかと声があがるかもしれないが、論点はそこではない。

 そもそも、だ。そもそも通報者の話を車で聞くと言うルールはない。少なくとも、一般化したルールではない。それを、今乗れない側に立っているアルに態々言う必要性が何処にあるか。

 今一度、考えて欲しい。

 答えは簡単。

 言う必要が何処にもない。だ。

 だが、しかし、ウィルソン氏は、アルにその事実を告げている。言いにくいと思いながらも、告げている。

 何故か。

 少しばかり、軽率だからだ。

 この一連のやり取りで、アルが不機嫌になり話をしない、はたまた協力的ではなくなる可能性だってあるわけだ。だって何処を見たって失礼なやり取りである。警部の視線と表情を合わせれば、余計に喜ばしい言葉ではないのは明確。

 その事を視野に入れない、または考えが及ばない。発想が、追いつかないし、はたまた発想自体が無いのかもしれない。

 それだけではない。そもそも、職人でもなければ、指をそれ程多用する仕事でも過剰に鍛える仕事でもないのに、何故右手の人差し指の皮が分厚いのか。

 これも答えは簡単。

 思想を張り巡らせることなく、利き手である右手の人差し指が無意識に出てしまうのだ。

 薬品だろうが、熱を持っている鉄だろうが、何だろうと思った時に出てしまう。

 その2つを踏まえて、アルがウィルソンと言う男の特徴を導き出した。

 この目の前にいる男は、実に軽率に動くと。

 しかし、自分がこの思考に行きつく事は周りには察せられてはいけない事をアルはよく知っている。だからこそ何も気づかない様に、頭が悪く察せられない様に、装うのだ。訳がわからないと言わんばかりの困った笑顔を纏って。

「あー……、とても言いにくいんだが、君は……」

 アルが作った察せられない笑顔を真に受け、ウィルソン警部は言いにくそうに口を開く。

 ふむ。実に真摯な対応だ。対応はとても間違っているが。悪い人間ではなさそうだと、アルは思った。本当に、ただ、軽率なだけだと。

 その時だ。

「やあ、ウィルソン警部」

 アルの後ろで声がする。

「あれ、レオナルド君じゃないか。ど、どうしたんだい、その足はっ!」

「少しばかり、怪我をしてしまいましてね。でも、推理をするのには問題ありませんよ」

「君も、通報を受けて?」

「いやいや、何を仰るんですか。僕はただの市民ですよ。通報だなんてくるわけがないじゃないですか。そこにいるアルと僕は親友なんです」

 にっこりと、レニーがウィルソン警部に笑いかける。

 一体、いつ親友になったのか。

 アルが口をあんぐりと開くと、レイチェルがご愁傷様と言わんばかりに肩に手を乗せる。

「なんと。レオナルド君の御友人だったとは……」

 一体、いつ友人になったのか。引き攣った笑いを上げながらも、アルは一つの事実に眉を顰める。

 レニーとウィルソン警部の会話は酷く妙だ。

「……知り合い、なのかな……」

 ぽつりとアルが呟くと、それを聞いたレイチェルが、こっそり彼に耳打ちをしてくれた。

「えぇ。レニーと彼は知り合いよ。ウィルソン警部はレニーによく捜査協力を要請しているの」

「捜査協力、ですか?」

 アルの言葉には一般市民に対して、プロが? と、言いたげなものだった。

 確かに、そう思うのも無理はない。なんたって、レニーは警察でもなければ、探偵でもない。ただの市民、それも学生。捜査の邪魔にはなっても、役に立つことはまれだろうと誰もが思う事だろう。

 そう、『レオナルド・モーガン』と言う男を知らない人間ならば、誰しもがそう思うだろう。

「そうね。普通ならば、そんな顔しちゃうかも」

 ふふふっと、ピンクのセクシーな唇を震わせてレイチェルが笑う。

「でもね、そんな事が言えなくなるのよ。レニーを見ていると」

 レイチェルがアルの視線の先にいるレニーは、そんな会話を知ってか知らずか、ウィルソン警部に見えない様に小さく微笑むのだった。

「スチュアート君」

「あ、はい」

 ウィルソン警部がレイチェルと話していたアルを呼ぶ。

 きっと、そちらもレニーと話も終わったのだろう。

「待たせて悪かったね」

「いえ、大丈夫ですよ」

「では、こちらで話を聞かせてくれるかい?」

 そう言って、ウィルソン警部がアルを案内したのは彼らが乗って来た車だった。

 アルは思わずその風景に目を疑った。

 だって、そうだろ? 先ほどまで君は乗せられないと、わざわざ本人に申告してきたぐらいなのに。

 こんなもの、まだ焦げ目の付いてないベーコンをひっくり返すよりも早いじゃないか。

「どうしたんだい、アル」

 すっとレニーが驚いているアルの肩に手を回す。

「何か乗るには問題でも?」

「あ、えっと、あの、僕……、今こんなにも汚れているので、車を汚してしまうかもしないし……」

 ウィルソン警部が言いたかった言葉を、アルはそのまま繰り返す。

 そうですよね、ウィルソン警部と、視線を移すと彼は肩を竦めて見せた。

「まったく、そんな小さな事気にするなんて。謙虚も度が過ぎれば無礼になるぞ」

「えっ?」

「さあ、二人とも車へ」

「え、二人って……」

「一人で乗るのは心細いだろ? なあ、親友。安心してくれ。僕も一緒に乗ってやるさ」

 警部の掌返しも耳を疑うが、今度はレニーの言葉にだ。

 一人で乗るのは心細いだって?

「いや、僕は一人でも大丈夫だよ!」

 人間それなりに生きてれば、今この状態に自分の立ち位置がどう言ったものか、薄々気付いてくる。

 アルだって、その一人だ。

 冷静に考えて見て欲しい。


 一、先ほど知り合ったばかりの男が親友と名乗ってくる。

 二、その男はお金のない弱者に肉体労働を要求している。

 三、肉体労働の末、人の右腕が発見された。

 四、警察の態度がその男のせいで180度変わった。

 

 つまりどう言う事か。最初から最後まで、レニーの手によって転がされている。そう言うことだ。

 しかも、だ。いくら怪我をしているからと言っても、本人がやれば問題ない事ばかりなのに、わざわざ第三者であるアルを立てる。

 それも、親友と偽って。

 こんな怪しいことが良いことな訳がない。

「そんな事を言うなよ。親友。それとも君が怪我をさせた怪我人を、こんな所に一人残して行くのかい?」

「そ、それは悪いと思っているよ。けど、君が付いてくる必要なんてないだろ? 大体、あの腕は、君が……」

 君が僕に見つけさせたのにっ!

 そう、アルが続けようとすれば、レニーが回した腕でアルの顎を上げる。

 その反動で、アルは口を閉ざし言葉が続けられなかった。

「遠慮はいらないさ。そうやって、君が余計な事を喋らない様にと思っての監視も兼ねているからね」

 決して、警部には聞こえないような小さな声でレニーはアルに囁く。

「レオナルド君? どうかしたのかね?」

「いや、親友がまだ車を汚してしまうと心配していたので説得を、ね?」

「そうかい。気にすることない。早く来たまえ」

 漸くレニーが手を放せば、今度はアルがレニーの服を引っ張り、牙を見せる。

「君、それは脅迫だぞっ!」

 流石のアルもこのレニーの行為は見逃せられない。

 確かに、彼に負い目はある。

 加害者は自分だと言うのに、アルは医療費すら負担出来ない。心底申し訳なく、心苦しい。それは至って彼の本心からだ。だから、レニーの希望はなるべくなら叶えてやるのが筋だとも思う。

 しかし、こんな事。人として外れている。

「おいおい。君は頭が悪いのか? ああ、そう言えば悪かったな。脅迫の意味を調べなおした方がいい。脅迫ってのはこうやるのさ。君の秘密をバラすぞってね」

「僕の秘密だって?」

 この男はまた何を言い出すのか。

 非難にも似た視線をアルが投げれば、レニーの美しい顔は吊り上がる。

「黙って。聞かれてしまうよ、いいのかい? 『お坊ちゃん』」

「……っ!」

 アルは信じられない様な顔でレニーを見る。

 それは、アルにとって、何よりも大切で誰にも見られてはならない『秘密』だった。

「君が何でっ!?」

 何処から? どうして!?

 アルはレニーから距離を取ろうと、すぐさま体を逸らすがそれをレニーが許さない。

「はっ。君は本当に馬鹿なんだな。ウィルソンを見て浅はかな男だと思っただろ? アル。親友の君にぴったりな言葉を教えてやる。人の振り見て我が振り直せ 、だ」

「何だって?」

「残念ながら今は余り時間がない。後でゆっくり教えてやるよ。さて、君が待ちに待った脅迫の時間さ。秘密をばらされたく無きゃ僕の言う事を聞け。シンプルでいいだろ?」

 一瞬、文句を言いたげに開いたアルの口は少し考えて、大きなため息を吐いた。

「……まずは何を?」

 僕に選択肢はない。そう言いだけなアルの口調にレニーはご機嫌な笑顔を浮かべる。

「グッド。僕より頭は悪いが、他の人間よりは優秀だ。ここで従う以外の選択肢がない事、また自分の感情をぶつけても致し方ない事。そして、ぶつけた際のメリット・デメリットの計算。速さ、選択、どれも悪くない。人柱としては申し分ない能力。いい傾向だ。まずは、あの車に入って何もしゃべるな。実に簡単なオーダーだろ?」

「はっ。どうだか」

 レニーはアルの言葉に口を吊り上げる。

「成程ね。気が弱そうに怯える振りをしていたと言うのに、僕の目の前では隠しても致し方ないと計算されたわけだ。こちらが君の素の部分なの? もしかして、君の特技はハリー・ポッターの仮装? 実に上手い。弱気な性格含め、本人かと思っていたよ」

「そう言う君はシャーロック・ホームズの仮装かい? 実に下手だな。転職をお勧めするよ」

 アルがレニーを睨み付けて小声で囁く。それはどんな彼の声よりも強く、鋭い。

「似てなくて当たり前さ。僕の方が彼よりもチャーミングだからな」

「ファンに刺されろ」

「君がのシャーロキアンでない事を神に感謝でもした方がいい?」

 これ以上レニーと話ていても腹が立つだけだと悟ったアルはレニーを置いてさっさと車に向かって歩き出した。

 そんなアルの手をレニーが取り、口を開く。

「ちょっと待て。あと一つ言い忘れていた事がある」

「何? 時間がないんじゃいのか?」

「一つだけさ。僕の事はレニーと呼べ」

「呼び方の指定? 何故?」

「何故って? そっちの方が、親友っぽいだろ?」

 何だって? アルは自分の耳を疑った。

 親友だって?

 冗談じゃないっ!

「さあ? 悪いが僕は友達がいた事がないからわからないけど?」

「偶然だな。アル、僕もだ。親友らしく似てお揃いだ。さて、行こうか」

 レニーは笑いながらアルの背中を押した。

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